▽こんこん5-3 眠り姫
「あら。リヒュ」
競技場の廊下でロロシーとばったり会った。なんだか急いでいる様子だったので「ああ」と手を上げて、通り過ぎようとしたが、
「ちょっといいですか?」
と、呼び止められる。
「なに?」
「少しだけお時間をいただけませんか? ハーフタイムが終わるまでに済みますから」
返事も待たずに歩いていくロロシーの後ろを、リヒュは仕方なくついていく。
「プパタンはどんな様子です?」
「今はギーミーミと一緒にハーフタイムショーというのを見てるよ」
「そうですか。楽しんでいるならなによりです」
ロロシーが冠をしきりに操作しているので、思わずリヒュも冠に手をやって、何か連絡がないかと確認をした。特に緊急の連絡やニュースはない。確認ついでに今の時刻に目をやって、ふと、リヒュは思いだす。
そういえば、ライオンとトラの群れの群れ戦はどうなってるんだろうか。時間的にはそろそろ佳境。群れ戦開始から終了までの、四分の三ほどの時間が経っている。攻略側のトラが勝っている場合は、もう終わっている可能性もあるが、防衛側のライオンが頑張っているなら、まだ続いているはず。
ちくり、と胸が痛む。トラの指示で潜入させられているライオンの群れの、仮初の仲間たちを手助けしてやりたい気持ちもあったが、トラがそうもさせてはくれなかっただろう。それにカワウソに化けたままだと、水場の少ないサバンナでは大して役に立たない。それでもいないよりはマシだっただろうか。いや、トラに利用されるぐらいなら、いない方がマシだったに違いない。リヒュはそう考えて、正しい判断だったと強引に結論付ける。
連れて行かれたのは古ぼけた扉の前。関係者用の通路を通った先。鍵がかかっていたが、ロロシーが冠で操作すると、いとも簡単に開いた。狭い部屋。いくつもの操作盤が壁面に取り付けられている。しかし、いずれも稼働してはいない。改修をくり返しているうちに、使われなくなった部屋のひとつらしい。
室内に入ると、急にロロシーが振り返って、後から入って来たリヒュの顔を覗き込んだ。リヒュは思わずのけぞる。同時に、背後で扉がバタンと閉まった。
「わたくし、寝たいんです」
「は?」
リヒュが目を白黒させながら硬直していると、
「見張っててもらえますか?」
と、ロロシーは壁際に置かれていた長椅子の座面をそっとハンカチで拭って、そこに腰掛けた。背筋を伸ばして、目を閉じる。
リヒュは、ロロシー、背後の扉、操作盤、それから部屋のあちこちにある朽ち果てた工具へと所在ない視線を巡らせる。それからロロシーが座る長椅子の置かれた壁側に移動すると、椅子には座らずに、その横に立ったまま壁に背中を預けた。
ハーフタイムが終わるまでかからないと言っていたが、一体どれくらい見張ればいいのか、なぜ見張る必要があるのか、そもそも普通こんな場所で寝るか、と、リヒュはもやもやと矢継ぎ早に思考を巡らせる。よっぽど疲れてたのかもしれない。わずかな睡眠でもとりたい時は確かにある。けど、自分ならもっとましな場所で寝る。
しかし、見張りを頼まれたこと自体は、そんなに悪い気分ではなかった。僅かながらでも、信頼されているという証拠。リヒュという個人を信頼しているというよりは、メョコの友人、というメョコに依存する部分が大きいかもしれないが。
外の廊下を誰かが歩く音がした。オートマタではない。人間の足音。耳を澄ます。二人。誰かと誰かが鉢合わせして、会話する。
「ロロシーを見かけませんでしたか」
ロロシーの父親、ロルンの声。
「娘さんですか。いいえ。作業がひと段落したので、会場へ行ったんじゃないでしょうか。今はハーフタイムショーをしていますから」
しっかりとしたビジネスマンといった調子の声。
「なるほど。少し見に行ってみます」
「ええ。ぜひ楽しんでください」
足音が別れていく。
探されてるじゃないか、眠りを邪魔されないように見張ってくれということか、とリヒュは悪事の片棒を担がされた気分になる。そして、ロロシーがここまで睡眠に駆り立てられているというのは、なんだかおかしくもあり、少し笑ってしまいそうにもなった。
逃げてくるほど疲れていたのか。しかし、ロロシーの父親に本人が頼めば、作業を中断して帰してもらえるような気もする。ロロシーに任されているオートマタに関する作業がどんなものかは知らないが。あの父親なら許しそうだ。
眠るロロシーの顔に目を向ける。作り物のような姿勢の良さ。待機中のオートマタを思わせる。眠っているというより目を閉じて集中している、といった風。長い睫毛がぴくりと動く。本当に寝てしまったらしい。夢でも見ているのだろうか。それにしても、とても体が休まる寝姿には見えない。
こんなに間近で人が寝ている姿を見るのは初めてのリヒュは、それを意識しはじめて、にわかに緊張してきた。獣のように鋭敏になった感覚が、ロロシーの吐息を聞き取り、髪の香りを嗅ぎ取っていた。
そこから意識を遠のけるように、その寝姿を己の寝姿に転換して、眠っている時、自分はどんな状態なんだろうかと、リヒュは想像してみる。
死体はよく眠っているような、と形容されるが、眠っている自分は死んでいるのに近いのだろうか。意識がない状態で神経だけが働いている。神経が働いていれば死体ではないか。しかし、意識だけで言えば、毎日死んで生き返ると言う風に捉えることもできそうだ。でも、もし夢を見ていれば、その時は意識があるとも言える。意識が生きている。夢の中で考えて行動するという体験に覚えがある。その場合は意識があって、神経も働いている。肉体は動いていないが、起きているのと大差ないような気がする。そう考えれば、ピュシスにログインしている状態は、眠って、夢を見ている状態に近いのかもしれない。
愚にもつかないことを延々と考えながら、またロロシーに目をやる。頭がかすかに前に倒れて、長い髪の房がとろりと垂れて、肩から落ちた。
ピュシスにログインしている自分は、傍から見ればこんな状態なのかな、とリヒュはロロシーをまじまじと見る。
そんな時、リヒュは冠にニュースの通知があるのに気がついた。重要度が低い、と分類されているニュースなので気がついていなかった。選択して、内容文を表示させる。
奴隷と名乗る犯罪グループが、機械惑星に帰還途中の資源採掘員を乗せた宇宙船をハイジャックしたとの声明を発表。宇宙船は第三衛星に進路を向けて速度を上げ、船体と第三衛星を衝突させようとしたが、第三衛星の防衛機能によって、その遠方で撃墜。第三衛星に一切の被害はなかった。
リヒュは息を呑んだ。資源採掘員。穴掘り屋。遠い惑星に採掘に行っている母親。いつ帰るとも、生きているとも知れない存在。
すぐさまその宇宙船の乗員について調べる。しかし、どこにも情報がない。助かったのかどうか。誰が乗っていたのか。何も分からなかった。第三衛星の無事を強調する情報ばかりが大量に溢れている。
冷静でない自覚はあった。しかしその自覚は冷静でない心によって隅に押しやられ、リヒュはひたすらに情報を求めていた。繋がったためしのない母の連絡先に接続しようと試みたが、やはり繋がらなかった。口座も確認してみるが、その数字の羅列から読み取れる情報はなかった。
自分でも理解できない感情の動きがあった。もう死んだも同然、と母のことについては思っていた。父が死んだ時のように、遥か彼方の採掘惑星で死ぬか、既に死んでいるのだろう、と。けれど、こんな近くで、というだけで、心がざわつき、自分でも滑稽なぐらいに取り乱していた。自分のことながら、全くもってわけが分からない。
「……ううん」
と、ロロシーが寝言のような微かな声をこぼしたのを聞いて、リヒュは息をするのを思い出す。すう、と肺を機械惑星の空気でいっぱいにする。不純物がなく、綺麗で、爽やかではない空気。そうして、何をしてるんだ、無駄なことを調べるのはやめるんだ、と自分に言い聞かせる。
僕はそんな奴じゃないだろ。母親なんてどうでもいい。父親がどうでもいい人だったみたいに。そうじゃないか。適当に嘘をついて、その場を取り繕えればそれでいいって、その程度の奴だろう。機械惑星で普通に死ぬのが夢の、それだけしかない奴だろう。ほら、座って、落ち着くんだ。
ロロシーの隣に腰掛けて、頭を抱える。尖った爪が、今この瞬間も伸び続けているように感じる髪をかき混ぜ、耳を引っかいた。
瞼を強く閉じて、開いてみる。良く見える。見えすぎるぐらいだった。耳も、鼻も、利きすぎる。獣のように。キツネのように。
やはり、今日はピュシスにいるべきだったかもしれない。リヒュはログインしたいという衝動を持て余し、傍で眠るロロシーの規則正しい鼓動だけに耳を傾けた。そうして、じっと身動きが取れないまま、暴れ出そうとする自分の心を懸命に押さえつけ続けた。




