短編 神官奮闘記 二
「難しい問題ですね・・・。」
ルタシスを自室に招き、その考えを聞いたエンリアは眉根を寄せ、表情を曇らせる。
恩人ルタシスの話は、エンリアにも理解出来るものであった。
聖都に住む者として耳の痛い話ではあるが、森を切り拓き彼らを追い詰めたのは確かなのだ。
こちらへの攻撃も当然のものだ
それにイルハルの正義はもちろん、エルハルの慈悲も人間だけのものでは無い。
全てのものに向けられるべき、慈愛の心だ。
しかし現状、その主張は危険に過ぎる。
だからこそ、ルタシスは自分のところへ来て、二人だけで話をしているのだと理解はしていたが。
「俺達は、そこを目指さなくてはならない。
イルハルやエルハルの心を体現すると言う事もあるが、これはむしろこの聖都のためでもある。」
「それはどうしてでしょう?」
魔物との共生が聖都にもたらす利益。
エンリアには、それがどのようなものであるのか思い付けない。
エンリアも他の人間と同じように、魔物に対して脅威を抱いている。
その存在は生活を脅かすもので、対抗すべき敵であると教えられたし思ってもいる。
「魔物に対して一方的に奪って良い、殺して良いと考えている現状を改めたとしての話になるが。
共生出来れば、まず脅威として見なくてよくなるな。
そして彼らの生息圏で得られるものを分けてもらえるだろう。
そして彼らは、基本的には人間より丈夫だ。
別の脅威にさらされた時、共に戦える。
もちろん共生なのだから、それは双方向に与え合うものだが。
しかしいきなりそこへ辿り着く事は不可能だ。
だからまずは交渉か、最低でも不可侵を目指すべきだろう。」
国同士のやり方と、そう変わるものでは無い。
法国と皇国は互いの国境を定め、不可侵条約を結んでいる。
毎年何らかの交渉を行っているが、もう十年は変わり無い。
「同じようなものだ。
聖都と森の魔物とで、不可侵条約を結ぶと考えれば良い。
あちらにこれ以上被害を出さない代わりに、こちらを攻めさせない。」
「しかし、それでは木材が得られません。
街を広げるにも建物を補修するにも、木材は欠かせないものです。」
それは、人の住む場所には当たり前に必要な物資だ。
生活の基盤にある居場所のために必須の物。
ルタシスは頷く。
当然だが、ルタシスにもそれはわかっている。
ならば何か考えがあるのだろう
「交渉するのだ。
木材が必要なら、それに代わる彼らが欲する何かを渡すのだ。」。
それは、魔物をただの敵だと決め付けている人間には思いも寄らぬ考え。
奪う事を良しとし、与える事など考えもしない者共には決して選び得ない選択肢。
しかしエンリアには、素晴らしい事だと思えた。
それが実現すればエルハルの慈愛にも叶う、大きな希望だ。
「あなた様はまたも、私共を救って下さる・・・!
どうかその御心を、大司教様にもお聞かせ下さいませ!」
「もう聞いてるよ!」
突然、部屋の扉が大きな音を立てて開いた。
エンリアの簡素な自室に招かれ少々興奮気味になりながらも、それを抑えて自分の考えを説いた。
真っ白な壁に暖かい灯火の光、それに照らされる美しいエンリアに見つめられその背後には寝台。
(このような状況、煩悩を抱くなと言う方が無理ではなかろうか。)
煩悩との戦いは熾烈を極めたが何とか押し留めた。
そんな気持ちなど全く無く、こちらの気持ちに一切気付かぬエンリアに熱く語りながら、ルタシスは脳を全力で回転させる。
エンリアは慈愛と慈悲で出来ているような、素晴らしい女性だ。
きっと彼女なら、この話を聞いて理解してくれる。
ルタシスには協力者が必要だった。
そして聖都に知り合いは多くない。
必然的にエンリアを引き込む事を考えたのだ。
そしてその説得が終わった時に、扉が開け放たれた。
「もう聞いてるよ!」
そこには二十代中頃の、どちらかと言えば可愛らしい印象の女性が立っていた。
金の髪を首筋で揃え、前髪は眉にかかる程度。
白のローブに白のガウンを羽織り、緑と金の帯を首にかけている。
そして大きくはっきりとした眼の上の額には、緑の宝石のあしらわれた金のサークレット。
それは、エルハルの大司教を表す証の魔導具だ。
「大司教様!」
エンリアの言葉で確証を得る。
彼女が現大司教、ブレアーティアなのだ。
(これで三十代・・・だと・・・!)
ルタシスは言葉を失った。
エンリアはブレアーティアに椅子を勧め、自身はその後に控えた。
ブレアーティアが座るのを待って、ルタシスは挨拶する。
「お初に御目にかかります。
私はイルハルの神官、ルタシスと申す者です。」
「いいよ、普通にしてくれて。
エンリアがお世話になった方だよね?
その節はありがと。
こっちからお礼しに行くつもりだったけど、来てくれて助かったわ。
私はブレアーティア。
以後、よろしく!」
ルタシスが以前聞いていた通りに、奔放な人物だと感じた。
堅苦しい事が嫌いになってしまったルタシスには、ありがたい対応だった。
「こちらこそよろしく。
では楽にさせてもらうが、ブレアーティア殿・・・。」
「ティアで良いよ、堅苦しい。
私もルタ君って呼ぶし。」
(うわあ・・・。)
と内心で思うが、顔には出さない。
楽で良いだろうと思う事にする。
「では、ティア。
話を聞いていたのなら、あなたの意見が聞きたい。」
ティアはエンリアと同じように、難しい表情を見せる。
「私は、大歓迎。
最高に、素晴らしい事だと思うよ。
けど、実現するのはとんでもなく難しい事。
エルハルを信仰する慈悲の街だけどさ、やっぱり魔物相手だとこれまで刷り込まれて来た価値観があるから。」
ルタシスも当然だと考えている。
自分は法国に来て、素晴らしい人物から教えを受けて、それでもゆっくりとしか変わって来れなかったのだ。
突然変われと言ったところで受け入れられはしないだろう。
「でも、変わってくれそうな人達なら、心当たりがあるよ。」
「ほう、それは?」
「商人。
彼らは、利益があれば誰とだって商売する。
もちろん皆が皆そうじゃないから、選ぶ必要はあるけど。
でも彼らなら、やれると思うよ。
だから問題は、言葉かな。」
商売しようにも、意思の疎通が出来なければ伝えられない。
言葉が作り出す壁は、恐ろしく高い。
しかしルタシスには、一つだけ考えている事があった。
「中級魔法に念話がある。
それを使う事は出来ないだろうか?」
ルタシスは修得していない。
中級にまで、まだ手を出せていないのだ。
仮に使えたとしても、ルタシスでは意味が薄い。
この聖都にいる、魔術師でなければ。
「宮廷魔術師を引っ張り込むわけにはいかないよね。
そもそもあの人、何処にいるかも・・・。
まあ、魔術師の知り合いに相談してみようか。」
「頼む。
他に考えておくべき事は・・・。
ふむ、商人は俺が探してみよう。
冒険者の経験が活きるかもしれない。
魔術師をそちらに任せる。
よし、今日のところはこんなものだろう。」
ティアは頷き、椅子から立ち上がった。
「ごめんね、借りちゃって。」
そう言いながら、恐縮するエンリアを椅子に座らせる。
エンリアは余程ティアの事を尊敬しているのだろう。
焦る様子が微笑ましく見えた。
またね、とだけ残し、ティアは部屋を出て行った。
「俺もそろそろお暇しよう。
エンリア、今日は本当に助かったよ。
また会いに来る。
その時には、礼をさせてくれ。」
両手で手を握り、感謝を伝える。
エンリアは頬を染めて、笑顔を見せた。
自分の事を知らない人間ばかりなのは、ルタシスにとって好都合だった。
引退した身と知られなければ、冒険者として振る舞っても気付かれないのだ。
神官と思われても不便なので、ローブは着ずにおく。
胸当てはそのまま使うとして、上着と脚衣を新調した。
青を選んでしまうのは、職業病と言えるだろうか。
丸盾と剣、小剣をいつも通りに装着し、冒険者達の集う界隈へと足を運んだ。
聖都に住む人々を相手にするような商人達では、魔物相手の商売など話を聞くことすら出来はしない。
しかし敵としてではあるが、魔物と接する機会の多い冒険者を相手とする商人達ならどうか。
彼らなら、魔物と商売出来る可能性を多少は考えてくれるはずだ。
希望的観測に過ぎない事は理解しているが、そもそも難しい話なのだ。
多少の障害は覚悟の上だ。
ルタシスは商人を探した。
数日かけて、二つの大きな商会に目を付けた。
魔物との取引は危険を伴う。
その危険は、小さな商会や個人には大きな過ぎるものだ。
彼らには向かない。
そう考えて探してみると、四つ程の商会が候補に上がった。
しかし内二つは、会長に問題があった。
臆病と言える程に慎重であったり、他人をすら食い物にする悪漢であったり、だ。
後者は早速潰すための裏を取ったが、それにかまけて時間が過ぎた。
しかしこれを材料とすれば、他二つの商会と交渉出来る。
そうほくそ笑んでいると、街に馬車が着くのが見えた。
そしてそこから、見知った顔が下りて来るのも。
あちらもこちらに気付いたらしく、真っ直ぐに歩いてくる。
「久しぶりだな、ルタシス。」
「こっちに来たのか、ダールセフト。」
腕利きの盗族がやって来た。
これを使わない手は無い。
ルタシスはダールセフトを酒場に誘った。
ダールセフトは話を聞いて、呆れ顔となった。
「お前は、とんでもない事を考えるな。」
「しかし、やらねばならんのだ。
手を貸せ。」
やれやれ、と言った風だが、ダールセフトは拒絶しなかった。
酒を飲み干し、追加を注文する。
「引退組が、聖都で暗躍か。
良いだろ、面白そうだ。
もう一杯飲んだら、宿へ行こう。
話を詰める必要がある。」
「まずはな。
魔物側に出せる商品を用意させにゃならん。
はっきり言って木材だけじゃ話すら出来ない。
もっと利益の見込めるものでなければな。
それ無くしては、商談はならんと思った方が良い。
ま、魔物共の様子は俺が見に行こう。
ついでに何が出来そうか、考えておくさ。
お前は、念話の修得を試せ。
最初の交渉は、俺達でする事になるだろう。」
ダールセフトは今考えられる事を一つ一つ並べた。
それは必要な事だが、極めて難しい事だ。
「次には、魔物との交渉をまとめたとして、だが。
魔物から商品を受け取って、商会と交渉に入る。
お前が持ってる材料も良いが、主要なのはこっちだからな。
適当に打ち切られんよう、利益になる物を持って行かにゃならんから、これは魔物達次第だな。」
商品に何が用意出来るか。
それはまだ未知数だ。
ダールセフトの調査に期待するしか無い。
「第三に、後ろ楯だ。
魔物との取引を大神殿や法王自身が認めてくれなければ、いかに利益の大きい商売でも手は出さないだろう。
これは大司教様がかけ合ってくれるとは思うが、通らない公算が大きいな。
ルタシスは皇国の生まれだから理解していると思うが、魔物は悪いものである、と言う価値観は程度の差はあれど法国でも皆が持っている。
それを覆すことは、法王をもってしても難しいとしか言えない。
だから俺達は、法王ですらも頷けるだけの材料を用意しなければならん。」
事の大きさを改めて認識させられる思いをルタシスは抱いていた。
しかし退く気にはならない。
これも、己の信じる正義のためなのだ。
「今は一つ一つ片付けて行こう。
ダールは調査、俺は魔法だな。」
「それから、大司教様とは情報を共有しておけよ。
法王を納得させる何かに、気付いてくれるかもしれんからな。」
魔法の修得には、彼女の協力が必要になる。
その際に話しておけるだろう。
翌日二人はそれぞれに、それぞれの目的へと向かった。
魔法修得の件は、簡単に引き受けてもらえた。
問題はもう一つの用件、法王の説得だ。
「法王様の立場上、なかなか難しいのよね。
だから、あくまで最終目標で良いと思うよ。
大司教の私が魔物に対する慈愛は説いて回るし、大神殿自体が魔物を否定した事も、実は一度も無いんだよね。
その辺りも合わせて、説得して行くよ。」
法王へ話す機は、任せてしまった方が良いだろうと判断した。
ティアと法王は繋がりのある間柄であるし、思想や理念についての事は大司教である彼女からも口を出し易い。
大司教の立場を悪くさせてしまうのも考えものであるし、それならば任せた方が上手く動いてくれる。
そう考えた。
そらからティアは、ルタシスを一人の男に合わせてくれた。
年老いた老人だが、不思議と力強さを感じる。
右腕に黒い宝石のついた腕輪をしており、その黒の深さが目を引いた。
「こちらは私の友達のルタシス。
ルタ君、このお爺ちゃんは私の祖父。
前宮廷魔術師のブレイアルタスだよ。」
「孫から聞いておるよ。
色々手を貸してくれているとな。
これからもよろしく頼む。」
握手を交わす。
そこに力は感じないが、この人物から溢れる迫力はこれまでに培ってきた経験によるものであろう。
その気配は、ルタシスをも圧倒する。
「よろしくお願い致します。」
それからルタシスは、魔力の在り方、扱い方、練り上げ方から増やす術まで、細かく指導を受けた。
これまでのやり方はティカに習ったものであったが、ブレイアルタスから見ればまだまだ不充分なのだろう。
「魔力とは、魂から引き出される力だ。
魂の殻に守られておるから無駄に拡散する事は無いが、ひと度外に出れば散り行くのみと考えよ。」
それを避けるために、魔術師は杖を使う。
ルタシスは持たないが、それは普段あまり使わないもののために荷を増やしたくなかったからだ。
しかしここ最近、使う事が増えている。
それは単純に、ティカがいないからだ。
魔術師がいないのだから、自分で使うしかなくなっていると言う、極めて単純な理由に過ぎない。
そんな理由があって、そろそろ杖の購入を考えておかなければならなくなっていた。
そしてブレイアルタスの講義は、それを再確認させられるものだった。
「大きくするには内に留め、溜め込み、殻を押し拡げるように想像するのだ。
肺に空気を取り込み息を止めた時の、空気が肺を押す感覚に近い。」
ルタシスは瞑想する。
自身の中の、魂の殻を。
魔力の流れを感じ、支配し、そしてその流れの行き着く果てをさらに押し、進める。
少しずつ、偏り無く。
「中級魔法は、魔力を練り上げ発動出来ればその才がある証となる。
練り上げたにも関わらず発動出来ないのであれば、その者にはそれ以上の才は無いと言う事だ。
ルタシス、お主はどうかな?」
ルタシスは想像し、左手の平で魔力を練る。
ぐるぐると回し、求める形に。
そして収束し、弾ける。
(師よ、聞こえておりますか?)
(うむ、成功だな。)
念話が発動していた。
ルタシスは、中級魔法への適性を示した。
「おめでとう。
お主は神官でありながら魔術師となった。
さらには戦士としての腕も持つと聞く。
これから何をして、何処を目指すのか。
楽しみにしておるよ。」
「ありがとうございました、師匠。
このご恩、決して忘れません。
師匠と、そして大司教へ、全霊をもって返させていただきます。」
中級魔法書を授かり、短杖を購入して宿へと帰る。
杖は盾に仕込む事とした。
それから魔法を一つ一つ覚えて行き、夜が明ける頃には全てを修得していた。
「特殊魔法は残念ながら、覚えられなかったな。」
師によれば、それは魂に刻まれた刻印によるもの。
無ければ無い方が、魂にとっては良いのだと聞いた。
ならば付与を使うレンは、魂にすらも傷を負っていると言うのか。
それを思うと、その身の不幸を考えずにはいられない。
今もユニアと、楽しく過ごしているだろうか。
自分も早く帰って、その笑顔に会いたいと思ってしまう。
しかし、今はやるべき事がある。
ダールセフトを待ち、更なる一手に備えるのだ。