(ターニャの視点)再び天へ
「ケイティ様からの使いが来まして、アグネーゼ様が目を覚まされたそうです。どこも異常はないとのことです」
「そう、それは良かったです」ルフィーナの報告に私はホッと胸を撫で下ろした。
ケイティとアグネーゼが別の世界に行っていたという報告を受けたのは昼だ。アグネーゼが戻らぬなか私は学校に行ったのだけど、昼食の時間になってケイティも登校していないことが分かり、ブレンダと心配していたところに、別の世界から戻ったケイティの使いが来てようやく事態が飲み込めた。
「ベアトリーチェを封印したそうですね」ルフィーナがなんとも言えない顔で私に言う。
「仕方ないですね。ずいぶんとおかしくなっていたようですので」
「なぜ、ベアトリーチェはおかしくなってしまったのでしょう? ターニャ様が最後に会った時は以前と変わらなかったのですよね?」
「そうですね」
ベアトリーチェと最後に会ったのは、朝食の席でコルヴタールに槍を撃つ前日の夜だ。普通に話をしていたはずで、こんなことになるとは想像もしていなかった。
「もしかすると魔導書を読めば分かるのかもしれません」
「いけません、あれは大変危険なものです」ルフィーナが焦ったように私を止める。
「フフフ、大丈夫ですよ。魔導書の力など必要ありません」
もっとも、私が魔導書を読んでも問題はないとも思う。あれは力の無い者が読むと支配されてしまうのだろう。でもルフィーナが心配するなら止めておこう。
「さて」私は席を立った。「ヴィットリーオを呼んできてください、ルフィーナ」
「え? ヴィットリーオですか?」
「ええ。アレクシウスのところに行きますよ」
「お待ちください」ルフィーナがずいぶんと慌てたように私を止める。「どう説得するかをご姉妹で話し合われてからではないのですか?」
「アグネーゼ姉様が倒れてしまった以上、話し合いは延期でしょう。そんなに待ってはいられません」
「ですが、どう説得するかを考えなくてはならないのでは?」
「大丈夫です。説得はできますよ」
私はクローゼットの方に歩きながらルフィーナに改めて言う。「ヴィットリーオを呼んで、それからルフィーナも支度をしてきてください。すぐに行きますよ」
「わ、分かりました。ちょっとお待ちください」ルフィーナが部屋を出て行く。
「さあ、いよいよ私が頑張る番です」思わず独り言が出てしまった。頑張ろう。
「では、参りましょうか」とヴィットリーオが言ったところで、部屋の扉がノックされた。
「ターニャお嬢様、ブレンダ様がお越しですよ」とルチアの声だ。無視するわけにもいかない。居間にご案内するよう伝え、私たちも向かう。
「やあ、ターニャ。夜分に済まない。明日の予習で忙しかったか?」にこやかにブレンダが言う。額に汗が光っていて、どうやら急いで来たようだ。
「いえ、明日の予習はもう終わっておりますので大丈夫です。アグネーゼ姉様のことでしょうか? それなら先ほどケイティ姉様からご連絡をいただきましたよ」
「ああ、無事で何よりだった。それよりも、ターニャ。私は回りくどいことは嫌いだからハッキリ言おう。また天に行くつもりだな?」
私は驚いて言葉に詰まってしまった。ウェンディに魔術の相談をしたことで、私の魔力が増えたことは気付かれるだろうとは思っていたけど、行動まで見透かされるとは思っていなかった。
「止めても無駄なのだろう? ならば私も連れていけ」ブレンダの目は真剣だ。
「アレクシウスに会うつもりなのです。何が起きるか分からないのです」
「危険なのは承知の上だ」そう言ってブレンダはニッと笑った。「かわいい妹をそんなところに一人でやるわけにはいかない」
「私なら……」と言いかけてやめた。何を言っても付いてくるつもりだろう。
「分かりました。では一緒に行きましょう」隣で聞いていたヴィットリーオに念を押す。「皆を守るのはヴィットリーオの仕事ですよ」
「分かっております。ターニャ様をはじめ、皆さまをお守りします」
「私は大丈夫です」
私は前方に手をかざし、天へ移動するための渦を出した。
「では、今度こそ参りましょう」
青い渦を抜け天に着くと、ブレンダが周りを見回して感嘆の声を上げている。
「ブレンダ姉様、ここが神々の住む天です」
「素晴らしい景色だな」
「そうですね。フィルネツィアにはない花も咲いていますよ」私は目の前のピンク色の花を指差す。「ヴィットリーオ、アレクシウスの居場所は分かりますか?」
「詳しい位置は分かりかねます。イグナシオに聞くのが良いと思います」
「では、イグナシオのところに行きましょう」私は転移魔術を唱え、足元に魔術を展開させた。光に包まれ、私たちは転移した。
「ご機嫌よう、イグナシオ」
「ターニャ・フィルネツィアか。早い戻りだの」
イグナシオは前に会った時と同じように楽器を弾いていた。
「アレクシウスのところに行きたいのです。場所をご存知でしょうか?」
「勿論。転移させてやろう」イグナシオが私たちの足元に魔術陣を展開させると、私たちは光に包まれた。
光の眩しさが収まり、目を開くと、そこは大聖堂に似た雰囲気の建物の中だった。といっても私はフィルネツィア大聖堂には行ったことがなくてケイティに話を聞いただけなのだが、このように荘厳な宗教画に飾られているらしい。
「大聖堂に似ているな」ブレンダが呟いた。やっぱりそうなのだ。
「ヴィットリーオ、アレクシウスはどこでしょう?」
「おそらくこの先でしょう」
私たちは広い通路を進む。奥は大きな両開きの扉で行き止まりだ。おそらくそこにアレクシウスがいるはずだ。ヴィットリーオが扉を開く。
「ようこそ、ターニャ・フィルネツィア。久しぶりですね」
部屋の奥、窓際に立っている女性は紛れもなくアレクシウスだ。他の神々と違い、赤いローブを羽織っている。
「お久しぶりです、アレクシウス様。こちらは私の姉ブレンダとその護衛のウェンディです」私が紹介すると二人は礼を執った。
「ええ、知っています。ところで、ターニャよ。その魔力はどうしたのです?」
「たくさんの人が私に力を貸して下さっているのです」
「イグナシオにルージェレーリエ、ペトロリーネの魔力も見えます。よくその体で受け切れましたね」
「そういうものなのですか?」
「やはり、あなたは普通の人間ではありませんね」アレクシウスがちょっと肩をすくめた。「ベアトリーチェが封印されたのは知っていますね」
「はい」
「では、あなたが代わりにクラインヴァインを封印するのです、ターニャよ」
「それはできません」
「……なんと?」拒否されるとは思っていなかったのであろう、一瞬の間を置いてアレクシウスが聞き返した。「今、なんと言いましたか?」
「その前にアレクシウス様には、クラインヴァインと話をしていただきたいのです」
「話とな?」
「そうです。話です。アレクシウス様、ここで私がクラインヴァインを封印してもまた同じことの繰り返しではありませんか?」
「……」
「またいずれ封印は解けます。その度に人間が苦しむことになるのを私は見過ごせません」
「……それで、話をしてどうなるというのです?」
「仲良く、とまでは言いませんので、せめて不毛な争いは止めるよう、和解して欲しいのです」
「フフフ、それは無理でしょう」アレクシウスは笑って言葉を続ける。「クラインヴァインが遺恨を忘れるとは思えません」
「忘れていただきます」私は、説得の肝はここだと踏んで、言葉に力を込めた。「忘れていただけないのなら私がその場で封印します」
アレクシウスはその言葉を聞いて黙った。表情も真顔になっている。おそらく、あんまり我儘言うとあなたも封印しますという言外の意を理解したのだろう。
「フフフ、なるほど。あなたはそのように力を使うのですね。分かりました。会うだけは会おうではありませんか」
「ありがとうございます」
「場所はどうしますか?」
「私が以前アレクシウス様とお会いしたところでいかがでしょう?」
「分かりました。では、日程が決まったら連絡してください」
アレクシウスの承諾は取れた。次はクラインヴァインだ。
話し合いの段取りが付き始めました。




