(ブレンダの視点)戦争へ その2
ノックされた扉をウェンディが開くと、ガブリエラが入ってきた。部屋を見渡せば、頭を抱えている私とイェーリング侯、そして見知らぬ平民服の男。何が起きたのか分からないだろう。
「……何ごとですか? 急いできたのですけど」ガブリエラが椅子に腰掛けながら尋ねる。私は手紙を見せる。
「これは、そちらのアルブレヒト殿が届けてくれた、ゼーネハイトのエルフリーデ王女からの手紙だ」
「拝見します……。これは?」手紙を一読したガブリエラが驚きの声を上げた。
ゼーネハイトの第一王子とエルフリーデ王女は次期王争いを繰り広げている。今回、首都アルテランタ近郊に集結したのは第一王子の呼びかけで集まった軍勢で、ロスヴァイクの方がエルフリーデ王女支持の軍勢だそうだ。
「つまり、フィルネツィアに戦争を仕掛けようというのではなく、次期王争いの内戦ということですか?」
「そういうことになるな」
「なんと……。イェーリングではこの情報を掴んでいなかったのですか?」
「掴めなかったのも無理はない」
アルブレヒトによれば、次期王争いは水面下で行われていたもので、表には一切出ていなかったのだ。それが突然表面化したのには理由があった。
「ゼーネハイト王が危篤なのだそうだ」
「……なるほど、それで急に次期王を決める必要が出てきたのですね。ゼーネハイト王はまだお若い方でしたよね?」
「はい」アルブレヒトが沈痛な面持ちで答えた。「数日前まではお元気だったのですが、突然体調を崩され、医師の見立てではあと数日と……」
私もエーレンス王の葬儀でゼーネハイト王に会ったが、父上と同じくらいの年の頃で、とても元気だったと記憶している。
「王位継承順は定められていなかったのですか?」ガブリエラがアルブレヒトに尋ねた。
「はい。ただ、いずれは王子が継がれるのだろうと周囲は思っていたのです。ですが、昨年のフィルネツィアとの戦争前後から、エルフリーデ王女は変わられました」
「変わった?」
「はい。国を良くしたい、民を幸せにしたいと口々におっしゃるようになられたのです。私たち側近にも、このままではゼーネハイトはダメだと良く言っていました」
「そして、今回立ち上がったわけですね?」
「はい。第一王子はひどく立腹し、軍勢を集め、エルフリーデ王女を除こうとしているのです」
ずいぶんと大げさな兄妹喧嘩だが、時期王位争いとなれば周囲にも影響が大きい。それぞれを担ぐ者たちの後押しもあって戦争に発展してしまったのだろう。
「それで、ブレンダ様とイェーリング侯が頭を抱えているのは、エルフリーデ王女からの助勢の願いなのですね?」
「そうだ」私は頷いた。
圧倒的にエルフリーデ王女の軍が不利なのだそうだ。それはこちらで収集している情報からも明らかだ。第一王子側は数個師団規模。エルフリーデ王女側は一個師団にも満たない数だ。
「とてもこの場では決められぬ話です」イェーリング侯が言う。先ほども侯は同じことを私に言ったが、ガブリエラに聞かせるために同じことを言うつもりなのだろう。「内戦とは言え、時期王位争いに我々が援軍を出せば、ゼーネハイトへの内政干渉です。その上、万一負けた方に付いてしまった場合、その後の外交が困難を極めます」
ゼーネハイトと隣接するイェーリングの領主だからこそ、その困難さを分かっているのだろう。昨年の戦争の処理でも実際に動き、苦労したのはイェーリングだ。もちろん、王都でもそのことは分かっている。
しかし、王都に使いを出し、国王陛下の裁可を待っていたらエルフリーデ王女の軍は数日の内に必ず負けるだろう。
「イェーリング侯。ここから先の話は内密にして欲しい。決して誰にも話さぬように」
「はっ、ブレンダ様の仰せのままに」イェーリング侯は頷いた。
「アルブレヒト殿。エルフリーデ王女の側にはパーヴェルホルトという男がいるのは知っているな?」
「……はい。私たち側近だけは知っています」アルブレヒトが頷いた。
「では、話が早い。今パーヴェルホルトがいないことは私も知っている。エルフリーデ王女はパーヴェルホルトを呼び戻せないのか?」
「はい、いえ、呼び戻すことはできるが呼び戻さないと王女はおっしゃいました」
「なぜだ? 彼がいれば第一王子の軍勢を蹴散らすことも容易であろう」私は直接会ったことはないが、人間を滅ぼしかけた悪魔の一人なのだ。このくらいの敵ならあっという間だろう。
「はい。ですが、人間同士の争いに彼を使ってはならないと王女はお考えなのです。パーヴェルホルト殿を使って勝っても、また同じことになると」
人間を越えた強力な力で勝ったとしても、その力を今度は他国との戦争に、という声が上がることは確実だという。
「ゼーネハイトはそういう国なのです……。恥ずかしながら、侵略を良しとする国民性なのです。それを王女は変えたいと願っているのです」
ゼーネハイトの歴史は侵略の連続だ。周辺の小国を侵略により併合して、大国フィルネツィアと戦えるだけの国になった。王も貴族も国民もそれを誇っているそうだ。
心情的にはエルフリーデ王女を助けても良いと思っている。だが、このまま軍を動かせば大問題になる可能性が高い。それに、私が命じられたのはイェーリング防衛の総司令だ。ゼーネハイトへの進軍などその役割に含まれていない。
だが、今エルフリーデ王女のもとにパーヴェルホルトがいないのは、ケイティとアグネーゼと一緒に別の世界に行っているからだ。パーヴェルホルトがいれば、内戦に加わらないとしてもエルフリーデ王女の生命が危険にさらされることはないだろう。しかし、パーヴェルホルトを別の世界に連れて行ってしまったことで、現に今エルフリーデ王女は生命の危機にある。
間接的に、いや、直接的に私たちの責任と言えなくもない……。
それに、私は会っていないがケイティとアグネーゼの二人はエルフリーデ王女と会っている。言わば知り合いだ。見殺しにしては二人も悲しむだろう。
方法はいくつかある。たとえば、ケイティかアグネーゼに転移魔術で手紙を送れば、パーヴェルホルトにも届くだろう。別の世界に手紙が届くのかは分からないが、試してみることはできる。だが、エルフリーデ王女はパーヴェルホルトが急いで帰ってきても喜ばないだろう。
「アルブレヒト殿。おおよそでも良い。第一王子軍と王女軍の騎士と魔術士の数が分かるか?」
「はい。第一王子軍は騎士が約三十名、魔術士は二十名ほどです。我々は騎士が十七名、魔術士十名です」
「少ないな……」思っていた以上に双方とも騎士・魔術士の数が少ない。騎士・魔術士の多くは王の直属なので勝手には動かせないそうで、王子、王女の側近と彼らを推す貴族の騎士・魔術士だけが参加しているようだ。
この質問でガブリエラにはピンと来たようで、目を丸くして私に言う。「ブレンダ様、まさかとは思いますが、国を隠して騎士と魔術士を送るというのではありませんよね?」
「そのまさかだ。私も行こう」
「ええっ!?」ガブリエラはさらに目を丸くした。その隣でイェーリング侯も驚きのあまり口をぽかんと開いている。
「ガブリエラ、魔術士を十名ほど貸してくれ」
騎士団からも精鋭を十五名ほど連れて行く。これで騎士と魔術士で互角以上の戦力になる。平民の軍の戦力差はどうにでもなるだろう。
「ダメです。絶対に反対です。内戦とはいえ、本当の戦争なのですよ」ガブリエラは席を立って私を諫める。「それになぜ、ゼーネハイトのためにそこまでブレンダ様がする必要があるのですか? アンドロス様のことをお忘れですか!?」
珍しくガブリエラが感情的になっている。ゼーネハイト戦でアンドロスが討たれたことを、魔術士団長として共に戦ったガブリエラは今でも悔いているに違いない。
「兄上のことを忘れたことはない……。忘れられるはずもない。だが、私はフィルネツィアのために生きると決めたのだ。フィルネツィアの将来を考えれば、ここはエルフリーデ王女を助ける選択がベストだと考える」
「ブレンダ様……」
「ガブリエラ、その方はイェーリングに残り、全軍を待機させ、万一第一王子軍がフィルネツィアを狙うようなことがあれば迎撃せよ」
王女軍を破った第一王子軍が血迷ってフィルネツィアを攻めようとする可能性はゼロではない。万一に備えることは重要だ。
「ウェンディ」
「はい、分かっております。騎士団のリストから精鋭十五名を選びます。ブレンダ様と魔術士十名、それに私の分もあわせて、二十七名分の衣装を見繕って参ります」と言ってウェンディは部屋から出て行った。
「ガブリエラ」
「……分かりました。戦場に慣れていて、とびきり優秀な魔術士を十名お付けします。必ず無事お返しくださいませ」止めても無駄と考えてくれたのだろうか。ガブリエラが分かってくれて良かった。
「分かっている。私たちに何かあっては国王陛下に言い訳ができないからな。イェーリング侯も留守を頼む」
「かしこまりました。ご武運をお祈りいたします」
フィルネツィアで留守を預かるとケイティに言ったばかりだが、さっそくフィルネツィアを離れることになってしまった。だが、これもフィルネツィアを守ることになるのだと私は信じる。
フィルネツィアへの侵略ではなく、内戦でした。
それでもブレンダは行くことを決意しました。
※数字の間違いを修正しました(2018/3/10)




