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首のない人形は、何とか拘束から逃れようとするが、後から登場した人形によって完全に抑え付けられていた。どちらも表情がないため、何を考えているのか分からないが、後から登場した人形は、首のない人形の暴走を止めるかのように見える。
新藤も状況が飲み込めず、人形同士の競り合いを見て混乱していたが、驚くべきことは、これだけでなかった。首のない人形から、水蒸気らしきものが浮かび上がったかと思うと、それが一つの塊になる。あの日の夜に見た、人魂のようなものだ。そこには、会田真司の顔が浮かび上がる、と聞いていた新藤だったが、想像とは違ったものを目にする。人魂に浮かび合った表情は、女のものだったのだ。
「誰……なの?」
呟いたのは、文香だ。執拗に文香を狙う魂は、きっと彼女と縁がある人間だと思われたが、そうではないらしい。その人魂は人形から抜け出すと、真っ直ぐと文香へ向かう。表情は怒りか、それとも恨みなのか、とても険しく、強い怨念が感じられた。
新藤は脇をすり抜けようとする人魂を捕らえるため手を伸ばし、確かに触れた。しかし、手応えはなく、人魂は宙を滑るように後方へ。
人魂は文香を前にして、怒号を上げるように口を開いた。いや、彼女の喉元に喰い付こうとしたのかもしれない。四肢のない体で、文香に怒りをぶつける方法は、それしかないのだから。
人魂が放つ怨念の前に、ただ目を閉じて蹲る文香。誰もが彼女を守ることができず、人魂が目的を果たすように思われた。が、人魂は寸前のところで動きを止めると、その表情を歪める。まるで、呼吸するための空気を失ってしまったかのように。
「新藤くん。人形が着ていた服の懐を探れ」
振り返ると、いつ現れたのか如月の姿があった。
「この状況、長くは維持できない」
どうやら、人魂の動きを止めたのは如月らしい。いや、こんな芸当、如月にしかできないのだから、当然ではあるが。如月が急かすように顎を突き出したので、新藤は駆け足で人形の方へ向かう。後から現れた人形による妨害を警戒したが、それはただ棒立ちのまま動くことはなく、新藤は如月の指示通りに動けた。
人形が着込んでいた服の中に、それはあった。手の平に乗る程度の石。だが、形は歪で毒々しい攻撃的な色合いだ。
「それをこっちに」
いつの間にか如月は、文香の前で動きを止める人魂の前に立ち、催促するように手招きしていた。新藤がそれを手渡すと、如月は人魂に向ける。
「もうおしまいだ。君は戻るべき場所に帰らないと」
宙に浮いたまま、抵抗するように小刻みに動く人魂だったが、やがて抗えない力に屈するように、石の中へ吸い込まれて行った。
敵意が消える。場を圧迫していた緊張感が緩んだように感じられた。
「終わった…のでしょうか?」
石を見下ろす如月に問いかけると、彼女は視線を移動させた。
「どうだろう。彼次第じゃないか」
如月の視線の先には、こちらを見つめて立ち尽くす人形が。まるで、母親に怒られることを怖れて、公園で途方に暮れている子供のようだ。
「彼…ということは、あっちが会田真司ですか?」
「うん。間違いないだろう」
新藤は二転三転する状況について行けず、ただ首を傾げる。
「どういうことですか?」
「私もすべてを把握したわけではない。でも、これだけは分かる」
如月は、手を持ち上げると、二本の指を伸ばして新藤に見せた。
「最初から、石は二つあったんだ。あの夜、私たちが最初に遭遇した人形は、彼の魂ではなく、別の魂が入っていた。新藤くんが追い払った後、別の人形に乗り移って、文香さんの部屋を襲撃した、と勘違いしていたが……そうではなかったんだ」
「確かに、後から現れた人形は、それほど攻撃的ではなかった、とクレアが言っていました」
「会田真司は、最初から彼女に危害を加えるつもりはなかった。今日も、文香さんを守るために、ここまでやってきたのだろうね」
「じゃあ……もう一つの人形に入っていた魂は、誰のものなのでしょうか? 女性の顔のように見えましたが、凄まじい感情があったように思えます」
新藤の疑問に如月は答えなかった。その代り、ただ立ち尽くすだけの人形に声をかける。
「どうする? 伝えたいことがあるなら、今しかないよ」
「き、如月さん…良いんですか?」
依頼人の安全を心配する新藤だが、如月が肩をすくめる。
「私がいる前で、妙な動きはさせないよ」
「でも、下手に異能をデリートすべきではない、って言っていませんでした?」
「どういう異能か分かってしまえば、問題はない。もし、危害を加えようとするなら、さっきみたいに異能を限定的に封じて動きを止めることもできる」
不安を拭いきれない新藤だったが、人形は穏やかな歩調でこちらに近付いてきた。新藤は警戒しつつ、人形が文香の前に立つことを許す。
「真司…なの?」
声は震えていたが、文香は逃げ出すようなことはなかった。人形に敵意がないことは、彼女も理解していたのだろう。
人形は、恐らく高月文也の部屋から拝借した服の懐から、石を取り出した。それは、先程の石とは違い、色鮮やかでどこか透き通るような清々しさがあり、形も球体に近い。人形は自分の本体と言える石を手の平に乗せ、文香に差し出した。それは、愛の告白と同時に恋人へ渡すため、大事に持っていた贈り物のようだ。
文香が震えた手を伸ばすと、人形は優しくその上に石を置く。すると、人形から人魂が浮かび上がった。穏やかな表情を浮かべた会田真司の魂。それは、自らの家へ帰るように、石の中へ吸い込まれて行った。
すべての使命を終えたように、人形が崩れ落ちる。元から表情がない人形だったが、さらに精気を失ってしまったようにも見えた。文香はそんな人形と、手の上にある石を、交互に見た。人形が伝えようとした気持ちを確かめるように。
人形がどういうつもりで、石を渡したのか、新藤には理解できない。しかし、文香にはその想いが伝わったのだろうか。その場に蹲ると、彼女は声を出して泣き出すのだった。
後日、もう一つの石のレプリカを作成し、それを高月文也のコレクション部屋へ忍ばせた。泥棒に入られたと騒いだものの、高月は自分のコレクションがすり替わっていることに気付くことはなく、犯人につながる証拠は見付からなかったため、大事にはならなかった。
文香に怪我はなく、瀬崎もクレアも疲労が残っているだけで、万事解決に至ったと思われたが、新藤たちの仕事はまだ残っていた。それは石を本来の持ち主の所へ帰すことだった。




