▽こんこん7-7 半人たち
「僕やヲヌー、それにお嬢様。ここに集まっているような半動物、半植物人間はまとめて半人と呼ばれています」
ガラクタ広場の隅に腰掛けたカヅッチが、向かい合って座るロロシーに説明する。ヲヌーは板のようなガラクタに背を預けて立ったままでいる。ロロシーという肉食動物の出現に慄いていた広場の住民たちは、いくらか落ち着きを取り戻し、今は各々の時間に埋没していた。
話を聞きながらロロシーは、オヌ―を以前、街中で見かけていることを思い出していた。メョコやプパタン、その他数人で集まって、皆で食物店で勉強会をしていた時、店員を、ヘアピンちゃん、だなんて呼んでいた変な男。奴隷という犯罪者が堂々を街中を歩いていたという事実に戦慄を覚える。
「半人というのは誰が名付けたんです?」
「さあ」とヲヌーに視線が向けられる。「俺も知らないな。最初に見つけた研究者じゃないの」
「まあそんなところでしょうね」と頷き「半人は申し上げた通り、動物や、植物の性質を持った人間です。獣と同等の鋭い感覚が発揮できたり」帽子を持ち上げて、角の萌芽を見せて「こんな風に身体構造自体も変わってきます」ロロシーに目を向けて「お嬢様の牙や爪のようにね」ロロシーは口を結んで、手を握り込んだ。
「それから」とカヅッチは自分の頭を指先で、とん、とん、と叩いた。
「心も、変わってきます。説明しなくても、ご存じでしょう?」
肉食動物であれば、肉を喰らいたくなる、ということ。
「わたくしは……これからどうなるのでしょうか」伏せられた瞳に不安が滲む。「完全な獣になってしまうのですか?」手をゆっくりと開いて指先で尖る爪を眺めた。
「僕らにも、まだ確かなことは分からないんですよ。けれど、動物や植物そのものになる、と考えておいたほうがいいと思いますね。」カヅッチは言って広場の真ん中の巨大なコンテナに目を向ける。そのコンテナのなかからは、麗しい植物の香りがしていた。
「お嬢様、少しいいですか?」
カヅッチが作業服のポケットからライトを取り出して構える。それから「失礼」とロロシーの頬に手を添えて、瞼を軽く押さえると、瞳に光を当てた。眩しさを感じた瞳孔がネコのように縦に伸びる。それを確認すると「いー、として下さい」と歯医者のように言って、唇の端を持ち上げ、牙の長さが目算された。
「だいぶん進行してますが、少なくとも僕が最近お会いした時には、こんな状態だった記憶はありませんね。もしかして、キャラクターが消滅しました?」
「……ええ」
「ピュシスは……」と言いさしたカヅッチに、「やはり、ピュシスの、影響なのですか」と、ロロシーがうなだれる。それに対して「その通り」横からヲヌーが口を挟んだ。
「博士が言うには」と思い出そうとするように頭を押さえて「冠を通して神経細胞に信号を送って、脳の中枢から肉体を作り直す命令を出させるんだと」
「脳に?」
「そう。脳の構造を作り替えちゃってるってワケ。それもピュシスが冠にインストールされた時点でね。あとは脳が指令を出して着々と体を作り替えるってこと。ピュシスをプレイしなくても勝手に半人に近づいてくけど、プレイしてる方が進みが早いってことが分かってる。それから、一気に進行するパターンってのがあって」と、うずくまると「ピュシスプレイ中に体力が尽きた時」横になって下手な死んだふり。「には強めの身体改造が行われて、更に命力が尽きて消滅した瞬間」長い舌をだらんと垂らして、ちょっとだけ迫真の死んだふり「には強烈な体の組み換えが、ドカン、とくる」
「疑似的な死に触れた瞬間が、新たな生に対する構造的な変換が行いやすいのではないかと、考察されてはいますね」カヅッチがくすりとも笑わずに説明を足す。
「最強ちゃんはドカンときたパターンってことだな」言いながらヲヌーは立ち上がってコートをはたいた。
「そんなことが、本当にできるのですか?」ロロシーが信じられないという風に顔を顰める。
「ピュシスを作ったのはとんでもない天才だって、博士も絶賛しているからねえ。脳みそをいじくって、体を勝手に改造するようにさせるなんていうのは神業そのもの、人間の知らない脳のあらゆる使い方を熟知しているってな」
オートマタの電子頭脳に自己改造プログラムをインストールするのと同じ、とロロシーは理解する。それでもオートマタの部品が勝手に別のものに変わるようなことはない。人間の代謝を歪めて、日々生まれ変わる細胞のひとつひとつの性質を操っているのだとしたら、想像を絶する技術だった。
「治療はできないんですか」
尋ねてはみたが、電子頭脳からプログラムを抹消するように簡単なことではないことは分かっていた。いま聞いた話が正しいとすれば、冠をつけておらず、ピュシスの肉体が消滅した現在でも、ロロシーの半人化は止まることなく進行し続けているということ。
「まあ、ピュシスを作った者のみぞ知る、というやつだな」と、ヲヌー。
「誰が作ったんです?」
「かみさま、じゃないの? 俺はそう思ってるけどね」
「かみさま、って?」
ヲヌーが空を見上げ、ロロシーもつられて視線を向ける。空に昇る第二衛星。ヲヌーが両手を広げて、第二衛星の薄い輝きを全身に受けようとするようなしぐさをした。
「神聖なる第二衛星。何人も触れること敵わぬ、偉大なるあなた様。我ら憐れな者たちを導いてくださらんことを。我らはすべからく運命の奴隷。王として驕る者たちには罰を。この世界を人の手から取り上げ、我らの元へ……」
祈るように、言葉が紡がれる。
「あなたは、第二衛星を、なんというか、信仰してらっしゃるのですか。奴隷というのは機械を憎んでいると聞いていましたが」
「機械が憎いんじゃない。第二衛星の邪魔をする、第一衛星と第三衛星、それに俺たちを愛さない惑星コンピューターが憎いのさ。カリスの手下のオートマタどももな。第二衛星だけは俺たちを愛してくれる。俺たちを救ってくれる。この場所みたいな安全な場所を作り、街中を歩くときは、邪悪な者どもの刃物のみたいな眼差しや、銃口から隠してくれる。第二衛星が俺たちを愛してくれるように、俺たちも第二衛星を愛している」
「カヅッチも?」ロロシーが尋ねると、首が横に振られた。
「不信心者」ヲヌーはドスの利いた声で脅すように言ったが、カヅッチは堪えた様子もない。
「人を動物や植物に変えるというのはね、ナルキッソスしかり、アクタイオーンしかり、神による罰なんですよ」
「馬鹿を言うな、牝牛に変えられたイーオーだって、月桂樹に変じたダプネーだって神による救いだ。アラクネーに至っては傲慢を許され、死から助け上げられ、蜘蛛としての命まで貰ってるんだぞ。俺たちに与えられたのも同じく恩寵だ。神の慈しみを理解できない愚か者!」
怒気を含んだ叱咤。
「僕にはいずれも神の怠慢によって与えられた苦しみに思えてなりませんけどね」
ヲヌーが口から噴気音を上げながら割れた舌を垂らし、牙を剥き出した。
「やめてくださいませんか」
一触即発の空気に、ロロシーが思わず止めに入る。
「わたくしも、人を獣や植物に変質させるなんてことは、人道に反していると思います」
「オートマタを人間に変えようとする研究と、さほど変わりませんけどね」
カヅッチが不敵に笑う。ロロシーの父、ロルンがかつて行っていた研究。庇った側から鋭利な言葉を向けられると思っていなかったロロシーは、ひどく嫌な気分にさせられた。同士討ちのようなやり取りに、ヲヌーは張り詰めていた態度をあっさりと和らげると、ひひっ、と笑って牙を納めた。
ロロシーは、父が、他界した母の人格データを保存していると知って、落胆を味わったばかり。機械の体に人の心を適合させる研究。しかし、指摘されてみると確かに、動植物の肉体に人の心を適合させるピュシスと、その研究は、同じような性質を持っていると認めざるを得なかった。
父のことを思い出し、ロロシーはやはり帰らなくてはいけないと思いはじめた。改めて、きちんと家族で話し合わないといけない。リヒュのことも気がかり。冠がないとどうなったか調べることもできないが、ソニナに頼めば詳細が分かるだろう。ソニナにも会わなければならない。会ってピュシスをプレイするのを止めさせないと。
「やっぱり、わたくしは帰らないと」
言って、立ち上がる。
「俺の忠告をもう忘れちゃったのか? 誰かを喰うことになるよ」
だいぶん時間が経ち、食欲は理性によって抑えられている。
「わたくしが、噛んだ友人がどうなったか確認しにいかないと」まず最初になすべきこと。
「友達、噛んじゃったの。あら、まあ。やっちゃったね。もう絶交だよそんなの」
「メョコちゃんを噛んだんですか?」カヅッチが顔を顰める。
「違います!」と思わず大きな声で反発して、「リヒュ、という人です。カヅッチも一応会ったことがあるはず。一度だけ工場の方の家に遊びに来たことがありました。その時、お父様を探していたあなたが通りがかりましたから」
カヅッチは記憶を探るように首を捻って「ああ、あのちょっと目立たない感じの、暗い子かな」と言葉をこぼした。
そんなふたりの横でヲヌーは頭にはめている輪っか状の端末、冠にしか見えないものを操作しはじめた。妙に感じたロロシーはカヅッチにも目を向けたが、その頭には同じような冠。今更ながらに気がついたが、カヅッチは工場で働いている以上、冠を装着しているし、もちろん使ってもいた。
「あなたがたは冠を捨てたのでは?」
「ああ、これ? 偽冠」上目で見て、表面をするりと撫でる。「博士の唯一役に立つ発明。まあ、でも、ほとんど第二衛星の力だから、博士の発明とも言えないかな。第二衛星にだけ繋がる魔法の端末なんだぜ。第二衛星が偽装して、色んなところと中継してくれるから、本物の冠と同じ機能が使えるし、居場所やなんやらがバレたりしない」
「博士とは?」
「くらくら博士ね。それで、最強ちゃんがお友達を噛んだ時間と場所分かる?」
ロロシーが躊躇いがちに教えると、ヲヌーは偽冠を操作して、ニュースを検索しはじめた。
「わたくしが知りたいのは博士のお名前ではなく、どういうお人なのかということです」
「くらくら、と呼ぶのはヲヌーだけですよ。皆、博士としか呼びません。名前は誰も知らない」カヅッチが訂正する。
「頭んなかが常にくらくらで支配されてるお人よ。くらくらー、としてんの。言ってることがほとんど意味不明で怒ってばっか。ガラクタをちょっといいガラクタにする自称発明家」
そこまで説明してから「おっ」と偽冠が網膜に照射した情報に目を通す。
「あったあった。ちっちゃいニュースだけど、病院に搬送されて、迅速に手術が施されたってさ。結果は成功。命に別状なし。よかったね」
その情報を鵜呑みにするほどロロシーはヲヌーに信頼をおいてはいなかったが、それを事実として信じたい気持ちが働いて、心は落ち着いてきた。
「……そうですか。けれど、やっぱり……」
リヒュが無事だとしても、父やソニナのこともまだ残っている。
「やめといたほうがいいですよ」道を塞ぐように、カヅッチが前に出る。「半人はもう人間じゃないんです。お嬢様は先程、人道的、なんて言葉を使われましたが、人道なんて適用されないんですよ。捕まれば、人間としての扱いは受けません。実験材料。とことんまで情報を搾り取られて、最後は切り刻まれて終わりです。それに、ピュシスの影響で起きるこういった現象は公にされていません。あなたがもし半人ではない誰かと関わったら、その人たちは秘密を守るために何らかの処置をされてしまうかもしれませんよ」
ロロシーは考える。いくら止められようと、帰ることはできる。なにせ、自分はこの場で最も強い。立ち塞がるカヅッチを一撃で昏倒させる自信があった。たくさんの半人が広場にいるが、突破するのは簡単。そう自分のなかの半身が教えてくれる。けれど、そうして半身に身を任せることを、ロロシーは躊躇った。
そんな時、「ごあんなーい」というスウの明るい声が聞こえてきた。