▽こんこん7-9 冠不適合者
カヅッチは生まれながらの冠不適合者だった。
冠は機械惑星の住人であれば誰もが頭に装着している円環状の個人端末。電子ネットワークと人を繋ぎ、脳の働きをモニターして読み取り、脳へ偽装情報を送り込んで存在しない感覚を疑似的に体験させることすらできる。
機械惑星上に数多ある端末は、それぞれの装着者の脳波によって個人認証がなされ、それによって端末同士の機能が干渉することはない。
脳波というのは脳内の電位差。冠は脳内に仮想的な電位を作り出して、脳の電位を冠が設定した電位と接続して拡張する。そのため、冠の装着には、まず基準となる固有脳波を読み取り、それに合わせての個別調整が必要だった。脳の電位には個人識別を確実なものにするための基準点があり、脳芯電位と呼ばれる。脳芯電位の測定は、脳芯電位測定法によって定められた小さな刺激を脳へ与えて、それに対する反射を数値化することでなされた。
カヅッチは生まれつきその刺激に対する耐性があり、脳芯電位測定法の第一から第十の方法までがとられたが、いずれも失敗に終わった。脳芯電位測定法において使われなくなって久しい第十一から第十三の方法が追憶より掘り返されて試されたが、それも無駄に終わった。
医者は脳機能の欠損と診断した。
今までの機械惑星、もしくは機械惑星以前の長い歴史を振り返れば、ごくごく稀にそういった子が生まれることもあった。それに対して、一応ではあるが、治療法も存在していた。
脳に、中継器を埋め込むのだ。
中継器は冠で発信された指示を受け取るためにオートマタに搭載されている機器。名前通りの役割を果たすもの。脳へ埋め込んだ中継器を冠に認証させて、それを個人認証の代わりとすることで、正常に動作させるという方法。
カヅッチの両親はその方法を提示され、手術を行うかどうか、決断を迫られた。
成功確率は百パーセントではなかった。難しい手術。命を失う危険性もある。手術を行わなければ命は保証される。が、その場合、我が子に冠なしの一生を背負わせることになる。生まれてすぐに冠操作に適応しておかなければ手遅れ。ある程度成長してからでは、脳が冠を拒否してしまうのだ。
治療しないという選択肢は、両親にとって不可視のものであった。
冠が作るネットワークによる繋がりを、社会との繋がり、ひいては他者との繋がりそのものとみなす考えは広く浸透しており、その是非に関わらず、冠を使えない者が偏見の目で見られることは必至。それに、奴隷などという冠を捨てた犯罪者の存在もあり、ますます肩身の狭いことになるのは想像に難くなかった。
手術はなされ、成功した。
これで、カヅッチはごくごく一般的な機械惑星市民と同じ人生を歩むことができる。と、両親はそのように考え、安堵した。
カヅッチは虚弱体質で、成長が遅く、体を壊しがちだった。両親はそんな彼を愛した。普通の人として過ごせるようにと、願いを込めて温かく育てた。
彼は、世界というものが両親の愛同様に温かいものだと思っていた。
ある時、学友が彼の頭に残る手術痕を目ざとく見つけて、どうしたのかと尋ねた。
彼はそれを特異なことだと思わずに、ありのままを教えた。彼の両親がそう思わせないように、心配りをしていたからこそであった。
結果、彼は学友たちから敬遠されることになった。
幼い彼は人間が時に草食動物よりも鋭い察知能力を持ち、肉食動物よりも残虐で、植物よりも無関心を貫けるのだということを知ることになった。
彼は徐々に孤立しがちになっていった。
休日。沈んだ様子の彼を、父は公園へと連れ出した。公園への道行の途中、父は彼に帽子を買い与えた。帽子を被せられると手術痕はすっぽりと隠れた。
父はそのつばを掴んで、ぐいっ、と後ろに回すと、
「こうするとかっこいいだろ?」
と、彼に微笑みかけた。
公園のベンチに並んで座り、父は言った。
「お前は生まれながらに他の人とは少し違う。けれど、それは当たり前のことだ。この世界に同じ人なんて誰一人いない。俺だって、母さんだって、お前と一緒の学校に通う全員が違う部分を持った人間だ。けれど、それを知った上で付き合わなくちゃなけない。それが社会に属する、ということなんだ」
父の言葉は、彼に冠つけさせるために手術を施した事実と反してもいたが、幼い彼はその矛盾には気づかなかった。
「どうすれば、いいの? どうやったら、うまくできるの?」
幼い彼は聞いた。
「良い悪いはないんだ。だから、うまくやろうなんて思わなくていい。ただ、自分の事を知ってもらったら、同じだけ相手の事を知るようにしなさい、相手の事を知ったら、同じだけ自分の事を知ってもらうようにしなさい。重要なのは対話だ。お互い人間同士、言葉が通じるんだから」
カヅッチは父の言葉を実践した。
対話をくり返し、理解し合えるようにと努めた。ゆっくりと時間をかけ、そうしてついに彼は関係性を取り戻すことに成功したのだった。
しかし、学生生活を謳歌しはじめた矢先、彼は奇病に悩まされることになった。
前触れもなく突然、全身のあちこちが痛み出して、痺れたように動かなくなるのだ。痛みと痺れは一瞬で去るものの、いつ襲ってくるかも分からない衝撃は、彼を大いに怯えさせた。
両親は彼を入院させて、精密検査をおこなった。
いくつもの大掛かりな検査の末に、特定された原因は、中継器だった。実際の痛みではなく、冠から発信される偽の痛み。冠が匂いや味、音などを偽装するのと同様の機能でもって、痛みを偽装して、彼に与えていたのだ。
事実として、彼の冠の機能を停止させれば痛みはなくなった。
それは本来起こりえない誤作動。というのも、冠が脳波を受信して動作しているかぎり、痛覚の偽装などという危険に対して防止措置が働く。しかし、オートマタにも使われている中継器を使ったために、その防止措置が働かず、動作の摩擦で生まれた痛覚偽装がカヅッチの脳へと送られていたのだった。
脳芯電位を特定できず、中継器を脳に埋め込んだという人は歴史上数名しかいない。それも手術前後で命を落としたり、短命であったりした。あまりにも事例が少なかったために、こういった事故の可能性は予想外のことであった。
検査が進むと、彼の虚弱体質と、成長が遅れがちな性質までも、中継器が原因であることが判明した。
生まれた時に埋め込んだ中継器を取り出すのはもはや不可能。中継器は彼の一生には十分な期間、機能するようにされており交換は想定されていない。
医者は再び彼が冠を使えるようにするには、脳に二つ目の中継器を埋め込む必要があると告げた。
現状では冠から中継器へ、そして中継器から脳へのやり取りがなされているが、冠と中継器のやり取りに、もうひとつの中継器を加えるというのだ。新しく埋め込む中継器は誤作動を排除できるように調整されており、脳と中継器のやり取りは元々埋め込んでいたものを使った方が脳への負荷が少なく、ふたつの中継器を経由する方法が最適ということだった。
カヅッチの両親はまたも決断を迫られた。今回はその決断に彼の意思を介在させることもできたが、彼は両親を信頼してその決定を委ねた。
危険な手術を行うか、これから一生冠を使わないか。その選択肢の一方は、またも不可視の霧の向こうに隠された。
名医と呼ばれる医師が呼ばれて、彼の手術にあたった。それは赤子の彼に手術を施したのと同じ人物だったので、両親もいくらか安心して、我が子の命を預けることができた。
命がけの手術。
冠を使うためだけの手術。
手術は成功した。
幻痛は消え、誤作動も無くなった。
だが、後遺症が残った。
成長した脳に中継器を埋め込むのは困難を極めた。医者は全力を尽くしたし、医療オートマタがそれを細やかにサポートした。一切のミスはなかった。が、不可避の影響力により、カヅッチの両手は動かなくなっていた。
手術を乗り越えた彼に、手術が待ち受けていた。
彼の両手は壊死がはじまっており、このままでは腐り落ちてしまう、と医者は言い渡した。速やかに切断しなければ内臓に深刻なダメージが残る、とも。この手術に対しては拒否の選択肢ははじめからなかった。
運命に流されるまま、彼の両手は奪われて、機械の手が装着された。それはオートマタにも使われる精巧な義手で、表面全体が人工皮膚に覆われていたので、見た目には本物と遜色がなかった。
義手に適合するまで、長い時間がかかった。両親は彼を支え、リハビリに付き合った。
努力のかいあって、彼は復学できるまでに回復した。
しかし、これは彼に降りかかる試練の幕開けに過ぎなかった。