【 祈祷師の水茎の跡鮮やかに② 】
そのまま、小一時間が過ぎた。
思ったよりも人が通っていくし、今もチラチラ2人分の視線を感じる。
漏れ聞こえてくる会話からは「別れ話にしては奇妙な状況すぎる、おっぱい連呼して泣き崩れた。警察に連絡したほうが良い」という話をしているらしい。
膝を抱えてメソメソ泣いてる。
横でずーっと困って見ている。
やっちゃった ――――
「ごめん……ごめんね?」
「ヘラヘラ笑って突然泣き喚いたり、やりすぎたんじゃない?」
「やりすぎた、壁新聞ごときが?オレには容易に可能なのにぃ」
「まだ4日目だよ?!」
「短眠者だもん、4日もあれば十分だもん」
「バカ言わないでよ、ボロボロじゃない!」
「 ぼ ろ ぼ ろ …… オレ かっこわるい? 」
「それを聞く?おっぱい連呼して公園の地面叩いてたでしょ!」
そんな言い方は無いよ。
でも……恰好悪すぎた。
「でも触っちゃダメって、いきなり言うから」
「普通は逆、触らせろって言い出したのよ?」
「ごめん」
「あれ、どうやって作ったの」
「それは……資料館で資料を」
「見てきた。そうなのね?」
す ぐ バ レ た 。
オレのメッキそんなに薄っぺら?
「言うほど簡単じゃない、かなり負担がかかるんじゃないの?」
「まただ……また超能力」
「 ど っ ち が っ ?! 」
「北斗の人……みたいな」
「北斗……突然マンガ?」
「脳の使ってないとこ使う、あれなんだ、たぶんだけど。ものすごい反動くる、喜怒哀楽とか衝動を抑えらんなくなる。こんな連続やったことなかった、限界って思ったんだ。こんなの見せたくない、急いで帰ろって思ったのに、良子さんついてきちゃうんだもん」
良子さんは驚いて息を吸い込んだ。
嫌われた、ぼろぼろ涙が出てきた。
「私より通りすがりの人みんな見てたよ」
「どうでもいいよ」
「あれね、どうやって作ってくれたの?」
「図書館と違って基本的に全部が全部帯出禁止、複写も取れないものだから、時間足りなくてスッ飛ばしながらメモ取って家で埋めて。写真も現像代かかるでしょ、あれ枚数残ってた写ルンです。覚えるって言ったって、そんな自由には……」
「科学部の予算で郷土史研究会を作った、意趣返し……よね?」
「超能力者なのか良子さん」
「それはこっちのセリフよ」
良子さんは子供っぽい意趣返しに溜息をついた。
「ほかに言うべきことは?」
「別にありません」
でも、良子さんの読んでる原稿は違う。
学校区内の地名や史跡がバンバン出る。
歴史上の人物をキャラクターにしてる。
面白くってためになる幕末の読み物だ。
中学生の、女の子向け。
「そうやって、また……嘘ついた」
「嘘?ついてない」
「頭の中で整理して覚える方法、すべての情報を絵と捉えて大量に蓄積していく、ただの断片が場所や時間で相関図となって展開していく、自分の頭の中ではこれが日々更新されているって模造紙の大きさを利用して書いたんじゃないの?」
「そうだけど」
「そうなのね。ただ記憶力の良い人とは違う、勉強しないという言葉に嘘はない、勉強嫌いじゃないし努力を怠るような人ではないのにノートを取らず黒板見ない。でも廊下に出された時は猛反発した。ずっと疑問だった。全教科、頭の中に描く、なにをどうやってるの?」
思わず溜息を吐いた。
「教科書のページに、教室の風景や説明と組み合わせて紐付けする。稚拙な板書は邪魔なんだ。教壇の上に据えた席、オレにとっては好都合だった」
「どうして郷土史なの?」
「そっちさっき言ったろ」
「それだけ?」
「そうだよ?」
今度は良子さんが目を閉じて大きな溜息をつく。
ゆっくりと開く瞼、奥底に呑み込まれそうな碧潭の漂う瞳。
時折見せる双眸に吸い込まれるように視線が釘付けとなる。
この、違和感……なんだ?
良子さんはなにを視てる?
「教科書と、資料館の資料。どこが合ってて違うのか、対比して授業を茶化した」
吹き抜ける風が、葉擦れの音が、蝉の声が、止まった。
公園が、一瞬の静寂に包まれた。
「歴史の点が悪かった私のための壁新聞 …… 正解、よね?」
良子さんなら遠からず気付く、そう思っていた。
あ の 短 時 間 で 見 破 っ た ?!
「良子さん、本物の超能力者だったのか」
「これ? ……そうよ」
「否定しないもんなぁ」
「私んち梓巫女の家系で。私はそれが、ちょっとだけ強くて」
「へ〜」
話しながら萎縮していく小さな声。
今にも逃げ出しそうな、細い身体。
それが「へ〜」の1言で糸が切れたように緊張から解放されたのか、ぺしゃりと地面にへたり込んだ。
「瞳に映ったものを記憶してるんだって言ったから、調べてみたの。普通は言語に置き換えるうちに失ってしまう力、持ったまま大人になる人も極々稀に存在する。これも似たようなもの、わたしは他人の考えが読めるのよ」
「さすが巫女さん!でも……それは別モノ、似て非なるもの」
「えー!?」
安堵したように、「似たもの同士でしょ?」と微笑んだ。
こどもの頃から、自分の持つ特殊性について友人・知人に秘匿しつづけてきた。気味悪がられる、排除される、小学校では散々な目にあった、ここでも教師からは同様の扱いを受けている。似たような、あるいは、もっと過酷な経験をしてきた、それは容易に想像できた。
だから優しくしてくれた。
似たもの同士だったから。
ん?
っぁ ちょっ! 待って?
アタマがグラグラしてる。
すごいショック受けてる。
もしかして、今 ―― 失恋した、とか?
「ねぇ!」
「ぅぁ?」
「して?」
「なにを」
「ねぇ、もう一回して?」
「無茶言うな!あの原稿、どれだけ緻密に……」
右手をそっと包み込むように良子さんの両手が触れた。
流れるようにゆっくり持ち上げていく。
して? ……するって。
お っ ぱ い ?
「待って、良子さん待って!おっぱい触って相手の頭が覗ける?無理だろ、絶対!それなら今まで何度も何度も見えてるって!これは、経験上……」
「きっと、できる。やってみて?」
「そんなことできるわけないって」
慌てて左手でその手を抑え込んだ。
これはマズイ、今は特にマズイッ!
「いやもう今日おっぱいは駄目、こうなるともう駄目だ、おっぱい駄目んなった。無理無理、暫く無理、見せないで、もう見たくもない、わかった、わかったから!本当のこと聞いて?頭スッカラカンじゃないと、オレおっぱい触ったりできない、できない、怖い、おっぱい怖い、どうしたらいいかわかんないんだって!!」
「おちついて……ね?」
「無理!言ったろ?衝動抑えらんないんだ、感覚とか凄い、見ろ鳥肌……全身だ、正直言う、あそこもヤバいことになってる、こんな状態で良子さんを触るなんて、絶対嫌だ、よしてくれ!!」
童顔で顔も体形も整ってて優しくって勉強のできる優等生。
良子さんは目の前にきちんと正座して、太腿に両手をのせて、まっすぐこちらを向いて、すこしだけ多めに空気を吸い込んでから静かに優しく語りかけてきた。
「ちゃんと見て?」
「無理、もう無理」
「見て?」
「無理なんだって」
少し間があった。
何度目かの逡巡。
不穏な空気に引っ込めた右手を見詰めていた。
ゆっくりと左手の指先だけをきつく握られた。
「いつもみたいに触ってほしい、だから制服で来たの」
気の小さいオレを緊張させないように?
夏休みなのに……制服姿で。
フッと左手の緊張が解けた。
「うそ……だろ?」
まばたきを一度だけする。
異常に精度を増した感覚器が光を捉える。
制服の繊維が、光を透過する皮膚から伸びる産毛が、極々僅かに震える睫毛が、虹彩のひだの1枚1枚、真っ直ぐこちらを見詰める瞳孔が、その覚悟で着てきたと強い意志を伝えてくる。
「どう?」
「見た目がいい子はいくらでも……誰より似合う」
「あなただけの制服、ほかの誰にも触らせないわ」
ハッとした。
オレのように付き合いが悪くも、友達の少ない人でもない。
いつだってスルリと輪の外に出て、一歩離れて立っていた。
今日、初めて見て知った。
いたずらっ子の妖精さん。
だから青木さんはスカート捲りなんて遊びを。
あの時もオレは青木さんを「かわいい」と手放しで褒めた。
青木さんだけ「特例」として認めているんだ。
以来、青木さん以外と距離を詰めなくなった。
二人でいたのは、そのせいか。
「嘘だ」
「嘘じゃないよ」
「オレ、嘘ついて」
「いまさら……?」
「ゃ……嘘、また嘘を……生贄の祭壇から、祈祷師が見える」
「祈祷師?」
「良子さん。全教科は無理で、だから、理科だけで」
「わかりにくい!」
「わかりにくい?」
「これ理科の試験の話してるのかな?わかりにくい」
「わかりにくいか」
オレの説明はいつもわかりにくい。
うまく言葉にすることができない。
良子さんはトントンと自分のこめかみを2度叩く。
そして、うっすら笑った。
「これね?気味悪がられる、ずっと使わないできた」
「出し入れ自在なの?それにしちゃ、何回も何回も」
「だってね、それは。 ……わかりにくかったから」
オレは常に突発的に目で見た景色を覚えてしまう。
本当は使いたくなんてなかった。
だから一番よくわかる、使いたくなんてなかった。
オレのせいか。
「説明してみて」
「なにを、説明」
「理科の試験をどうしたかったの?」
じっくり考えてみる。
あまりまとまらない。
「うまくできそうにないけど、目を閉じて聞いてほしい」
「はい」
頷くように瞼を閉じた。
「良子さんに重ねて教科書を覚えた。いつも教壇の上から見守ってた。だからオレより点の良い奴は、未来永劫現れない。離れてても、信じられるって。わかりにくくても、その目を使わなくてもいいんだって証明してみせる」
ひとつだけ頷いて……。
「こんな方法しかないなんて、情けないって自分でも思ってるけど。ずっと満点、最後の最後まで満点、それだけは約束する」
ひとつだけ涙が零れた。
「答えを、触ってみて?」
ひどく震える右手を握り込む。
今度は左手で。
良子さんがいつもするように。
左肘から持ち上げるように、流れるようにゆっくりと。
左胸へと近付けて制服の左胸に手のひらを押し付ける。
中学2年生女子に特有のやわらかい感触。
その奥に。
温度、湿度、緊張した少女の血液の奔流。
心臓を直接握っていると錯覚するほどの、強い鼓動。
左手に伝わってくる。
今日は、直接。
驚いて見詰めた瞳の奥底に、良子さんの答えが視える。
これが、この娘の能力……
「これからも見守ってる、大事にする……でも、だから」
「これ……最後なのね?」
「これで……最後にする」
オレの狂った羅針盤は、正しい針路を示さなくなった。
大切にしなくちゃいけない人達は、誰も巻き込めない。
すぐ暗礁に乗り上げてしまうだろう。
「私も守る。今すぐではないけれど……いつか、きっと」
「えっ?あの、いつごろ、なにから?」
「理不尽から!」
「理不尽……?」
良子さんは、とびきりの笑顔で、大きく頷いた。
「あなたは特別だったの」
「特殊だ、取り違えてる」
「努力家だもの、私より、誰よりもね」
容易に可能、その裏でしてきた、数々の蓄積。
デキがいい、才能、陳腐な言葉で片付けられてきた、思い通りにならない能力。自分でも説明できない奇妙な性質。
それを払拭しようと、小さいころから寝る間も惜しんで記録した膨大な情報と、それを表現する訓練は、気付けば習慣化していて、遅々として進まない学校教育には歩調を合わせられなかった。
だから、良子さんは特別扱いしてくれた?
結果じゃなくて、経過を、視た……。
そんな大事なこと、今、言われても。
「ありがとう、もう行くね。原稿もありがとう、大切にする」
もう 終わってしまった ―――――
「あれ!もっと良子さんに時間があったらと思って書いたんだ!良子さんみたいに勘は良くないから、全然、あれじゃ違うかもしれない、けど」
「できてたよ?あんなに凄くはない、だから思った以上のができる!才能がある、それを作る技術も、みんなに隠れてしてる沢山の努力だって。投げ出さないでね?気付いてくれる人が待ってて、あなたのちからを必要としてくれる」
「こんな、オレなんかを ―― ?」
このちからを必要としてくれる人がいる。
どこの誰かは、わからない ――――――





