9.二人だけの世界
7月23日の午前7時少し前、私と彩は水族館の横にある木陰に隠れていた。私たちが連日、散歩の待ち合わせに使用していた場所のすぐ近くだ。そこは小さな高台に位置しているため、浜辺の様子がよく見渡せる。
まだ朝早い時間ではあるが、周囲の気温はすでに25℃を超えているだろう。日陰でじっとしている分にはまだましだが、私たちの視線の先のシフォンケーキみたいな砂浜は暑い日差しの中でじりじりと焼かれ始め、見ているだけで体感気温が3℃くらい上がった。
それでもそこから視線を外すわけにはいかなかった。いずれ現れるだろう2人の姿を見逃すまいと、私たちはじっと暑さに耐えた。
アインシュタインが相対性の中で証明した通り、楽しい時間は早く過ぎるものである。夏休みが始まってすでに3日が経っていた。
夏休み初日の20日と、その翌日に散歩をしたが、昨日は一日彩の家に引きこもって夏休みの宿題を片付けていた。昨日散歩をしなかったのは、事件が起きる日時に目星がついたからだ。
前回の散歩の途中、彩と「名前の由来」について話しているときに、不意に頭の中にある映像が浮かんだ。その映像と、これまで得た数々の情報から、私は自身が事の真相に至ったことを悟った。今日はそれを確認するために、こうして彩と2人で物陰に潜んでいるのだ。
「ほんとに来るのかな、斎藤先生」
彩が不安そうな声を漏らした。
そういえば彩にはまだ一部の推理しか披露していなかった。
「来るはずだよ。誰にも見られない夏の海でやらなくちゃいけないことがあるはずだから」
「それはもう聞いたけど、なんでこの場所だってわかったの?」
「斎藤先生が川口先生に告白したのはこの水族館でのことだった。験を担ぐ斎藤先生ならその近くで川口先生に告白すると思う。あと、私たちの街で有名な浜辺って言ったらやっぱりここだしね」
「なるほどね。じゃあ日時を特定できたのはなんで?」
「ああ、それは彩には言ってなかったね。実は今日、川口先生の誕生日なんだ。川口先生のお父さんも、川口先生のお母さんの誕生日の朝にしたらしいよ」
彩が「ああ、そういうこと……!」と詠嘆の声を発した。
「でもシャロが他人の誕生日を覚えているなんて珍しいね」
思わず苦笑いになる。
「語呂合わせで簡単に覚えられるからね」
その時、大きなシフォンケーキ色の砂の上に、2つの長い影が落ちた。
空では薄い雲が太陽から外れ、朝日に照らされた穏やかな海は波の模様に光っている。空から燦燦と降り注ぐ陽光と海面で反射したそれは、浜辺に向かい合って立つ2人を穏やかな黄色で包み込んだ。
より大きな影を持つ方が、懐から小さな深紅のケースを取り出した。不器用そうにその口を開くと、中からは小さな一等星が現れた。朝日を浴びて輝くそれは、ケースの元を飛び立って、桜色の爪をゆっくりと通り抜ける。
そして、2つの影は1つになった。
穏やかな潮風が、控えめな白波が、そしてが情熱的な夏の太陽が2人の特別な瞬間を祝福していた。その光景と色彩を私は生涯忘れることはないだろう。
「やったやった!」
はしゃいだ彩が私に飛びついてきた。
鳥肌が遅れてやってくる。私も幸せな気持ちに包まれて、彩に抱擁を返した。
「うん。よかった」
もう一度美しい光景を目に焼き付けようと浜辺の方に首を回した。
「あ、やば」
「え、なに?」
私は彩の手を掴み、走り出した。
「もしかして、見つかっちゃった!?」
「目が合っちゃった!」
「どじー!」
「彩が大きな声出すからでしょー!」
私と彩は水族館の駐輪場に停めて置いた自転車に同時にまたがる。
嬉しくて、恥ずかしくて、高ぶった感情をそのままに、私は自転車のペダルを全力で踏みしめた。




