▽こんこん7-4 追う者たち
病院の廊下でレョルとビゲド警部は足早に歩きながら、冠を警察用回線に設定して、お互いに得た情報を交換する。
『目撃者はゼロなんだね』ビゲド警部が、声を使わない通信会話で尋ねる。
『ええ。いつも通りです』
犯罪が発生した場合、惑星コンピューターが、付近にいる市民の冠に偽の感覚情報を送って、暴力の現場を目撃させないようにすることはしばしばあった。カリスは人間を守るように動く。肉体だけでなく心も。それは精神的なショックから市民を守るための措置であり、容認されている。
ビゲド警部は病院の受付に寄ると、リョルと通信会話しながら、器用に看護師と口頭会話をして、リヒュの病室にあった鉱石を預けた。
『それで、この洗濯をしたって話が重要証言?』
『そうです。血痕が冠の誤認識で汚れに見えたんですよ』
『カリスも困ったことするね』
『俺は正しいと思います。市民が知ったら暴動が起きますよ』
レョルはビゲド警部は表向きの態度として遺憾を表明しているに過ぎないと考えていた。食えない男、というのがビゲド警部に対するレョルの評価。
ビゲド警部の犯罪者に対する態度には妙な部分があった。容赦ない狩人のように追い詰めることもあれば、わざととしか思えないような手抜きをして逃がしたりもする。その基準や理由を、レョルは、はかりかねている。もし逃がしたりしても警察上層部から責められたりはしないように、抜かりない手回しをしているあたり、計算ずくのようで、一方では感情に身を任せて行動している風に感じることもある。どうにも、とらえどころがない。
何か裏の顔があるに違いない。それだけでなく裏の裏の顔も。三つぐらいの顔を持って、使い分けていてもおかしくない、油断ならない男。けれど、それだけに、利用できれば役に立ちそうな男でもある、とレョルは考え、弱みの一つでも握れないかと、懐に飛び込むタイミングを窺っている。だが、相棒として長く行動を共にしていても、なかなか隙は見つからない。
病院を出て、灰色の街を歩く。空には第一衛星が昇りかけているところだった。
『問題はさ。隠蔽した情報を、わたしみたいな捜査担当者にも渡さないってことだよ』
ビゲド警部が話を続ける。警察官お決まりの愚痴。しかし、これもポーズに過ぎない。本当は気にしてなどいないくせに、とレョルは思う。仕返しのように模範的な警官然とした態度を心に纏う。
『渡せない、というのが正しいでしょう。周辺の記録映像などの抹消についてはカリスは手を下していません。ピュシスを隠蔽している者、恐らく開発者、の仕業ですから』
『カリスが探せないものを、わたしらが探せるのかねえ。どこのどいつがこんなソフトを作ったのか、微塵も分かってないのにさ』
『やるしかないのが現状です』
『わたしは無駄なことをしているような気がするよ。研究者たちに玩具を集めているだけだ。その玩具もすぐに壊されてしまう。せめてもう少しカリスと連携がとれれば別だと思うんだけれどね』
『銃を大事に手入れしても、話しかけたり、相談したりする警官はいないでしょう。同じことです』
『銃に捜査させる警官もいないだろうけどね』
『ごもっともですが、俺たちは結局、捜査しているようでいて、カリスの眼の一つになってるにすぎない。銃口を動かしているのは常にカリス。引き金を引くのもカリスです。自由なようでいて、その自由というのは自由落下運動の自由。空からカリスが落としたボールが俺たち。研究者たちもボールの一つです』
翼でも生えなければ、そこから逃れられない、とレョルは心のなかで付け加える。
『若いのに達観してるね』
『警部もそれほど年を取ってはいないでしょう?』
『しょっちゅう老けて見られるんだ。この腹回りの所為かな』
『警部という肩書の所為ですよ』
『なるほどなあ』
ビゲド警部はぽっこりと張り出している腹を撫でながら、
「ちょっと腹ごしらえしようか」
と、通信会話を中断して口を動かす。
「それなら近くに食物店があります」
冠で位置を示すと、ビゲド警部はのっそりと足を向けはじめた。
「さっきの子、妹さんのお友達なんでしょ?」
「そう言っていましたね」
「そんな態度じゃいけないよ。優しくしてあげなきゃ。妹さんに嫌われちゃったらどうするの」
「もう嫌われてますよ」
言い放って、口頭会話を遮るように、通信会話を再開する。
『記憶がないという被害者の証言は信用できますか』
『まあ、あんな大怪我したら、ショックで記憶が飛んでもおかしくないんじゃないかな。襲ったのは間違いなく大型肉食獣だよ。怖ろしいね』
『もう使われていないような部屋にいた理由は?』
『仕留めた獲物を隠すのはよくある動物の習性だよ』
『しかし、あの部屋の扉は内側から破壊されていました。それはどう説明します』
『いい目の付け所だね。けれど、たまたま扉が開いていたのかもしれない』
『入って冷静に扉を閉じたとでも? それで出る時は壊した、と仰るわけですか』
『どうかな。さっき言っていたピュシスの開発者? が手助けとして開け閉めしたのかもよ』
『あの部屋で半人が生まれたんですよ。リヒュと一緒にいた誰かがピュシスプレイヤーだった』
『その可能性もあるね』
『他の可能性があるなら教えてもらえませんか。もしも、覚えてない、というリヒュの証言が嘘なら、同じくピュシスプレイヤーかもしれない』
『あの子は嘘をついてるようには見えなかったけどな』
『半人を目撃しているなら、それなりの処置が必要です』
『必要ならカリスが勝手にやるでしょう。そういうことに関しては手が早いんだから』
通信会話をしている内に食物店に到着した。無人かと思えたカウンターをビゲド警部が覗き込むと、老婆が台の下から首を伸ばして見返してくる。カウンターの内側にフォトパネルが飾ってあった。先日プロチームに所属してデビューしたクァフの写真。ビゲド警部はそれをちらと見て眉を顰める。
「注文は」
愛想のひとつもない、しわがれた声。食物と水を二人分頼んで、店内で食べていくことを言い添える。支払いを済ませると同時に、トレーに乗った商品が出てきた。それを持って道路に面した席に二人して腰を下ろした。
外の人通りを眺めながら、各々の冠を操作して、無味乾燥とした食物と水に味と風味を設定して味わう。
『近いうちにドードーに面会したいんですが』
食事をしながら、藪から棒にリヒュが言った。
『奴さんの何が気になるんだい?』
『遺跡の最深部の話です』
『わたしはもう飽きるほど聞いたよ。署のデータベースで検索すれば、わたしの書いた調書がいくらでもあるはずだけどね』
『全て目を通してますよ。どういった人物なのか直接会って確認しておきたいんです。一度、研究機関に足を運んでみたいとも思っていました』
『記録以上のことは得られないと思うけどね。見た目も、声も、手触りも、匂いも、記録と一緒だよ。まあ、申請はしておいてあげよう』
『ありがとうございます』
『熱心なのはいいけど、あんまり特定の犯罪者に入れ込むのはよくないよ』
『肝に銘じておきます』
『ああ、あと、ドードーの奴、自分が剥製にされるんじゃないかって怖がってるから、刺激しないように』
『ええ。分かりました』
レョルは研究機関に収容されている半人の数々を思い浮かべる。動物や植物に変質しかけている人間たち。その存在はレョルやビゲド警部のようにピュシスに関する捜査を行う警察官や、隔離された半人の研究に携わる一部の者たちにしか知らされていない。
半人たちは明るい場所や人混みを避ける傾向があり、普段、人目につくようなことはなく、もし人前に現れたとしても、精神病患者として処理されるのみで、真実を知らない者はピュシスというソフトが影響しているなどと思いもしなかった。
程度の軽い者は、まず嗅覚や聴覚が獣に近くなる。植物族なら動作が鈍くなる。それだけでは見た目にも人間と変わらない。程度が進んでくると見た目にも分かるような変化が現れるが、そこまでくると本人たちも自覚しはじめて隠すようになってくる。ピュシスプレイヤーを保護する何者かの干渉もあり、捜査は進展しては後退することをくり返している。ひどい時には視覚偽装などでピュシスプレイヤーの存在がまるごと隠されたりするので、冠を外して捜査にあたってはどうかという意見もあったが、能率の低下のわりに得られるものは少なく、デメリットの方が多かったので、すぐに元の捜査方法に戻された。
半人の症状が行きつく先がどうなるのか、研究者たちは知りたいはずだ、とレョルは考える。恐らくカリスも。しかし、カリスはそれと同時にピュシスを脅威だと感じ、取り締まってもいる。人類の守護者、惑星の管理者としてそうでなくては困るが、二律背反の行動指針が拮抗して、現状の中途半端な捜査体制に繋がってもいる。ピュシスとはつかず離れずの距離を取って、追い詰め過ぎず、かといって逃がさないように。もっとも、不満があるわけではなかった。そのおかげでレョルは好きに動けている。
レョルが物思いにふけっていると、食事を終えたビゲド警部が立ち上がって、冠を操作した。
『血痕の件、辿ってみようか。ルートはどう』
『もうまとめてあります。先程、送ったデータに添付してありますよ』
『ああ、ほんとだ。いつもながら仕事が早いね』
『恐縮です』
ビゲド警部はレョルが集めた情報から、リヒュを襲った犯人が工場地区の方へと向かった可能性が高いことを確認する。
同時にここ数日にあった捜索願や失踪届にも目を通す。これだけ冠で管理されていても、行方不明者は後を絶たない。そのなかに半人となった者が混ざっているはずだが、そうでない者のほうが圧倒的に多い。家出や迷子といった些細なものから、奴隷という犯罪組織によるかどわかしなど、理由はピンからキリまである。攫われた人間がどうなったのかはまるで不明。絶対に帰ってこないという点だけが共通している。他にも冠の機能がダウンする空白地帯に踏み込んで、そのまま脱出できずに消えてしまう人もいる。
空白地帯は現れては消える幽霊のような現象で、機械惑星から遠く離れた複数の恒星の活動の影響で発生していると言われているが、詳しい原因はまだ分かっていない。今までに蓄積された記録によって、ある程度の予報がなされてはいるが、外れることもままある。機械惑星には、人間が住むための開発が施されていない場所がまだまだたくさんある。空白地帯に迷い込んで、冠を使えないことにパニックを起こした者が、未開発地区へ消えるという事件がくり返し起きていた。
未開発地区には奴隷のねぐらがあるとされている。何度か調査もされているが、過去に迷い込んだとおぼしき者の朽ち果てた遺体が見つかるばかりだった。開発を進めるべきだという声は高まっているが、老朽化した地区の修復と並行するには資源が圧倒的に足りておらず、足踏み状態になっている。
店を出たビゲド警部はリョルの様子を見て、
「なにか、いいことあった?」
と、尋ねた。ビゲド警部は、このところレョルの雰囲気が少し変わったことに気がついていた。ちょうど今、担当している事件が起きた後あたりから。あの時も、遅れて合流してきたレョルは、陰惨な事件だというのに、口に油をさしたようにいつもより多弁だった。
「ええ。すごく、いいことがありましてね」
「なにがあったのかな?」
子供をあやすような調子に、レョルは嫌そうな顔をして、
「個人的なことですよ」
と、だけ答えた。