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8.火事

 群青色の空は雲一つない晴天で、どこまでも果てしなく広がっているように見えた——ある一角を除いて。火の手の上がったその場所だけは、赤とも黄色ともつかない眩い光に包まれ、空はくすんでいた。魔力が消えて飛ぶことのできないルアンは、ジョシュアとティアサーの肩を借りて、二人に支えられながら移動している。

「ティアサー、スピードを早められるか?」

 遠くから見ても分かる程、勢いよく燃え盛る火事の様子を見て、ジョシュアは尋ねた。ティアサーが頷くのを見ると、隣を飛ぶカデンツァに「急ぐぞ」と声を掛けて彼はスピードを上げた。

 [誘惑の森]北西部では既に数え切れないほどの妖精が飛び交っていた。あるグループは森に棲む生物を逃がし、また別のグループはどこからか集めた水を炎に向かって放出している。(せわ)しなく動く妖精たちの間を掻き分けて彼らが降り立った先では、髪を二つに結った妖精が毒づきながら、大気を動かすように大きく腕を振っている。彼女は何か呪文を唱えたらしく、突如現れた水柱が彼女の動きに合わせて動いた。彼女が宙に向かって手を突き上げると、水柱は飛び散ってその形をなくした。カデンツァは最初彼女が水の妖精かと思ったが、ここに来るまでに火事の対応をしていた水の妖精とは明らかに水の扱い方が違う。浅緋色に煌めく髪とその特徴的な髪型から、彼女が過陽日に女王の(パレス)で会った妖精だと彼は確信した。

「ジェシカ!」

 彼女が両手を掲げて再び呪文を唱えようとした時、ジョシュアが大声で呼んだ。名前を呼ばれた彼女は、つと振り返り援軍を喜んで迎える——かと思いきや腕を組んだ。

「やっと来た。遅い! パパッと来れたはずでしょ?」

「悪いね」

「それで、どういう状況なんだい?」

 大地に降り立ち、もう肩を借りる必要のなくなったルアンは、そのままジョシュアの隣に並んで尋ねた。一方のジェシカは途方に暮れたように眉を八の字に傾げた。

「正確な発火時間はまだ分からないけど、少なくとも私がアパレスを送ったのは、火事がここまで広がる前だったと思う。原因場所の特定には女王にもあたってもらってて、生物の妖精は森にいる生物をほとんど避難させ終えたところ。今は逃げそびれた生物の確認と正確な発火時間と原因を生物達に聞いてもらっているの。風の妖精には火の粉が広がらず炎が落ち着くような風道を作ってもらっていて、光の妖精には炎の光と集中屈折でより大きな被害が出ないようにしてもらっているわ。水の妖精には水の放流を頼んでいて、草木の妖精と花の妖精には焼き切れる前に種子を実らせるように急かしてもらってて、大地の妖精にはその保護にまわってもらっている」

 端的に状況説明をすると、彼女は大きく溜息を漏らした。

「でも一番厄介なのはこれ」

 彼女は燃え上がる炎に向かって手をかざした。

(アク)放たれん(オスディファーレ)」

 呪文を唱えると共に彼女の手から溢れ出た水は一直線に炎に向かっていく。しかし水は炎を消すことも揺らがすこともないまま、燃える火の壁を通り抜けて森の奥へと流れ落ちていってしまった。

「あらゆる水魔法を試したけどまるで効かない。だからヴェルスヴィーナ起因の発火じゃないと思うけど、さっき入った情報だと現在の地球で火事なんて起きてなかったらしくて。ワケ分からない」

「水が効かない、か」

 ルアンは呟くと、陽炎(かげろう)のように揺れ動く空気の熱をじっと見据えた。

「地球での火事がヴェルスヴィーナで起こっているのかもしれないってどういうこと?」

 ティアサーの質問にジョシュアは肩をすくめた。

「さっき話した通り。地球とヴェルスヴィーナは通じ合っている。どちらかが火事になれば、もう片方の世界も自ずと火が上がる」

「カデンツァ」

 不意に名前を呼ばれたカデンツァは、まだ揺らめく炎を見つめるルアンの方へ向いた。

「あの炎全体を結界で覆うことはできるか?」

 彼は[誘惑の森]の湿地帯を焼き尽くす勢いで広がる炎をじっと見据えた。

「できるよ」

「なら結界内の空気を抜くことは?」

 続けて尋ねたルアンにカデンツァは魔法(タンテ)試験(クスト)の第二試験での出来事を思い返した。姿の見えない妖魔の攻撃によって、突如息ができなくなり苦しくなったことを。

「できると思う。圧力魔法の使い方さえ教えてくれれば」

 毅然とした態度のカデンツァにルアンは口角を上げた。

「ジョシュア、君はカデンツァに圧力魔法の使い方を教えてやってくれ。ジェシカはティアサーとできるだけ炎を落ち着かせるんだ。カデンツァの結界がまわる前に、できるだけ早くな」

「ルアンは何をするわけ?」

「ぼくは少し気になることがあってね」

 ジェシカの問いに彼は呟くように答えると、炎越しに空を見遣った。

(ゆう)(よく)生物(せいぶつ)担当の妖精はここにいるかい?」

「えぇ、ウェインがいるはず」

 彼女の返答を聞くと、ようやく彼は振り向いた。

「それじゃ、こっちは頼んだよ」

 ルアンは不敵に微笑むと、くるりと向きを変えて走り去ってしまった。

「え、ちょっと待って。頼んだって何?」

 当惑の声を上げたジェシカは、ルアンの姿を探そうと目で追ったが、彼はあっという間に行き交う妖精の中に紛れてしまった。

「ジョシュ、どうせ聴いてたんでしょ? ルアンは何考えてるの」

 ルアン探しを諦めた彼女は、ジョシュアを見るとピリついた声で尋ねた。

「あいつは出火原因を調べるみたいだな」

「考えがあるなら共有しなさいって言うの」

「いつものことだ。心当たりがあるようだし任せよう」

 空を見上げて彼は答えた。何かを探すようにじっと見つめる彼の様子にカデンツァは視線を空へと向けた。赤い空の中を一羽の烏が駆けて行く。

「ティアサーって言ったっけ? 行くよ」

 ジェシカはぶっきらぼうに声を掛けると、すぐに移動し始めた。その後を急いでティアサーが追従していく。

「それじゃオレ達も始めようか」

 振り向いたジョシュアにカデンツァは頷いた。

「今回は急いでるから、圧力魔法の仕組みとか理論はまた今度。元々想像力による力の方が強い魔法だ。必要なのは強いイメージ」

 説明しながらもジョシュアはじっと炎を見据えた。

「とは言え初めてでこの規模だ。なかなか厳しいだろうが——」

「大丈夫。イメージなら任せておいて」

 得意気に笑ってみせたカデンツァにジョシュアはふっと笑った。

「そうだな。ここへ来るまでに火事の規模感は見て掴んだか?」

「うん。バッチリ」

「ならまずは、その結界で火事全体を包み込んで。そこからだ」

 ジョシュアの言葉に頷くと、カデンツァは燃え上がる炎に向かって掌を広げた。自身の身体を包む結界は手の動きに合わせて広がる。まるで膜のように彼を覆っている結界は、指先の方から少しずつ引き伸ばされ、次第に指先を離れて炎へ向かう。森を包み込もうと薄く広く伸びていく。カデンツァは球を描くように指を動かした。反対側へと伸びていった結界を見ることはできなかったが、代わりに彼には感じられた。焦げ付くような炎の熱を。くすぐるような木の葉の揺らぎを。大地に触れたその冷たく柔らかい感触を。

「できたよ!」

 ピンと張られた結界を掴んで離さないように、彼はギュッと指先を折り曲げたまま声を張り上げた。

「そうしたら、結界を一ヶ所だけ緩めて」

 ジョシュアの言葉にカデンツァは瞼を閉じて、掴んだ結界の先へと神経を研ぎ澄ませた。中指にかかる力を少しだけ緩めて、一ヶ所だけ結界に隙を作る。その操作をした途端、掴んだ結界が急に重くなった。その衝撃に彼の身体はグラリと揺れて、反射的に開いた瞼は視界を斜めに傾ける。咄嗟(とっさ)に出た足が何とか彼を支えていたものの、彼の両手は強大な負荷に震えていた。

「大丈夫か?」

 ジョシュアが彼の顔を覗き込んで尋ねる。カデンツァは下を向いたまま、問いかけに答えることなく結界を引っ張り、体勢を立て直した。

「できた」

 緩めた部分を除いて、再び緊張を保ったまま結界が安定するのを確認すると、カデンツァはようやくジョシュアに答えた。

「よくやった」

 ジョシュアは彼を褒めると燃える炎の前——結界の前に立った。

()もたらさん(レジア)」

 ジョシュアはその呪文を唱えると同時に、胸を押さえて荒い息を吐いた。

「どうしたの?」

 がっくりと膝をついた彼にカデンツァは驚いて声を掛けた。ジョシュアはようやく手を胸元から離すと、整えるようにゆっくりと呼吸した。

「圧力魔法を掛けてみたんだが、弱く掛けておいてよかったよ」

 彼はふっと軽く笑った。

「やっぱりカデンツァにやってもらわないとダメみたいだな」

「どうして俺なら平気なの?」

「結界は本来お前を守るためのものだろ? 今はそれを変形してるだけ。ならお前が放った魔法を弾くことはないだろう」

 ジョシュアの指摘にカデンツァは小さく口を開いて頷いた。

「それで圧力魔法だが、呪文はさっき唱えた『()もたらさん(レジア)』だ。想像すべきなのは」

 ジョシュアは言葉を切ると宙に円を描いた。すると、アパレスのような大きい一粒の泡が空中にぽっかりと浮かんだ。

「この泡が今お前が張ってる結界だとすると、これを少しずつ(しぼ)ませていくこと」

 ジョシュアが指先を動かすと、泡は少しずつ(つぶ)れてほんの少しずつ平らになっていく。

「この様子を想像すること。泡も結界も壊れやすさは同じ。いきなり圧力魔法を掛けたら——」

 ジョシュアの指がふっと動くと、潰れかけた泡が弾け飛んだ。

「最初からやり直しだ。焦らず慎重に少しずつ。それをよく意識して行うこと。さっき緩めた部分から空気が流れていくように。そのイメージが膨らんだら呪文を唱える。分かったな?」

 カデンツァは頷くと、深呼吸をして全ての注意を結界に向けた。焦げ付くような痛みを感じる炎の熱。その影響を受けた夏よりも暑い空気。しかし、意外にも火事の様子として彼に感じ取れたのはそれだけだった。炎の移った木々が上げるパチバチという悲鳴のような音も、炎に焼かれて倒木するような感覚も結界の向こう側にはなかった。何かが燃えていることだけは事実だったが。

「ねえジョシュ。そういえば、どうしてルアンは空気を抜けって言ったの?」

「水で消えないからだ」

 ジョシュアは端的に答えた。

「ジェシカが水魔法が効かないって言ってただろ? 空気を無くせば、水の代わりに鎮火できるからな」

「じゃあ空気が燃えているから炎が上がっているの?」

「まあ、普通に考えれば要因の一つはそうだ」

 答えながらもジョシュアは弟を見遣った。

「どうかしたのか?」

「イメージを作る前に結界の中の様子を探ったんだけど」

 その時に掴んだ感覚をどう説明すればいいか悩みながらも、カデンツァは顔を上げて真っ直ぐにジョシュアを見た。

「燃えてないんだよ、何一つ。木も草花も何もかも。炎が騒いでいるだけで」

 カデンツァの返答にジョシュアは片方の眉を上げた。

「燃えてないだと? 確かなのか?」

「うん。だって——」

 話の先は何かが降り立った大きな音に掻き消された。同時に上がった砂埃は、カデンツァとジョシュアの二人に向かって吹き付ける。カデンツァは結界を離さないよう、ぐっと力を入れたまま身構えたが、風は不意に現れた水の壁によって打ち消された。ジョシュアが砂埃の混ざった風を水魔法で相殺したのだ。水の壁が消えて見えた向こう側には一羽の烏がいた。烏の背には二人の妖精の姿があった。

「順調かい?」

 ルアンは尋ねると、地面へと降りて烏に向き直りお辞儀をした。

「大体は。そっちはどうだった?」

「[唄う野原]も[幽閉の山脈]の()の地も異変なし。ハズレだったな」

 溜息混じりに答えたルアンにジョシュアは顎に手を添えた。

「なあルアン、おいらとクロウは戻ってもいいか?」

 烏の背に寝そべっている黒い羽衣を纏った妖精が尋ねた。

「ああ。おかげで助かった、ウェイン」

「いいってもんよ。じゃな」

 彼はルアンに挨拶すると、烏と同化して一体となり、空へと羽ばたいて行った。その反対側から、誰かが猛スピードで飛んでくる。

「大変なの!」

 ジェシカは叫ぶと地面を滑りながら降り立った。カデンツァたちの前でようやく止まった彼女の表情は、さっき分かれた時の苛立ちをすっかり消して——ひどく青ざめていた。

「ティアサーが、ティアサーが火事に入っちゃった!」

「え⁉」

 思わぬ話に()頓狂(とんきょう)な声を上げたカデンツァは、驚きのあまり掴んでいた結界を離してしまった。自由になった結界はあっという間に収縮して一瞬にしてカデンツァの身体へと戻る。包んでいた結界がなくなり、解放された炎はその勢いを増して、天高く燃え上がる火柱を作った。その赤く黄色い光の揺らぎは彼の瞳を染め上げる。

 何を考えたわけではなかった。ただティアサーを助けたい一心だった。

カデンツァは炎の中に道を創るように結界を広げた。ジョシュアとルアンがジェシカに気を取られている隙に。彼は全速力で走って燃える炎の中へ飛び込んだ。

「カデンツァ!」

 彼は結界を保つことに必死だった。カデンツァまでもが炎の中に飛び込んでしまったことに気づいたジョシュアが慌てて彼の名前を叫んだが、心配する兄の声すら彼の耳には届いていなかった。

結界で創ったはずの道は炎に押しつぶされて、みるみる内に消えてしまっていく。もう既に炎の中へ一歩踏み込んだ彼の行手は塞がれてしまって。自身を炎から守るために広げた結界を保つだけで精一杯だった。

「カデンツァ」

 背後からジョシュアの声が掛かる。カデンツァの肩に兄の手が触れた。

「カデンツァ」

 力尽くで振り向かされた彼は、キッとジョシュアを睨んだ。

「離せよ! ティアサーを助けに行か——」


 バシン


 ジンジンと若干の熱を帯びた痛みがカデンツァの頬に響いた。何が起きたのか分からず、彼は頬に手をのばした。

「冷静になれ。いいな」

 ジョシュアは低い声で告げた。ルアンのように怒った表情をすることも、ティアサーのようにしかめ面をするわけでもなく、普段と変わらない表情で。カデンツァが静かに頷くのを見ると、ジョシュアは彼を連れて炎から離れた。

「それでジェス、何がどうなってそんなことになったんだ?」

 ジョシュアからの問いに彼女は自分を律するよう深呼吸をした。

「声が聞こえるって言うのよ、あの火事の中から。私も耳を澄ませたし、生物の妖精にも聞いてもらったけど、やっぱり何も聞こえなかった。だから、気が(たかぶ)ってるせいだって言ったの。そうしたら、そんなのあり得ないって感じで言われて」

「それでそのまま行ってしまったのかい?」

 ルアンの質問にジェシカは頷いた。

「誰だかは分からないけど、僕にしか聞こえないなら僕が行って助けないとって」

 ジョシュアは業々と燃え盛る炎をじっと見据えた。

「リンクする。カデンツァ、お前はここを離れるな」

 カデンツァは何も言わずに頷いた。頬の痛みは消えていたが、ジョシュアに平手打ちされて我に返った彼を、しとしとと降り続いた雨が止んだ時のような妙な静けさが包んでいた。

ジョシュアはようやくカデンツァから手を離すと、その場に座り込んで目を瞑った。

「やっぱり変よ、あの炎」

 リンクを始めたジョシュアを一瞥して、ジェシカは話を続けた。

「ティアサーが森に飛び込んだ時、まるで道が拓けたみたいに炎がどいて、彼を招き入れたの。それなのにティアサーを追って入ろうとしたら、こっちに向かって広がってきたのよ? それに彼が入った時に見えた森の中。何一つ燃えて(、、、)なんか(、、、)いなかった(、、、、、)んだから」

 彼女の話にカデンツァはピクリと反応した。

「燃えていないって、どういうことだい?」

「そんなの分かんないけど。でも燃えてるような感じは何も——」

「しないよね」

 二人の会話に割って入ったカデンツァは、ジェシカの言葉の先を取り継いだ。

「圧力魔法を掛けるために結界を広げた時、その内側に炎はあるけど、何かが燃えているような気配はまるでなかったんだ。それに、さっき炎に飛び込もうとした時も、結界で道を創ったはずなのに、すぐに炎に塞がれた。俺が入るのを拒むみたいにね」

 ルアンは彼らの話を注意深く聞くと、炎の元へと歩んだ。メラメラと燃える炎をじっと見つめて、彼はその中に手を伸ばした。

「ちょっと何やってんの!」

 すぐさま飛んで行ったジェシカが、その手を戻そうとルアンの腕を掴んだ。

「気でも狂った?」

「そう思うだろうね、普通に考えたら」

 炎の中で弄ぶように手を動かしながら、彼は落ち着いた声で話した。

「この炎、どうやら魔力を糧に燃えるみたいだね。その証拠に今魔力が切れているぼくには、この炎の熱を感じない」

「あんたが魔力切らすって……何があったか知らないけど」

 ルアンがカデンツァの結界によって自身の魔力を浄化してしまったことを知らないジェシカは、戸惑いながらも話を続けた。

「でも炎の熱を感じられないなら、他にも原因は考えられるでしょ? もしかしたらデュエルの可能性も——」

「ぼくが最初に疑ったのもヤツだった」

 ジェシカを遮ってルアンは話した。

「けれど、ヤツがいたら反応がありそうな[唄う野原]も[幽閉の山脈]も何も異常がなかった。それにデュエルがいる気配もない」

 ルアンとジェシカはまだ話を続けていたが、カデンツァはジョシュアの様子が気になって彼の元へと戻った。苦しそうに眉も口元も歪ませて、彼は異様なまでに汗をかいている。

「ジョシュ……?」

 悩みながらもカデンツァは小さく声を掛けた。しかし、その声は届いていないようで、彼は変わらずリンクを続けている。呼吸が浅くなったような、ペースの早い乱れた息遣いだった。心配になったカデンツァが屈み込もうとしたその時、ドサっという音と共にジョシュアはその場に倒れ込んでしまった。

「ジョシュ!」

 倒れた彼を中心に円を描いて炎が上がる。カデンツァの声を聞いて戻ったジェシカは、彼をジョシュアから引き離した。代わりにルアンが(かが)んでジョシュアを起こそうと叩く。しかし彼は倒れたまま。炎は勢いを増して燃え上がろうと暴れた。

「何があったの?」

「何も。リンクしてるだけだ——」

 ジェシカの問いかけに答えていたカデンツァは、ハッとしてジョシュアを見た。

『ジョシュはティアサーにリンクしてる。それを解除できれば』

カデンツァは結界を変形させて、ジョシュアの身体を包み込んだ。ジョシュアから燃え広がった炎はあっという間にチリチリと消えていく。ルアンもジョシュアも炎の影響は受けていないらしく、黒く煤けた様子も煙に咽せることもなかった。彼らを取り囲む草も変わらず緑色を保っている。まるで何も燃えていなかったかのように。

「ジョシュ、ジョシュア」

 声を掛けながらルアンがその背を叩いた。ようやく気がついたジョシュアは、起き上がろうとして激しく咳き込む。なんとか無事だった親友の様子にほっと息吐く間もなくルアンは腕を組んだ。

「全く、無茶をして。死にたいのかい?」

「死なせたくないだけだ」

 ようやく呼吸が整うと、ジョシュアは座り込んだまま話した。

「ティアサーは過陽日よりもリンクが難しくなってる。何とかできたが、リンクが成功したのは一瞬。しかも音の情報だけだった」

「それで? 声は?」

「聞こえた」

 ジェシカに答えると、彼は隣に立つルアンの方を向いた。

「シュエルの声だった」

 ルアンの両眉が吊り上がった。

「何を言っているんだい? シュエルならもうとっくの——」

「あぁ、オレだって理(分)()ってる。シュエルは死んだ。何百周季も前に」

 ジョシュアの声は落ち着いていたものの、()を圧倒するような力強さがあった。

「何を言っているかまでは聞き取れなかったが、あの声はシュエルの声だった。確実に」

 ルアンはじっと炎を見た。

「どうしてそんなことが起きているのかはよく分からないけれど」

 少しして彼は呟いた。

「リンクしたジョシュが炎に包まれた。そしてリンクが途切れると共に炎が消えた。つまりこの炎は仮説通り魔力を糧に燃えている。だとすれば、炎を消すのは簡単」

 彼は振り向くとニヤッと笑った。

「炎の根源となる魔力を浄化してしまえばいい」

 悪戯をする子どものように、にこやかに微笑んだ彼はジェシカの方を向いた。

「ジェシカ。鎌を作ってくれないかい? 氷でも石でも何でもいいから」

 頼まれた彼女は形造るように空気を撫でた。彼女が触れた空気はピキパキと凍っていき、氷の鎌が形成されていく。完成した鎌を手に取ると、ジェシカはルアンに向かって投げた。

受け取ったルアンは炎へ向き合った。瞼を閉じた彼はぐっと鎌を握りしめる。エネルギーを得ているかのように、大地から風がそよいで周囲の群草や彼の髪をなびかせた。鎌は握られた部分が白く光り、徐々にその輝きを広げて鎌全体を真白く光り輝かせていく。眩い純白の光を纏った鎌を構えると、彼は空を切り裂くようにそれを振るった。(やいば)のような風が炎を一直線に掻き消して、炎の中を切り拓くように一本の道が現れる。炎の消えた先には一人立ち尽くすティアサーの姿があった。

「ティアサー!」

 カデンツァは声を上げた。できたばかりの道は、みるみる内に塞がれて。炎があっという間にその道を消してしまえた。そればかりか、炎はうねりを上げて燃え盛り、彼らの——まだ身動きの取れないでいるジョシュアの前へと迫ってきた。

反射的に宙へ飛び出したカデンツァは、結界を広げて迫り来る炎を押し返した。浄化された反動か、ティアサーの魔力を喰らっているのか分からなかったが、炎はそれまで以上の勢いで結界を押し壊さんとうねりを上げる。魔法(タンテ)試験(クスト)で妖命樹と戦った時のような圧倒的な力が結界全体にかかる。少しでも気を抜いたら押し負けてしまいそうでカデンツァは歯を食いしばった。彼の目前にある炎は眩しいほどに燃え盛る。突き出した掌は結界一枚を挟んだすぐ向こう側にある炎の熱を感じて、その熱さにも震えていた。彼は下方へ目を遣った。ジェシカの魔法で補助を受けたジョシュアは、後ろを気にしながらルアンに押されて火元を離れていく。

ピシッという音が聞こえた。カデンツァはハッとして炎を抑えている結界を見た。魔法(タンテ)試験(クスト)の時と同じ。結界はカデンツァの意思に(そむ)いて彼の身体へと戻っていく。何かに殴られたような強い衝撃がカデンツァを襲い、意識を奪った。再び結界から解放された炎が激しい熱風を吹きつける。気を失ってしまった彼は浮遊力を失い、激しい熱風にさらされて勢いよく地面に身体を打ちつけた。

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