込められた想い 2
店が終わってからは自分の空間になる。厨房も開放され、ようやく自分のパン作りが始められるわけだ。
今日に関しては、ちっとも作る気力が沸いてこなかったが。
軒先に出る。雨はそれほど強くはなかったが、そのまま外を歩けばびしょぬれになるほどには降っていた。閉店の看板を吊り下げて、泉の方を見る。
すでにドールの姿を観察するのが日課になっている気がする。
ドールの風貌は、だいぶ様変わりしていた。灰色のフードをすっぽり被って、女性用だろうか白い厚手のコートに身を包んでいた。あれならばかなり暖かいだろう。それでも水を吸ってしまえばかなり重くなるし、冷たくもなりそうだ。しかしさらにドールを雨から守るべく、大きい傘を背もたれに取り付けたロッキングチェアがあり、その上でドールは演奏していた。
心動かされた誰かが贈ったのだろうが、ものすごく太っ腹な人物もいたものである。運び込むだけでも相当な苦労だっただろう。ただ、広場の泉の前にロッキングチェアというのは、非常に場違いに見える。
とにもかくにも、トレイを回収しなくてはいけない。そして、昨日のことを謝りたかった。
雨の中に身を投じる。すかさず雨が衣服を黒に染めていき、肌を刺すような痛みが全身を包んでいた。こんな中でドールは歌っている。尋常なことではない。
そうまでしてドールは歌っている。冷たい空気を肺一杯に取り込んで、寒さに縮む声帯に鞭打って、声を絞り出している。
「昨日は――」
「パンの人だ!」
謝ろうとして、しかしその言葉がすぐにさえぎられた。いつものようにドールは笑顔で迎えると、椅子を飛び降りて後ろに回った。
「はい」
どうしたのかと思えば、ドールはトレイを取り出したのだった。
「あ、ありがとう」
戸惑いながら受け取り小脇に抱える。ドールは昨日怒鳴られたことなどなかったように、普通に接する。それどころか――
「おいしかったの。ごちそうさまです」
いつもの挨拶。
ぶちまけられたパン。それを見捨てて立ち去る自分。しかしそれでも、手探りでそれを集める姿。土を払って口に運んで、全て食べきるドール。
「ありがとう……」
それでも、ドールはおいしいと言って礼を言う。今までパン作りをしてきて、これほど嬉しいことがあっただろうか。
「濡れる、入って」
雨の中で立ち尽くす手を、ドールが引っ張る。
「大丈夫。濡れるの好きだから」
傘の下にはいけない。雨を防いでしまったら、頬を流れる温かい感触が何かを、理解してしまうじゃないか。それでもドールはぐいぐいと引っ張って頑張っていたが、頑として動かない身体にあきらめて、自分だけ椅子に戻った。
考えすぎだったのだろう。ただおいしい、と言われただけでこんなにも心は満たされて、パンを作りたくなる。今パンを携えていないことを、痛烈に後悔する。
パンに対する感情が歪んでいたことを自覚する。パンの息子として育ってきて自分の腕を驕り過信し、最高のパンを作れる。そう思い、コンクールで負けたのは好みの問題のせいにした。
「歌ってくれないか」




