(ブレンダ、ケイティ、アグネーゼの視点)他の姉たちの反応
「なんだってこんな時に暢気に学校に行かねばならないのか!」
後宮の自室に戻るとブレンダは思いのほどを叩き付けた。その眉間には深い皺が刻まれ、深紅の瞳は怒りに燃えているが、部屋には護衛のウェンディしかいないので、その顔を他の者に見られる心配はない。
「よく我慢されました、ブレンダ様」
ウェンディは、ブレンダがベッドに投げつけた剣を広い上げながら、さらに言葉を続ける。
「あの場で国王陛下に異議を申していたら、さらに困ったことになっていたでしょう」
ただでさえ誰の言うことも碌に聞かないブレンダだ。他に人のいる場で王命にまで異議をとなえては、どのような処分が下るか分からない。
「……それくらいの分別はあるつもりだ」
「それではこれからの現実的な対応を考えなくてはなりません」
「ウェンディも兄上の仇を取るのは諦めろと言うのか?」
「そうではありません」
ウェンディはそう言うとちょっと考え込む。アンドロスの討たれ方にはどうも疑問があるように思える。しかし、それをそのままブレンダに話すと、もっとやっかいなことになりかねない。ここで言うべきことではないだろう。
「戦争は国対国の争いです。アンドロス様はどこかの個人に弑されたわけではなく、ゼーネハイトという国に殺されたと言うべきでしょう。つまり、ここで侵攻してきたゼーネハイトを急いで倒さなくても、機会はまだあります」
「……よく分からないな」
「今我が国の急務は侵攻してきたゼーネハイトを追い返すことです。では、追い返した後はどうでしょう? ゼーネハイトはまだ存在するではありませんか」
「さらにゼーネハイトを攻めて、討ち滅ぼせということか!?」
「そういう選択をできるのは国王の地位にいる方だけです」
「次期王を目指せと言うのか、ハハハ!」
ブレンダは大きく笑う。眉間に刻まれた皺も溶けたようだ。ちょっと穏やかな表情に変わって、ブレンダは言葉を続ける。
「分かった分かった。上手く乗せられているようにも感じるが、ウェンディの言う通りだな。王女の立場でできることは限られている。私は私の目的のために、ひとまずは首席を取り、次期王を目指してみようか」
◇
フィルネツィア国内には二十の教会がある。十三の自治領にそれぞれ一つずつ、そして残りは直轄領にある。二十だけなら回るのも簡単に思えるが、大半が馬車で何日も掛かる場所にある。
「どう調整しても学校にしっかり通いながらというわけにはいかないようですね」
「ですが、ケイティお嬢様。国王陛下のお言葉には、これまで通り学業を努力しつつ、とありました。これはつまり、今年度も首席で終えるようにということではないでしょうか?」
護衛のロザリアが申し訳なさそうに言う。ウェーブの掛かった赤い髪を後ろでアップにしているロザリアは、ちょっとおどおどしたところがあって大人しい印象を受けるけど、見た目とは裏腹にかなり強い剣士だ。聖堂には成人している剣士もいるが、まだ未成年のロザリアと、アグネーゼの護衛になったエレノアの二人が双璧で、誰も二人には敵わなかった。
フィルネツィア各地を回らなければならない上に、学業も頑張らなければならないのかと考えると気持ちが落ちてくる。
「……昨年度がんばりすぎましたね」
「ケイティお嬢様なら普通に出席されていれば何の問題もないと思いますが、さすがに教会へ行くために度々休んでは、首席は難しいかと思います」
二人で地図を見ながら検討したが、近場で日帰りできそうな教会は三カ所しかない。あとは泊まりがけということになるが、学校は基本的に六日通って一日休みなので、休まなくてはならなくなる。しかし、休むと首席が遠ざかる。
「冬の休暇と来年の春、夏の休暇を利用するしかありません。ですが、冬の教会は行うべき儀式も多々ありますので、ケイティお嬢様を受け入れる余裕があるかどうか……。来春と来夏の休暇期間だけで十七カ所回るのはかなり厳しいです」
「ヴィーシュのように馬車で何日も掛かるところもありますからね」
「……はい。魔術士団の使うような転移魔法が使えれば時間は短縮できますが、戦時に依頼するのは無理ですね」
人を転移させる魔法は非常に高度で、膨大な魔力も必要だ。何人もの高位の魔術士が魔力を合わせる必要がある。よっぽどの緊急事態以外では、依頼しても断られるだけだし、そもそも今はほとんどの魔術士団員がイェーリングに出征しているはずだ。
なんにしてもお爺さまに相談するところから始めねばなるまい。大喜びで手は貸してくれるだろうが、油断すると手を借りるくらいでは済まなくて、大げさなことになりかねない。
「ところでロザリア、ちょっと調べて欲しいことがあるのですけど」
「何でしょう、ケイティお嬢様」
「王宮執政所でアグネーゼの上司となる人物と、その中身を調べてください。アグネーゼへの課題だけは国王陛下の真意が見えません。調べておいても無駄ではないでしょう。念のため、聖堂には気取られぬようにね」
「かしこまりました」
次期王レースに興味はありませんが、妙な動きをされて巻き込まれるのも困りますからね。
◇
アグネーゼは山茶花離宮に戻ると、居間のソファーに体を沈めた。エレノアがお茶を入れても手も付けない。目をじっと閉じて、思考の海に沈んでいるようだ。
最近ではこのようなアグネーゼ様は珍しいですね。
エレノアはアグネーゼを見守りつつ思う。女学校でのアグネーゼはそれは楽しそうで、とくにターニャと話している時のアグネーゼはご機嫌だ。ずいぶんと彼女を気に入ったようだ。
年の近い友人と呼べる方もいませんでしたからね。
エレノアがアグネーゼの護衛に選ばれたのは三年前。当初は実家の関係もあってケイティの護衛に付くはずだったのだが、アグネーゼの母であるエヴェリーナのたっての願いということでアグネーゼの護衛役を受けることとなった。
アグネーゼにはじめて出会った時、彼女はまだ十二歳になったばかりだったが、驚くほどに慎重で聡明な少女だとすぐに分かった。王女として大人に囲まれたアグネーゼは、幼い外見とは裏腹にとても落ち着いていて、自分よりもはるかに大人びた雰囲気をまとっていた。
それは母エヴェリーナの影響も強いのだろう。エヴェリーナは隣国ネーフェの姫で、軍事同盟のためにフィルネツィアへ嫁いできた。ネーフェは小国であり、同盟とは言ってもエヴェリーナの立場は人質に近い。ゆえに、エヴェリーナもその周囲の者も、常に慎重に先を見据えて物事を考え、行動することが求められる。聖堂との繋がりを求めてエレノアをアグネーゼの護衛に選んだというのもそうした慎重さの現れだと思う。
せっかくターニャ様と出会い、女学校に通い始めて、年相応の明るさを見せてくれるようになっていたのに。
戦争もアンドロス様の死も、そして与えられた課題も、なにもかもタイミングが悪いとエレノアは思う。王女であるアグネーゼがそれなりの自由を楽しめるのは女学校時代だけだ。王宮執政所での執務などアグネーゼが楽しめるとは思えない。
「エレノア」
「は、はい、アグネーゼ様」
目を閉じたままアグネーゼがエレノアに呼びかける。
「国王陛下が私に執務を命じた理由は何かしら?」
「真意は分かりかねますが、真面目に働くことを学ばせようとか、そうした単純なことではないように思います」
「というと?」
「たしかに女学校でのアグネーゼ様は少々奔放な振る舞いもございましたが、学校生活を楽しむことが悪いとは国王陛下も考えないでしょう。そして、アグネーゼ様の本質が慎重かつ冷静であることを知っているはずです」
「そうね。この離宮には監視もたくさんいるからね」
アグネーゼは薄く目を開いて、さらに言葉を続ける。
「王宮執政所にはこの国の伝承や秘すべき書物がたくさんある。ネーフェに漏れては困るものもあるはず。なのに私をそこに近づけるのは、なにか思惑がありそうに思えるわ」
「……試されているのかもしれません。これまで以上の慎重さが必要です」
「ええ、興味がないとか言っている場合ではないわね」
「アグネーゼ様の上司となる人物については、早急に調べさせています」
「よろしく頼むわね」
ブレンダ、ケイティ、アグネーゼの課題への反応です。
次話は明日です。




