コネコが選ぶただ一つのパン 1
愛が足りない。そういうのならば証明して欲しい。自分のパンに足りない、その成分を持っているだろう父のパンが、どれほどのものなのかを。
父に頼み、三種類のパンを作ってもらった。その用途については全く明かしていないが父のことだ、どうせ分かっているに違いない。同じ厨房で、自分が同じ種類のパンを作っているのを目の当たりにしていればなおさら。
ドールの元へ。小さく切ったパンをそれぞれ数個ずつトレイに乗せ、店を出た。
外は夕方だ。曇りのせいで、茜色の鮮やかさは鳴りを潜め、ただ薄暗さだけが街を包み込み、人を陰鬱とさせることもしばしば。
ただ、そんな中にあってドールはそんな光景を気にした風もなく、当たり前のようにそこにいて歌を届けることに専念している。まだ縁の上にいるところを見ると、今日の元気はまだそれなりに残っているようだ。
いつものように一曲終わるのを待ってから近寄った。
「パンの人!」
声をかける前にドールが気づいて、歓喜した。足音で相手が誰かわかるらしい。
定着してしまった呼び名を訂正することはあきらめ、ドールの横に腰を降ろした。もうパンを持ってきていることはばれているだろう。ドールは期待に満ち満ちた表情で迎えた。ギターはすでに立てかけてあって、準備も万端である。
二人とも今日は縁の上にいるので、トレイは膝の上に乗せた。
「今日は頼みがあるんだ」
そのために、今日はパンを作ってきたのだ。
「頼み?」
けげんそうにドールは訊き返した。
「そう。これからパンを二個ずつ食べてもらうから、単純においしいって思うほうを教えてくれないか?」
「うん? わかった」
ドールからすれば全く意図がわからないだろう。それでも、ただの何てことのない頼みでもあるはずだ。
食べて選べばいいだけ。選ぶ理由を知らないドールには簡単なことだ。
ただし自分にとってその答えは重大だ。全く同じ品目を三種類、父に作ってもらい自分も作った。食べ比べて、もしドールが三種類とも父の方を選べば、自分が確かに劣っていることを、実感せざるをえない。逆に一種類でも自分の方を選べば、それは実力として申し分のない証だ。あとは運を天に任せるだけ。
「じゃあ、これから」
一種類目を、ドールに手渡した。クロワッサン。生地を何度も伸ばし丸めて層を作り、それを焼いて作るパンだ。
口に運ぶ。咀嚼し、飲み込む。次も同じクロワッサン。今度は自分が作ったものだ。それを手に取る。ドールはそれを何の疑いもなく口に入れ、食べきる。
「おーいしい!」
こちらを向いて一言。
満面の笑みとはこういう表情のことを言うのだろう。賞賛の声は嬉しい。だが今は心から喜べない。求めているのは、その先の答えだ。
「どっちがおいしかった?」
緊張しながら訊く。
「先に食べたの」
作り手以外は同じものだ。そこに大きな味の差異は生まれない。なのでもっと悩むと予想していた。反してドールは即答だった。
――そして選ばれたのは父のもの。
しかしまだ一品目だ。単なる偶然と思い直し、気を取り直す。
「次は、これだ」
パンをドールに渡す。今度はロールパン。発酵したタネを伸ばして丸くしてから成形し、焼くだけのパンだ。それだけに実力の出にくいパンとも言える。今回は自分が作ったものが先だ。
ドールは一口に入れて頬張り、顎を上下させる。完食するとにこりと笑う。両手が皿を形どり、次を催促していた。
その上に今度は父の作った物を載せた。
ドールは四個目であったロールパンも難なく食べ切った。
うーんと少しうなり、迷いを見せ、繋いだ言葉は
――「後に食べたの」だった。
悩んではいた。それでもまたも父のものをドールは選んだ。偶然ではないんだろう。急激に冷めていく心の中で、そう納得している自分がいた。まだあと一種類残っていたが、結果は聞かなくてもわかる気がする。
何も知らないドールは無邪気に、これで終わりと? と傾げた。
正直ここで終わりにしてしまいたかった。でもトレイの上にはまだ誰かに食べてもらうことを待ち望んでいるパンがいる。
「これで、最後……」
最後はコンクールの課題でもあるバゲット。最も、パン作りの中では作り手の差が出ると言われている。一つ目、自分が作った方をドールは口にする。
「これ、食べた!」
食べ終わったドールが呟いた。最初にパンを差し出したとき、確かにそれはバゲットだった。そこから、ドールとの小さい交流が始まったのだ。
そして残った父のパンを、黙々と食べ終えた。
「後のが、好き」
ドールが選んだパンは、三種全てにおいて、父のパンだった。
言いようのない強く、黒い感情が頭をもたげる。
どうして――コンクールの審査員も、父も、そしてドールも自分のパンを認めてくれない!
何がおかしい、何が足りない。
「どうして――何でだ!」
無意識に立ち上がり、叫んでいた。膝から滑り落ちたトレイが地面の上で跳ね、渇いた音を響かせた。残ったパンがこぼれ、転々と転がっていく。
暗がりの世界が、パンたちを土くれ色に染めていく。
強い語気を浴びせられたドールがすくむ。頭の耳がぺたりと蓋をした。
ドールが悪いわけじゃない。そんなこと重々分かっていた。ただ頼まれたから好きな方のパンを選んだだけのことだ。それでも内心、怒りの矛先がドールに向かうことを止められない。
正直、打算があった。二日だけだがパンを差し入れた。自分のパンの味を知っていて、おいしいと言ってくれた。最低でも一品は、自分のパンを選ぶだろうと、確信していた。
結局、自分を擁護したかったのだ。どれか一品でも選んでもらい、自分の認識は間違っていないと、確信に至る動機を求めていた。結果、ドールは全て父を選び、見事あては外れたわけだ。これほど惨めなことはない。
「いったい何がいけないんっていうんだ……」