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第二話 2-2


「おい、巻き毛小僧。俺が寝ている間に家事はやっておいたか──って」


 翌日の朝。寝床から住居スペースにやってくると、室内は磨かれたようにピカピカと輝いていた。卓上に散乱していた本やメモは隅にまとめられており、代わりに野菜のキッシュと異国のお茶がほかほかと湯気を立てている。

 実験用の白衣は予備のものが壁際のフックにかけられ、窓の外に目を向けると、洗濯されたものが隣家との間でひらひらと揺れていた。


 自分だってそれほど遅く起きたわけではない。つまりあの男は暗いうちから動きだし、アルフレッドが目を覚まさぬよう細心の注意を払いながら、掃除と洗濯と朝食の用意をやってのけたことになる。

 入口のほうから物音が響き、外にいたカーリムが戻ってくると、さらに驚くべき事実が告げられた。


「工房の前、雑草たくさん。あれだと店構え、よくないです」

「まさか、草むしりまでしてきたのか?」

「あなたが学校にいっている間、床と壁の補修もやっておくですからね。こういうの、自分がお店開いたときのこと思いだします」


 アルフレッドは歯噛みする。

 当初の目論見では蹴っ飛ばしたりして笑顔の裏に隠された本性を暴いてやるつもりだったのに、難癖をつける隙がまったくない。本来なら称賛すべきところではあるのだが、こうも徹底されるとあてつけのように感じられてしまう。


 実際、カーリムは手強い相手だった。そのうちボロを出すかと思いきや、日増しにこちらの要求を先回りするのが上手くなっていく。

 快適ではあるが、どうにも落ちつかない。行動の一挙一動を見透かされているような状況は、自分のようなプライドが高い人間の場合、劣等感を強く刺激する。

 そのうえこの男はふっと気を抜いた瞬間を狙って背もたれにクッションを押しこんでくる感じというか、施しを受けることを強要しているような節さえある。


 生まれついての王であるシンは、アルフレッドのことを搾取すべき家畜として見ていた。一方のカーリムから感じるのは、お前たちを導いてあげなくては、という思いあがった奉仕精神だ。ほかの人間よりずっと優秀で、だから心に余裕があり、本質的には自分以外のすべてを見くだしている。可憐な容姿に騙されかけるが、やはり吸血鬼と同じくらいタチの悪い存在である。 


 もっとも、考えすぎかもしれない。

 軍人の家系に生まれたアルフレッドが背後にまわられたり窓際に座ったりすることを忌避するように、幼いころから身体に染みこませてきたサングリア教の教えが、カーリムという男を押しつけがましいほど他人に尽くす人間に仕立てあげた可能性はある。


 たとえば彼が早起きな理由。

 なんと毎朝日が昇る前から外に出て、半裸になって祈祷するのだ。


 木彫りの神像を工房の軒先に掲げ、異国の言葉でブツブツと聖典の文句を唱える様は、はっきりいって近所迷惑。しかし何度注意してもそれだけはやめることなく、やがてもの珍しさと見目麗しさからちょっとした朝の名物になってしまった。


 信心深い異邦人の祈祷に耳を傾けながら、アルフレッドはいつも巨匠が描いた絵画のことを思いだす。カーリムは天使のごとく美しいうえに聡明で、奉仕精神に満ちている。神様が霊感とか神託を授けてくれるとしたら、きっとこういう人間こそが相応しいのだろう。 


「それですごい力が授かるとしても、さすがに毎日だと続けられそうにないな」

「私、見返りなんて求めてない。感謝の言葉、捧げているだけ」 


「この世に生まれてきたことに、みたいなやつか? だが、俺やお前が今日までやってこれたのはそのために努力してきたからであって、顔も見たことねえ神様ってやつのおかげじゃない。感謝ってのはなにかしてもらったときに返すもんだろ」

「神様、願いを叶えてくれる存在ではないです。むしろ私たちがご意思に沿って、役割まっとうするのが正しい。そのため、毎日の祈りかかさない」

「だったらなおさら理解できねえよ。なんでわざわざパシリせにゃならんのか」


 カーリムはいつもの笑みを浮かべるだけ。

 やはり憐まれているようで、気にいらない。


「神様の役に立つこと。私たちが生きる意味、それがすべて」



 アルフレッドが価値観の違いすぎる同居人との生活に振りまわされていたころ。外の世界もまためまぐるしい勢いで変化していた。


 わかりやすいところではカカオ豆の相場である。輸入品の固形チョコレートが飛ぶように売れ、それをもとに編みだされた宝石のような菓子は垂涎の的となった。こだわりが強い職人たちの一部はやがてアルフレッドと同じように、焙煎された豆からチョコレートを自作するようになる。


 ただでさえ高級品だったクリオロ種の価格は跳ねあがり、フォラステロ種もそれに追従するように高騰していく。ルヴィリアというごく狭い地域で取引されているカカオの総量が需要に追いつかず、ついには大量生産品である固形チョコレートですら一時的な品薄状態に陥ってしまう。麻薬の密売人はチョコレートの転売に鞍替えし、闇市場においては職人たちが作った菓子が法外な値段で取引される有様だ。


 熱狂がさらなる熱狂を呼び、チョコレートという言葉はある種の呪文めいた妖しさを帯びていった。

 若き天才カーリムの名は住民の誰もが知ることになり、ルヴィリアの菓子職人が崇拝する錬金術師の存在もまた、数々の勇名や醜聞とともに囁かれることとなる。審査員を務める領主との関係、絶縁状態にいたった理由の推測、そもそもルヴィリアの王は本当に吸血鬼なのか、などなど。


 この変化においてもっとも割を食ったのは、コーヒーハウスの常連客たちだろう。チョコレートドリンクの欄はいつ見ても品切れの文字で塗りつぶされ、俺たちのほうが早くにこの味に気づいていたのにと、カウンターの前でぶつぶつと文句を呟いている。


 では、誰がもっとも得をしているのか。

 それはいうまでもなく、ゴルドック商会である。

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