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吉光里利の化け物殺し 第一話  作者: 由条仁史
第9章 夢の行方
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「紗那の件だが」


 帰り道に化け物に遭遇、またジャックとルートが現れて私は二人とともに戦った。戦ったといってもただそこにいるだけなのだが。そばにいるだけ。それで化け物が私のほうによって来るのだから何とも楽な仕事だ。


 何もせずに済む。私は降りかかる火の粉を他人に払わせる、そういうことをしているのだ。


 何も、しないで。


 ……やはり紗那の言葉が心に刺さっている。

 一人の寂しいいつもの帰り道も、ずっと紗那の言葉が頭の中で反響していた。


 なにもしてないやつ。


 ……その通りだ。

 私自身が、何かを成し遂げたことはあるか? 私自身が誰かの役に立って、誰かのために何かをしたことがあるのか? この化け物と出会ってからもそうだ。何の役にも立っちゃいない。お荷物ですらある。本当に、なぜ私が戦っている二人のそばに居なくてはならないのかがわからない。別に私がいなくったってこの二人は何とかしてきたのだろう? 化け物は退治されてきたのだろう?

 だったら何の問題もないじゃないか。私がいなくても。


 ……本当に私は何をしているんだろう。


「漫画の新人賞に応募していたみたいだな」


「……はい。そう聞きました」


 化け物との戦いで山中のあの広場にいる。倒し終わった後に、私は紗那のことをルートに調べてほしいと頼んだ。あのヤクザ集団……と言うのは言い方が悪いか。彼らなら紗那のことを調べられると思ったから。懇切丁寧に、私は頼み込んだ。無理は承知で、私はヤクザに調べ事を要求した。


 新人賞。


 紗那が化け物を見たと告白してきた日、紗那も私にその夢を語った。新人賞に応募し、選ばれればそのまま漫画家としての人生を歩んでいくつもりだと、そう言った。険しい人生になるだろうがそれが自分の人生だと言っていた。私はそんなに立派なことを紗那がしているということを知り、驚いた。そして純粋に尊敬した。大きな目標を持ち、純粋に頑張っている姿を知った。


「その新人賞の結果発表が、今朝だったらしい」


「……ってことは」


「ああ、残念ながら、紗那のペンネームで描かれたものは落ちていた」


 なるほど、これでようやくつながった。

 紗那が私に怒りをぶつけるなんて、激しい感情を向けるだなんて、そういうことなのだろう。自分の積み上げてきた努力の成果、それを壊されるのは、ううん。壊れた跡にたたずむことはとても悲しいことなのだ。むなしく、つらい。そのことくらい想像できる。


 ……いや、想像できるだけか。実際に私がそういうことになったことはない。中庸、凡庸。他人がやってきたことと同じことをやってきた。出る杭にならず、長いものにも巻かれてきた。そんな中で、自分の成果が崩されることなんて、一度もなかった。


 何も知らないとは、そういうことか。


 紗那の感じた悲しみが。


 紗那の感情が――わからない。


 想像はできても、わかっていない。


 心なんて、経験しないと知ったことにはならないから。


「へぇ……サニーが漫画を描いていたなんてな」


 ジャックは言う。そういえば紗那が漫画を描いていることは、ジャックは知らないんだったか。謝りながら私に言ったということは誰にでも言っているわけではなく、紗那が心を許した人にしか言わないということか。心を許しているというのが基準なのかはわからないが、ある一定の基準を満たさないと言わないのだろう。


 よくわからない。


 しかし、クリエイターと言うのはそういう人でもあるのだろう。紗那にも恥というものがある。誰彼にも漫画を描いているなんてことは言わない。学生の本分は勉強なのだから、漫画などにうつつを抜かすべきではないと考える人もいるだろう。そもそも、漫画そのものはメジャーかもしれないが、それを描くとなれば奇異の目で見られることは避けられない。特に高校生という様々なものに興味を持つ年代には。

 ……私はあまり興味ないのだけれど。


「へぇ、どんな漫画なんだ?」


「ふむ、内容については情報はないな。こればっかりは出版社のほうに行かないとわからない。データで入稿しているなら、紗那も持っていると思うが……今になって残っているのかどうかはわからないな」


「ちぇー。あ、リリは知ってるか? サニーの描いた漫画の内容」


 ジャックは気にしているようだ。どんな漫画だったのか。ジャックは漫画が好きなのだろうか? 嫌いなようには見えないけれど。


「一応、見たよ。でも内容っていうと正直あんまり覚えてない。男の子と女の子が特殊能力を使う話だったと思うよ。……まあ、ジャックが読んでも面白いかはわかんないけど」


 能力者だから。特殊能力者だから。そういう人たちは漫画とかで特殊能力が出てきたときはどんな気持ちで見ているのだろう? すぐ近くにいるから聞いてみようか。


「いや。別につまらないとかそういうのはないぜ? ただ、トリックがチープだとどうしてもやるせない感は残るな。逆に、俺の思いつかなかった方法で展開を進めてくる奴はすごく面白いと思うぜ。ま、能力使わないところのほうが面白いものもあるけどな。俺は別に面白ければいいぜ」


 少し語ってくれた。意外とさっぱりしている。案外そういうものか……科学者や警察はよく悪役にされたり、万能の象徴としてあるけど、現実のそういう職に就いている人たちが特に何も言わないのと同じか……?

 現役高校生が漫画の世界でいろいろするのも同じことか。


「おい、漫画の話は関係ないだろ」


 ルートの言葉にハッとさせられる。そうだった。紗那だ。紗那のことだ。紗那があんなに苦しそうな表情を浮かべた理由。紗那の、気持ち。


「紗那のことだが、おそらくこちらのほうのショックが大きいんじゃないかと思う」


 ルートは言う。こちらとは何だ? ルートが何か新しい情報を手に入れたようだ。スマホで連絡を取り合っている。


「こっちってどっちだよ。具体的に話せ」


「ジャック、そういう突っ込みをするところじゃないと思う」


 軽口を交わす。ちょっと気分を軽くしてから聞こう。おそらく――とても深刻なことだから。


「紗那は、両親と約束をしていたらしい」


「どーやってそれ知ったんだよ。両親との約束なんて家族内の取り決め、特に外に出ることじゃないだろ。あれか? 盗撮盗聴か?」


「……ジャック」


 さすがにふざけすぎだと思ってジャックに声をかける。私の不安ももうそろそろ限界なのだ。紗那に何があったのか。とにかくそれが分からないことには、どうしようもない。


「その……約束って、なんですか」


 両親との約束。嫌な予感しかしない。


「約束――今回新人賞に当選しなかったら、漫画家になることをあきらめるということだ」


「…………」


 漫画家になることを、あきらめる。つまり両親から、漫画家になる一切をすべて止められる。一体どういう風に止められるのかわからない。何がどうなるのかがわからない。親と言うのは、子供にとって最大の加瀬であるのだから。どれだけでも、きつく縛ることができる。


 私は、よく、知っている。


 紗那と両親の約束が、具体的にどういうものかはわからない。でも、それが紗那にとって重大な意味を持つであろうことは明白だった。


 昨日の今日で、だ。


 昨日、私を助けるために化け物に立ち向かった紗那が、今日は両親との約束に縛られ、自らの夢をあきらめなければならないところまで追い込まれている。人生と言うのはここまで出来事に追われているのか。ここまで出来事が多発するものなのか。私の人生において、イベントなんてものはあまりなかった。自ら避けてきたのだから。


 しかし――あの化け物に出会ってから。


 何かがおかしい。


 私の周りの人間が、どんどん私に関わってくる。その関わりの中に、いろいろなことが混じり合っている。混じり合って、人間関係という様相を呈している。混ざり合って、とろけあって、どろどろになっていく。

 ……こんな人間関係なんて、私は望んでいなかった。


 そうだ……私がこうやって、らしくもなく紗那の心配をするのはただそのためなのだ。私の望んでいない人間関係だから。人間関係と言うものを深く作り上げてしまったから。だからダメなのだ。


「漫画家をあきらめろ、って……そんな口約束、通用すんのか? したとしても、大学に行った後はまたできるじゃないか。こっそりとでもやればいい」


「確かにそうだ。だが、高校生の紗那はそれに気づいていないのかもしれない。気付いていたとしても、感情的になるのは避けられないだろう。まったく、高校生と言うのは大変だな」


 感情的になりやすい。思春期と言うやつか。自分がそうだと自覚したことはないが、それは私がただ感情的にならないだけか。紗那はまさに思春期真っ盛りだ。感情の起伏は激しいに違いない。


「ってことは……一過性のものってこと? 紗那の機嫌が悪かったのは、ただそういう気持ちだっただけで、すぐにいつも通りになるってこと?」


「そーゆーことじゃねーのか? お前の心配しすぎなだけなんだよ」


「心配し過ぎって……」


 否定しようとしたが、そうかもしれない。いつも怒らないことであったためにここまで狼狽してしまったが、本来そう言うものではない。ただの友達とのいさかいで、そこまで事を荒立てる必要のないことなのかもしれない。ヤクザの情報網まで使って、犯罪まがいのことさえして心配するようなことではなかったのかもしれない。


 私も感情的だったということか。

 感情的になるだなんて、私らしくもない。


 ……感情的に動いていたつもりはないけれど。やはり感情的だったのだろうか。紗那との関係を何とかしたくて、私なりに必死だったということか。確かにそういう意味では必死だったのだろう。しかしこれの悲しいところは、紗那のことを思いやったわけではなく、自分の日常、生活を守るためであるということだ。


 余計なトラブルに気を使いたくないから、そうしているのだ。

 保身のためには感情的になる。


 ……自分がいかに嫌な人間であるのか、思い知らされる気分だった。


「だが、俺達には考えなきゃいけないこともある……」


 ルートさんはいままでと少し違うトーンで話す。何だろうか。ルートがこういう風に改まって、落ち着いた様子で話すとしたら……化け物のことか。

 しかし、あの化け物と紗那の様子に、何の関係があるというのか? たまたま日が続いてしまったが、紗那が漫画家の夢をあきらめなければならなくなったのは化け物とは無関係のはずだ。化け物がいてもいなくても、紗那が漫画を描いて、新人賞に応募するということは同じだったはずだから。もしも、の世界を追求するわけじゃないけど。


「紗那が、化け物を生み出すかもしれない」


「…………」


 信じられなかった。


 ルートの言ったことの意味を、信じたくなかった。


「最近の俺の仮説だが……化け物は人の強い気持ちから生まれているそうだ」


「根拠はなんだよ」


 ジャックが食って掛かるように言う。ジャックも信じられないのだろう。そんな適当なことを言うんじゃない、そんな顔をしている。


「大方は聞き取りだ……そもそも、お前たちは考えたことがなかったのか? 化け物が神出鬼没的に現れる理由を。俺はその、化け物が生まれる瞬間を調べていたんだ。部下を使ってな。そして、化け物の発生地点と思われる場所にいた人間に話を聞いた」


 本当の調査だった。


 そういう風に理論立てて説明されては、納得せざるをえない。納得させられてしまう。そんなこと、あってはならないはずなのに。人間が化け物を生むなんて、そんな悲しいことあってはならないはずなのに。あんな非現実的な化け物が、奇妙で奇怪な存在が、人間によって生まれていたなんて。


 その化け物が、人を傷つけるだなんて。


 ……そしてその化け物が、紗那から生み出されるなんて。


「何件かしか聞き取りはできていないが……それによると、何かが人のなかからふわっと浮き出てくる、そうだ。そしてそれが、どこからともなく現れた化け物に吸収されて、人を傷つけようとするらしい」


「嘘……だろ」


 ジャックも呆然となって驚いている。さすがに今回は否定できないようだ。認めざるを得ないルートの言いまわし。他人から聞いたという情報の不確定さを除けば、とてもじゃないが――認められようもないことだった。


「嘘かもしれない。本当はそんなことなくて、化け物の発生メカニズムはほかにあるのかもしれない。ただし……そんな嘘をつくかと言われれば、そんなことはないだろうと言える。見間違いというのが妥当なところなのかもしれないが、同じことを何人も言っているのは、奇妙だと言わざるを得ない」


 同じことを、何人も。そんなことを言われてしまっては正しいと信じざるを得なくなる。


「なにかが浮き出るって……なんだよ。それ」


「そのときの周囲の状況から、俺はこう考えている――絶望だ。その人間が感じていた絶望、それが化け物を生んでいるんじゃないかと思う。人の絶望を糧にして化け物は生まれてくる」


「誰かの絶望が、あの化け物の正体……」


 私は誰にともなくつぶやいた。


「それじゃあ……絶望がなくならないと、あの化け物は殺せないってことか……っ」


 人間は、生きている限り絶望を感じる。いつもではないかもしれないけど、どこかで感じる人はいる。だから、人間が、人類が生きている限り絶望はなくならない。


 だから――化け物もいなくならない。

 永遠に、化け物は生まれる。その化け物は、人を襲う。


「まるで天災だ……くそっ、くそっ!」


 天災、人間にはどうしようもできないもの。そういえば異常気象と言うものを学校で勉強した。地球温暖化によって天災が起きやすくなっているんだとか。その地球温暖化が、人間が生きていく中で生み出された二酸化炭素によるものだ、という。つまり、人間が生きている限り地球温暖化はとまらない。天災はなくならない。ということか。


 だとすればなんて空しいことなのだろう。


 ジャックやルートがやってきたことは、いったい何だったのか。化け物を倒すというのは、所詮その時の時間稼ぎにしかならなくて、根本の解決には何もなっていない。

 そして、その解決は永遠に不可能……。


「絶望って……紗那が、その絶望で、化け物を生み出すってことですか?」


「その可能性もあるというだけだ。化け物が絶望から生まれると、まだ確信が持てているわけじゃない。そしてそれを言うのならば、人間だれしも大きさの違いはあれど絶望を感じているはずだ。誰かを恣意的に選んで生まれていると考えるのも無理があるだろう……」


 ルートの言い方はとても中庸的だ。無難なことを言っている。可能性、可能性。確かにそうとしか語れないのかもしれないけれど、不安を感じずにはいられない。


「……っ」


 ジャックは……化け物のことについて、葛藤しているようだ。化け物を殺す、殺し切ることができないとしたら、ジャックのやってきたことは何だったのか。ジャックはこれから何のために化け物を殺せばいいのか。

 ルートの言葉で、ジャックは悩んだ。


 ……本当におかしなことだらけだ。あの化け物に遭ってから。


 私も、どうすればいいのかわからなくなっている。

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