【 祈祷師の水茎の跡鮮やかに① 】
トイレから戻った良子さんは髪形が少し乱れていて、青木さんと別の部屋で数分なにやら話し声が聞こえて、少々の口喧嘩が聞こえ、少し髪を整え編み込んでから不満気に戻ってきた。
不満の矛先はどうやらオレだ、ガン見している。
妙に居心地の悪い視線から這い出るようにして持参した紙筒を手に取った。
「あれ?青木さん……この床って」
「ラグマット捲ったほうがいい?」
ラグマット?
フローリングの一部だけカーペット。
ラグマットなんて知らなかった……。
ユーキが持ってきた奴とは違う色の模造紙を広げる。
その上に本番用の模造紙を重ねて広げていく。
「ほい、差し入れ」
「これ……なに?」
「なにって、下書きだけど?」
良子さんスゲェ睨んだだろ。
なんだよ、結構これでも頑張ったのに御不満とはなぁ。
腕組みしてパシンと模造紙を叩いた …… 扱 い が 雑 。
「説明して!」
「良子さんの発案で皆で調べた。良子さんと青木さんはここ、元原稿がこれで写真4枚……ああこれだ。公園に資料館建ってるだろ?あそこの館長に聞いたことに。学校区内だ、企画として馴染みもいい……挨拶ぐらいしたほうがいい?」
「私の発案……?」
「すごーぉいなぁ」
「ほとんど出来てるだろ、これ3日で?!」
「ユーキこれただのラフ」
「ラフ?」
「レイアウトを鉛筆で下書きしただけ、このサイズを手書きで埋めるのは骨だ……文字数でマス目は切って、見出しだけタイポグラフィの本を見て適当に組んでる。イラストなんとなく終わらせた。ただ文章は原稿まででタイムアップだったんだ。ユーキは字が上手いだろ、やってくれ」
「これ……僕たち3人で残り全部やるの?」
「ここまで全部一人でやったのは、誰?!」
「良子さん、誰だって文句のひとつも言いたくなる作業だよ。下書きは指が疲れるから鉛筆で薄くでいい、明朝にはするなよ?」
「明朝?」
「あー、習字みたいな奴?カクカクの、あぁこういう字、これで頼む」
「かなり難しくなったぞ」
指でなぞりながら試している、できそうだ。
この字の上手下手ってなにが違うのかなぁ。
オレどうして字が下手なんだろ。
「鉛筆、ここも下書き?」
「そう、マジックを持ってきた」
「カラフルー!」
「だから下に1枚、敷いたのね」
「乾く時間を短縮しないと取り返しがつかないほど汚れる、油性を持ってきたけど今度は手や服についたら消えないから注意して作業してくれ。それとこれはオレの私物で買ったら高い、ほぼ新品、雑に扱うな……必ず返却してくれ」
何文字か書いたユーキが顔を上げた。
「学校にあるんじゃ……」
「管理が杜撰すぎる、どうせ出たり出なかったり使い物にならない。このサイズ、途中でカスレでもしたら絶望だ。ユーキ、お前それ一発……ただ書いてる?」
「これ?いきなりじゃダメ?」
「凄ェ、いきなりでそれか!」
あのサイズでサクサク書けるもんなのか。
逆にユーキいなかったら終わらなかった。
速さが桁違いだ。
これは助かった……分業か。
「それで頼む!お前がいてくれて、良かった」
「泣いてんの?なんで?!ダメなら言って!」
「ねーこれは?」
「あ、ああ。プラモ用のシンナー。床が汚れたらティッシュに染み込ませて拭けば取れるんだけどニオイがヒドイ、体に悪い。外はアレだけど必ず換気して」
「黒が無いわね?」
「素人が使えば暗くて陰気に見えるだけだ、あえて黒は入れてない、好きな色で。濃くしたいところは紺色、2本用意しておいた。青木さんには飾り罫を頼みたい、軽くだけ書いてあるけどこれアタリだから好きに変えていい」
「これねー?わかった!」
「漢字は自信がないんだ、良子さんがチェックしてくれないか?それが済んだら、字数が多いから文章は手分けしてマジックで、かな?」
「勇気君の下書きを、なぞるだけね」
「早いねー勇気君」
「一時間かからないかも……才能?」
「 ダ メ な ら 今 言 っ て ~ ぇ ?! 」
「最後、消しゴムで終了。多く持ってきた」
「箱。いきなり大盤振る舞いね?」
「学校からチョロマカしたから汚れたら捨てていい。油性ペンは擦っているうちに色移りすることがある、それで擦ったら台無しになる」
図書室と図書館から調達した関連書籍を置くと、青木さんがペラペラ捲ってから「うわーつまんない!」と苦笑いした。
面白要素ゼロ、郷土史なんて学生には苦痛なだけだ。
資料が手に入りやすくてウケが良い題材から選んだ。
さて……と。
「わかんなかったらオレん家に電話くれ」
「もー帰るの?」
「良子さん、オレはスッポカシたからね」
「そうしとくわ」
「ユーキ。色々ひっくるめて、悪かった」
「でもこれ!1時間は無理そうだー!!」
「休みながらでいいよ。読みにくいけど、頼む」
荷物を纏め立ち上がると「ねぇ!」と声が掛かった。
「この原稿も終わったら破棄するのね?」
「そ……書き写したら証拠隠滅しといて」
「証拠隠滅しておく」
「良子ーぉ?」
なんだ、またイチャイチャしだした。
この2人のイチャイチャは和むなぁ。
見てたいんだけど …… 限 界 だ 。
「じゃあ帰るから。3人に押し付ける格好になってごめんな?」
「らじゃー!」
「これお土産」
「ちょっと!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「良子さぁん、なんでついてきたの?」
「危なっかしいからでしょ。保護者?」
「なして送り迎えが付くの……子供じゃないのに」
「しーちゃん送ってけって言うからよ」
「なんだろう、良子さん機嫌が悪い?」
「悪い」
「悪いんだ?!いやぁ~当たった!初めてかな?」
「あっそ、良かったね」
「ついでに資料館に顔出してこうか?」
「面倒」
「オレが悪さをしたから機嫌が悪い?」
「悪い」
「なんか……粗相をしてましたっけ?」
「悪い」
ピタリと歩みを止めたので、振り向いて「どした?」と尋ねる。
少し拗ねたように左下へ目を逸らした。
「絶対3秒以上だった」
「3秒以上の、粗相?」
「しーちゃんのおっぱい!3秒以上触ったでしょ」
そ れ は ……時間の話なの?
「ごめん、時間止まってた。何秒ぐらいだった?」
「10秒以上はあった」
袖を手首ごと掴むと「ちょっ!」と引っ込めようとした。
いくら腕力が無くても男の左手と女の子の右手だ、簡単には外れない。
そのまま逃げようと2歩下がったが、公園の太い立木に肩が当たった。
「良子さん?」
「なによ突然」
「嘘をついたから怒ってる?」
「そうよ?特別って言った!」
「なぁにを考えてんだよ……」
「もう離して、痛い!」
「で、嘘ついたって怒るのか」
「 ぇ 、 う そ ? 」
「嘘つきってまた怒るんだろ」
「 う そ つ き ? 」
「言ったろ、離したくないって言ったろ?オレにとって良子さんは特別なひとだ。いつも良子さんだけ見てる、だから離さない、嘘なんてついてない」
良子さんは少し考えてから、静かに言った。
「言ったことないけど」
う …… ひ ぇ ?
言ってない?
「言って …… な か っ た っ け …… ? 」
「1回もないわ」
「一回も……?」
「1回も、ない」
「一回ぐらいは……」
「おっぱいは離さないって言った」
「ほらね?ほぉうらね!言った!」
「 し ー ち ゃ ん の も 離 さ な か っ た ! 違う?」
それは「原材料名 生乳100%」だったもん。
低脂肪乳だし凄ぉく悪いことしたみたいで。
動けなくなっただけなのに。
なんで……。
なんでだッ!
「ちょ……っと!なに?」
「触らせろ10秒以上!」
「なッ……やめてよ!!」
「いいや触らせろ10秒以上触らせろ」
「キャ!」
小さな叫び声に思わず手を引っ込めた。
「なんかいつもと雰囲気違うでしょ!」
「もはやこれ。これは研究じゃない?」
「どうしたの?!なんで?なんで!!」
「だって好きなんだもん。良子さん。 の …… おっぱいが?」
「かなり後半弱気になったでしょ!!」
「なった、弱気だった。 ……だめ?」
「諦めたでしょ!」
「だめ……?」
「だめっ!!」
ドロリと力が抜けて、ぺしゃりと尻餅ついた。
良子さんなのに。
どうして……わかってくれないの?
「だめなんて……ひどいよ」
「どしたの……?」
「諦めちゃった……さわりたいのに。だめっていった良子さん……」
「泣き出したっ!」
「一生懸命がんばったのに、だめって。オレのおっぱいなのに……」
「どんな理屈?!」
「その おっぱい」
「私の? これ?」
「良子さんのおっぱいオレのおっぱいなの、そこにくっついてるけどオレのなの!それなのに、さわっちゃダメ? いじわる いった …… ざ ん こ く す ぎ る ! 」
「意地悪、私が?」
「 ざ ん こ く っ ざ ん こ く す ぎ る よ ぉ 」
「わかった!わかったから」
「 わ か っ て な ん か な い よ っ ! 」
「ほんと、どうしたの?!」
「良子さんなのに わかってくれない? な ん で ?! 」
「だからね、わかったから」
「 もぉ かえして おっぱい か え せ 」
「あぁ~もう、なんなの!」
「 ざ ん こ く だ ぁ ~ !! 」





