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⒓ 季節変え

「手伝いって、何をどうすればいいの?」

 [後悔の海崖]にいる二十あまりの妖精たち全員の注意が一斉に彼らへ向いた。カデンツァの声は思いのほか大きかったらしく、それまでこの場所に華やいでいた色んな会話はピタリと止まって、シンとした静寂の中を波打つ音だけが響く。カデンツァとティアサーの姿を目に留めた彼らはじっと二人のことを見ると、一つ、また一つと会話を再開し始めた。

「季節変え自体は、ここにいる色んな妖精たちで協力して行うの。あたしたちの誰がどの妖精の手伝いをするかはまだ決まってないから、詳しい話は後で手伝うことになった妖精に聞いてね」

 ジェシカは落ち着いた声でカデンツァに話すと、キョロキョロと辺りを見回した。

「でも変ね、約束の時間にセテがいないなんて」

 ジェシカの声にエリーも「そうね」と同意する。『セテ』という妖精も季節変えについてもよく知らないカデンツァは、同じ状況のティアサーの方を見て首を傾げる。兄からの静かなる問いかけにティアサーは肩をすくめ——すぐにやって来た誰かを見留めると、カデンツァに向かって、やって来たばかりの風の妖精を示した。エリーとジェシカの後ろに降り立った風の妖精は、新精二人に向かって微笑みかけるとジェシカの肩に手を置いた。

「よぉ、ジェシカ! 久しぶりだな」

 呼ばれて振り向いたジェシカは、彼を見ると嬉しそうににっこりと微笑んだ。

「スクラグ、久しぶりね!」

 声を掛けてきたのはがっしりとしたガタイのいい風の妖精。スラっとした細身のカデンツァやティアサーとは反対の身体つきだった。挨拶代わりにジェシカとハグをした彼は、エリーを見ると目を細めた。

「エリーもしばらくだな、たまにはおれたちの方にも顔を出せよ」

「これでも出してるつもりよ。今回だってジェスの誘いがなければ、今頃まだ寝てたでしょうし」

「それならいたく歓迎しないとな」

 彼女の物言いに彼は豪快に笑うと、双精へと振り向いた。

「それで君らが噂の新精、カデンツァとティアサーだな?」

 クルクルとした(はい)褐色(かっしょく)の短髪。角ばった輪郭に広い額。魔法使いの妖精にはいない容姿の彼は、白い歯を覗かせてにっこり笑った。

「ようこそヴェルスヴィーナへ。おれはスクラグ、風の妖精だ」

 「よろしくな」という声と共に差し出されたがっしりとした手。カデンツァがその手を取ると、スクラグは握手した手を大きく二回振り、カデンツァの手を引っ張ってよろけた彼をハグした。

「ほんと誕生したのが魔法使いの妖精で助かったよ」

 慣れない挨拶に戸惑うカデンツァを置き去りに、スクラグはぐっと彼を抱きしめる。パンパンとカデンツァの背を叩いた彼は、身体を離すとにこやかに微笑んだ。

「なにせ手が足りてなくてな。こうして手伝ってもらえて大助かりなんだ」

 今度はティアサーと握手をした彼は、同じように熱い挨拶を交わした。

「それで、風の妖精って何をするの?」

 スクラグから少し距離を取ったカデンツァは、彼らしくない冷めた声色で尋ねる。彼の両腕は身を守るように組まれた。

「そんなに固くならないで、カデンツァ。スクラグは情熱的で気の良い妖精なんだから」

 優しく声を掛けたジェシカに彼はそっと頷いたものの、彼の唇はキュッと結ばれ、その目はじっと睨むようにスクラグを見ていた。明らかに警戒されているようなその様子にスクラグは肩をすくめた。

「頼むからもう少し、扉を閉ざさずにいてくれよ」

「俺はただ、気になっただけ。風魔法を使うのと、風の妖精が風を使うので、何が違うのかって」

 カデンツァの物言いにスクラグは溜息を吐いた。

「風ってのはな、現象理解ができりゃ、たしかに魔法使いの妖精にも魔法として使えるもんだ」

 スクラグはカデンツァの前に立つと、じっと彼の目を見つめた。

「だがな、風の通る道筋を読むことも、風の中に溶け込む空気の匂いを感じることも、風の流れの衝突を見極めることも、どれも風の妖精にしかできないことなんだ。どれだけ魔法が使えても、他の妖精には全く感じられない。おれたちが攻撃魔法を使うことができないのと同じようにな」

 野太い落ち着いた声で彼は続けた。

「風というのは、空気の流れのことなんだ。温かい空気と冷たい空気の流れや衝突、空気の上昇と下降。水や熱と常に共に動き、流れ、変わり続ける」

 彼は大きく飛び退ると、カデンツァたちとの間に距離を取った。

「風を扱うには、わずかな温度の違いを感じて、風の生まれる方向を見つけることが大切だ。温かな空気は上へと向かい、流れていく。冷たい空気は大地へと向かい降りてくる。その空気の循環を常に意識して、風は生まれる。熱や水とのつながりを断ち切ることのないように呪文を唱える」

 彼はスッと片方の腕を上げると、まっすぐにカデンツァへ向かってのばした。

(ヴェン)吹かん(トゥシラーデ)」

 彼の手元から押し出されるように放たれた風は、ふわりとカデンツァの頬を優しく撫でた。ほんのりと温かく、程よく湿気を帯びたゆるりとした風。吹いた風にカデンツァの瞳に宿っていた氷のような眼差しがわずかに和らいだ。

「風が乱れると全てが荒れる。暴風は嵐を呼んで、雷や雨を大地にもたらす。竜巻は大地をえぐり、生物の棲み家を奪い去る。急激な温度変化や空気の変動は、君らが攻撃として使う鎌鼬となる。それだけ繊細なんだ。風を扱う時には全てと調和する心を持って、心地よさと安らぎを与える意識を常にしなければならない。だからおれたちは何よりも調和を重んじる」

 スクラグが手を合わせると、緩やかな風が吹いた。カデンツァの髪は風でそよぎ、彼の首元にふわりと空気が流れた。

「お分かりいただけたかな?」

 カデンツァはゆっくりと頷いた。組んでいた腕は解けて、真一文字に結ばれていた唇は力が抜けて、朗らかな彼らしい柔らかな笑みを湛えた。

「風で雨が降るって話だったけど」

 二人の間にあった障壁が消えて程なく、ティアサーがスクラグに話しかけた。スクラグはようやく警戒心のなくなったカデンツァから、隣に並んでいるティアサーへと視線を動かした。

「今陽日は季節を変えるんだって話だったよね? 雨を降らせるの?」

「鋭いな」

 感心するように呟いた彼は大きく笑った。

「今回の季節変えは、ここ[後悔の海崖]の天気を冬に変えることだ。向こうに見える山——」

 スクラグは手をのばして、彼らが通ってきた松林とは異なる方向を示した。そびえ立つ山の険しさを荒く削られた山肌が物語る。[幽閉の山脈]は[唄う野原]から見えた美しいのどかな山ではなく、荒々しい力強さがあった。

「[幽閉の山脈]の向こう側から風を吹かせて、この地に雨を降らせる計画だ。水の妖精たちとの協力があって、山の向こう側の[唄う野原]に雲の子を用意してある。その雲を(とうげ)越えさせて雨をもたらすんだ」

「ならスクラグ、あなた[唄う野原]にいなきゃ、風を吹かせられないんじゃ」

 心配そうに尋ねるエリーに彼はにっこり笑うとウィンクをした。

「ご心配どうも。実はジェシカが来るって聞いていたから、援軍をもらおうと思ってこっちに来たんだ。さっきも話した通り、手が足りないか——」

「あらぁ、そぉんなに手伝ってほしぃのは生物の妖精のほぅよ」

 聞き覚えのある声にカデンツァは空を見上げた。白くふわふわな衣をまとってインファは宙に浮かんでいた。

「この辺りなら節足(せっそく)生物(せいぶつ)担当だけでいぃはずなのに、四肢生物担当のわたしまで駆り出されてるくらぃなんだからぁ」

 インファはぷくりと頬を膨らませる。彼女の様子にジェシカは肩をすくめた。

「そう言われても仕方ないじゃない、生物のことは生物の妖精にしか分からないんだから」

 ジェシカの反論にフイっと顔を背けると、インファはカデンツァとティアサーを見て頬を緩めた。

「やっぱりあなたたちが奇跡と待望のVだったわねぇ! わたしの言ったとぉりだったでしょぅ?」

 瞳をキラキラと輝かせて、彼女はスクラグの向かいにいたカデンツァとティアサーの前に舞い降りる。真っ白な尨毛でできた衣はふわりと広がり、彼女の浅黒い肌を引き立てた。

「Vがどうぃう存在なのかは正直よく知らなぃけど、とにかくすごぃ力の持ち主でしょぅ? カデンツァの祝福は過陽日の火事の話を色んな妖精に聞ぃたわ。炎を留めてみんなを守るだなんて、まさに奇跡じゃなぃ!」

 魔法(タンテ)試験(クスト)前に会った時の慎重さは消え、インファは嬉しそうに話す。ニコニコと破顔した彼女に対して、カデンツァは頬が強張っていくのを感じた。

『無力だよ』

ティアサーに言われたその言葉。自分よりも優れた弟は自身をそう評価していた。

『それなのに俺がそれ以上なんて、奇跡だなんて』

ありえない。彼は心の中で深く溜息を吐いた。過陽日にティアサーと交わした言葉は彼の奥深くに染みついていた。そんな彼の気はつゆ知らず、インファは眩しい笑顔で会話を続ける。

「ねぇ、それでどぅなの? 魔法(タンテ)試験(クスト)でもすごかったけど、ティアサーは過陽日から能力が使えるよぅになったって聞ぃたし、カデンツァの結界もより強くなったみたぃよね? 見せてくれなぃ? わたしにも!」

「そう言われても、まだちゃんと扱えるわけじゃないから」

 カデンツァはクイッと口角を上げて作り笑みを浮かべた。隣に立つティアサーも思うところは同じらしく、彼女には目もくれずじっと一点を見つめている。それまで柔らかな潮風が吹いていた[後悔の海崖]は、どこかじっとりとした水気ある空気に変わり始めた。

「天気が移ろい始めた」

 突然のことに戸惑うようにスクラグは眉間に皺を寄せると、空を見遣った。まだそこには雨雲らしい影も雲すらもない。彼ははたと何かに気がついたらしく、パッとティアサーを見るとジェシカとエリーに目配せをした。

「ところでインファ、君はどうしてこちら側に来たんだ?」

 彼はインファの肩を突いて、明らかに困っていそうな新精たちから自分へと彼女の注意を逸らした。振り向いた彼女は退屈そうにクルクルと髪を弄ぶ。

「どぅしてもなにも、今回の季節変えは水の妖精が主体でしょぅ? 生物の妖精は準備できたし、セテに状況を確認しよぅと思って」

「それ、あなたがセテに会いたいだけじゃなくて?」

 揶揄(からか)うように尋ねたエリーに反意を抱いたらしく、インファはプクリと頬を膨らませた。

「たしかに彼女はかっこいぃけど、べつにわたしはエリィみたぃな誰かを追ぃかける趣味はなぃわ」

「あら、わたしも趣味じゃないわよ。生物の妖精っぽく言えば、ただただ求愛行動をしてるだけで」

 エリーの話にジェシカは笑いながら大きくグルリと目を回した。

「ルアンはデュエル一筋なんだから、なびくはずないのにね」

「報われなぃなら、もぅ一人からの求愛に応えたらぁ?」

 インファは茶化したジェシカに便乗すると、くふくふと笑う。そんな彼女にエリーが文句を返すのを聞きながら、カデンツァはジェシカにふとした疑問をぶつけた。

「エリーってルアンが好きなの?」

「ええ、見てるこっちが引くくらいね」

 思わぬ話に彼の口はぽかんと小さく開いた。ルアンの過去の話を聞く限り、彼が好意を抱いているのはデュエルただ一人に思える。エリーは二人よりも後に誕生したようだし、その事実を知らないわけでもなさそうだった。けれど、それよりも気になったのは——。

「それじゃインファの言ってたもう一人って?」

「ジョシュアのことよ」

 思わぬ発言にカデンツァは目を瞬いた。青磁色の瞳は驚きに大きく見開かれる。彼の様子にジェシカはケラケラと笑った。

「そんなに驚くこと?」

「だって、エリーがジョシュを好きって——」

「わたしじゃないわよ!」

 カデンツァの声を遮ってエリーは大きな声で否定した。

「あいつが勝手にわたしのことをそう言うだけで、わたしはあいつじゃなくてルアンがいいんだから」

「すまないね、ボクはルアンでもジョシュアでもないんだけど」

 どこからともなく降ってきた声が彼らの会話を遮った。唐突に聞こえた爽やかな声にカデンツァは振り向いた。

「ここの指揮を()らなくてはいけないから、話を中断させてもらうよ」

 首筋にギリギリ掛かるくらい短いペールブルーの淡い髪。雲のように白い肌。キラキラと鱗のように艶めく着衣の上から、水のように透明で揺らめく衣をまとった彼女は、穏やかに詫びると微笑んだ。

「セテ!」

 インファは彼女の到来に微笑をこぼしながら、ぴょんと跳ねて自分よりずっと背の高い彼女に抱きついた。

「やあインファ。生物の妖精は準備できているかい?」

「そりゃぁもちろん、バッチリよ!」

「じゃあ持ち場で少し待っていてもらえるかな? 開始の合図で緑の光を上げるから、みんなにも伝えておいてほしいんだ」

「はぁい!」

 インファは聞き分け良く応じると、そのままふわりと浮かび上がった。

「あとでこっちの様子も見に来てよねぇ!」

「もちろん行くさ」

 彼女の返答にインファは気をよくしたらしく、くるりと宙返りをすると、そのまま[移ろいの松林]に向かって一直線に飛び去った。

「さてと」

 インファを見送り手を振っていた彼女は、淡い髪を陽光に煌めかせて振り向いた。

「ジェシカ、任務明けにも関わらず約束通りきてくれてありがとう。それなのに、ボクはだいぶ遅くなってしまったね。すまない」

「べつに気にしないから平気よ。セテが遅れるだなんて珍しいくらいだし」

「そうね。何かあった?」

 ジェシカに同調しながらエリーが尋ねる。セテと呼ばれた彼女は髪をくしゃくしゃと掻き上げて苦笑した。

「今回の季節変えのために、数陽日かけて[唄う野原]に雨が降らない程度の水分を集めていたんだ。[唄う野原]から風を吹かせて[幽閉の山脈]で雨雲を作って、こちらに雨を降らせる計画だからね。だけれど、過陽日の火事騒ぎで[唄う野原]に集めていた水分を使い切ってしまったから、火事の後始末を終えた後から、もう一度[唄う野原]に水分を集めて……ついさっき、ようやく終えたところだよ」

「それじゃセテ、あなた寝てないの?」

 ジェシカは驚きに目を見開いて声を上げた。

「ボクだけじゃないよ。水の妖精は全員さ」

 眠たそうに目を閉じて大きくうーんと伸びをする。何かを感じ取ったらしく、彼女はパチッと瞼を開くと不思議そうに首を傾げた。

「それにしても、ここは随分と水気に満ちているね。まだ季節変えを始めたわけでも、雨雲があるわけでもないのに」


 ゴホン。

 彼女の言葉に呼応するようにスクラグが咳払いをした。彼女は伸ばしていた腕を下ろして彼を見遣ると、その視線の先を辿って——ティアサーを見留めた。彼の言わんとする意味を理解したらしく、彼女は納得したように頷いた。

「何にせよ、元々雨を降らせる計画だから、手間が省けてありがたいことだね」

 彼女は微笑むと、カデンツァとティアサーの元へと歩み寄った。

「やあ、ベクレル家の新精だよね? はじめまして。ボクは水の妖精のセテアス。みんな名前を省略して呼ぶ癖があるから、ボクのことはセテって呼ぶんだ。よろしくね。噂によると——」

 セテアスはカデンツァの髪と瞳を愛でるように優しい眼差しで見つめた。

「太陽のような輝きを秘めた髪。君がカデンツァだね。それで——」

 カデンツァから離れた視線は、今度はティアサーへと向いた。

「月のような美しさを秘めた髪。君がティアサーだね」

 ティアサーがこくりと頷く様子を見て、セテアスは明るい笑い声を上げた。

「過陽日の火事での君らの活躍はボクも見てみたかったな。さっき話した通り、ボクは[唄う野原]にいたから、噂程度にしか知らないんだけれど、二人とも能力を既に使いこなしているみたいだね。今陽日は魔法でボクらの手伝いをしてほしいんだ。まだあまり慣れていないから不安かもしれないけれど、方法も魔法の使い方もみんな教えてくれるし、間違えたとしてもフォローしてくれるから、安心して取り組んでもらえると嬉しいな」

 ふわりと微笑んだ彼女。緩やかな笑みと穏やかな口調、柔らかな物腰の彼女にカデンツァはどこか既視感を覚えた。和やかな上品さを併せ持った彼女は、エレガノ女王に似ていた。

「それにしても魔法使いの妖精が四人も集まるとはね」

 セテアスはジェシカの方を向くと、改まって言った。

「本当に助かるよ。光の妖精が応援を欲しがっていてね。水の妖精も寝不足だから、人手が欲しかったんだ」

「風の妖精もだな」

 すかさずスクラグが応じる。彼の反応にセテアスは頷いた。

「どうやら、誰を連れて行くのかはもう決めているみたいだね」

「ああ」

 パンとスクラグが手を置いたのは、ティアサーの肩だった。当のティアサーは肩に乗った手から素早く視線を動かして、正面に立つスクラグを見た。

「風を使う(すべ)を教えてやる。天気を操る君なら、覚えておいて損はないだろう。筋は良さそうだし、何も難しいことはないさ」

 スクラグはニヤッと笑うと、ティアサーの肩に乗せていた手を下ろして、握手をするように差し出した。

「またもやお熱い歓迎かな?」

 片方の眉を動かして、ティアサーはふっと笑みを浮かべる。一瞬表情の曇ったスクラグだったが、それがこの新精なりのジョークなのだと分かると豪快に笑った。

「ああ、慣れてもらわないとな。これでも炎の妖精よりは冷めた挨拶なんだから」

 ティアサーは力の抜けた笑みをこぼすと、再びスクラグの手を取った。

「それでは」

 彼らの様子を見ていたセテアスは、彼らの友人としてではなく、自分の務め役として声を掛けた。

「風の妖精第一派三班リーダー、彼を連れて持ち場へ戻りたまえ」

「あいよ」

 彼はティアサーに目配せをすると、その場に残る魔法使いの妖精三人に会釈をして、まるで上昇気流を掴んだかのように一気に宙へと舞い上がった。

「それじゃ後でな」

 弟から掛かった声にカデンツァは頷く。彼が再び顔を上げた時には既にティアサーは飛び去った後だった。

「さて、ジェシカとエリーには光の妖精の手伝いを頼もうかな」

「あら、何をすれば良くて?」

 呟くように話したセテアスにエリーが尋ねる。ティアサーたちを見送っていたジェシカも振り向いて、問うように首を傾げた。

「光の妖精は四派に分かれてもらっているんだ。手が欲しいのは第二派と第四派。第二派は[幽閉の山脈]で第四派は[朝の煌めき]で、それぞれ気温が高くなりすぎないように光の強さを調整するのが役目。雲を通して注ぐ光自体は明るくても構わないんだけれど、今回は冬をもたらす雨だから、降って寒さを感じるくらいにしないとね」

「分かったわ。それじゃあわたしが[幽閉の山脈]に行くから、ジェスは[朝の煌めき]を頼むわね」

 エリーの返答が予想外だったのか、ジェシカは栗色の瞳に疑問詞を浮かべた。

「いいの? てっきりここから近い方の[朝の煌めき]を選ぶと思ったのに」

 不思議がったジェシカに対して、エリーはにこやかに微笑むと、「分かってないわねぇ」と言わんばかりに肩をすくめた。

「[幽閉の山脈]の方がホームに近いでしょ? 終えたら早く帰れるじゃない」

 彼女はふわりと舞い上がると、桜色のショートヘアを耳に掛けた。

「それじゃセテ、また今度!」

 セテアスに挨拶をして宙でクルリと一回転した彼女は、そのまま速度を上げてあっという間に姿を消した。

「じゃ、あたしも[朝の煌めき]へ行くけど」

 ジェシカはカデンツァの心境を探るように、彼の青磁色の瞳をじっと見つめた。心配そうな彼女の眼差しにカデンツァは穏やかな笑みを広げる。彼自身はこの季節変えにおいて心配や不安感を全く抱いていなかった。むしろ彼の心は強い好奇心にくすぐられ、うずうずしていたくらいである。彼の表情を見て取ると、彼を案じていたジェシカの表情は緩やかになった。

「何かあったらすぐ呼んでね、近くだから」

「うん、そうする」

 彼女は頷くと、セテアスの方へと向き直った。

「セテ、彼よろしくね」

「ああ、ボクの全てに賭けて」

 セテアスは微笑むと膝を曲げて深々と礼をする。彼女の受け答えにジェシカはふふっと笑むと、地面を蹴って空へと舞い上がった。

「そんなわけで、君はボクたち水の妖精の手伝いをよろしくね」

 体勢を元に戻してカデンツァに向き直ったセテアスは、彼を見るとニコッと笑った。カデンツァは微笑を返すと、握手を求めて手を差し出した。

「よろしくセテアス」

「セテでいいよ。名前で呼ばれる方が違和感あるくらいだから」

 彼女は笑いながらカデンツァの手を取った。

「まあ、君の場合は名前を省略して呼ぶのが難しいから、名前で呼ばせてもらうけどね」

 彼女の言葉にカデンツァは首を傾げる。握手を終えた手を離しながら、彼女はそんな彼の様子を見てふふっと笑った。

「せっかくカデンツァってかっこいい名前なのに、カデとかカツァとかで呼ぶのは気が引けるからね」

「たしかにちょっと変だね」

 ようやく理解した音の響きの悪さに彼は笑った。

「それで、水の妖精の手伝いは何をすればいいの?」

「そうだなぁ。言葉にするとしたら[後悔の海崖」の雨量の調整ってなるかな?」

 彼女がまた大きく伸びをするその傍らで、理解が及ばなかったカデンツァは尋ねるような眼差しで彼女を見つめる。セテアスは屈み込むように膝を曲げると、彼と目線を合わせた。

「詳しい話は少しだけ待ってもらえるかな? みんなを待たせてしまっているから」

「うん、分かった」

 歯切れよく返事を返したカデンツァに微笑みかけると、彼女は彼の頭をくしゃくしゃと撫でた。

「それじゃ、少し待っていてね」

 彼女はそれだけ残すと、彼らから少し離れたところにいる幾つかの妖精たちのグループの元へと、一飛びで着地した。

「お待たせしてすまない。まずは全班揃っているか点呼を取ろうか」

「光の妖精第三派、一班二班ともに全員いる」

 彼女の声に白いワンピースを身に纏った男の妖精が答える。その隣にいる風の妖精のグループから女性の声が上がった。

「風の妖精第三派、みんないるわ」

「大地の妖精の第三派も全員揃っている」

「生物の妖精もさ」

 それぞれのグループから一人ずつ応じた声にセテアスは頷いた。

「水の妖精も第三派一班はいる。二班以降は後から合流予定。さて、今陽日の目的はここ[後悔の海崖]を秋から冬に変える雨をもたらすこと。今回の季節変えは今季で四度目となる。幾分やりやすい時期になっただろうけれど、気を抜かないようにしてほしい。各派準備が整ったらそれぞれ黄色い光線を——」

 説明を続ける彼女の後ろで黄色い光の筋がスッと伸びた。振り向いた彼女は、肩越しにその明かりを見遣った。

「もう既に一派が上げたように、黄色の光線を上げる。各派の光が集まったら、第一派が緑色の光線を上げることになっている。それが開始の合図。終了は次の陽の出頃。終了の合図には青の光を上げること。何か問題が生じた場合は各派リーダーに報告、リーダーたちはボクに相談すること」

 言葉を切った彼女はクルリと向きを変えると、カデンツァを見て微笑を浮かべた。

「それと、今回の季節変えは各派に一人魔法使いの妖精が補助に入ってくれている。彼らのサポートは夕刻までだから、幾ら手が欲しいからと言っても、それ以降の時間に助力を得るのはダメだからね。ボクからは以上」

 セテアスの後ろでまた一つ黄色の光が放たれる。彼女はそれを見留めると、点呼に応じた光の妖精へ視線を向けた。

「ベレク、光を頼む」

 ベレクと呼ばれた彼が頷くのを見て取ると、彼女は掌を空高く掲げた。

(アクオ)放たれん(スディファーレ)」

 セテアスの掌から放たれた水は、真っ直ぐに宙を切り裂くように飛び、空気へと解けていく。ベレクは何かを唱えたものの、カデンツァにはそれがどんな呪文だったのか分からなかった。彼に分かったのは、ベレクの声が聞こえてすぐに黄色の光がセテアスの水の跡を駆け上っていったことだった。その光に応えるように[朝の煌めき]に面した崖地の方向からは、また新たな黄色の光が上がる。

「各派、準備完了だね」

 セテアスの呟きに呼応するように遠くの地から今度は緑色の光が空へと伸びた。彼女は緑色の光が消えるのを見届けると、[後悔の海崖]に集まった数十人の妖精へと向き直った。

「それではこれより[後悔の海崖]を冬にする四度目の季節変えを執り行う」

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