●ぽんぽこ3-7 英雄の試練
「妖怪っていうのは他にどんなのがいるんだ」
背に乗っているオポッサム、に化けているタヌキに、ライオンが聞く。
「ものすごくいっぱいいますけど、この群れで注意するとしたら犬神とか」
「イヌの神様か。そいつはやばそうだな」
「いや、神様なのかなあ? ぼくの知ってる話だと、首だけ外に出した状態でイヌを地面に埋めてから、その目の前に食べ物を置いて、餓死寸前で首を斬るそうです」
「ひどいことしやがる」
ライオンが顔を顰めて、嫌悪を滲ませた。
「ぼくもすごくひどいとは思います。それで斬られたイヌの首は宙を飛んで食べ物に食いつく。これを……なんだったかな、色々すると人に憑くという話です」
「色々ってなんだ」
「忘れちゃいました」
「おい」
「まあ、たぶん重要なことじゃないので……。憑かれた人の願望を成就させるとか、憑かれると全身が痛んでイヌのように吠え出すとか、伝承によってその能力はまちまちみたいでした」
「ピュシスにどう組み込まれてるか分からないが、もしそんな神聖スキルがあったら、使う奴はよっぽど陰湿な性格をしているに違いないぜ」
オポッサムは、そうなのかな、と考える。ピュシスがそこまで考慮しているとは思えないが、それなら化ける能力はどういう性質の現れなんだろうか、と思考を巡らせる。けれど、あまり好ましい印象が浮かばなかったのですぐにやめた。
ヒグマが落下した崖の上、小高い丘。会話しながら周囲を探るが、次の拠点は見つからない。激しく動き回っていたヒグマのむさ苦しい残り香が漂っていて、嗅覚による探索を微かに阻害してくる。オポッサムはヒグマの荒々しく凶暴な息遣いが未だに耳の奥でこだましているような感覚がしていた。
近くから目を離して遠くに視線をやると、柵のような樹々の隙間から、月明かりを反射する水面が覗いた。
「川があります。川沿いに進んだらどうでしょう。視界も広いし、鼻で追われるのを防げるかも」
オポッサムが提案するが、ライオンは「ダメだな」と首を振る。
「俺様の群れの別のパーティもそう考えるだろう。そんなことは相手もお見通しに違いない。川は警戒されてるぜ。それとも更にそう考えるだろうと読んで、相手は川以外に手勢を散らしてるかもしれないが、そういう面倒な読み合いはブチハイエナがうまくやってくれているだろう。俺様たちは独自に動けばいい」
「でも他のパーティと合流できる確率は上がります。今のままだと拠点の場所が分からないし、闇雲に行くより拠点を見つけるのが得意なキリンさんとかを探した方がいいんじゃ……」
「いや、手がかりはある」
ライオンは丘の下、雪に押された多数の印に目をやる。ヒグマに足止めを任せて去っていった二頭のイヌ。それらが残した足跡がいずこかへと続いている。
「あのふたりが拠点に行ったとは限らないんじゃないですか?」
「俺様は向かったと思うね」
「どうして?」
「まあ、野生の勘とでも言っておこうか」
今までの群れ戦の経験から導いた敵の行動パターンを分析してのことだったが、ライオンはわざと曖昧に言った。背に乗ったオポッサムの表情をライオンは見ることができなかったが、ヒグマとの戦闘で疲れた頭で、ライオンの言うことだからきっとそうに違いないと、思考放棄に近い納得顔をしていた。
「じゃあ、追いましょうか」
「疲れたか?」
ライオンがオポッサムを気遣ったが「だいじょうぶ」と力強い返答。
「よし……」と、ライオンが崖に背を向けた瞬間だった。その背後に暗い影が膨らんだ。背に乗ったオポッサムの体がこわばるのと同時に、ライオンは異常を察知した。敵。前方に急加速するべきだが、それだと敵の真ん前にオポッサムを振り落としてしまうかもしれない、と思考する前の刹那に体は動いていた。結果、竜巻のように旋回して、背後の影へと牙を剥く。
巨大なヒグマの腕がそこでは待ち受けていた。やられてなかったのか、と心のなかで舌打ちする。確かにあれだけ人間じみた動きができるのなら、装備品を空中で外して重量を減らし、咄嗟に崖に掴まるぐらいの芸当はできてもおかしくなさそうだった。
「ぐっ!」
ライオンが呻く。また鬼熊の神聖スキルを使って巨大化したヒグマは、ライオンの両肩をがっしりと掴み、その剛爪を食い込ませた。そして、凄まじい顎の力をもってして、首をたてがみごと噛みちぎろうと、口吻を大きく開いた。
獲った、とヒグマは思った。たてがみの守りすら貫いて、牙を突き立てたという自信があった。口のなかには芳醇な血の香りが充満したように錯覚すらした。だが、そうなってはいなかった。
黄金色の毛衣に包まれた皮膚には、牙のほんの切っ先すら刺さっていない。それどころか食い込んでいたはずの爪も押し返されている。ヒグマを見つめる瞳が煌々と輝く。それは捕食者の眼差しだった。ライオンのたてがみの一本一本の毛の先までもが、ヒグマを喰い尽くそうとしていた。
睨みつけられたヒグマの心には鈍く重い痛みのような恐怖が滲みだしていた。
「……俺様が試練を与えてやる。貴様が英雄たる実力の持ち主か、身をもって知るがいい!」
嵐のように激しく、重々しいライオンの声が樹々を揺らした。黄金色の肉体からは可視化されたオーラが放たれているようにすら感じられた。気圧されたヒグマは後退りかけたが、なんとか踏みとどまって、素早くメニューを操作すると全身に装備品を纏う。
もう一度腕に力を入れる。だが強靭な肉体に弾かれてしまう。ライオンが鋼のような腕を振り上げて、ヒグマの肩に叩きつけた。頭と胴の装備が粉々になって破壊される。ヒグマは燃え上がった闘争心を滾らせると、怯むことなくすぐさま突進して、上げられた腕の下に滑り込んで抱き着くと、ベアハッグを決める。オポッサムは衝撃でライオンの背中から転げ落ちたが、辛うじて尻尾の先の房にしがみついた。
突風が吹きすさぶ草原のように激しくたてがみが乱れる。首に再びヒグマが牙を突き立てる。岩か、それより硬いものを噛んでいるような感覚。歯が折れるか、そうでなくとも欠けてしまったような気がした。それでもヒグマは顎の力を緩めず、喉を締め落とそうとした。
牙が返される。スキルによって強化しているヒグマの肉体を、相手の牙は易々と貫き、肉を裂いた。ヒグマの咆哮が辺りに響き渡った。そのまま崖から落とされるが、もうヒグマにはそれを拒む力はない。体力は既に尽きていた。
「英雄の器ではなかったようだな」
崖を覗き込んで、今度こそ仕留めたことをライオンは確認する。オポッサムは尻尾を伝って背中に登って、再び定位置に腰を落ち着けた。
「……すごかったです」
感嘆とも、脱力とも、畏怖ともとれる響きだったが、中々能天気な性格をしているのが分かりかけていたので、たぶん気が抜けただけだな、とライオンは考える。
「英雄だったら倒せるんですか」
なんとなく幼い子供が大人に聞くような調子だったので、ライオンは小さな笑みをこぼした。
「そうだな。ただし英雄でも殺すのに三日かかったらしい」
「じゃあ一日しかない群れ戦だと無敵ですね」
「どうかな。例えば三倍の力の奴がいたら一日だろうし。六倍だったら半日で倒せるんじゃないか?」
「へぇー」
とんでもない話にオポッサムの頭はもう思考能力を失いかけており、中途半端な返事が声となってスピーカーから漏れた。緊張が解けたからか放心したようになっているオポッサムに、ライオンが「英雄になろうなんて思うなよ」と、忠告する。
「英雄はネメアーの獅子を殺しその毛皮を纏って不死を得たという。だがそいつは愛する者を殺しもしたし、愛する者に殺されもした……」
ライオンの前肢が折られて、オポッサムがたてがみの方向へと転がり、頭の上を通り抜けてコロンと落ちた。
「大丈夫ですか!?」
「ヒグマのはじめの一撃はスキルを使う前に受けちまった。両肩に骨折の状態異常が出てる。これだと歩けないな」
「そんな……」
「お前、俺様を運べないか。後ろ足は使える。支えになってくれるだけでいい」
ポン、とタヌキがオポッサムからライオンに化けた。二頭のライオン。一頭がもう一方の胸を支えるようにして、引きずっていく。タヌキは押しつぶされそうになりながらも、気力を振り絞ってライオンを運んだ。
ぐるりと丘を回って崖の下に移動すると、身を隠すのには丁度いい洞窟を見つけた。なかには暗闇が広がっており、大きな岩が散在している。ひとまずライオンをそこへ避難させる。崖の輪郭は波のようにうねって湾曲しているので、シロサイとヒグマの死体は見えなかった。
「これからどうしましょう?」
ライオンに化けたタヌキが不安気な声を出した時、
「王様!」と、駆け寄ってくる者がいた。本物のライオンは洞窟の闇に身を潜める。
トムソンガゼルが傍に来ると、若干、怪訝そうに耳をはためかせて鼻をあちこちに向けた。本物のライオンは引きずられて土を纏っていたので、その匂いは今はカモフラージュされている。タヌキは助けを求めるように洞窟を横目に見たが、トムソンガゼルの死角に隠れたライオンが顎を向けて、相手をしろと指示を出した。
「どうした」
スピーカーの設定で音声調整をすると、ライオンと同じ声が響いた。
「副長さんからの指令をお伝えに来ました。シロサイさんは?」
「やられた」
「そんな、シロサイさんがやられるなんて……。オポッサムくんも?」
「……あいつは無事だが、今は別行動になってる」
「そうですか。じゃあ僕が拠点までご案内します。ハゲコウさんがやられたんです。死体も発見しました。カワウソちゃんが言うには多分ヒグマだろうって」
「ヒグマなら倒した」
「さすが王様!」
心から感服したというようにトムソンガゼルは角を下げた。それから見上げて月の位置を確かめると、
「もう時間があまりありません。急ぎましょう」
と、顔と胴に走る伸びやかな黒い帯模様を見せつけるように横を向いた。タヌキは、どうしよう、どうしよう、と頭のなかでくり返していた。今更、本物のライオンとは交代できない。ライオンが身動き取れない状態だと分かれば、士気に関わることは明らか。タヌキが隠したい、化ける能力が知られることに繋がりかねない。
「次の拠点はどっちだ」
「あっちの丘を越えると、カバノキからなる落葉樹の森が見えます。それが敵の本拠地です。それを正面に見て、左斜めに進んだ場所です。その拠点さえ抜けたらもうゴールするだけになります。そして、敵本拠地の手前でカワウソちゃんと合流する手はずになってます。それから、結局、あの子を使うって……」
「あの子?」
「はい」
誰か教えてもらえるのかと思ったが、知っていて当然という態度で見つめ返される。
「……ああ、あいつか」
タヌキは誰のことやら分からなかったが、とりあえず知った風な顔をして頷いておいた。
「分かった。一旦分かれて拠点前で落ち合おう」
「承知しました!」
元気いっぱいに言って、トムソンガゼルが跳ねていった。その後姿を見届けると、タヌキは洞窟に入る。
「どうしましょう」
「お前が俺様の代わりをしろ。元々そういう話だっただろ」
「でも、あれは、いるだけでいいって……」
タヌキが不満をこぼすと、ライオンは厳めしい表情をする。ライオンとてはじめはそのつもりだった。置物として使おうと考えていた。しかしそんな役の割り当ては半分は口実で、タヌキを群れに誘ったのは、また別の理由があった。はじめて出会った時、オートマタに立ち向かおうとしていたその背中が、現実世界での知り合いと似ていて寂しそうだったから、つい力になってやりたいなんて思ってしまったのだ。
「もっと俺様の群れの連中を信じて頼るんだな。この戦は勝てる。皆、勝ちたいと思っている。相手も同じだろうがな。俺様たちはその上を行く。お前にはそれができる。一度自分の能力を試してみろ。どこまでできるか、だ。なにがあろうと俺様があとで責任を持ってやる」
ライオンは先程のトムソンガゼルの話を聞いて、ブチハイエナの考えをすっかり承知していた。そして、それはうまくいくだろうと確信してもいた。しかし、タヌキの心中には暗く凝った感情がへばりついている。それをひしひしと感じながらライオンが言葉を重ねる。
「目立ってこい。お前が探してる誰かさんも見てるかもしれんぞ。高みから見下ろせば、すぐに見つかるだろうさ」
ふっ、とタヌキが顔を上げた。結局それなのか、とライオンは思いながら、一体誰を探しているのか知らないが、さっさと見つかってやれ、と見知らぬ探し人に向かって心のなかでぼやいた。これはゲームなんだ、ゲームを楽しめ、とも言ってやりたかったが、タヌキに言うことはできなかった。ライオンはタヌキが現実世界から逃げるようにピュシスをプレイしている雰囲気を感じ取っていた。そういった者にとってピュシスはゲームではない。現実よりも身近な、仮想を越えた世界だ。
タヌキは一度挑戦してみようと心が傾いていた。ライオンが自分を庇って怪我を負うはめになったことは分かっていた。その前にはキツネにも庇われた。庇われっぱなしの自分が現実世界での自分と重なって、ひどく惨めな気分になっていた。ライオンの姿を借りてでも、自分の殻を破ってみたかった。
そんな決心を固めようとしているタヌキの後ろから、一匹の獣が忍び寄っていた。
「……おい」
ライオンに化けているタヌキは驚き、暗い洞窟のなかから星に照らされた外を振り向く。本物のライオンは既にその気配を察知して、岩陰に隠れていた。
「なに尻を向けてんだ。誘ってんのか?」
雪の野原に立つ銀色の獣。イエイヌたちとは異なる骨太さを感じさせる体躯。大きく頑丈そうな牙が月明かりを受けて口のなかでギラギラと輝いている。歩き方はしめやかで、狩りに熟達した者であることを感じさせた。大柄なハイイロオオカミ。対戦相手の群れの長。
「久しぶりじゃないか」
本物のライオンがタヌキの傍の岩陰からスピーカーで喋った。タヌキは咄嗟にそれに合わせてオオカミと相対する。
「会わないうちに随分覇気がなくなっちまったもんだな」
オオカミが鼻を鳴らして、眉間に皺を寄せた。
「お前相手にそんなもんは必要ないってことだ」
「ふうん。そうかい。相変わらずの減らず口に安心さえ覚えるぜ」
「群れ長様がこんなところでなにしてるんだ」
「お前にだけは言われたくないね。いっつも前線に飛び出してくる堪え性のない王様がよ」
「ふん」
「……ヒグマのうるせえ断末魔が本拠地まで聞こえてきたんでな、そのやられっぷりをちょっと見物に来ただけだ。ここでやりあうつもりはねえ」
その言葉にライオンに化けたタヌキは力を抜きかけるが、死角からライオンの尻尾に打たれて、すぐにしゃっきりと姿勢を整える。
「なんだか元気がなさそうだが、流石の王様もあのヒグマには手こずったんじゃないか? 神聖スキルってやつを知ってるだろう。持ってる奴は今回から積極的に使っていけと指示を出しておいたんだ」
「俺様は感心しないな。自然に反している」
「そんなことはピュシスが決めることだ。それにここは不自然な自然だ。反するとか、反しないとか、そんなことを考えてもしょうがないだろ。俺は、より戦いが激化するのは面白いと思う。プレイヤーが飽きないように、開発者が新要素を導入したってところだろう」
そう言われると単純な話だ、とライオンは思うが、それでもわだかまりは消えなかった。目に見えない開発者という存在。それがやりきれない想いを、よりやりきれなくさせているような気がした。
「まあ、命力消費については緩和してほしいがな。スキル効果に見合った消費だと言われれば否定できんが、勝たなきゃとても回収できん」
「勝つつもりだから使ってきたんだろう」
「もちろんだ」
オオカミはつり上がった目で不敵に笑う。そして立ち去ろうとして、しばらく歩くと、肩越しに振り返った。
「そういえば、最近ピスタチオをバザーで見かけないが、また店を出してくれるように言っといてくれないか。あの実の風味が好きなんだ」
「あいつなら今日の戦に参加してるぞ。直接言いに行ったらどうだ」
「まじか。会いてえな……いやいや、でもなあ。この大詰めであまり本拠地を離れるわけにはいかん。また副長にどやされちまう」
「俺様が勝ったあかつきには、口いっぱいにピスタチオの実を頬張らせてやるぞ」
「はっは、買収か? 魅力的な提案だが、ちゃんと買いに行くさ。この戦の勝利報酬の命力でな」
大きな尻尾を手のように振りながら銀色の獣は遠ざかっていった。そうしてその存在が感知できなくなったところで、
「それじゃあ、行ってこい。ここから応援しておいてやる」
と、ライオンはタヌキの背中を鼻先で押した。ブチハイエナの策について詳しく説明してやるつもりはない。理屈ではなく、心で仲間を信頼して欲しかった。
「堂々としていろ。俺様の姿を見ただけで大抵の奴は恐れる。敵に会ったら、こう言え。俺様とここで戦うつもりか、お前らでは足止めにもならんぞ、ってな。思いっきり脅しつける調子でだ。王者になった気分でいれば、威厳は勝手に備わるものだ。『偽りても賢を学ばんを、賢といふべし』。その心を忘れるな」
「どういう意味です?」
「地球の古い言葉だ。理想を高く持て、小さく収まるな、そんなところかな」
「……行ってきます」
洞窟から偽物のライオンが出立していく。心持ち肩をそびやかして、雪の上にその大きな足跡を刻み付けながら。




