報告書の提出
くぁ、とタイがあくびをした。
事務室の奥の大テーブルの下。飼い主の足元。
足を組み替えても蹴られないぎりぎりの所で丸くなっている。
タイの声はもう聞こえない。
あの日、寝て起きたらもう聞こえなかった。
一度くらい言葉を交わしてみたかった気もするが、あれは竜の棲み処という特別な場所で起きた特別な出来事だったのだろう。
ジアードはテーブルの下からはみ出した尻尾を眺めつつ、ペンを握りなおした。
本日のジアードの課題は報告書だ。
竜の棲み処へ行った件の報告書を一人で書いてみる事になった。
今までもダウィの作成した報告書を見てきたし、軍隊時代と違ってここではフォーマットが用意されているので、そう難しい物ではない。共通語で長文を書くのが億劫だというくらいのものだ。
ほんの小一時間でほぼ全ての項目を埋め終わったが、消耗品や備品に関する事がわからない。あの結界をつくったペグのようなものはなんという名前なのか。糧食や燃料はどの欄に書けば良いのか。個数の単位は――と、疑問点を聞こうと視線を上げた。
テーブルの対面に座っていたはずのダウィの姿が見えない。
背筋を伸ばしてようやく、積みあがった書類の向こうに金髪がわずかに見えた。
「あー……ダウィ?」
呼びかけると「ちょっと待って」と返事があった。
「忙しいなら後で良い」
「いや、大丈夫――何?」
ダウィがペンを置き、紙の山を移動させて場所を開ける。やっと顔が見えた。
「こことここなんだが、燃料はどちらに入る?」
「ああ、燃料は消耗品だね」
「単位は『個』? 一個二個?」
「一セット二セットで」
「じゃあ糧食は――」
ひとつひとつ説明を受け、全て書き上げる。
確認を待つ間は手持無沙汰で、先ほどまで彼が読んでいた紙の山をなんとなしに眺めていた。
――サザニア帝国
隣国の、ジアードにとっては『敵国』の名前が目に飛び込んできた。思わず文字を追う。
――侯爵家の取りつぶし
――皇帝の第二子パーヴェルは後ろ盾を失い、失脚
――第四子ヤーナは消息不明
――皇太子ツィホンの立場が盤石に
ずいぶんきな臭い言葉が並んでいる。
後継争いをしているような話は聞いていたが、そうか。皇太子派が勝ったのか。
皇太子というのは確か公爵家を後ろ盾に持つ正妃の子で血統では文句のつけようがない。一方第二皇子は側妃の子で血筋こそ一歩譲るが、側妃の生家が貿易によって莫大な富を得た侯爵家だったはずだ。財力という名の力がある。その侯爵家が倒れたのならパワーバランスや富の偏りがどうなるか。
特に、イーカル王国との争いは……
「気になる?」
「悪い」
「見える所に置いてあったんだから謝らなくていいよ」
ダウィはジアードの見ていた一番上の束を揃えて差し出した。
「それはサザニア帝国の最新情報。あとはヨシュア王国と――ああ、ここに君が以前居たイーカル王国のもあるよ」
中ほどから引き抜いて渡されたのは癖の強い字で書かれたレポートだ。明らかにダウィの字じゃない。
「本部では各国の動向の把握も重要な任務だからね。平時はそういうのを纏めるのが俺の役目で……最近は主に西側諸国の担当になって来てるかな」
渡されたレポートをパラパラとめくってみた。イーカル王国の懐かしい地名や人名がちらほらと――
「おい、これどうやって調べてんだ」
「うん?」
「王妃の体調についてとか、これ明らかに王城の中に内通者がいるじゃねえか」
「嫌だな。辺境騎士団は基本的に違法捜査ができないから、あくまで『噂話』を集めたものだよ。口が軽い人がいるんじゃない?」
胡散臭いほどに綺麗な笑顔で躱された。
流し見る範囲では、将軍が実は下戸であるとか近衛の副団長に被虐趣味があるだとか、就任したての第四連隊長が甘い物好きだとか、財務の長の愛人にサザニア人らしき女がいるだとか、ジアードですら知りようのない話が散見される。本当にどういう手段で情報を得ているのか知りたいものだ。
「……合法?」
「合法」
思わず半眼になるが、ダウィは涼しい顔だ。
「うん。報告書の方は直しもスペルミスも無いね。もう共通語は完璧じゃない? 凄いよ」
ジアードから回収したレポートを揃えてファイルに挟み、ダウィは机の上の片づけを始めた。
「じゃあ、ジアードが書いてくれた報告書を出しに行こうか」
提出しに「行く」と言っても、提出先は同じ事務室内だ。
目的の人物は受付の傍の机にいた。
「ミカ。ちょっといいかな」
ダウィに声をかけられて、柔らかそうな明るい色の毛が揺れた。
「はい! ああ、ダウィ。それにジアード君。何の用?」
大きな目でこちらを見上げる少年――いや、年若い騎士。年末にユトを紹介してくれた男だ。体も小さく戦いには向かなそうだが、ここで事務を担当していると聞いた。
「魔術師連盟からの護衛依頼の件で、報告書の確認をお願いしたいんだ」
「恒例の斑竜の結界だね。見せてくれる?」
ミカは渡された用紙をなぞりながらペン先で印を打っていく。
「ダウィの字じゃないね。ジアード君が書いたの? 真面目そうな良い字だねー。『R』を四角っぽく書くのって癖? 『Q』もかな。ちょっと珍しい書き方してる。あ、イーカル語話者なんだっけ。イーカル語って文字も独特だからその影響があるのかな」
ペンの動きを見る限り書類のチェック自体はきちんとこなしているようだが、口から溢れる言葉は内容とまったく関係ない。
困ってダウィを見ると、ダウィは少し伸びあがって耳打ちした。
「ミカは文字のプロなんだ。――ちょっと偏執的なくらいの」
「変態扱いやめて」
「聞こえてた?」
「聞こえるように言ってたでしょー」
少年のような顔をした騎士は、にんまりと笑った。
「僕の特技は筆跡鑑定。鑑定班じゃないけど文書鑑定だけは手伝ってるんだ。どんなに筆跡を誤魔化しても同定できるよ。なにせ、辺境騎士団で最初にダウィの――」
「ほらほら、手が止まってるよ。終わったの?」
「後ちょっとー……はい、OK」
署名欄にさらさらとサインを書き入れ、報告書をファイルに綴じ入れた。
「護衛依頼はこれで完了ね。二人ともお疲れ様。
――そういえば、さっきソユーさんが依頼完了の手続きに来ていたんだけどさ。ジアード君の事、褒めていたよ」
「あん?」
「今回、戦う所を初めて見たけど、魔力の使い方がうまいって」
「魔力? んなもん使えねえけど」
「『あれが無意識なら大したものだ』だって。筋力を魔力で強化して戦っているんだってね」
筋力を魔力で、という話は前にユトから聞いた事がある。だから彼らは細身なのにとんでもない力を発揮できるのだとか。自分がそんな事をしていた自覚は全くないし、見た目通りの筋力しかないと思っていたが……
そしてふと思い至る。
「つーことは……魔力を強化できたらもっと強くなれんのか?」
「魔力は生まれつきの素質が大きいから、こればっかりは魔術師に見てもらわないとなんとも言えないかなー」
「魔力は普通で、魔術師の素質はねえって言われた事がある」
「じゃあ、修行してもこれ以上は変わらないのかも? こういうのはダウィの方が詳しいんじゃないかな」
「俺に聞かれても――無理じゃないかな、としか」
困ったように笑うダウィに、ミカは少しの間考える素振りを見せた。
「難しいの?」
「簡単な事なら魔術師たちだって苦労しないよ」
「それはそうだね」
書類提出は済んだので席に戻ろうとすると、ミカがダウィを呼び止めた。
「長老って今どこにいるかわかる?」
「長老? リーブラに行ってもらってるよ」
「前回の出張費の立て替え分がさ、数字合わなくて困ってるんだって。いつ頃帰る?」
「そろそろじゃないかな」
「そっか。ありがとう。ちゃんと確認しないで受け取っちゃった方も悪いんだけどさ。長老って捕まらないから」
「経理だよね。帰ったら顔を出してって伝えておくよ」
「よろしくー」
愛嬌のある笑顔で手を振るミカに片手をあげて、その場を辞した。
先ほど出てきた呼び名にうっすら憶えがあったので雑談がてら聞いてみた。
「長老ってのは、同じ隊の……」
「そう。ウチの隊の――辺境騎士団で最高齢の騎士だから『長老』。今度紹介するね。ちょっと変わってるけど頼りになる人だよ」




