第二話 4-3
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やがて日は沈み、うら寂れた町並みは暗闇のベールに包まれていく。
街路から外れていくと緑が増え、ホーホーギャーギャーという動物たちの声があちこちから聞こえてくるようになる。このあたりになると人間のほうが少ないかもしれない。
もっとも生者でなければ、それなりの数が潜んでいそうではあるが。
パペッティアに先導されてやってきたのは、町の外れにある聖堂だった。
セーブル王国では一般的な『聖サングリア教』によく見られる建築様式。ルヴィリアにあるものとしては小ぶりで、蝋燭を並べて作った四角い籠のような外観をしている。柱のあちこちに無惨な亀裂が走っていて、今にも崩れてしまいそうだ。
倒壊の危険を考えると、できれば中に入りたくない。その気持ちが伝わったのか、パペッティアは聖堂を横ぎると敷地の裏手にまわった。
視界に飛びこんできたのは墓地と、聖堂に寄りそうようにして伸びる一本の大樹。
アルフレッドは身震いしながら木のそばまで進み、いったいなにが潜んでいるのかと、枝葉の間を見あげる。化け物だろうか賢者だろうか。
しかしとくに誰もいなかった。気配すら感じない。
ただ目を凝らすと、根のまわりに崩れた石が散らばっている。
「もしかしてこの木も、墓なのか……?」
「左様でやんすよ、アルフレッドの兄さん。吸血鬼の王の中ではじめて『最高の終わり』を成しとげた、偉大なるグリンデン様の墓標でございまさあ」
アルフレッドは息を呑む。パペッティアが案内したかった場所がここなのは間違いない。
レオナルドも二百年前にきたのだろうか。そして──。
「あの天才がわざわざこんなところまで連れてきたかった理由はなんだ。ていうか二百年前にどうやって、俺がシンについて調べることを知った」
「小生はただの〈語り部〉っすから、頼まれたとおりに演目を披露するだけでやんす。レオナルド様は事前に台本を用意してくれやした。これがなかなか面白え内容でさあ、演者としても今日という日を心待ちにしておりやしたよ」
いうなり木箱を地べたにおろし、パペッティアは人形を取りだした。それがレオナルドをモデルにしたものであることはすぐにわかった。毛糸で表現された赤茶けた癖っ毛が、歴史書に記された彼の特徴と一致する。
『この墓はシンが建てたものだ。その事実について君はどう考える?』
唐突な謎かけ。てっきり人形劇がはじまるものだと考えていたから、なおさらアルフレッドはつんのめってしまう。しかしパペッティア──もといレオナルドが、意味のない問いかけをしてくるわけがない。
吸血鬼の王にとって『死』は特別な意味を持つ。であれば墓を建てて弔うのは当然のことだ。この世に三人しかいないお仲間なのだから、人間における家族や友人、はたまた恋人のように密接な関係であったろう。
いや、待て。グリンデンは聖女の槍に貫かれて死んだ。無償の愛によって満ちたりたことで、生の実感を抱き不死性が打ち破られた──最初の王である。
「つまりこの墓が、あの男の渇望の原点か」
『ご名答。同胞の死によって、自らにも終わりがあることを知った。同時期にマーリゥも同じ道をたどったことで、シンの中に今までなかった感情が芽生えた。完全なる存在が自分ひとりになった孤独、最高の終わりを迎えられないことに対する焦り、先に逝ってしまった同胞に向けられる嫉妬』
「そしてあいつ自身も、不死性を打ち破る『甘美』を知った……?」
『ぼくも詳しくは知らないけど、チョコレートを見つけるまでにずいぶんと長い時間がかかったようだね。グリンデンは愛、マーリゥは美。ふたりと比べると実にささやかで浅はかな渇望さ。もちろんだとしても、不死性を打ち破るだけの実感にはなりえたのだろう』
彼にとっては──と、レオナルドの人形はつけ足す。
人間にせよ怪異にせよ、なにかに強く執着するのに明確な理由があるとはかぎらない。
世界を驚かしたり歴史に名を残す手段がなぜ錬金術なのか、と問われたらアルフレッドだって返答に困ってしまう。別に医学でも歴史でも文学でも実現は可能だ。のめりこんだ分野がたまたまそれだったというだけにすぎない。
『最高のチョコレートが食べたい……なんて即物的な欲求なのは実に彼らしいともいえる。最初に襲われたときのことはよく覚えているよ。いきなりアカデミーの研究室にやってきて、病気の治療薬を研究していたぼくにチョコレート作りを持ちかけてきたんだ。断ったら問答無用で隷属契約だし、あの男は本当に身勝手で最低のクズだった』
「だいたい想像がつくなそれは。天才様も苦労したってわけか」
『君がこれから負うものに比べたらたいしたことじゃないさ。ていうかぼくが予測した会話のパターンって合っている? ズレてなければ会話を続けるけど』
アルフレッドは肯定の意味をこめて肩をすくめる。
二百年前の先輩がすごすぎて自信喪失してしまいそうだ。
『グリンデンの墓は今どんな状況だい? シンが友人を弔うことすら忘れているとしたら、ぼくの探究は一定の成果をあげている。孤独や焦り、嫉妬は薄れ、あの男は純粋にチョコレートの魅力のみに溺れていることになるからね』
「今のところは大成功だな。俺はあんたの志を引き継いで、完璧に思えたレシピをさらに発展させた。しかしそのせいであいつは今まで以上に厄介な化け物になっちまった。次の刺激を求めるようになったわけだから、もはや『死』を渇望しているかどうかすら怪しいぜ」
『あっはっは! それはぼくが予期した中でもっとも絶望的なシナリオだよ。となると次の質問はこうだ。はたしてチョコレート作りに終わりなんて存在するのか。あの男を滅ぼしうる究極とはどんなものになるだろうか』
レオナルドとの会話は実にスムーズだ。こちらの思考パターンを先読みし、求めている内容を提示してくれる。アルフレッドが生まれる以前から台本を用意してくれているのだから、天才どころか神の領域だ。
だが、全知のように感じられた頭脳にも限界はあるらしい。
『はっきり申しあげるなら、その状況は完全な詰みだね。君は次の可能性なんて見せるべきではなかった。ありあわせの究極で仕留めておくべきだった。探究に終わりなんてないのだから、あの男が納得しうるだけの『区切り』を用意することが唯一の勝ち筋だったわけさ。だから今できるもっとも賢い選択は、いさぎよく降参することかな』
「……あんたならできるのか? 同じ立場だったとしたら」
『愚かな質問だね。君が会話しているのは過去の亡霊だよ?』
アルフレッドは笑った。
確かに、目の前にいるのは吸血鬼の仲間入りを拒んだあげく時間切れで敗北した先輩だ。しかもわざわざ自分の後釜にメッセージを残し、次の勝負を託そうとするような筋金入りの負けず嫌い。
パペッティアを介してではあるものの、こうやって言葉を交わしていて実感できたことがある。錬金術師だとか頭の出来だとかだけではない、レオナルドとの間にある共通点。
負けず嫌いなところなら、稀代の天才にだって負けちゃいない。
「つまり結局、自分でどうにかするほかないってことか」
『そう、いつものように。ありもしない答えを探すのが錬金術師の在りかたさ』
レオナルドの人形は深々とお辞儀する。
これにて終幕、というように。
◇
パペッティアが満ちたりた笑顔で片づけをはじめる中、アルフレッドは今一度グリンデンの墓を眺める。
今さらながら気づいたが、墓標から突きあげるように伸びているのはトネリコの樹だった。聖女アニエラの槍もまた、トネリコから作られたといわれている。心臓を杭で打ちつければ殺せるという伝承は、グリンデンの逸話から派生したものなのかもしれない。
墓のしたから伸びているとなると、吸血鬼の死後に残された灰からトネリコの根が芽吹いたことになるのだろうか。グリンデンが抱いた愛は悲しいまでの一方通行。聖女自身は最後まで理解しなかったらしいが……そのひとりよがりな『終わり』から新たな命が芽生え、今こうして悠然と時を刻んでいる。
頭の中に馬鹿げた考えがよぎり、アルフレッドはふっと笑う。
もし万事がうまくいったら、あの男の墓のしたからも緑が芽吹くことだろう。
それはきっと間違いなく、カカオの木だ。
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