Ⅱ
「こいつが、ルートだ」
放課後の屋上。うちの学校の屋上だ。屋上の解放されている学校は珍しいというが、私の学校では立派な名所になっている。名所と言っても自殺の名所とかそういうのではなく、カップルが集う名所だ。だから昼休みにはここはほぼ満員になる、らしい。らしいというのも私はまったく見たことないからだ。見たことがないというか、近づきたくない。ああいう人間関係の塊のようなところには近づくのも怖い。
むしろあの芸術的な中庭のほうが、人が少なくていいと思う。
私に入り込んでくることはないから。
人は言葉を使って人間の内部に入り込んでくる。意味を持ち、解釈せずにはいられない言葉を、いつもどこでも投げかけてくる。投げ合っている分にはいいのだが私にも聞こえてしまうのにはどうしようもない。そんな場所は、たとえ話しかけられなくても、嫌だ。
そんな人でごった返していた屋上も、放課後にはほとんどいなくなる。
日が傾き、少しだけ太陽の光量が落ちている。
いるのは私と、ジャックと――そして、ルートと呼ばれる人だった。
「ルート、というのは、ただジャックの言っているニックネームだ。気にするな」
「は、はぁ……」
気にするな、と来たか。ルートというジャックよりも聞きようによっては奇妙な名前に関して、気にするなと来たか。ジャックというのはまだ人の名前だ。トランプの十一を想起して、その次に想起するのは切り裂きジャックだろう。殺人鬼だが、一応は人間である。ちなみに次に想起するのはブラックジャック。
しかしルートというのは何だ。数学は得意ではないが、その名前はとても奇妙だと思う。ルートの意味くらいは知っている。平方根だ。ルート4は2で、ルート36は6だ。あくまでも数学のテストで出てくるような、そんな無機質なものだと私は思う。
無機質を超えて概念だ。
ジャックより数段ひどいネーミングだと言わざるを得ないだろう。
まあ、どうやらそれは、ジャックが作ったニックネームらしいけど。
「俺の名前は海藤龍斗だ。龍を斗ると書く」
「は、はかる……?」
彼、海藤龍斗は私の手帳に名前を書いてくれた。なるほど、これってはかるって読むのか、初めて知った。ああ、科目の科の右の部分か。なんとなくわかる気がする。
そうだ、ジャックの本名は何というのだろう。ジャックというのも多分ニックネームなのだろう。
「ジャックって、本名なんて言うの?」
ん、とジャックは少し驚いたような顔をする。
「いやいや、それは言わねえよ。俺は名前を捨ててきたんだ。こいつにも教えたことはない。俺の本名は、俺の墓まで持っていくことにしてるんだ」
墓まで、ってことは死ぬまでか。墓には本名が書かれるだろうから、持っていくどころか晒すことになるんだけどね。
でもジャックの本名って何なんだろう。本当に。龍斗でルートなんだから、同じようにジャックも音の似ている名前からとったものだろうか。どんな名前だろう。尺? うーん。思いつかない。もしかしてジャックという名前は何からとったものでもなく、ただかっこいいからと言うだけで名乗っているだけなのだろうか。
そっちの可能性のほうが高い気がした。
「で、お前の名前は何だ」
「え、あ。吉光里利です。初めまして、ああ、昨日ぶりですけど」
で、その当のルートさん……龍斗さんの格好というのは、特殊だった。
なんと、スーツだった。真っ黒の、背広と言うにふさわしい服だ。髪と眼鏡は昨日と同じ。オールバックのサングラス。長身で手足が長い。
全体的に見れば、サラリーマンというよりも、ヤクザだった。
なんというか、体格がいい。ありていに言えば、ゴツい。
怖いんですけど。
というかこの状況、女子高生が男二人からカツアゲされているようなものじゃないか? そんな状況に外からは見えるだろう。チャラそうな男とヤクザみたいな男。女子高生一人が相手をするには心臓に悪い。
まあ、その女子高生がいたいけな子じゃないんだけどね。私がいたいけだなんて、そんなことは思っていない。ちなみにいたいけとはかわいらしい、という意味。ないない。
「ふん……まあ、ジャック、よくやった」
「どーも。ったく、てめーの言うことはいつも唐突なんだよ」
「唐突? ふん。お前の話を聞けば当然のことだ」
ん? 命令を受けたのだろうか。ジャックは何か、ルートに言われていたのか。というか、この二人はどういう関係なんだろう。『唐突』なんて日常的に接していないと言えない言葉だ。
そこで思い立つ。なるほど、何か用事があるのか、この二人は。というか、ルートのほうが。ルートが何か用事があって、私にジャックを通じてコンタクトをとってきたということか。靴箱にメモを入れるなんて古典的な方法で私を呼び出して。帰りがけにそのメモを発見して、屋上に来るようにと言われたのだ。
そのときも一緒にいた紗那を説得するのがまた苦労だった。
結局また新たな誤解を生んだような気がしなくもないけど。
「じゃあ、さっそく本題に入るぞ」
「本題?」
ジャックが訝しむ。私もなんだろうと思う。本題とは。
「あの化け物のことだ」
彼は断定的に言う。私ははっとする。そうだよなぁ――この3人が話すことと言えば、そのくらいのことしかない。あの化け物のことについて。あの化け物を、殺すことについて。
そのくらいしか、話はないだろう。
「…………」
何をしているのだろう。そう思って尾行を続けてたけど、これは意外……昨日のジャックと、あともう一人いる。背の高いイケメンだ。彼氏にしたらとてもいい気がする。しかし彼らはそんなうわついた話をしていないようだ。真剣な表情をしている。尾行をしているほうが気まずくなるような。
しかし何の話をしているのだろう。私はもっと耳を近づける。よく聞こえない。音量的には聞こえるようになってきた。あとは聞き取れるようにだ。耳を澄ませろ。アニソンの空耳ではない本当の歌詞を聞くように、がんばって聞き分けるんだ。
集中する。少しずつ、日本語に聞こえてくる。もう少しだ。聞こえる……
「里利、お前の能力を使わせてもらう。あの化け物を、殺すためにな」
聞き間違えたのかと耳を疑った。




