その一 『始』
黒鴉銀蠍抄の改訂版となります。
誤字や矛盾を極力訂正し、ラストも多少変えてあります。
すべてが凍えるその前に
その者は訪れそして
その者の過ぎた跡に
芽吹く花はなんであろう
それとももう
春は来ないのかもしれない
その一
『始』
南北に長い日輪国の背骨のあたりを縦に走る牙状連峰。その峻険なる峰々の狭間にある小国、それが蔵座である。
狗賓という、来歴だけは大層な家の跡取りとしてこの世に生を享け、日々暮らし、妻を娶った。
正式には十二代狗賓正十郎。
父は無論十一代狗賓正十郎。
重ねて来た時代こそ大仰であるが、今はただの下級士卒。受け継ぐのは大層な名跡と家付きの郎党数人。
陽の出る前から襤褸家を出、主家であるこの国の長の住まう城に日参する。参っては床に這い蹲る様に辞儀をし帰ってくるのみ。それが本来の仕事ではないが、蔵座は今、永い平時である。平時に臣下がやらねばならぬことといえば、常に叛意のないことを主に示すことなのだ。
今日は昨日と同じ一日。抑揚のない毎日を生きている。その無為な日に正十郎は敢えて疑問を覚えることはしない。否、疑問の存在を眇めに引っ掛けつつ、考えぬ振りを決め込んできた。建設的な答えの出る対題であるならば兎も角、この手の懊悩はおのれの手ひとつでは儘ならぬからだ。
城からの帰途の道々、赤や黄に染まった紅葉を眺めつつ正十郎はつらつらとそんなことを考えていた。ちなみにその後に考えたことといえば、冬支度に皆で於朋泥を干さねばなるまいとか蕎麦粉の備蓄はどうだったろうかなどといった、恐らく前年のこの時季に考えていたことと同様のことである。
この土地にしては珍しく、その日は風がまるでなかった。
供周りの者などおらぬ。郎党は冬支度に忙しく、ただ辞儀をし帰るだけの主に付き従っている暇はない。
それでも、この国ではひとりで山道を歩いていようとあまり身の危険を感じるようなことはない。野盗や山賊はもう少し山の辺の方に行かねばおらぬ上、そうした輩らにすら、この土地に住まう者が極めて貧しく盗る物も剥がす物もないことが知れていた。冬が厳しい故山犬もおらぬ。
他に披瀝する地場産業もなく、遠方から商用で訪れる者も又ない。生意気に国などと名乗っているが、その実山肌にへばり付くように点在するいくつかの家々を勝手に纏めたのが蔵座の実情であった。
放、と息を落とし、緩慢に顔を上げた。
「…」
銀色の長髪の男が立っていた。
奇異な衣服を身に纏っている。
白い革製の外套に黒い穿き物。
白と黒。
男の顔色も矢鱈と白いが故、まるで無彩色の男。背景の萌え立つばかりの赤と黄が男の色のなさを余計に際立たせている。
正十郎は声を掛けることもせず、暫時その男に見入った。不思議と身の危険は感じなかった。
「狗賓正十郎だな」
金属的な耳障りのする声。
「…確かに自分は狗賓だが。随分と無礼な」
男は残雪と名乗った。
かばねはないらしい。
「用件はなんだろうか」
いいつつ正十郎は腰の太刀に手を遣った。 残雪は空を見ている。
少し雲が出てきたようだ。
「用がないのならば行くが」
「急いでいるのか」
「まあ」
いい加減なことをいって煙に巻いてしまおうかとも思ったが、自分の嘘の拙さを痛いほど知っている正十郎は、正直にそのままをいうこととする。
「陽のあるうちに於朋泥を干さねばならぬ」
「於朋泥。ああ大根のことか。この辺りはまだ古語を使う土地なのだな」
「そういうあなたは中央から御出でか?」
「如何にも堕府から参った」
堕府とは日輪の中央に鎮座する巨大な国家の名。其処は、この世の富と叡智のすべてが集まった大都であるという。
正十郎など話に聞くだけでなんだか腹の膨れる思いのする場所だ。それでも多少の関わりはある。齢の離れた実妹が行儀見習いで堕府の商家に奉公していた。
残雪の服装はこの国でこそ異質だが、中央では普通なのかも知れぬ。於朋泥も堕府ではダイコンなどというらしい。
「それで用件は」
どうやら残雪は丸腰である。それでも正十郎は半歩間合いを広げた。
残雪はちらりと正十郎の足元を見、
「愉しい話ではない」
といった。
こちらを見る双眸もまた、酷く色彩が欠落していた。
一度強く風が吹いた。
残雪の銀髪が散り、革の外套が翻る。奇妙な男の視界が奪われたのを見て取るや、正十郎は山道から飛び退き横の雑木林に落ち込んだ。特になにを感じ取っての行動ではない、漠然と漫然と厭な予感がしたのだ。
幼き頃よりさんざ親しんできた山である。 徒走り、やや時間を置き、正十郎は上方にある山道の様子を耳だけで窺った。物音はなく、どうやら残雪は追って来ていない。
風は一度吹いた切りだった。
そそ、と獣の気配がした。
右を見、左を見、傍らを流れている筈の川の瀬音を聞く。
それから更に数刻まんじりともせず固まって、正十郎はやおら立ち上がった。
「何者だったのだ…」
狗賓家の夕餉は茸のたっぷり入った味噌仕立ての鍋であった。蔵座の味噌は隣国のものよりも渋味が強い。
その夜。
大した憂さの溜まっていたわけではないのだが、正十郎は珍しく夜半まで酒を飲んだ。頭の隅に残る奇妙な男の残像を斗酒で希釈したかったのかも知れぬ。
採れたての舞茸は土の香りが強く残って、蔵座の味噌とよく合う。
傍らに座っていた正十郎の妻、桜が宵から強くなり始めた山風の一瞬の間隙を縫うように西国訛りの多少残る言葉で訥々と語り始めた。
「そのお鍋に使ったお蒟蒻なのですけどね。川縁の二本松様から買ったのですけど」
自在鉤にぶら下がっている鉄鍋は既に空である。乾いた菜っ葉が底にへばり付いているのみ。
二本松家は狗賓家と似たり寄ったりの家禄だが、昔から手先の器用な者が多く、酒だの味噌だのをせっせと作っては安価で販売している。今晩の茸鍋に入っていた蒟蒻もその二本松家で買い求めてきた物のようだ。
「その時に、おかみさんが何とも妙な話を聞かせて下さいまして」
言葉と言葉の合間に風の唸り。
冷え切った隙間風が正十郎の貧相な脛を撫で去っていく。
「妙な話?」
妙と聞いて正十郎は残雪を思い出す。
「御山様の、お側室様なのですが」
「ん? 西か? 東か?」
御山様とは蔵座国主三光坊頼益のこと。国のぐるりを囲む牙状の峰のひとつに主城を構えたことにその由来がある。西か東かとは、その主城の西側に一棟、東側に一棟、頼益が愛妾を住まわせていることからくる、こちらは下々が勝手に呼び習わしている通称である。
「西様で」
西様ならば正十郎も随分昔に一度だけ顔を見たことがあった。色白で瓜実顔の美しい女性だったと記憶している。
隙間風に囲炉裏の火が明滅した。
桜は鉄鍋を鉤から外し土間へと置いた。
「それで西様がどうしたというのだ」
胡坐を掻き腕を組み、土間に立つ妻の背に正十郎は声を投げた。桜は無言で振り返り、しずしずと戻ってくると先と寸分違わぬ場所に落ち着いた。
「ええ。西様」
やや乱れた襟元を直す。桜も元々は名家の息女であったらしいが、その家は今は随分と落魄していた。
「西様のご様子がこの頃少しおかしいそうなのです」
「どういうことだね」
「はい。なんでも西様は二本松家の味噌を愛好していらして」
「我が家と一緒だな」
「はい。三日に一度は二本松家に下男が味噌だの何だのを買い求めに訪れるのだそうなんですが、その下男と申しますのが実に話好きな者だそうで」
「しかし二本松も味噌くらい献上すればどうなのだ。さすれば御山様の覚えも良くなるというものだろうに」
「そんなことなさってはお正室様に睨まれましょう。巡り巡って二本松様は立場を悪くされますわ」
「そんなものかな」
「それでその下男曰く」
前歯の矢鱈に大きな、見ようによっては愛嬌のある顔をした男なのだそうだ。名をハンザキという。
「ハンザキ? それは名かね、かばねかね」
「名でありましょう。下男さん、ですから」
「まあそうだな」
ハンザキ曰く。妙な事が起こり始めたのはアーいつ頃からかしらん。
誰が最初に気付き、誰が最初に気に掛けたのかは定かではない。
屋敷の灯かりが消える。
稚気溢れる女人であるらしい西様は、夜の闇が怖いのだという。それ故館の其方此方に絶えず灯かりが点されている。無人の部屋であれ何であれ、西様の通る箇所には必ず灯かりがなくてはならぬ。館は広く、且つ西様の行動範囲は殊の外広いにも関わらず。
視界が闇色に圧迫されるのを何より嫌う。
しかしその、灯かりが消える。
濡れ縁に面した位置に立つ燭台ならば兎も角、風などそよとも吹かぬ館の奥の間に点された蝋燭の火ですら不図見遣ると闇に潰れているそうだ。
当然西様はわらわに仇なす輩は誰ぞと大層ご立腹のご様子だったらしいが、一向に犯人はわからなかった。それどころか誰ひとり灯かりを消す者の影すら追えぬ。そのような幾日か日が続いた。
気付けば火が消えている。
気味の悪い。やがてそれも通り過ぎ、西様は徐々に眠れずの病に落ちていった。高が灯かりの消えるくらい、闇夜に慣れればよいだけのことと存外周囲は冷めてもいた。しかし西様はそうは思えない。眠れず食えず、目に見えて窶れていった。もしや東の館の謀かと勘繰る者すら出始める。
「東様の?」
桜は浅く頷いた。
「御正室様はご病弱でいらっしゃいます。その上で西様がお倒れになったとあれば、御山様のご寵愛は」
「待て。滅多なことをいうものではない。それに真実東様が、そのわけのわからぬ話に一枚噛んでいるのだとしてもだな、そのような迂遠で効果があるのかわからないような手をわざわざ打つか。掛ける時間と労力に見合うだけの効果が得られるとも思えん」
「それは旦那様が暗闇が平気だからでは御座いません?」
「確かに自分は闇を恐れはしない。しかし、どうせ脅すのならばもっと」
「いえいえ。眠れず、食が細り病に伏せったところで東様が指図したとは誰も思わないのではありませんか?」
「なにをいう。実際お前も東様を疑っておるではないか」
「あら」
「あらではない。いずれにせよ下手なことはあまり口に出さぬことだ。聞き流しておけ」
「ええ、それはわかっております。ただですね、なんと申しましょうか」
「興味が湧いたか」
「そうで御座いますわね。気になります」
「城では終ぞそのような話は聞かぬが」
「それは旦那様が同輩の方と仲良くなさらないから」
「それは関係あるまい。それで」
桜はやや反意のあるような顔をしたもののすぐに目を伏せた。
「それはそれだけなのです、今のところは。ね、妙でしょう?」
「今のところとはどういうことだ」
「だってまだあのお館では毎夜蝋燭の灯かりが消えているのではありませんか?」
「それは知らんが」
「いえ、きっと消えておりましょう」
「そうだ、その下男の嘘かも知れん」
「そのような嘘をいっても何のいいこともないですけれども」
「ふん。しかし、蝋燭なあ。その誰やら知れん者は使いもせぬ部屋に点してある火を消して回っているのだろう? 大方吝嗇家の下女の仕業ではないのか」
ハハと似合わぬ空笑いをし、正十郎は座相を少し変えた。桜はそうですねえと、囲炉裏の真ん中に燻ぶる弱々しい火を見つめた。現在の狗賓家の照明といえば、その消えそうな炭火だけだ。
稼ぎが悪いから蝋燭など買えぬと、正十郎は重ねて冗談をいおうかとも思ったが、それこそ柄でもないと思うに留めた。そこまで酔ってはいない。
おのれを見つめる妻の大きな瞳が、何だか自分を責め苛んでいるように感じられた。勿論それは正十郎の勝手な思い込みである。
桜はですからねと少し調子の外れた明るい声を上げた。
「明日かその次か、また二本松家に行ってみようかと思いまして」
「二本松というより、西の館の下男に用があるのだろう。しかしお前にそんな下世話な一面があったとは」
「下世話でしょうか」
「下世話だろう、他家の出来事に気を取られている」
それを切り文句に正十郎は立ち上がった。 明朝も払暁の頃家を出なくてはならない、夜更かしは響く。尤も眠かろうが二日酔いだろうが十分勤まる仕事ではある。
翌午。
正十郎は、同輩のイイズナとかイイジマとかいう名の目付きの暗い男に西の館に就いて何か知らないかと尋ねてみた。尤も正十郎の性格上好き好んで他人に声を掛けたりはしない。偶々である。偶々イイ某の方から物を尋ねられ、物の序でに尋ね返したに過ぎなかった。
便宜上飯島で統一する。
「西の館の蝋燭?」
飯島は怪訝そうな眼の色を見せ、やや間を置いてああと如何にも気のなさそうな声を上げた。
「どうも昨夜、下男を突き殺したらしい」
「つ、突き殺した?」
「御山様より下賜された大槍で顔面をひと突き、と聞いている」
「またどうして」
「そのようなこと知るものか」
「そ、その下男とは」
「ん? ああ。今後どうするのだろうな雑役をこなす下男は確かあの館にはひとりきりしか居ないはずだ」
「その話、本当なのか」
正十郎がそういうと、飯島はあからさまに厭そうな顔をした。当然だろう、噂の真贋などあまり重要でなく、又確かめようもないことだ。
「噂でしょうよ、噂」
「ああ、そうであったな。うむ」
なんともしどろもどろになる。同輩といえど目の前の飯島は正十郎よりも恐らく十は若い。
飯島は声の調子を一段下げた。
「御山様もこの頃は西の館からは足が遠退いているらしい」
そこまで話して飯島はもう宜しいかと片手を挙げて去って行った。
その背を見るともなしに目で追いつつ、はたして飯島に自分はどう認識されているのだろうと、正十郎はそればかりが気になった。
ともあれ事態は動いていた。
桜は今頃本当に二本松家に出向いているのだろうか。そうだとしたら桜の思惑は空振りだったようだ。なにせ尋ね事をしたい相手は既に死んでいたのだから。正十郎は顎の先を摩り、漫然とそう思った。
人が死んだというのに拍子抜けである。兎も角帰ろうと、正十郎はきびすを返した。
用心の為に昨日の帰路はなぞらなかった。
夕餉は芋とひしおで炒った川虫だった。
郎党らは屋敷の離れで花札に興じている。 茶を淹れようと立ち上がった桜を、正十郎は片手で制し、
「あの、あれだ。行ったのか」
ぼつぼつと、一向はっきりしない声で尋ねたものだ。桜は大きな目でいいだけ正十郎を見つめ、声に若干の喜色を含ませ、いいええと答えた。
「行きませんでした。ほら、旦那様この頃尻が痛い尻が痛いと仰っておりましたよね。この時季の板の間は応えるとか、藁菰はむず痒いとか。それで」
桜は正十郎の下腹の辺りを指差した。正十郎の尻の下には継ぎ接ぎの座布団が敷かれていた。
「おお。あ、いや。気付いていなかったわけではないぞ。いや。うん。ありがとう」
すると桜は少し寂しそうな笑みを見せ、無言で茶の支度をはじめた。
正十郎は桜が再び落ち着くのを待つ。
「旦那様は昨日、下世話なことと仰いましたからね。やめました」
膝元に出された茶碗に手を伸ばし、正十郎は裏に勝手に生えているどくだみで作った茶を一口啜った。
「しかし昨夜はあれほど興味を持っていたではないか」
「ええ」
「城でな、ちらりと耳にしたのだが」
「はい」
「上役に雑用を仰せつかってな。否、普段は行かない所を歩いておったのだ。其処はまあ仕事が終わった者どもがよく屯している場所なのだがな」
如何にも偶然に聞いたことであることを装うとして前置きが長くなる。
桜は一度口元を綻ばせ、すぐにハイと真顔になった。
「ああ、うん。昨日いっていた下男なのだろうかな、うん。…どうやら西様が突き殺したそうなのだ」
「突き殺した…?」
物騒な話の内容に桜の顔はあからさまに曇った。色々と知りたがっていた割に、斬るの殺すのといった血腥い話は苦手なのだ。
確かにそうした世界からはあまりにも遠い所に日々暮らしている。
桜然り、正十郎然り。
この国の者たちすべて。
「そう厭そうな顔をするな。飽くまで小耳に挟んだ話、本当かどうかはわからん」
何処か必死で取り繕う。それでも桜は口元を押さえ、ええと極小さな声を洩らすのみ。
「まあ単純な憶測だが、昨夜お前がいっていた灯かりを消して回る者。それがその下男であったのではないのかと思うのだ」
「…え。…ああ、はい。なるほど」
謎を眼前に持ってくると桜の興味は俄然湧いたようで途端に表情に朱が差した。下世話なわけではないのだ、不可解な事象に心動かされる質なのだろう。抑揚のない毎日に拘泥するがあまり妻のそうした性質に正十郎は今頃になって気付いた気がする。
そもそも自分は今まで、そこまで妻のことを知ろうとしていただろうか。
「まあいい」
「はい?」
「ああいや。真相がどうであれ、西様が蝋燭の火を消していたのは下男であると、そう思ったのは間違いないのではないか?」
そうですねえと少し浮ついた口調で返す桜を横目で見つつ、愉しきことのない毎日、噂話に花を咲かせるというのも娯楽のひとつなのだろうと正十郎は得心した。
「御山様もこの頃は西館には行っていないようだ」
「その、火の消える話も下男を殺したという話も、すべて御山様の興味を引きたいが為、などということはないのでしょうか」
「気を引く為に人まで殺したというのか。いや、さすがにそれはない。それは考え過ぎというものだ」
「ですが西様は…いえ東様も同様ですわね。御山様に目を掛けてもらう以外に生きる意味を見出せないのでは? 館に御山様が訪ねてきて幾日か逗留する。それ以外の日は、いつ御山様が訪ねられてもいいように自分を磨きつつ。いつまでも御山様からの寵愛を得られるように。だいたい座敷牢ですもの、館住まいと大層なことをいっても。ただ、このまま御正室様にお世継ぎが生まれず、その上で西様東様どちらかが男子をお産みあそばせれば別ですが」
「子供な」
狗賓家には未だ子はない。
正十郎は上目遣いに桜の表情を窺った。桜は囲炉裏の火を見るともなしに眺めていた。「人間万事程々が良い」
桜は不思議そうな顔で正十郎を見返した。
「…まああれだ。うん」
「なんで御座いましょう」
「御山様は御山様だからな」
「仰っている意味がわかりません」
「いや」
内面の葛藤を吐露することなく正十郎はもう寝るといって立ち上がった。今日と寸分たがわぬ一日を、明日も享受する為に。