8.彼女の名前について
しめった潮風が私の髪をきしませた。
私は目に入りかけた前髪をかき上げながら、彼女のさらさらとした黒髪を横目で追った。
朝日を浴びた彼女の髪は今日も濡れたように輝いていて、つい視線を奪われてしまう。
「で、シャロはどんなふうに自分の名前の由来について語ったの?」
私はあわてて視線を前に戻す。
もちろん彼女が聞きたがっている「名前の由来」とは、本名ではなくあだ名についての由来だろう。
「説明しなかったよ、私のあだ名については」
私は人前に立って何かを説明するようなことが苦手だ。しゃべっているうちに、自分が何を話しているのか自分でもわからなくなってしまうのだ。そんな私にとって、話せば長いあだ名の由緒について説明することは難しい作業だった。
それでなくとも、ほとんど見ず知らずの人、又は小学生のころ私に対するいじめを見て見ぬふりしていた人に対して、わざわざ自分の大切なものについて説明することには心理的な抵抗があった。
「そうだよね」
その後、私たちはしばらく黙って浜辺を歩いた。絶えぬ波のさざめきと時折鳴くトンビの鋭い声が沈黙を埋めた。
「なぜクラスの人に自分のあだ名の由来を説明しなかったの?」とは、彩は聞いてこなかった。たぶん言わなくても伝わっているのだろう。
彩とはまだ1年半しか付き合いがないのに、こうして少ない言葉で通じ合えることが私には嬉しかった。こんな特別な友達ができるなんてことは、一昨年の私にも3年前の私にも全く想像できないことだった。
彩は私の人生の(その中でもとりわけ大切だと言われる時期の)1ページを見事に彩ってくれた。そう考えると、「彩」という名は彩にぴったりだ。
来年の今頃もこうしておしゃべりしながら散歩できたらいいな。私は心からそう願った。
「来年もこうして散歩できたらいいね」
まるで私の心の中を音読したように彩が言った。
「な、名前の由来って言えばさ」
恥ずかしくなった私は話の軌道を力づくで修正した。
「昨日会った川口先生の名前の由来って知ってる?」
彩は不満そうな顔をしているが、私は続ける。
「下の名前が『夏海』って言うんだけどね。あ、字は『夏』の『海』って書いて『夏海』って読むの。その由来がね、先生のお父さんが夏の浜辺でプロポーズしたからなんだって」
「へえ、なかなかロマンチックだね。今みたいな時間帯だったら人も少ないしいい雰囲気かも」
「そうだよね。お昼の時間帯の砂浜はたくさんの人でごった返すけどこのくらい朝早い時間帯だったら……」
その時私の脳中に、ある光景が浮かんだ。始めのうちはぼやけたモノクロだったその光景は徐々に色を持ち輪郭を定めていった。
「どうしたの、シャロ?」
急に黙り込み、歩みを止めた私を彩が心配する。
「もしかしたら、わかったかもしれない」




