▽こんこん5-2 メロディ
ギーミーミが良い席だと言っていた通り、全体が見渡せて、コートにも近い席だった。会場の中央前方。コートの整備をしているオートマタの作業音もかすかに聞こえるような位置。
リヒュは知らなかったが、歴史ある競技場らしい。機械惑星が作られた初期からある建物。ところどころ老朽化してはいたが、改修をくり返しながら使われ続けている。
かなり多数の競技に対応できる競技場で、今日行われるバスケットボールの試合に合わせてコートが区切られ、バスケットゴールが設置されている。ボールは物理ボール。ゴールも本格的な物理ゴール。公式大会なので当然だが、冠で視覚を騙して作った疑似ボールの、疑似ゴールではない。コートの周りにはあらゆる角度のカメラが設置されており、観客は冠で好きなカメラに接続して、その映像を見ることができる。もちろん自分の視覚だけで楽しんでもいい。そうする場合は冠の望遠補助を使用することが推奨されていた。
三つ並んだ席の真ん中にプパタン、両隣にギーミーミとリヒュ。プパタンが真っ先に真ん中に座ったのでこういう形になった。
席に腰を下ろしたリヒュは一息ついて、既に疲れている体を休める。今日、集合場所である学校前からここまで、プパタンの手をずっと引いていたのだ。必要なかったのかもしれないが、ロロシーがそうしているのを以前見かけていたし、プパタンはとにかく歩みが遅くて、目を離すとどこかに行ってしまいそうな雰囲気があった。メョコのように方向音痴ではなさそうだが、ゆっくり、ゆっくり、と足裏が道路に吸着して、それを引きはがすような歩き方。
輸送箱、と呼ばれている街中に張り巡らされた空中レーンを伝って走る乗り物の予約をしていたが、あわやその時間に遅れてしまうところだった。乗り場に到着してギリギリで箱に飛び込んだ時は冷や汗もの。ギーミーミがプパタンは荷物のように抱え上げて乗り込ませた。
それにしても、とリヒュは隣に座るプパタンを見る。プパタンの服装はいつものように着崩れておらず、心なしかきちっとしている。おしゃれをしてきたという風でもある。くせっ毛に押されて傾いているが、髪飾りもつけている。聞くタイミングを逃してしまったが、そんなにバスケットボールが好きなんだろうか。全くもって意外。運動が好きなイメージはない。しかし楽しみにして来たというのはよく分かった。
その証拠として、客席に座ったプパタンは空ではなくコートに目を向けている。競技場の中央上は大きな開口部で、その下を開放的な空間にしている。第一衛星の明かりをそのまま取り込むデザイン。今も第一衛星が見えている。太陽とは違い、直接見ても目が焼かれるようなことはない、暗くはないというだけの明るさ。
競技場というものにはじめて来たリヒュは、雨が降ったらどうするのだろう、と考えて、機械惑星には雨がないという事実を一瞬忘れていたことに驚いた。ピュシスとは違い機械惑星には、雨も、雲も、風もない。もし迂闊に口にでも出していたら、と想像すると肝が冷えた。
「バスケットボールは人間が機械惑星に住みはじめる前から行われていたっていう、伝統的なスポーツなんだ」
開会式がはじまる前の空白時間にギーミーミが熱心に語るが、リヒュは話半分、プパタンは聞いているのかどうかも怪しい。
「それってどのくらい前なの?」とリヒュ。
「一応、原点惑星からあったという説が有力で、資料もあるらしいけど、試作機械惑星時代とか、半機械惑星がごろごろしてた時代からだって言う学者もいるみたいで、はっきりとはしてないかな」
「ふうん」
原点惑星、つまり地球にあったなら、動物が存在していたのと同時期ということだろうか、とリヒュは気になったが、先程のこともあるのでピュシスに触れそうな話題は避ける。そうして、
「粘球は?」
と、思い浮かんだことを聞いてみた。
「粘球の歴史は浅いよ。人気はあるけど、運動量は低いし、見応えというか、熱気というか、そう言うのがやっぱり古い競技と比べたら違う。競技性もまだまだ改善の余地があると思うね」
リヒュは正直なところ、バスケットボールより粘球のほうが好きだったが「そうだね」と同意しておくことにした。粘球は、非常に高い粘性と可逆性を持つ特殊なボールを使う球技で、ボールの形状を変えながら敵味方間に設置された、形を常に変えるゴールに潜らせるという競技。ボールを変形させる芸術性と、正確にゴールを通す身体能力が求められる。
話している間に開会式がはじまった。会場専用の端末に観客全員の冠が繋がれて、華やかな映像が音楽と共に流される。視界のあちこちにデジタル宣伝画像が張りつけらるが、資金提供をしている企業や団体のものなので、これらを遮断することはできない。選手入場。生身の選手たち。クァフの姿も見える。続いてスポーツ協会の代表という人物が現れる。これは生身ではなく立体映像。
宣誓など、諸々の行事が終わると、束の間の休憩。わっ、と会場が騒がしくなったが、冠がノイズを省いてくれるので、それほどうるさくは感じない。少し前方から聞きなれた声がした。目を向けると、灰色から更に色が抜けて灰そのものに近くなっている老婆。ピッソ婆が最前列に座っていた。かなり気合の入った応援態勢で、ぎょっとして目を逸らす。逸らした先にはピッソ婆の食物店で店員をしている女性が、オートマタに混じって、売り子として働いていた。髪を留めているピンを会場の照明でピカピカと輝かせながら、食物と水を売り歩いている。全てオートマタに任せればいいのに、とリヒュは思ったが、頻繁に声を掛けられている姿を見ると、やはり売り上げが違うのかもしれない、と思い直す。
プパタンがそわそわしはじめたので「どうかした?」と聞いてみると、冠で水を注文したけれど届かないらしい。混雑しているからだろう、とギーミーミが売り子のところまで駆けていって、すぐに買って戻ってきた。するとちょうどプパタンが注文していた水をオートマタが運んできて、二つになってしまう。
自分の買ってきた水を見つめてどうしようかと考えているギーミーミにプパタンは「ありがと」とお礼を言うと、両手に水の入ったコップを持って、平然と二杯分を飲み干した。
試合がはじまる。クァフの所属チームの試合。クァフはベンチではなくスタメン。はじめからコートに出ている。周りの選手はそれと同等、もしくはそれ以上の背丈。闘志を滾らせた巨人たちが並び立つ様を見るだけで、リヒュは圧倒されていた。
開始の合図。ボールがコートのなかを行き交い、選手たちの足さばきで奏でられる軽快な靴音が響く。リヒュはプロのバスケットボールの試合見るのは初めて。その展開の速さに頭がくらくらしてきた。何度もボールを見失ってしまう。
基本的なルールしか知らないリヒュは会場の端末と冠を接続して、試合の流れの解説を見るが、元々の知識が乏しいので、余計に混乱してしまう。ギーミーミが興奮した様子で喋り続けている解説のほうがよほど分かりやすかったので、そちらに耳を傾けて、点数以外の表示は消すことにした。プパタンもギーミーミの解説をきちんと聞いているようで、微かに頷きを返している。
ギーミーミはクァフのチャンスの度に「おお!」とか「行けっ!」と手に汗握る応援を飛ばしていたが、流石プロの世界だけあって、新人がすぐに活躍するのはなかなか難しいらしい。それでもギーミーミの解説によると、なかなか健闘しているみたいで、味方のチャンスに貢献できているようだった。クァフの表情は試合前に会った時とは打って変わって引き締まっており、公園で一緒に試合をした時よりも更に鋭く研ぎ澄まされていた。この人はやっぱり選手なんだな、とリヒュは心の中でナンパ師に位置づけられかけていたクァフを、選手の位置へと置き直す。
開幕の激しい攻勢が緩やかになってくると、ギーミーミの解説も落ち着いてきた。すると、合間に世間話めいたものも入り混じってくる。
「プパタンはバスケ好きなのか?」
今までなんとなくされていなかった質問がされる。プパタンは頷き、
「メロディが聞こえる」
と、ぽつりと言った。
「メロディ?」ギーミーミが首を傾げて、耳をコートに向ける。リヒュも同じような動作をした。選手たちの足音、ボールが跳ねる音、ゴールリングが震える音、それを取り囲む声援。
見るとプパタンの指は滑らかに膝を叩いて、ピアノの演奏でもしているかのようだった。リヒュは以前、プパタンの双子の弟のネポネから聞いた話を思い出す。二人ともピアノを演奏するのだ。しかもかなりの実力らしい。冠を少しだけ操作して、プパタンの指の動きを録画してみる。不意に湧いた好奇心。指の動きをピアノの鍵盤に当てはめるように冠に計算させる。出てきた楽譜を元に音を再生。頭の中に直接音が響く。美しいメロディ。何と言う曲だろう、と気になって、音楽データベースに接続して検索。応答待ち。検索中の表示がしばらく続いて、一件がヒット。作曲者はネポネ、となっていた。検索すると、他にも何曲か、ネポネが作曲したという曲が見つかる。ゴャラームから、ネポネがピアノの賞をとったという話は聞いたが、作曲もできるなんてすごい才能だ、とリヒュは感心する。
そんな横で、ギーミーミとプパタンはバスケットボールの魅力について語り合っていた。とはいえ喋っているのはほとんどギーミーミ。しかしプパタンもいつになく饒舌だった。
「空を飛んでるみたいでしょ」
と、プパタンが言って空を見上げた。コートからメロディが聞こえるなら、プパタンは第一衛星からもメロディを聞いているのかもしれない、とリヒュはちらりと考える。
「空かあ。確かにすごい跳躍力」
さりげなく会話に参加して、プパタンの言葉に同意を示しながら、もしこの人たちがピュシスをプレイしたら鳥類になるのだろうか、とリヒュはまたしてもピュシスに思考が引っ張られていた。足は使っているから、どちらかと言えば跳躍力に優れたネコ科の方が妥当か。いや、チームワークが必要な競技という意味ではイヌ科が適しているかもしれない。例えば、オオカミのような。
益体もない妄想が広がりかけたが、プパタンの「うらやましい」という声で中断される。
「あんなに跳べたら気持ちいいだろうね」
リヒュが言うと、こくり、とプパタンの首が揺れる。
「今度練習するか? 一緒に遊ぼうぜ」
ギーミーミが誘うと、プパタンは俯いてしまって、
「見るだけでいい」
「そっか。でもホントに飛んでるみたいな選手が稀にいるよなあ。流れるようなダブルクラッチを見ると興奮するよ。あっ、ダブルクラッチっていうのは空中でボールを動かして妨害を躱してシュートを打つことで……」
身振り手振りを交えながら説明して、試合が動き出すと、またそちらの解説に戻る。
リヒュはそんな忙しないギーミーミの様子を見て、本当に好きなんだな、と少し驚いていた。前にギーミーミが選手を目指しているという話を聞いた時には、単に経済的な理由だけが動機なのだと思った。しかし、そうではないことを知った今、途端にギーミーミが眩しく見えてしょうがなかった。
第1Q、第2Qが終わって休憩時間に入る。
「ずっと座ってばかりで疲れたから、少しロビーの方で体を伸ばしてくるよ」
リヒュが席を離れようとすると、ギーミーミがコートを指差して、
「ハーフタイムショーってのがあるんだぜ。見ないでいいのか」
「ああ。うん。まだ半分残ってるわけだし、休憩優先かな」
「分かった。プパタンはどうする?」
「見る」
「じゃあ一緒に見よう」
リヒュは一人客席を立って、階段を上る。ロビー方面の廊下に繋がる出入口に到着すると、一度振り返ってみた。沢山の灰色の人々が活発に、楽しそうに蠢いている。応援する方も、される方も、なんとも生き生きと輝いている。
それは、リヒュにとって居心地のいい場所ではなかった。