116 闇夜の相手
「あんな生き物が大陸にもいるだなんて……、大陸はもう人々が住まう大地だとばかり思っていたわ、人が踏み入れた事がない場所なんてないと云うぐらいに世界の何処を行っても人を見かけていたのよ、もしかして私達はものすごい勘違いをしているのかしら……、人は繁殖に長けているだけで大地を我が物顔に席巻していったけれど、本当の支配者は竜のように繁殖することが長けていない生き物なのかもしれないわ、剣や魔法でも倒せない生き物がもし大陸で暴れまわったら人々はどう思うかしら……、只、逃げ惑い捕まって食べられるだけしかない、竜にとっては又とない大量の餌が群がっているのよ、まさに楽園……竜達は人目のつかない場所でその時を待ち、人々は自分達が餌になることを知らずに数を増やして大陸の覇者と思い込み、良い頃合いを見計らって竜が大陸を蹂躙しようとしているとしたら……、人の時代は終わるのよ……」
マルティアーゼの想いは熱を帯びていき、妄想の広がりはこの上ない領域にまでなっていくのを、トムはマルティアーゼの肩に手を置いて止めた。
「マールさん落ち着いて下さい、とんでもない話になっていってますよ」
マルティアーゼの瞳には焚き火が映り込んでいて、燃えるような眼差しは竜達による人類滅亡を見据えているような絶望を宿していた。
「人間はそんなに簡単には奴らの餌になんてなりませんよ、例え奴らが襲ってきても人は手をこまねいて黙ってるわけがないでしょうし、どれほどの人が住んでいると思ってるのですか、竜といえど人類を食べ尽くす事なんて出来やしないですよ」
「でもあの力は強大だわ、例え人類を滅ぼせなくても国の一つや二つを滅ぼす事は出来るわよ、そこに住む人達にとって自分達の死は人類の滅亡と同価値でしかないのよ、国が……何百年も掛けて造ってきた国が破壊尽くされ、抵抗する兵士の死体が折り重なり、人々の悲鳴と貪る音が響き渡り、残されるのは廃墟となった残骸だけ……」
マルティアーゼの瞳の奥には残虐な映像が思い起こされているのか、小刻みに震えて視点が定まっていなかった。
「私には竜が人を滅ぼそうと明確な意志を持っているとは思えませんがね、奴らはただ目の前の肉にかぶり付くだけが目的で動いていた様にしか見えませんでした、確かに力はありますがただの獣と同じですよ、人間を食糧にする意志があるのなら他の竜達もは私達にも襲いかかっていたでしょう」
マルティアーゼの瞳から輝きが消え失せ、元の彼女のようにくりっとした目を瞬かせてトムを見てきた。
「……ふう、考えてみればそうよね、彼らの圧倒的な力を見せつけられて少し興奮しすぎてしまったみたい、そう……ただの動物、少しばかり人より大きな力を持っているだけに過ぎない獣よね」
気付くと、マルティアーゼは握りしめていた干し肉の油で指が濡れていて、そっと干し肉を手放し自分の手を見つめた。
(自惚れではないけれど、私の魔法でも倒すことが出来ない相手がいたのね、世界は広くこの先も魔導だけに頼っていくのは難しいわ、これも運命かしら……武器を作るために此処まで来たのは、私に魔導だけではどうにもならない者がいるってことを分からせる為の……、今の私から魔導を取ってしまえば只の我儘な女でしかないってのを身に染みて分かったわ……)
「もう今日は休んで下さい、今晩は私が起きていますので体を休めて下さい」
そう云われても直ぐに寝ることが出来るだけ心が落ち着いていなかったが、今はもう朝になるまで何もすることがなかったので、マルティアーゼは岩にもたれ掛かって目を瞑った。
とにかく力を抜いて体力の回復に努めようとするが、瞼の裏にキラキラと光る明かりが起きているという意識をさせて、そのせいで頭の中にいまだに激しい戦いの記憶を思い起こさせて、落ち着こうと思うほどに色々な事が脳裏によぎってくる。
トムが小さな焚き火を消すと、目を開けても自分が目を開けているのかいないのか、その感覚も分からないほどの真の暗闇で支配されていく。
瞼に入る明かりが無くなると力を入れなくても真っ暗で、それが逆に良かったのか、ゆっくりと呼吸が浅く体に脱力感が出てくる。
狭い岩場の空間に彼女の寝息が聞こえ始めるのにそれほどの時間は必要がなかった。
ことりとトムの肩に頭が寄りかかり、近くに聞こえる彼女の吐息を聞きながら、トムは起こさぬように身じろぎもせずじっと闇夜の空間を見つめ続けた。
島での野宿は初日と違い、緊張と警戒の交差する不安な夜を迎えるのであった。
ガサッと、微かに葉の擦れる音に頭をもたげたトムは、いつの間にか眠っていた事に忸怩たらざるを得なかった。
「……」
岩場を出た直ぐ前で聞こえた音はそれきり聞こえてこない。
未だ目の前は暗く、夜が明けるにはまだ時間が掛かるだろうし、明けたとしても厚い雲に覆われた空から光が差し込んでくるにはそれ以上の時間が掛かる。
隣からはマルティアーゼの規則正しい呼吸が静かに聞こえていて、今の音に気付かずに寝入っている。
(何かがいるのか……何も見えない、火を点けたくとも居場所がバレるのは状況的にまずい……どうしたものか)
何も見えない聞こえない事にこれほどの恐怖に包まれると、普通の人間なら耐えられず発狂していたかも知れない。
竜のような巨体でさえ、広場に現れるまで二人に気付かれずに近寄って来られただけに、いま物音が聞こえなくても信用が置けなく、もし、明かりを灯して眼の前にあの巨大な竜の顔がこちらを覗き込んで口を開けていたら、と考えるだけで恐ろしい。
いつの間にかどちらが先に音を出すのか、忍耐勝負になっていた。




