●ぽんぽこ3-6 首無しのイヌ
キリンは仲間たちが全員同時にやられてしまったのを見て、すぐさま駆け出した。コショウボクの庇護下の元へと飛び込んでいく。
「なんだいあれは」
コショウボクの植物族がスピーカーから驚きの声を漏らした。
「見ての通り」と、キリンが返す。
三つ首のイヌ。あれが噂になっている神聖スキルというやつか、とキリンはその姿をまじまじと見つめる。アイリッシュ・ウルフハウンドの体は首が増えてから、膨らんだように全身が大きくなっている。顔つきも心持ちオオカミのような鋭さのあるものに変化していた。三つの口の牙で噛まれれば三倍のダメージを受けるだろう。単純だが怖ろしい。それに三頭を同時に屠ったように、攻撃の範囲と柔軟性も広がっている。
「実を食べな」
言われたキリンはコショウボクの枝に実ったピンク色の粒を、長い舌をしならせて、巻き込むように摘んで食べる。地球ではピンクペッパーという香辛料の素材となっていたその実は、口のなかに刺激的な風味を弾けさせた。減っていた体力が回復する。実を食べるように勧めるのは暗に、時間稼ぎしろ、という意味の副長からの指示。
陽が沈み、雪の原に花が咲き乱れたような茜色が満ちる。戦は大詰めに突入しようとしていた。
コショウボクが辺りに種をばらまく。この一帯を有利なフィールドへ変えようとしているのだ。通ってきた道に一列に並んでいた自身の分身である樹々が、それと同時に次々と枯れていく。敵の縄張りにおいて、植物族が生やせる本数は制限されている。制限数を超えて新しい樹が生えると、古いものは枯れる。その制限数を限界まで使って、コショウボクはバスケットコートほどの広さがある小さな林を作り上げた。
三つ首のウルフハウンドたちはそれが完成するのをじっと待っていた。植物族を倒すのは骨が折れる。なにせ縄張り内に潜入しているその成木全てを破壊する必要があるのだ。なので一ヵ所に集まってくれるなら好都合だった。
林が新たな種をまいて、林ごと戦線を上げようとするが、芽が吹き出した瞬間に、イヌたちによって噛み潰されて阻止される。イヌたちは林のなかに踏み入ろうとはせず、前方に立ち塞がっている。
林の中央からキリンが首を出す。相手が迂闊に攻め入れないのはよく分かっていた。独特の香りを持つコショウボクが生い茂るなかに飛び込み、その匂いに耐えながらキリンと戦うのは、嗅覚に優れるイヌたちとしてはさぞかし神経を使うであろうことは想像に難くない。進攻においては植物族は歩みが遅すぎて足手まといになりがちだが、守りにおいては抜群。今のように強固な結界を形成して、相手を寄せ付けない。特に時間を稼ぐのに主眼を置くならば、これ以上の相棒はいない。キリンはできるだけ高く首を伸ばして敵が集まりやすいように目印になる。そうして、おとりとしての役割を果たそうとしていた。
少し離れた位置にリカオン、サーバルキャット、オカピが体力が尽きた状態で倒れている。味方たちと切り開いたこの道が無駄にならないように踏ん張らなくてはならない、とキリンは首を回してコショウボクの林の外側にある針葉樹林の様子を探る。「モー!」と大きく鳴き声を響かせてみたりもする。そうした時、ふと、敵の増援を発見した。一頭だけ。雪に溶け込むように白い中型のイエイヌ。キリンは犬種など分からなかったが、それは紀州犬と呼ばれるイヌだった。そのイヌの姿は異常だった。そのイヌには首がなかった。
キリンは首の後ろに痛みを感じる。何事だ、と首を捻るがその痛みの正体を知ることはできない。中型のイヌを観察する。一瞬、見間違いかとも思ったが、やはり首がない。そして、首がないのに四本の足ですっくと立っている。味方が白い中型イヌを倒したのかと思ったが、その切り口はどうも妙だった。すっぱりと刃物で切り落としたかのよう。おかしい。首が痛む。体力が減り続けている。コショウボクの実を貪るが、回復が追いつかない。
「あまり食べるな。足りなくなる」
注意を受けるが、キリンは不気味な現象に色を失い、軽い恐慌状態にあった。キリンの様子を見て好機と判断したのか、三つ首のイヌが三倍の攻撃力でもってコショウボクの林の外周を破壊しはじめている。身動き取れない植物族にとってその純粋な暴力は非常な脅威であった。
まさかあの三つ首の一つに、中型犬の首があるのではないか、などと荒唐無稽なことを思ったが、首無しイヌは一頭だけ。それならもう一頭必要なはずだが見当たらなかった。そもそもそんなわけはない、冷静になれ、とキリンは自分に言い聞かす。
「首の後ろに……」
「首?」
言っても植物族であるコショウボクには目がない上に、幹より高く伸びたキリンの首の状況を知ることなどできない。キリンの体力は残り僅かまで減少。首をがむしゃらに振り回すと、痛みが緩んだ。さらに振り回す。頭が眩むのも無視して、思いっきりぶん回す。すると、何かが吹き飛ばされて、ぽーん、と宙を舞った。首。イヌの首だけ。それはあの中型のイヌのものと思われる大きさと色合いだった。首だけのイヌが飛んできて、自分の長い首の後ろに噛みついていたのだ。キリンは驚愕を覚えるが、その事実をきちんと認識する前に地面に、どう、と倒れてしまっていた。
「おいっ! 大丈夫か!?」
コショウボクが呼びかけるが、キリンは返事できない。首の後ろにはイヌの噛み痕が深々と刻まれている。自分の体が自分のものでないような気分。目を回してしまったのかと思ったが、どうやらそれだけではなさそうだった。メニューを確認すると見たことのない状態異常が付与されている。呪い。声を絞り出そうとするが、やっとのことで喉とスピーカーから出たのは「わおーん」というイヌのような鳴き声。そんなキリンに、林を駆け抜けてきた三つ首のイヌが素早く飛び掛かり、息の根を止めた。
残されたコショウボクは増殖する間に刈り取られ、やがて全て破壊された。敵を殲滅したイヌたちであったが、鼻に違和感を覚え、顔を顰める。スパイシーな香りが口から鼻へと抜けていく。コショウボクの実から受けた状態異常で、鼻が使い物にならなくなっていた。植物族とてただ無抵抗なわけではなく、やられる間際に一矢報いていたのだった。
離れた場所から紀州犬が三つ首のウルフハウンドを見つめている。今はその首もピッタリとくっついて、正常な姿を取り戻していた。
紀州犬が鼻先を川の方へ向けた。そちらへ行けということ。
偉そうにしやがって、とウルフハウンドは思う。鼻が使えずお荷物になったから、匂いの追跡が元々難しい川沿いの見張りでもしておけ、ということか。なんとなくこの副長には反感を覚える。それ以上に副長を任命した長に対して。
俺が一番強い。俺が長になるべきだった。
この本拠地に群れを作るとなった時、ハイイロオオカミとウルフハウンドはどちらが長になるか話し合った。力比べしようと提案したが、それは拒否されて、当時、群れではないが既に群れていたイヌたちによる多数決で決めようということになった。結果はオオカミの大勝。ほとんどのイヌがオオカミを選んだ。長になったオオカミは、ウルフハウンドを副長に任命せずに、駒として使うことを選んだ。そしてウルフハウンドよりずっと弱く、小さな紀州犬を副長に選んだ。それが、ウルフハウンドには許せなかった。
戦ったら逆の結果だったはず。ウルフハウンドは憎悪で身震いする。紀州犬は別の場所を見回りに去っていった。川へ向かおうとしないウルフハウンドを、グレート・デーンとチベタン・マスティフが怪訝そうに見つめる。
「この場所で待機だ」
ウルフハウンドが言うと、他二頭もスピーカーを装着した。
「副長の指示はどうする」
「無視でいい。こんな深くまで通された道を放置しておくほうがどうかしている。ここを守るべきだ」
「しかし……」
「このパーティのリーダーは俺だ。俺に従え」
二頭は顔を見合わせたが、結局ウルフハウンドの命令通り、ここに留まることにした。
ケルベロスというのは番犬らしい。ウルフハウンドが調べると地球の物語が見つかった。地獄という悍ましい場所の入り口を守る番犬。確かに地獄かもしれない。この群れは俺にとっての地獄、とウルフハウンドは歯噛みする。屈辱を噛みしめることを余儀なくされている。いっそ群れを飛び出そうかと何度思ったことか分からない。しかしそれこそが邪魔者を排除するオオカミの策略のような気がして踏み切れない。それに、オオカミを長から引きずり降ろさないことには気が済まなかった。
ウルフハウンドは昇る月を見上げる。欠けた月。歪んだ笑顔のような。獣の牙にも似た針葉樹が無数に天に突き立てられている。枝葉に積もった雪が星明りで仄かに輝きはじめ、地表をより暗く染めていた。
いつか本当の地獄にしてやる。俺ではなく、オオカミにとっての。
ウルフハウンドの瞳は夜闇よりも暗く、深く、淀んでいた。