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やがて、イシャになる  作者: 彩守るせろ
2. 揺らぎの宵
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6. 出会いのはじまり



「……なんでだ」

「坊主、いい加減機嫌直せ。昼飯の代金にはなるくらいの講義はちゃんとしてやるからさ」


 わけがわからない。

 椋が現在座らされているのは、図書館の備え付けの椅子、ではなかった。ヨルド・ヘイルと名乗った、彼の屋敷の応接室、だろう部屋のソファである。

 見回す部屋は、たいへん広く清潔で天井が高い。それに何となく、ひとつひとつのものが豪勢で高級だ。ソファも絶妙にふかふかで、場違い感が半端なかった。

 そんな彼の心情を知ってか知らずか。相変わらず鷹揚な笑みを浮かべたまま、ヨルドは続けてくる。


「なあ坊主。本当にただ、図書館には調べものしに来てただけなのか?」

「さっきから、そうだって何回も言ってる気がしますけど」

「んー、とは言われてもなあ」


 改めて見るヨルドは、おそらく黙っていればそれなりに、渋く決まったおじさまと呼べそうだ。が、そもそも椋のファーストインプレッションが「変な昼飯泥棒」である。向けられる笑顔も視線も、どうにもうさんくさい。

 おまえは面白いからな、気軽に喋りやすい口調で話していいぞ。

 馬車の中で機嫌よさげにのたまった彼だが、さすがに自分より一回り年上の人間にあっさりタメ口というのもどうなのか。まあ敬語が相当ぞんざいになっている時点で、色々とお察しである。

 誰なんだこの人。改めて椋は思った。

 当たり前みたいに自分の馬車呼んで自分の屋敷に連れてきて、自分のことを創生士だと言う。


「おまえさん、見たところどこの貴族のもんでもないだろう? 誰の使いでもないのに、どうしてわざわざ治癒魔術なんて調べてたんだ」


 大変答えに困る質問だった。

 もちろん椋にも、理由はある。しかしヘイならともかく、この訳の分からない、創生士だというおっさんに、事実をそのまま話せる気がしない。

 自分の思考は、異常である。

 なにしろ、みんなが信じる光を疑っている。疑って、分からないと思うからこそ、調べるために今日、彼は外に出た。

 椋の沈黙をどう取ったか、相変わらず感情の見えない笑みを浮かべたままヨルドは続けてくる。


「もし治癒魔術に興味がある、とくに創生士になりたい、ってんなら、俺は諸手を挙げてうちに歓迎するぞ」

「残念ながら無魔です、俺」

「ほお? 無魔なのに、治癒魔術についての調べ物なんてしてたってのか」

「別に無魔だからって、魔術それ自体に触れちゃいけないわけじゃないでしょう? 拒絶されたわけでもありませんし」

「ふむ、まあ、そうだな。おまえさんの言うとおりだ」


 おそらくこんな思考も、この世界の常識からすればまず変なんだろう。椋の言葉を、あっさりヨルドは肯定した。

 喉のかわきを覚え、用意されたカップへと椋は手を伸ばす。

 味も匂いも、緊張でよくわからない。


「だがなあ、そうか、……ふふ、治癒魔術そのものは無魔を拒絶しない、か」


 言いながら、やはり妙に楽しげにヨルドは椋を見る。その目には、なぜか期待めいたものが揺れる。

 なんで? 分からない椋は知らなかった。この世界の識字率や魔術書読解の難解さ、そんなものは、意識の端にものぼっていなかった。

 学術書レベルの本の意味をきちんと理解できる人間は、相当に限られることを知らなかった。


「なあ、坊主。心底嫌そうなところをすまないんだが、俺も年なのかねぇ。そろそろ、遠回りするのも面倒になってきてな」


 ヨルドの笑みが、深くなる。

 再度、沈黙。決して良くない予感など、もう何度感じているか分からないので無視した。

 たとえば一度はそれから逃げても、もう椋はこのヨルドという男と知り合ってしまった。今はうまく抜けたとしても、きっと彼はどこまでも、この感情の見えない笑みとともに自分を追ってくる。

 肘掛に両肘をつき、顎の下で手を組んだヨルドが静かに言った。


「おまえ、なんのために調べ物をしてたんだ? もうひとつ、おまえ、どこから来た?」

「……」

「だんまりなら、俺が当ててやろうか。坊主、おまえ、この間魔物が出たどっちかに住んでる、もしくは親類かなんかがその場所にいるんじゃないか」


 静かに、ただ事実を追求する口調で淡々と問われる言葉。

 予想はできた言葉だった。同時に、また返答に迷う言葉だった。

 突っ込んでくる目前の男に、沈黙しか椋は返せない。こんな沈黙は肯定にしかならない。だが、他にやりようもない。

 とっさになにを繕おうとしたところで、きっとすぐボロが出る。

 口を引き結ぶ椋に、ふっと、また楽しげな調子で彼は笑った。


「あれには俺らも、ほとほと困っててな。正直、何をやっても応急処置にしかならなくて、なぁ?」

「そうだね。教会なんて特に今、誰もかれもが上を下への大騒ぎさ。なにせこんな病なんて、今までまったく誰も見たことがなかったからね」


 椋とヨルド、二人しかいなかったはずの場に女性の声が唐突に乱入する。

 弾かれるように椋はその場に立ち上がった。声の方へと目線をやった椋と、紫色の目が合った。


「ああ坊主、紹介が遅れたが、俺のかみさんのアルセラだ。教会で準神使(じゅんしんし)なんてもんをやってる、祈道士だよ」

「はじめまして、坊や。随分と面白い髪と目の色をしてるんだね」


 奥から続く廊下、開かれたままの扉から現れた彼女はにっこりと笑って見せた。ものすごく年齢不詳だ。三十にも四十にも見える、重厚な色気を、その仕草の一つ一つに醸し出すつややかな美人だった。

 ヨルドのすぐ横へ腰かけながら、彼女が問うてくる。


「アルセラ・ヘイルだ。あんたの名前は?」

「水瀬椋……リョウ・ミナセです」


 まっすぐじっと見据えられていると、まるで面接か何かのようだ。一つ確実に面接と違うのは、何が正解で何が不正解か、そもそも、何をどうこれから尋ねられるのかも椋には分からないことか。

 蜂蜜色の髪をふわりと払い、傍らのヨルドへと彼女、アルセラは小首をかしげる。


「それでなんだい、ヨルド? わざわざこの忙しいときにあたしを呼びもどしたのは、このリョウって子のためなのかい?」

「ああ、そうだ。何しろこいつ、無魔だってのに、創生術と神霊術の比較なんてやらかそうとしてたからな」

「な、っ!?」


 さらりとヨルドの口から出たのは、あんまりな方向に椋にとっては予想外な言葉だった。

 一体いつから見られてた。

 鳴りそうになる奥歯を噛み締めつつ、引きずり出すように椋は言葉を発した。


「おっさん、あんたどこまで俺のストーカーしてたんだ。気持ち悪い」

「あぁ、すまんな。引き込めそうな人間は、逃さないようにしときたいもんでなあ」

「まったく、あんたはいつもそんな……先月もまた一人、見習いが逃げ出したって聞いたよ? 何をしてるんだかね、この人は」


 本気で椋が気味悪がっているにもかかわらず(思わず丁寧語まで抜けた)、相変わらずヨルドは飄々とした態度を崩さない。

 そしてそんな旦那に対し、アルセラは呆れ半分、面白半分な顔で笑っていた。どうやら二人の夫婦仲は至極良好なようだ。


「で? 坊や、どうしてあんたはそんなことをしてたんだい」

「……それは」


 更に言えば、切り替えが早いのも夫婦で共通らしい。

 彼女の椋を見据える目に、既に先ほどまでの甘さは欠片も残っていない。菫色をした双眸には、ついこの間までは椋もそれなりの確率で目にしていたもの――多くの経験と知識とを、己の力で積み重ねてきた人間の持つ強い光があった。

 創生士の旦那と祈道士の奥さんって、この世界的にどうなんだろう。

 考えても仕方ないことを現実逃避的に少し思いつつ、ただの「事実」を二人に向かって椋は口にした。もうどうにでもなれ。


「神霊術と創生術は何が違うのか、誰も教えてくれなかったからです」


 空気に落とすようにして、決して大きくはない声で椋が口にした言葉に。

 目前の二人は一斉に、面白そうにひょいとそれぞれの眉を上げた。


「ほお」

「もしふたつの術の作用機序が同じなら、わざわざ治癒に関連する職を分ける必要はないはずだ。でも実際にこの世界に存在する治癒の方法はふたつで、それはたぶん、ずっと昔から変わってない。創生士は今は凄く少ないとは聞きましたけど、でもおっさん、あんたは、本当の創生士なんでしょう?」


 言いながらヨルドを見る。琥珀めいた色の彼の目からは、相変わらず感情を読み取ることができない。

 そしてそのままの表情で、彼は椋の言葉に首肯した。


「ああ。俺はこの国でも珍しい、生粋の創生士ってやつだ。ちなみに俺はおっさんじゃなくてヨルドだ、ヨルド。……ま、だから色々困ってるんだよ、俺たちは。何せ祈道士が色んな意味で強いもんで、とにかく俺らは肩身が狭くてな」


 ひょうきんな口調で言ってはいるが、傍らのアルセラは小さく苦笑するだけだ。本当に相当、この世界における彼の肩身は狭いらしい。こんな屋敷が構えられるくらいのヨルドでさえそうなのだから、彼より身分が低い人間に至っては推して知るべし、か。

 先ほど椋が読んだ本にもあった。祈道士は圧倒的な力を保持し、そしてその力の使用により強大な民衆からの支持を得る。一方、創生士は莫大な魔力と繊細な魔術コントロールが必要なわりには治療できる範囲が狭く、今やよほどの数奇者でなければ選ばない不人気職らしい。

ボクは珍しいんだよ! 常連客の言葉がふと頭をよぎる。

 どういうことだよそれ。

 本で読んだときにも考えたことをもう一度思い返しながら、椋は目前の二人へ述べた。


「ふたつ魔術がある理由は、根本的な方法が二つに分かれているからだろうと、俺は考えました。アイネミア病が神霊術では治せない理由も、その方法の違いに基づいてるんじゃないかと思っています」


 続いて口にした暴言に、目の前のふたりが凍り付いた。

 予想にたがわぬ反応だった。だってさっきアルセラも言っていたのだ、「なにをやっても応急処置にしかならない」と。思いながら、同時に無礼だの冒涜だのなんだの、言われないことに少しホッとする。

 一度はよくなったように見えながら、その後すべての症状が、さらに悪くなって再発する。

 優しい光も、喜ぶ人も、再発に絶望する瞳も、もう、ここ数日でいくつも、いくつも椋は見た。何かが違う。治療として、決定的に間違っている。思うけれど、ならば、具体的に「何」が違うのか、どうすればいいのかが椋には分からない。

 椋がこの屋敷に入ってから、確実に一番長い沈黙が場に落ちた。

 音のない長さが分からなくなってきたころ、ふーっと深く、どこか疲れたようにアルセラが息を吐いた。


「……緊張感とは無縁そうな顔して、言うねえ、坊や」

「まったくだ。そもそもリョウ。おまえ、アイネミア病が神霊術で治せない、なんて誰から聞いたんだ?」


 問いかけてくるふたりは、静かだった。椋の「暴論」を、どちらもまったく否定しなかった。

 瞬間、ぞっとした。このふたりは分かっているのだ。治らないという事実を、きっと自分の治癒魔術の結果として目の当たりにしている。

 それでも、治らないと分かっていても。

 縋る患者を前にして、治療を行わないわけにはいかない。

 その終わりはどこなのだ。患者がいなくなる、そのときか。

 悪寒を振り払うように一度目を閉じ、椋はヨルドの疑念への答えを口にした。


「自分で考えました。皆を見てると、そうとしか思えなかったんです。一回よくなってから悪くなるっていうのが短期間で繰り返されてるうえ、もう一度症状が出たあとの、悪くなり方が明らかにおかしい」


 神霊術が使用される前は運動時の軽い息切れ程度だった患者が、術後数日で顔を真っ青にして、日常動作だけでもめまい、息切れ、動悸を起こす。

 これを「ただの」再発と呼ぶのはおかしい。何人、何十人、同じような人をもう椋は見ている。しかも起点はだいたいあの、白い光がたくさんの人に向けられた日。誰もが一度は笑顔になった、あの日なのだ。

 なんで。

 やはり答えが得られない問いを、また椋は考える。


「創生術のほうは、俺は聞いたことないから分からないんですけど」


 けれど創生術が、祈道士のそれと異なる作用機序によるものであるなら。

 沈黙ののち、静かに彼から返ってきたのは、椋の仮定を肯定するに足る応答だった。


「……半々、だな。ある程度までの患者は救えるが、重すぎる患者は俺でも姑息的なことにしかならん」

「ヨルド!」

「事実だろう。そっちが頑なに伏せてる事実だが、な」


 焦ったような声を上げたアルセラに、ヨルドが首を振る。

 教会は、教会に教義に身を捧げる魔術師たちは人を助けることができる。この世界のほとんどすべての国において、教会が莫大な影響力を持っているのはきっと、そこにも大きな理由がある。

 しかしそんな「基本」が、少しでも崩れてしまえばどうなるか。

 想像するのは難くない。が、なにかがぐらりと、腹の底でわずかに煮えた。


「……ねえ、坊や。あんた、いったいどこで何の勉強をしてきたんだい」


 問いかけてくる二つの目線は、祈道士と創生士、この世界では決して椋の手が届かない職に身を置く二人のもの。

 この世界について何も知らない自分を、改めて椋は思った。そして知らないままでいれば、椋の知るひとたちが、椋を受け容れてくれたひとたちが、命を落とす可能性がある。

 進むことを、決めたのだ。目立たないことをやめると、決めたのだ。

 今目の前には、椋の声を聞いてくれる祈道士と創生士がいる。

 できることはひとつだ――改めて、椋は顔をあげた。


「それに俺が答える前に、ひとつお願いがあります」

「お願い?」


 わずかに怪訝な顔をする二人に、こくりとひとつ首肯を返す。

 自分のできる限りの真面目な表情で顔を引き締め、深々と椋は二人へ向かってその頭を下げた。


「俺に神霊術と、創生術を教えて下さい。どっちの概論を何度読んでも、俺には内容がほとんど理解できなかったんです」


 創生術は基本「変化を同化せよ」。

 神霊術の基本は「めぐりを理解し賦活せよ」。

 それ以上のことは、どこを読んでも、何をどう読み返しても椋には分からなかった。術式構築のために紡がれる言葉も、術式それ自体もかなり似ているように見えた。

 なのに二つはちがう職で、違う作用機序があるようにしか椋には思えない。

 本を当たってだめならば、実際にそれらが使用できる人間に訊ねるしかないだろう。

 頭を下げた椋に、しかしなぜか彼らは虚を突かれたようにまた沈黙した。


「……あの、」

「ヨルド。あんた本当に、とんでもない拾いものをしてきたもんだね」

「ああ、まったくだ。……分かった、リョウ。明日から一日交替で、俺とアルセラに一日中ついて回れ。言っとくがどっちもビシビシ行くからな、相応の覚悟はしておけよ」


 願ってもない申し出に、椋は大きく目を見開いた。

ふたりの空き時間に少しずつでも教示を乞えれば、その結果何かヒントが得られればもうけもの。考えたのは、その程度だった。

 思考があからさまだったのか、またヨルドが笑って椋の頭に手を置く。ぐしゃりと乱雑に髪をまぜられる。


「俺たちの分かる限りのことは、できるだけおまえに教えてやる。だからな、リョウ。おまえも、おまえのその妙な知識とヘンな方向に働く頭の回転を、俺たちに貸してくれ」

「リョウ。あんたの言ってることは正直、あたしたちの教義に照らし合わせて考えたらまるでめちゃくちゃだ。でもね」


 一度途切れたアルセラの声に、手が乗ったせいで下がっていた視線をまた彼女の方へと椋はあげた。

 菫色のつよい瞳が、ふわりと優しく笑って椋を見据える。


「あんたに言われて、目が覚めた。――アイネミア病の解決のために、あんたをあたしたちに託しな」

「いいん、ですか?」

「勿論。女に二言はないよ。大丈夫、あたしは準神使、教会の中では、この国じゃ二番目に地位の高い人間だ。あんたが何をして何を言ったところで、そう簡単に教会にあんたをつきださせたりはしないよ」


 自信あふれる表情で彼女が笑う。

 何かが動き出す音が、どこからか聞こえてくる気がした。


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