騎士団の長老
「違法薬物の名前ってのは覚えるべきなのか?」
「この辺の、大陸法で所持も禁止されているものについては名前と特徴を一通り。売買が規制されているものは概要くらい。この下の『参考』の欄のは大陸法では規制してないから暗記しなくていいけど、これとこれとこれは、イーカル王国の王国法で制限があったはず。あと、こっちの二つはイーカル王国では問題ないけど隣のヨシュア王国で規制されているからうっかり輸出されるとマズいやつ」
ダウィの指し示す所に印をつけつつ、唇を尖らせてぼやく。
「周辺国の法律も関係してくるのか」
「俺たちは取り締まらないけど、何かあった時のために知識くらいはね。
辺境騎士団として守らなければならないのは『大陸法』。特にさっき印をつけた所だね。それを覚えたら次に――」
「ダウィいるかー?」
突然上がった呼び声に、ダウィが返事をしながら振り返る。
つられて声の主を探すと、廊下へ続く扉の辺りでエンシオが手招きしていた。
「何か用事?」
「さっき長老が帰って来たんだけど」
「ああ、早いね」
「なんかダウィを呼べって言ってる」
「どこ? 隊室?」
「団長室」
遠ざかる会話を聞き流しながら本へ戻した視界の端を、暗い色の服を着た人影が過る。
誰だ?と再び顔を上げると同時に怒声が響いた。
「遅いわ!」
ジアードの傍らを抜けダウィの背後に迫っていたその人物は、棒のようなものを振り上げて目の前の後ろ頭を小突いた。
その瞬間、ダウィの頭は勢いよく前に弾かれた。小突いただけなのに。
「うわっ!」
たたらを踏み、叩かれた部分を両手で抑えたダウィが恨みがましい目でその人影を見下ろした。
「いきなりなんですか!」
ジアードは目を見開いた。
ダウィが一方的にやられる事も珍しければ、ダウィが敬語を使っている事も珍しい。
それは、ずいぶんと小柄な老人だった。
背はダウィの鳩尾ほどまでしかなく、薄くなった白髪を後ろに長して旅装束に身を包んでいる。長い棒と見えたのは杖だった。握りの部分に猛禽類の頭部が刻まれた杖。それを老人は枯れ枝のような指で撫でまわす。
「儂を待たせるでない」
偉そうな口調で老人が言った。見た目や言葉遣いの割にはりのある声だ。
「今日来るなんて聞いてないですよ」
「それくらい計算せえ」
「出発日時すら聞いてないんだから無理です」
文句を言いながらも下手に出たままのダウィの姿にジアードは目を瞬かせる。
あの、誰に対しても態度を変えないダウィが、だ。団長にすら敬語を使わないあのダウィが、敬意を払っているように見えた。
「なんだ、あの爺さん」
思わず漏らした呟きにエンシオが小声で答える。
「長老。文字通り、騎士団で一番年長の騎士だよ」
続く言葉に言葉を失った。
「ここの創設の時から居るとか」
「――――は?」
「いや、マジで」
「……辺境騎士団創設って、聖戦の頃だろ? いくつなんだあの爺さん」
「噂では五百歳超え。真偽は知らん」
呆気にとられるジアードをよそに、長老とダウィの言い合いは続いていた。
「聞きたい事はいっぱいあるんですが」
「儂も言いたい事がいっぱいある」
「まずその格好はなんなんですか」
「似合っとろう?」
「変です」
「子連れで旅をするのに違和感がないように、おじいちゃんと孫の設定にしてみたんじゃ」
「その子供は」
「ちゃんと預けて来たわい」
「ありがとうございます」
「だが、身勝手が過ぎるわ――」
老人か杖を振り上げる。一瞬杖の先が光ったように見える。
「この馬鹿者!」
今度は杖で正面から小突いた。また、ダウィの頭が激しく揺れる。
「いちいち魔力を使うのやめてください!」
ダウィが額を押さえて睨んだ。
「お前はこれくらいしないと堪えんじゃろう」
杖の握りを撫でながら長老は頭を振った。まばらな白髪が右に左に揺れる。
「毎度毎度、あの子の負担を増やしてどうする。ただでさえ去年も魔力飽和で」
「体調の事なら職員がいるから大丈夫だそうです」
「素人が何人いた所で何の役にも立たん」
「いざという時の対応は相談してます。彼女の雇い主にも」
「――なら良いが……ああ、その件でゼアが確認したいことがあると言っておった」
「わかりました。団長室ですね」
今度こそ、ダウィは部屋を出て行った。
老人は腰をたたきつつ、エンシオに向き直る。
「今、団長と話してきたんじゃがな。エンシオ」
「はい」
「イーカルへ行け」
「はい?」
「イーカル支部の立ち上げだ。新人一人やる訳にはいかんじゃろ」
「そりゃそうですが――イーカル語をしゃべれるダウィあたりが行くんじゃないんですか?」
「あれは妻子持ちだ。そもそもそんなに長い事異国に送れん」
「……長い事行くんですか」
「ある程度落ち着くまでかの」
「それにしたって俺以外にも独身の奴なんていくらでもいるでしょう。だいたい、俺が抜けたら隊長代理は誰がやるんです?」
「ダウィがいる。ユトでもいいが、あれが上司だと息苦しそうだ」
「俺は実家の問題が」
「遠国に派遣されたとあれば説得の材料にもなるじゃろう。それに『あちら』にはお前のイトコも居るらしいからちょうどいい」
「イトコ? 誰の事ですか。俺聞いてないですよ」
「あー……なんという名前だったかの。ダウィに聞くといい。アレは会ったと言っていたからな」
あっという間にエンシオのイーカル支部行きが決まったらしい。
ジアードからすれば心強い話だが、口をパクパクさせたままの彼は大丈夫だろうか。
長老は顎髭を撫でつつエンシオに命じた。
「今日から――いや、もう終業時刻か。明日だな。明日から、ダウィにイーカル語を教わって来い」
エンシオの目から光が消えた。
* * *
「ぅウ」
「うー」
「ぅウ」
「うぅ?」
「もうちょっと舌の位置が下かな。『ぅウ』」
「ゥウ」
「惜しい」
ダウィに発音を直されながら、真新しいノートに丁寧に文字を書き連ねているのはエンシオだ。
今彼が取り組んでいるのはイーカル語の母音だ。文字自体は共通語よりもわかりやすいイーカル語だが、母音の数も子音の数も共通語より多く、話す方は共通語よりも難しいと言われる。
エンシオも母音の違いを聞き分けるという初歩の初歩で躓いているようだ。
イーカル王国へ行くことが決まった彼はあと数か月でこのイーカル語をマスターしなければならない。なかなかの難題だ。
ジアードも全面的に協力すると言ってはあるが、自分の勉強もしなければならないため大した事も出来ないだろう。
今日は昨日の続きで、「絶体に覚えろ」と言われた違法薬物の名前を書きだしていた。麻薬の類だ。
多幸感を与えるが常習性があり、人を廃人にする「コウチアオネ」。これはイーカル王国でも度々問題になっていた。
完熟した実を食べると幻覚を見る「ニオイオウジャクの実」と強い催淫作用がある「クロオウジャクの実」。体内魔力に作用して一時的に身体能力を高めることができるが、副作用で臓器をボロボロにする「アカバマツリソウ」。これらを使って生成した「淑涎香」って薬が遠い昔に大問題を引き起こしたとかで、現在は全草の所持が認められていない。うっかりでも畑に生えていた日には、家族全員しょっ引かれたあげく家中検められる事になる。
薬物とその原料の名前を書きだしていたら、廊下へ続く扉が開いて背の低い少年が現れた。
――少年⁉
ジアードは二度見した。
しかし、どう見ても少年だ。
童顔のミカとは訳が違う。十代前半の、まだあどけなさの残る子供だ。
なぜこんな所にと見つめていると、少年は、すれ違う事務員たちと挨拶を交わしながら事務室の奥――ジアード達のいる長机へまっすぐに向かってきた。
事務員たちの誰も咎めない事に眉を寄せる。
「学校みたいじゃな」
変声期前の澄んだ声が放つのは、それに似つかわしくない古めかしい言葉遣いだ。
「笑い事じゃないです」
エンシオはまだ数行しか書いていないノートに突っ伏した。
「もう挫折しそう」
「早いよ」
ダウィが笑う。
二人とも少年の存在を普通に受け入れている。
「せいぜい精進するが良い。
ところで、そこの見ない顔は」
「ああ、ジアードだよ。イーカル王国から来た騎士見習い。イーカル支部に移るまではウチの隊で面倒を見る事になったから、よろしく」
「そうか。お前が――ジアード」
少年は目を細めて微笑んだ。
まただ。
この国に来てから幾度目かになる、この感じ。誰もがジアードを通して別の誰かを見てる。
「儂はグラーニス。気軽に長老と呼んでくれて良い」
「長老って、昨日の」
思わずダウィとエンシオを確認すると、二人はそろって頷いた。
「え、あの爺さんが、このガ――?」
子供、と言いかけて口をつぐんだ。
殆ど口にしてしまった後なのでダウィは盛大に笑っていたが。
「ははは。そうそう、同一人物。
昨日は任務の都合で老人の恰好をしていたけど、普段はこの若ぶった姿が多いよ。
長老は人間と違って体が魔力で出来ているから、思うままに姿形を変えられるんだ」
「人間と違って?」
少年にしか見えないその姿を頭のてっぺんからつま先まで観察するが、やはり特別なところは何もない。
手足は二本ずつ。尻尾や鱗は見る限りどこにも生えていない。髪や目の色だってジアードと同じ黒色だし、子供らしい血色の良い肌は触り心地が良さそうだ。
「人間じゃないのか」
「儂は妖族。こことは違う世界に住む種族じゃ。特技は変装。精神に干渉する魔術が大陸法で禁じられちまったから戦闘じゃ役に立たん爺になってしもうた」
「こんなこと言ってるけど、騎士団の中では魔術の第一人者だよ」
人間じゃないんじゃなんでもありだな。と思ったが口には出さなかった。
「ダウィはエンシオにイーカル語を教えているのじゃな。
それで、新入りは放置されていると」
「手が足りないんですよ、代わってくれます?」
ダウィの言葉に、長老は顎を撫で撫で考える素振りをみせた。
「ふむ……イーカル語は教えられぬが、新人教育ならやっても良い」
「本当に⁈」
「今は継続案件だけじゃからな。
そうさな。年長者らしく『悪いコト』でも教えてやろう」
「長老はまたそういう」
呆れた視線を受けても、長老は呵呵と笑い飛ばしてしまう。
「ダウィにゃ教えられんじゃろうが」
「……ほどほどに、ですよ」




