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銀の魔導   作者: 雪仲 響


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121 黒い影

 海の上で一泊した四人は、夜が明けると再び町に向けて漕ぎ始める。

 夜中に一人泣いていたドルエンも、朝になれば元のぶっきらぼうな表情の老人に戻っていたが、時折後ろを振り返っては島のある方を見て物思いに耽っていた。

 トムとマルティアーゼはその様子を何度も見ていたが、声を掛けようとも思わず先頭を行くルンバの後を静かに付いていくだけだった。

 マルティアーゼは胸の治療に専念し、トムは汗を流しながら馴れない舵を必死に取っている。

 海は穏やかで風もあまりないので船は人力で漕いでいくしか無く、陸の見えない海原をルンバの進む船は速く、付いていくだけで精一杯だった。

「このままだと今日も海で一泊かしら……」

「そうかも……はぁはぁ、知れませんね、風でも吹いてくれればこの暑さも和らぐんですがね」

 汗も直射日光で直ぐに乾いて肌に白い塩が浮き出ていた。

「少し休憩してもらいましょう、こっちは海に慣れていないのに一日中漕ぐのは無理よ」

 マルティアーゼの提案に二艘が寄り添い、潮に流されないよう繋ぎ止めると一息入れた。

「なんじゃ若いもんがだらしないのう、はっはっ」

 ルンバの浅黒い肌にも薄っすらと汗が滲んでいたが、元気にトムに声をかけてきた。

「まぁええ、此処までくればあと一息じゃしな、今夜には町に帰れるじゃろう」

 トムはあまりの暑さに腰の荷物を外すと、そのまま海に飛び込んだ。

「ぷはぁ、気持ちいいですよ、マールさんもどうですか?」

「私はいいわよ」

 冷たい海水に一気に火照った体が冷やされていく。

 ひとしきり泳いだトムは船に上がると、今度は冷えた体を日光で温め始めた。

「海の底が手に届くぐらい浅いですね、陸が近いからでしょうか」

 トムの二人分ぐらいの深さの海底にも所々砂地が見えてきていて、色も明るく透き通って見えるようになっていた。

「早く陸に上がりたいわね」

 自分達が居た懐かしい大地に早く戻りたい気持ちで一杯のマルティアーゼは、船に積んだ竜の骨を見て、陸に上がってもまだしなければならない事が残っていると考えていた。。

 冬が始まる前に鍛冶屋のボルドに骨を届けておきたかったし、スーグリのこともあった。

 アルステルを出てゆうに一ヶ月は経っているので、スーグリが一人でちゃんと過ごせているか、また何処かの輩に騙されていないだろうかと気になっていた。

(アルステルに帰るのはあと一ヶ月は掛かるかな……)

 その日も結局夜を海の上で過ごすことになり、事件は次の朝に起きた。




 船の上で朝食を摂って出発の支度を始めた四人は、トムとルンバが櫂を手に持ち波をかき始めると、

「……なんだ」

 ルンバの表情が怪しく曇った。

「おかしいぞ、海が暗い……」

 四人が自分達の船の下を覗き込んだ。

 確かに四人の乗った船の周りの海だけが異様に暗く、周囲の明るい青とは異なった色をしていた。

「…………はっ! いかん、直ぐに逃げろ、漕げ、漕げぇぇぇ」

 ルンバにはこれが何か分かったみたいで、大声を出してトムに早く離れるように叫んだ。

 訳が分からなかったトムだったが、ルンバの声に呼応して櫂で波を掻き分ける。

「黒い影だ、此処から早く出るんだ!」

 ドルエンも理解出来たようで、船の縁にしがみつきながら海を覗き込む。

「儂も長年漁師をやっっとるが初めてじゃ……、内海じゃ黒い影の怪物に気をつけろと云われとる、そこを通った船は何もかも飲み込んでしまうとな……」

「……」

 マルティアーゼはなんと言えばいいのか、やっとの思いで竜から逃げてきたというのに、今度は海の怪物に出くわすとはどれだけ不運なんだと、自身の運の無さに呆れていた。

 黒い影は二艘を追うように移動してくる。

 逃げようと必死に船を漕ぐが、黒い影はじわじわと船の下を浸食するように追いついては離れてを繰り返してくる。

「怪物ってこの黒い影が生き物なの?」

「どんな生き物なのか分かりませんが、いい出来事ではないことは確かでしょう」

 ルンバの後をトム達の船が追走してその後ろから黒い影が追いかけてくる、青く透き通る海の真ん中を上空から見たら、二つの点と黒い円が移動してる奇妙な光景が見えただろう。

「もっと早く漕がんか、追いつかれてしまうぞ」

 前方からドルエンが叫んでくるが、トムにはこれが精一杯だった。

 まだそれほど移動していないにも関わらずトムの体からは汗が吹き出し、腕の筋肉ははち切れんばかりに筋肉が張っていた。

「相手が水の中では魔法も届かないわ」

 トムの疲労も限界に来ているのは見ていても分かる、しかしマルティアーゼに船の操縦が出来るわけもなく、ただ見守るしか無かった。

「おおい、陸が見えてきたぞ、もう少しじゃ頑張れ」

 薄っすらと水平線に盛り上がった陸が見えてきたが、逆に陸との距離が分かった事で、其処に着くまで到底体力は持ちそうにないと絶望的な気持ちになった。

 黒い影は一向に離れる様子もなく、二艘の船をあざ笑うかのように急き立てては一定の距離から近付こうとせず、体力がなくなるのを待ってるように見えた。

「元気のいい魚は食わない、のことわざみたいね……、私達が弱るのを待ってるみたいだわ」

「海では私達は恰好の獲物でしょうがね、簡単に食われる訳にはいきませんよ」

 だが、どんなに強がったことを言っても船の速度は落ち始め、櫂を漕ぐ力が弱くなってきていることは疑いようもない事実であった。

「トム頑張って!」

 徐々にルンバの船との間に差が出来てきて、とうとうトムは漕ぐのを止めてしまった。

「……はぁはぁ、もう限界です」

「私が代わるわ」

 マルティアーゼはトムを休ませ、櫂を受け取ると見よう見まねで漕いでみた。

 初めの内は中々水をとらえることが出来ず、溺れたみたいにじゃぶじゃぶと水飛沫を上げるだけだったが、トムの助言もあり少しづつ前へと進み始めた。

 それでもかなり遅く、殆ど進んでいないのではないかと思うぐらい景色に変化が見えない。

「水がこんなに重いなんて……」

 剣の素振りの練習でかなり筋力がついたと思っていたマルティアーゼだったが、ものの十分もしないうちに息が上がり、漕ぐ力が入らなくなった。

「もう力が出ないわ……」

 船が完全に止まったのを黒い影は見逃さなかった、ぐんぐん速度を上げてマルティアーゼの船の真下に迫ってくる。

 気付くと船の周囲が暗くなり、マルティアーゼ達は息を呑んで周囲を見た。

 もう漕ぐ力もなく、ただ船の縁にしがみついて振り落とされないように待つだけの状態でしかなかった。

「馬鹿者が何しとる、さっさと逃げんか!」

 ドルエンの張り上げた声が聞こえてきたかと思うと、水面がせり上がり船が激しく揺れた。

「ああ……トム、しっかり掴まって、落とされるわ」

 船にしがみつき木の葉のように振り回されるマルティアーゼ達に、引き返してきたルンバの船が横から突進してきて、マルティアーゼ達の船の横っ腹にぶつかり押し出される様に黒い影の外へと流されていった。

「はよ逃げろ、陸はすぐそこじゃ」

「ドルエンさん!」

 トムが叫ぶ、ルンバとドルエンの船は盛り上がった水面の頭頂部から、渦のように開いた穴へと吸い込まれるように落ちていった。

 落ちていく穴は船を軽々と飲み込むぐらいに大きな渦を作り、鋭利な刃物のような歯が見えたかと思うと、二人の姿は一瞬にして海の中に消えていった。

 落ちていく刹那のドルエンの時が止まった驚愕の表情には、死を受け入れようやく息子と同じ場所に行けるのだと、安堵した少し微笑んでいるように見えた。

「あああぁぁ……」

 それを見ていたマルティアーゼの悲鳴も大きな渦の中へと吸い込まれていく。

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