●ぽんぽこ3-8 決着
丘に登るとトムソンガゼルが言っていた通り、カバノキの森が見えた。森の中央にゴールを示す眩い光の柱がある。視線を斜めに動かすと、最後に通り抜けるべき拠点がすぐに見つかった。ライオンに化けたタヌキはそちらへ向かって歩く。
斜面を下ると、やきもきしていた様子のトムソンガゼルが駆け寄ってきた。
「王様! オオカミが向かったので心配してたんです」
「俺様に心配など不要だ」
タヌキは精いっぱいライオンを真似て返事する。そんなタヌキの言葉に疑いを知らない瞳が向けられた。
「そうですよね! では、拠点へ。拠点にはイヌが二頭だけ。別のパーティたちが各地で敵を引き付けてくれてます。王様なら簡単に蹴散らして通過できます。そこを越えたら川に立ち寄ってカワウソちゃんと合流してから、敵本拠地に向かうように副長さんに言われてます」
重々しく頷いて見せる。そしてライオンの言葉を思い返す。堂々としていればいい。
タヌキはこそこそしたりはせず、のっし、のっし、と足を踏み出し、正面から拠点に近づいていく。トムソンガゼルは全幅の信頼を寄せて、その背中に従った。
拠点を守る二頭のイヌはロットワイラーとシベリアン・ハスキーだった。ライオンを目視する前に、嗅覚でその接近を捉える。いよいよ姿が見えてくると二頭は明らかに狼狽した表情を見せた。神聖スキルで強化されたヒグマを倒した者を相手にしなければならないという事実が、大きな重圧となってのしかかってくる。しかもライオンはピンピンしていて、一切ダメージを負っていないようだった。
「……俺様とここで戦うつもりか、お前らでは足止めにもならんぞ!」
風が唸るような勇ましい声が二頭を襲う。確かに自分たち二頭ぽっちがライオンに立ち向かったとして、時間稼ぎにもならないだろう。こういう場合の鉄則は最終防衛ラインに集結すること。敵の群れの戦力を大きく削ぎ落せているのは確か。残っている最大戦力はライオン。ライオンさえ止めればこの戦は勝ち。群れ戦開始は陽が昇る瞬間だった。つまり今、空の上で傾いている月が沈み切ったら勝利ということになる。物量によって防壁を作れば勝てる。
二頭は同じ決断に到達すると、顔を見合わせた。じりじりと後ずさり、一気に反転。一目散に本拠地へと駆けて行く。
ライオンが拠点のパネルを踏むと通過判定がメニューに通知される。続いてトムソンガゼルもパネルを踏んだ。
川の方へ向かったが、その間、敵とは遭遇しなかった。敵はライオンを倒すために本拠地に集結している大勢と、それ以外に攻め込んできている相手を対処するために各地に散っている少数に分かれており、監視網にまばらな穴が空いた状態になっていた。
「ライオンさん。こっちです」
水面から半分ほど頭を出して様子を窺っていたカワウソが、水から上がって足元にやってくる。水が滴る顔でライオンとトムソンガゼルを見上げた。
「カワウソちゃん。大丈夫だった?」
「うん。トムソンガゼルさんも無事でよかった。あの子はもう少し川上にいるから迎えにいってあげて。タイミングは相談してあるから、そっちで聞いて欲しい」
「分かった」
トムソンガゼルが跳ねるように水場を越えていった。カワウソが「失礼します」と断ってから、ライオンの背に乗ろうと前肢にしがみついてきたので、タヌキは本物のライオンが背中に乗せてくれた時の動作を思い出しながら肩を地面に下げる。濡れた体で必死にたてがみを伝って、カワウソはやっとのことで背中によじのぼった。
「それでは、敵本拠地に向かいましょう」
ライオンがのっそりと動き出す。
「川は監視されてなかったのか」
本物のライオンが言っていた話を思い出して、タヌキが聞いてみると、
「ブチハイエナさんがうまく押し引きしてくれたみたいです。リカオンさんみたいな体臭の強い動物を各パーティに混ぜることで、進攻ルートを敵に分かりやすくして、注意を逸らしてくれたんだと思います」
「なるほどな」
ライオンが、ブチハイエナがうまくやってくれるだろうと言っていた通りであることを知って、タヌキは自分も期待に応えたいと改めて思った。そうして力強く歩みを進める背中で揺られながら、カワウソが作戦を確認する。
「もう聞いているかもしれませんが、最終確認をしておきます。わたしが合図したら目をつぶって、息を止めて、ゴールに向かって全力で走ってください。合図は背中を尻尾で叩きます。右手で叩いたら右に、左手で叩いたら左に軌道修正して下さい。わたしの限界がきたら、もう一度尻尾で合図します。それ以降はおひとりで行ってもらうことになります」
「ああっと……、詳しく聞く時間がなかったんだ。もう少しだけ話してもらえるか」
「あの子が、来てるんです」
「……なるほどな」
あの子、とぼやかして言うのは敵がどこで聞いているか分からないからだろうと理解していたので、タヌキはこれ以上質問をすることはできなかった。群れ戦開始前にブチハイエナが何か説明していたような気もするが、その時はライオンと一緒に前線に飛び込まなければならないというプレッシャーと戦っていて上の空。今更ながら、きちんと聞いておけばよかった、と後悔する。
「噂で聞いたことしかないですが、目がつぶれるらしいですからね。ライオンさんはくれぐれも気を付けて。ぎりぎりまでわたしがライオンさんの目になります」
ひそひそと背中でカワウソが言う。タヌキは作戦の概要を把握しはじめた。誰かが敵の妨害をして、その間に駆け抜ける、という筋書きのようだ。走るだけでいい。それならばやり通せるだろうと、自身を鼓舞して奮い立たせる。けれどやっぱり臆病な気持ちもどこかにあった。それに、本当に自分にライオンの代わりが務まるのだろうかという、どうしようもない不安。
本物のライオンなら……、とタヌキはあのどこまでも勇ましい姿を何度も思い描き、憂いを振り払うように、心のなかに刻みつけ続けた。
敵本拠地が見えてくる。既に嗅覚は多数のイヌの匂いを感知していた。
カバノキの森。その幹は針葉樹のようにまっすぐではなく、微かに湾曲している。とんがっていない幅の広い葉っぱが落葉して、雪の上に柔らかな絨毯が敷かれていた。
目的地である最終到着点からは光の柱が立ち昇っている。本拠地の中心。そこにタッチダウンを決めれば勝ち。
十数頭のイヌたちが壁を形成してゴールを取り囲んでいた。中央にはハイイロオオカミの姿も見える。光柱の輝きを受けて、全身が白銀に発光しているようだった。
「えらくのんびり来たな。もう終わるぞ」
オオカミが空を見上げて、月を呑み込もうとするかのように口を開いた。月はオオカミの牙を怖れるように急速に地平線に近づいており、太陽の気配がその反対側から溢れかけている。オオカミの群れ員は既に勝利を確信したように、少々浮足立っていた。王者であるライオンであっても、この数のイヌをたった一頭で相手にするのは厳しいであろうことは誰の目にも明らかだった。飛び込んでくれば一斉に襲い掛かり、そのうち一頭でも足に噛みついて動きを封じればそれで終わりだった。
イヌの群れが牙を剥き唸り声を上げる。その音は徐々に高まって、黒雲のなかで暴れる雷鳴のようにライオンに覆いかぶさってくる。
対抗するように、ごおっ、とライオンが吼えると、イヌたちの唸りを切り裂いた。それは体の芯に響き渡るような旋律であったが、この場面で怯んだりするものはいない。全員が警戒を深めて、ライオンに全神経を集中させる。
間合いを測るようにじりじりと気迫と気迫が接近してこすれ合い、火花が散りそうな張り詰めた空気が場を支配した。
勇み足のイヌの一頭が前に出ようとした時、オオカミが背後の異常に気がついた。足音、蹄、草食動物、素早く接近してくる。
「後ろっ! シベ、ロット、行けっ!」
シベリアン・ハスキーとロットワイラーがばねに弾かれたように走る。背面から現れたのはトムソンガゼル。二頭が距離を詰めようとすると、トムソンガゼルは加速して、隠すことなく高らかに蹄の音を響かせはじめた。イヌたちがその足を噛み折ろうと牙を剥く。しかし、牙が届く寸前にトムソンガゼルは急停止。それと同時に後ろ足で思いっきり地面を蹴ってお尻を浮かせるような動作をする。そうすると、トムソンガゼルの背に乗っていたものが、ぽーん、と空に打ち上げられた。
川を渡って来たらしい水に濡れた獣。川の水で匂いが洗われており、イヌたちの嗅覚はその存在を取りこぼしていた。こげ茶色の毛衣に包まれ、頭から尻尾の先までの白と茶色の帯模様。
トムソンガゼルを止めようとしていた二頭はそれを見なかった。ライオンと相対している者たちには背後のことは分からなかった。それを見たのはオオカミ、そしてその傍に控えていた紀州犬。オオカミは嫌な予感がした。その獣の姿がスカンクに似ていたからだ。紀州犬はそれがなんという獣なのか知っていた。
「ゾリラ、だっ!」
危険を知らせるべく叫んだ瞬間にはゾリラの攻撃は完了していた。光柱の真上から直下に向かっての一撃。ゾリラはアフリカのスカンクとも呼ばれる危険生物。スカンク科ではなくイタチ科であるが、同じように強烈な匂いがする分泌液を噴射する。しかもその分泌液には毒が含まれており、相手の目をもつぶすのだ。嗅覚が鈍い猛禽類や、攻撃能力を保有している植物族などに簡単に狩られてしまう弱点はあったが、今この場には嗅覚に大きく依存している動物しか存在しなかった。しかも敵は光柱を中心に固まった状態。連射はできないが一撃で十分。
イヌたちがバタバタと倒れていく。攻撃を終えたゾリラが慣性に身を任せて頭の上を飛び去っていくのを見ることもなく、ライオンは走っていた。化けているタヌキは懸命なのだが、少し不格好な走り方になっているのは否めない。しかしそれを目にした敵はいなかった。道を外れないように、まっすぐ見据えて、光柱へと向かう。ゾリラの無差別攻撃の名残で徐々に目が霞み、ついには見えなくなってしまったが、それでも前に進み続けた。
脇腹になにかが追突してきた。紀州犬。目をつぶり、息を止めて、吐き気を催しながらもライオンが来る方向を耳で察知して突進してきたのだ。ゴールの周囲は死屍累々で、あまりの悪臭に失神したり、涙が止まらなかったりと、いずれも行動不能になっている。特にオオカミは光柱の中央にいたためゾリラの攻撃をもろに受けてしまって、泡を吹いて倒れていた。
紀州犬はあまりに簡単にライオンの体を押しのけられたことに一瞬違和感を覚えたが、複数の異常状態が一気に付与されて感覚がバラバラになりそうになっており、その考えを深めることはできなかった。しかし混濁する意識のなかで、勝った、と勝利を噛みしめていた。
その直後、メニュー画面には決着したことが通知された。紀州犬は唖然とする。結果はこちらの敗北。気力を振り絞って薄く目を開けると、ゾリラとは別の濡れた獣がゴールの真ん中に立っていた。カワウソ。ライオンのたてがみのなかに身を潜めて、紀州犬の突進と同時に飛び出していたのだ。
敵本拠地に踏み込む前、ライオンに化けたタヌキはカワウソに作戦の変更を要請していた。
「役を交代しないか。俺様が目になる。カワウソ、お前がゴールしろ」
カワウソはすぐにライオンが言わんとしていることを汲み取った。ゴールするのは群れの一員であれば誰でもいい。目立つライオンではなく、カワウソがその役割を担ったほうが成功する確率は高いかもしれない。
「でもわたしだと、ライオンさんみたいに早く走れません」
「俺様が行けるところまで乗せて走る」とは言ったものの、タヌキの走力が能力値に反映されているので、本物のライオンのような速度で走ることはできない。もしそれができれば敵軍の真ん中を突っ切ることも可能だろうが、タヌキでは小型のイエイヌですら振り切れるか分からない。それを考慮しての提案だった。
「俺様の足が止められてしまったら、お前が背中から下りてゴールすればいい」
「……分かりました。そうしましょう」
群れ長からの命令であれば逆らうべくもない。カワウソは最近、ライオンの群れに加入した新参者。ライオンはもっと横暴な性格だと想像していたので、実際に会話した印象を意外に思っていた。
群れというのは大なり小なり長の力を頼りにする者が集まる性質があるのは否定できない。悪く言えばおこぼれにあずかろうということ。大きな群れであるほどその傾向は強くなる。そういう者は長にこびへつらう。手下が増えると、ふんぞり返ったり、うぬぼれて驕り高ぶる者もいる。その結果、自分を絶対のヒーローとして演出したがったりするのだ。この戦でライオンは真っ先に前線に飛び込んでいった。だから、てっきりそういうタイプだと思い込んでいた。自ら囮を買って出るなんて、聞いていた話とは違う、とカワウソは複雑な感情を抱えていた。
栄光を掴んだカワウソと、横たわり、暗闇のなかにいるライオンの目が合った。カワウソが頷くと、今は目が見えていないはずのライオンが頷き返した。カワウソは驚いて、勝利を確信して笑う口元を見つめた。そして、そこに存在する確かな信頼を感じ取っていた。