(ターニャの視点)新人王女、父とはじめての謁見
馬車の窓から景色を見ているとだんだん王都の中央部に近づいていることが分かる。中央に近づくにつれて建物の規模は大きく、装飾も華美になる。
私はターニャ・フィルネツィア。この秋、フィルネツィア王立女学校に入学する十五歳だ。
「もしかして馬車に酔いましたか?」
向かいの席に座るルフィーナが私に声を掛けてくる。ルフィーナは私と同じ十五歳。私の護衛だ。瑠璃色の瞳に栗色のショートカットで、まだあどけなさが残る容姿だけど、ずっと私を守ってくれている剣士だ。
「顔色悪いですか?」
「顔色というより、ちょっとこわばってるように見えますよ。それとも、これから国王陛下とお会いになること考えて、緊張しているとか?」
「そんなことは……ないと思いますけど」
私はルフィーナからちょっと目を外して馬車の外を見る。十四世フィルネツィア王、つまり父と会うのは初めてだ。父とは言っても他人も同然、しかも国王陛下とくればある程度緊張しても仕方ないと思う。
私が生まれ育ったのは、フィルネツィア王国の西端にあるヴィーシュという田舎町。王都へは馬車で五日ほどもかかるところだ。王の第四王妃となった母は、私をお腹に宿すと、出産のため実家であるヴィーシュへ戻った。私は無事生まれたけど、母は産後の肥立ちが悪く、そのまま王都に戻らず実家で静養を兼ねつつ私を育てたいと王に願い出て了承された。もともと身体が丈夫ではなかった母の体調はなかなか回復せず、そのまま十五年、私もヴィーシュで育てられた。そして、女学校に入学するために王都に来たのが三日前だ。
「注意事項を見直しますか?」とルフィーナが紙を差し出す。
「もう暗記するほどに読みましたから大丈夫です」
国王陛下に謁見するにあたっての注意書きだ。婆やのルチアが書いてくれたものだけど、何度も説明してくれたので、紙は要らないほどに理解したつもりだ。
「それにしてもルフィーナとこのようにかしこまった話し方をするのは、まったく慣れませんね」
「仕方ありません。私はようやく丁寧語を使うターニャ様に慣れてきました」
「……そんなに違和感ありますか?」
「ええ、最初のうちは吹き出しそうになるのを堪えるのが大変でした」
私とルフィーナはほぼ生まれた頃からの幼なじみだ。十五年一緒に育ち、お互いのことを知りすぎるほどに知っていると言って良い。ヴィーシュにいた頃は家族のような親しい間柄でも問題なく、咎める者もいなかったけど、王都に来たからにはそうはいかないと散々聞かされてきた。
「十五歳になったら王都で学ばなければならないという決まりごとが恨めしいですね。私はヴィーシュでルフィーナや周りのみんなともっと楽しく暮らしたかったです」
「それこそ言っても仕方ありませんが、私も同感です」
馬車は王都の大通りを進んでいく。王宮は王都の中心にあり、ひときわ豪華なので、これが王宮だとひと目で分かる建物だ。華美な装飾が施され、長い歴史をもつ王都の中心に相応しい、荘厳な雰囲気が醸し出されている。
馬車から降りた私たちは衛兵に案内され、控えの間に入る。ここで衣装を整えてようやく謁見となる。
「おかしくないかしら、ルフィーナ」
「良くお似合いですよ、ターニャ様」
この日のためにわざわざあつらえたドレスは、私の濃紺の髪色に合わせて紺と白を基調に、ひらひらした袖付きのロングドレスだ。スカート部分が大きく膨らんでいて歩きにくいけれど、貴族はこういうドレスを着るものらしい。このドレスを着て歩く練習もしたので、転ぶ心配はないだろう。多分。
謁見の間に案内され、待つように言われる。ルフィーナは控えの間で待機なので、私一人だ。国王陛下が座るであろう豪華な玉座が正面に見える。二十メートルは離れていそうだ。
ほどなく衛兵が王の訪れを知らせると、私は跪いて国王陛下の着席を待つ。このドレスを着て綺麗に跪くのがとても難しくて、ルチアと何度も練習した。
「よく来た我が娘、ターニャよ」と王の声が聞こえると、私は跪いたまま顔を少しだけ上げて、挨拶の言葉を述べる。
「お目通りに預かり光栄です。ターニャ・フィルネツィア、これより女学校にて学ぶため王都に参りました。今後ともご指導のほどお願いいたします」
「うむ、良く学ぶが良い」
あまりマジマジと見るわけにもいかないし、遠くてよく見えないというのもあったけど、王の衣装をまとった父は銀髪に髭をたくわえた、いかにも王様らしい威厳を持った姿に見える。私が深紅の瞳なのは父の血をひいているからなのだと初めて知った。年は四十を超えたくらいと聞いていたけど、もう少し上に見えるのはその威厳のせいかな。
「マリアベーラは壮健か?」
「はい、ヴィーシュで穏やかに暮らしています」
「そうか、ならば良い」
父との初めての出会いはほんの一瞬で終わった。つつがなく終わったことにホッとしたし、十五年も会っていないはずの母マリアベーラを慮ってくれたことが少し嬉しかった。
「噛んだりしませんでしたか?」
「……噛みませんよ」
控えの間に戻り、ドレスを脱いで普段着に着替える。普段着とはいっても、貴族が日常着る服なので、ドレスがちょっと落ち着いたくらいの違いしかない。王都に来る時にこれを着るように言われて、「もっと動きやすい服装が好きなのですけど」とこぼしたらルチアに怒られたことを思い出した。
王宮の門で待っていた馬車に乗って離宮へと帰る。私の暮らす桔梗離宮は王宮から少し離れた郊外にある。後宮に国王陛下と第一王妃、その子供たちが暮らし、第二王妃以下はそれぞれ別の離宮で自分の子供たちと暮らしている。桔梗離宮はもともと母が輿入れした時に王から賜ったのだけど、母がヴィーシュにとどまることになったため、十五年以上も住む人がなかったことになる。でも、その割にはしっかりと管理されていたらしく、よく手入れされた大きな庭園付きの離宮だ。
「お帰りなさいませ、ターニャお嬢様。国王陛下の前で噛みませんでしたか?」
「……そんなに噛みそうですか?」
ルチアが出迎えてくれる。ルチアは私の身の回りの世話をしつつ、礼儀を教えてくれる先生役も兼ねている。母の姉の夫の母親という、もはや親戚とは言えないような遙か遠い親戚らしい。年のころは六十を越えているそうだが離宮の誰よりも元気だ。
「お疲れでしょう。今日はお部屋の片付けもそこそこに体をお休めくださいませ」
「ええ、ルチアの言う通りにしますわ」
なにせ王都に着いたのは三日前。まだ荷も解き切れていない。来週には学校が始まるため、早く片付けてしまいたいところだが、荷物が多くてなかなか進まない。
ルチアには「片付けなど側仕えに任せてしまいなさい」と言われるが、これから三年間暮らす自室だ。身の回りくらいは自分で整えたい。
「では私も部屋に下がりますので、夕食までお休みください」
「ええ、ありがとう、ルフィーナ」
ルフィーナを見送り、椅子に腰掛け、まだ片付いていない自室を見回す。早く片付けないと自室なのに落ち着かない。
学校は来週からだけど、それまでに何カ所も挨拶周りをしなくてはならず、慌ただしい日は続く。明日は後宮の第一王妃のところへ行き、明後日は第二王妃の離宮、その次は第三王妃の……とボンヤリ今後の予定を考えているところで意識が落ち、眠ってしまった。
「ターニャ様、ターニャ様!」
なにやら慌てた様子で部屋に飛び込んできたルフィーナに起こされ、目を覚ました。窓の外はまだ明るく、夕食にはまだ早そうなのに、とボンヤリした頭で考えていると、驚くべきニュースに目が覚めた。
「東の隣国ゼーネハイトがフィルネツィアに攻め込んできたそうです」
書き始めました。
よろしくお願いします。
まずは第四王女ターニャ・フィルネツィアです。