●ぽんぽこ6-4 Jack in the box
アフリカハゲコウは本拠地に迫る小さな影を追っていた。散発的に攻めてきていた敵の小動物を排除し続け、残った最後の一匹。
夜の草原に落ちるハゲコウの大きな影の下。ジグザグに経路を走る薄茶色の獣が、大きな耳を揺らしながら、長い後ろ足を使って、一跳びで驚くべき距離を進んでいた。トラの群れに所属するジャックウサギ。俊足の肉食獣たちを振り切るべく進化した、非常に優れた走力。
その走行速度はハゲコウの飛行速度を凌駕していたが、ハゲコウは悠々と追いつく。障害物のない空路を進んでいることはもちろん、ハゲコウには敵の視覚と聴覚を奪う悪魔シャックスの神聖スキルがあった。全方位、真後すら見えるという草食動物のなかでもトップクラスの視野を持つウサギの視覚情報も、大きな耳で察知する聴覚情報も今は失われており、ジャックウサギは何度も道を外れながら、がむしゃらに走っていた。
しかし、ジャックウサギにはまだ嗅覚が残されていた。ウサギはイヌにも近い優れた嗅覚を持っている。大回りしながらも、鼻を使って着実に拠点方向へと向かっていた。
丈の長い草、まばらな樹々、転がる岩々に行く手を阻まれながらもジャックウサギは進み続ける。ハゲコウは狩るタイミングを計りながら、その行く先に目を向けた。
本拠地から見て北北東の方角。ブチハイエナが定めた最終防衛ラインの一回り外側、アカシアの植物族が生える第二防衛ラインにもうすぐ到達する。アカシアが敵の接近に気がつき、通すまいとその樹々の密度を増した。鈴なりに咲いた玉のような黄色い花々が星明りに照らされ、甘い香りが夜を彩る。
アカシアの姿を確認して、ハゲコウは決断する。仲間と合流し次第、そこで仕留める。
草原に根を下ろすアカシアの林にジャックウサギが踏み込むと、間を置かず上空からハゲコウも飛び込んだ。同時に、アカシアはハゲコウに能力上昇効果を、ジャックウサギには能力低下効果を与える。
狙いを定め、ハゲコウは空から急降下した。風が禿げ上がった頭を撫で、翼によって切られていく。長い首が伸ばされ、尖ったくちばしが地面に向けられる。ピンク色の喉袋を揺らしながら、猛禽類の動作を真似るように、ハゲコウが飛翔した。
ウサギは視覚と聴覚を封じられながら、嗅覚と空気の震えによって上空からの攻撃を察知する。素早く鼻先を辺りに向けると、傍の地面に穴が空いていることに気がついた。大きな後ろ足で跳躍し、前足で土をかき出して、穴の奥へと潜り込む。
しかし、入ってすぐに行き止まりに突き当たった。阻んでいるのは土ではなく樹の根。アカシアが根を伸ばし、立ち塞がったのだった。ジャックウサギは発達した前歯で根を齧って、逃げ道を確保しようとする。しかし、道が開通するよりも早く、ハゲコウの長いくちばしが穴に隠れるウサギの体を捉えた。小さな体がほじくり出される。ハゲコウは土にまみれたウサギを咥え、夜空に舞い上がった。
「無礼者!」
ジャックウサギが喚き、毛衣についた土をまき散らしながら激しく身もだえする。そうして歌うようにスピーカーから呪詛の言葉を垂れ流しはじめた。
「……呪われろ。呪われろ。頭の中の一本足の馬が、葡萄ジュースを作り続ける。糸に解けて、目ん玉は萎む。臓腑はとろけてパンになる。全身からミミズを噴き出せ。裁きに震え、燃えあがれ……」
ハゲコウはジャックウサギの意味不明な文言に強い異常性を感じ、一刻も早く仕留めようと、くちばしに込める力を強めた。長いくちばしに挟まれたウサギの体力は減少し、それと共に毛がはらはらと抜け落ちて、毛の塊が風に乗って胞子のように漂った。ハゲコウのくちばしは、ウサギの胴体をがっちりと押さえつけていたが、頭と足先はその外に飛び出している。ウサギの頭が不意に、ハゲコウの方を向いた。その顔は老爺のような渋面へと変化していた。
その異様な変調を目にしたハゲコウは、何かするつもりだ、と気がついた。何か、とは神聖スキルの予兆。できるだけ本拠地から離れるように進路を向ける。大きな羽音を響かせて、月から逃げるように、全速力で空を翔けた。
音が、サバンナの夜を引き裂いた。あまりにもピュシスに似つかわしくない音。兵器が鳴らす死への誘い。一発の銃声。それはハゲコウの胸を貫き、肉をこそぎ取り、空に浮かぶ星の一つと同化するように消えていった。
悲鳴を上げることもできぬ突然の死。くるくると羽毛をまき散らしながら、坂道を転がり落ちるように大きな鳥が墜落する。ジャックウサギのけたたましい哄笑が昇る月を包み込む。ウサギはハゲコウと共に地面に落下し、岩に激しく打ち付けられて、その僅かに残っていた命も一瞬にして尽きた。
銀色の人影が感情のない硝子の瞳を向け、ふたつの死体をセンサーで感知し、命がゼロであることを確認した。敵性NPC。機械に憑くという妖精グレムリンの神聖スキルでジャックウサギが呼び寄せたピュシスの死神。その手には黒鉄の猟銃が握られ、銃口からは紫煙がゆるゆると夜霧のように立ち昇っていた。
オートマタは装備している猟銃に弾を装填したが、ジャックウサギの体力が尽き、神聖スキルの効果がなくなった今、サバンナの本拠地へ向かうことはしなかった。微かな駆動音を夜の静寂に響かせながら、振り返って、サバンナの縄張りの外側への最短距離、北へと足を向ける。
カツン、カツン、と蹄の音とも違う、硬く、冷たい音が、枯れ草色の低草が生い茂る草原を抜けていく。それを越えた先にある、赤々とした大地へとオートマタは分け入っていった。