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「あの人は!」
「……ドルエンさんだわ、どうしてこんな所に……」
この船を売ってくれた老人が海の上でこちらに手を振っていた。
何故こんな場所にいるのか、南へは漁に出てはならないと言っていた本人がこんなに遠いところまで何をしに来たのか、戸惑う二人は顔を見合わせたまま船を横付けしていった。
「お前ら無事だったのか……、あの島に行ったんだな」
ドルエンが二人を見て、生きて島から出てきたことに驚きもしたが安堵したようでもあった。
「どうしてこんな所に……南側では漁は行っていないのでは無かったのですか?」
逆にトムは、ドルエンと隣りにいるもう一人の老人に聞き返した。
「当たり前じゃ、漁などをしに来たわけじゃない、お前達を迎えに来たんじゃ」
「いや……しかし、何故我々が此処にいると分かったのですか……、此処にくることは教えていなかったのですが」
「ふんっ、そんなもん初めから分かっとったわ、何が貝だ……そもそもお前たちのその格好が漁に行く格好をしとらんではないか、嘘も上手くつけんのなら初めから云うもんじゃない」
ドルエンは怒ったように強い口調で言ってきた。
「……本当のことを言えば船を売って貰えないのではと……、しかし、それでは何故船を売ってくれたのですか?」
「……儂にも分からん、お前を見ていると三十年前の息子の顔が頭によぎったんじゃ、お前達なら儂の願いを叶えてくれるのではないかとな……、ふとそう思ったから売っただけじゃ、儂の勝手な願いを押し付けてもうたから心配になってこうして来たんじゃ」
ドルエンは言いにくそうに口ごもって言い放つ。
「願い? ですか……」
「…………息子がとうに死んどるのは理解しとる、だが親としてはその事をずっと受け入れられずに……いつか又、家に帰ってくるのではないかと毎日海を見て待ち続けていた……、儂ももう歳でそう長くは生きられん、生きている内に息子の死を受け入れ気持ちの整理をつけたかったのかもしれん、それをお前達なら出来るのではないかと勝手に思っただけじゃ……」
ドルエンの目には、三十年間息子を待ち続けた想いが涙となって浮かんできていた、そして、そっと雲に包まれた島に目をやった。
「私達はあの島に行ってきました、そこであの島がどんな所なのかを見てきましたよ、あの島に来た人達がどうなっていたのかも知っています」
トムは冷静にドルエンに答えた。
「…………」
返事はなく、トムから語られるのを待ち続けているように、ドルエンは静かに次の言葉に耳を傾ける。
「皆、亡くなっていましたよ……、誰のものかは分かりませんが多くの亡骸も確認して来ました、生きている人はいませんでした」
一見非情にも思えるトムの冷静な言葉はドルエンの胸を締め付ける、分かっていたとはいえ現実的な言葉に衝撃を受けたようだった。
「……そうか、すまんな……有難う」
下を向いたドルエンから零れ落ちる涙が陽光で反射した、長く待った事実に背中の荷が降りたみたいで、涙を拭いたドルエンがトムを見た。
「何よりお前達が生きて帰ってこられただけでもよかった……」
「ドルエンさん、これを……貴方の他に待ち続けている人がいれば渡してあげて」
起き上がったマルティアーゼが首から銀の首飾りを取り外して、ドルエンに渡した。
「あの島で拾ったものよ、ドルエンさんの他にも長い間待ち続けている人達の元に返してあげて欲しいの」
「……これは! 息子のカルエンのじゃ、おおっ……おおお……、儂があ奴の成人に送った首飾りじゃ……ああああっ、カルエェェェン」
ドルエンは首飾りを見ると熱い想いが一気に込み上げてきて、これが息子の死を決定的にさせた。
ドルエンは首飾りを胸に抱きその場で泣き崩れる。
何もない大海原の真ん中で、人目もはばからず子供のように泣く老人の声は、何処にいても聞こえるほどにいつまでも鳴り止まずに海の上を漂っていく。
「ドルエン良かったではないか、カルエンの形見だけでも戻ってきたんじゃ、この二人に感謝せにゃならんな」
隣りにいた老人が優しくドルエンの肩をそっと叩くと、目配せでトム達に礼を言ってきた。
「儂はドルエンの昔からの友人でルンバだ、カルエンの事は儂もずっと気にかけてたんだ、カルエンが居なくなってからこいつも何かポッカリと心に穴が空いたように仕事に力が入っとらんかったしの、俺等の町は若いやつが少ないから町の子供達は皆、自分の子供のように可愛がっとったんじゃ、あの大事件を知っとる者も年々少なくなってきとる、じゃが儂等の世代だけはあの事を昨日の事のように思えてならんのじゃ、しかもこいつは事件の当事者の親じゃからな、儂等もなんて言ってよいか分からず中々話づらかったが、これでようやくこいつも安心出来るじゃろう、有難うよ」
白髪の老人は、その深い皺に刻まれた年月と同じぐらいに深い溜息を漏らして、ドルエンにこう言った。
「ドルエンや、早く町に帰ってちゃんとカルエンを弔ってやろう、儂等の時間も残り少ないんじゃ、ここらでもうきちんと決別せにゃならんぞ」
ポンポンとドルエンの背中を叩くと、ルンバはトム達に帰ろうと言ってきた。
「……一体どうして、どうして息子は死んだんじゃ? あの島で何があったと云うんじゃ、知ってるなら教えてくれんか」
顔を上げたドルエンが泣きはらした赤い目を向け、年老いたとはいえ一瞬たじろぐほどの鋭い眼光に、トムは言葉に詰まった。
「うっ……それは……」
「事故か? それとも誰かに殺されたのか、何が一体息子を死に追いやった」
「憶測ですが、かなりの確率で……この骨の持ち主だと思います」
トムが船に積んでいた骨をドルエンに見せた。
「……? なんだそれは……」
「竜です……伝説と云われている竜の骨です、私達はこれを求めてあの島にやって来たんです」
「竜……だと、そんなもんがあの島に……」
白い渦巻く雲に隠された島に、そのような生き物がいた事を知ったドルエンとルンバが目を見開いて驚いた。
「私達も見たのは初めてでしたし一匹や二匹ではなく何匹もいて、目につく物……仲間ですら獲物として襲っていました、剣や魔法も効かず、あれは常人では到底太刀打ち出来ない特別な生き物です、私達も命からがら何とか島から逃げてきたんですよ」
「おおっ……そ、その竜に息子は食べられたのか……」
ドルエンが震える手で骨を指差す。
「骨の散乱する広場、墓場とでもいいますか、そこで首飾りを拾ったんですよ、ですから多分……」
「……」
それを聞いてドルエンの目にはまた涙が浮かんできたが、声を上げることもなくぐっと堪えた。
「ドルエンや、もう何をしてもカルエンは戻ってこん、今更仇を討とうなどとは思うなよ、儂等はもう歳を取りすぎたんじゃ」
「分かっておるさ……」
肩を落とすドルエンにルンバは二、三回背中を叩くと、
「君達ももう帰ろう、もうこんな場所には二度と来ないことだ、さぁ行こう」
ルンバが船を漕ぎ出すと、二艘の船が静かに町に向けて動き出した。
ゆっくりと確実に島から遠ざかり、暗くなる頃には島の欠片すら見えなくなっていた。