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ココネのうた  作者: 筑波社
ある街で――
13/23

込められた想い 2

 店が終わってからは自分の空間になる。厨房も開放され、ようやく自分のパン作りが始められるわけだ。

 今日に関しては、ちっとも作る気力が沸いてこなかったが。

 軒先に出る。雨はそれほど強くはなかったが、そのまま外を歩けばびしょぬれになるほどには降っていた。閉店の看板を吊り下げて、泉の方を見る。

 すでにドールの姿を観察するのが日課になっている気がする。

 ドールの風貌は、だいぶ様変わりしていた。灰色のフードをすっぽり被って、女性用だろうか白い厚手のコートに身を包んでいた。あれならばかなり暖かいだろう。それでも水を吸ってしまえばかなり重くなるし、冷たくもなりそうだ。しかしさらにドールを雨から守るべく、大きい傘を背もたれに取り付けたロッキングチェアがあり、その上でドールは演奏していた。

 心動かされた誰かが贈ったのだろうが、ものすごく太っ腹な人物もいたものである。運び込むだけでも相当な苦労だっただろう。ただ、広場の泉の前にロッキングチェアというのは、非常に場違いに見える。

 とにもかくにも、トレイを回収しなくてはいけない。そして、昨日のことを謝りたかった。

 雨の中に身を投じる。すかさず雨が衣服を黒に染めていき、肌を刺すような痛みが全身を包んでいた。こんな中でドールは歌っている。尋常なことではない。

 そうまでしてドールは歌っている。冷たい空気を肺一杯に取り込んで、寒さに縮む声帯に鞭打って、声を絞り出している。

「昨日は――」

「パンの人だ!」

 謝ろうとして、しかしその言葉がすぐにさえぎられた。いつものようにドールは笑顔で迎えると、椅子を飛び降りて後ろに回った。

「はい」

 どうしたのかと思えば、ドールはトレイを取り出したのだった。

「あ、ありがとう」

 戸惑いながら受け取り小脇に抱える。ドールは昨日怒鳴られたことなどなかったように、普通に接する。それどころか――

「おいしかったの。ごちそうさまです」

 いつもの挨拶。

 ぶちまけられたパン。それを見捨てて立ち去る自分。しかしそれでも、手探りでそれを集める姿。土を払って口に運んで、全て食べきるドール。

「ありがとう……」

 それでも、ドールはおいしいと言って礼を言う。今までパン作りをしてきて、これほど嬉しいことがあっただろうか。

「濡れる、入って」

 雨の中で立ち尽くす手を、ドールが引っ張る。

「大丈夫。濡れるの好きだから」

 傘の下にはいけない。雨を防いでしまったら、頬を流れる温かい感触が何かを、理解してしまうじゃないか。それでもドールはぐいぐいと引っ張って頑張っていたが、頑として動かない身体にあきらめて、自分だけ椅子に戻った。

 考えすぎだったのだろう。ただおいしい、と言われただけでこんなにも心は満たされて、パンを作りたくなる。今パンを携えていないことを、痛烈に後悔する。

 パンに対する感情が歪んでいたことを自覚する。パンの息子として育ってきて自分の腕を驕り過信し、最高のパンを作れる。そう思い、コンクールで負けたのは好みの問題のせいにした。

「歌ってくれないか」

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