閑話 フーカの覚悟
私は狡い。
戸の前でゆっくりと深呼吸する。
ノックしようと手を振り上げるが、振り下ろす勇気が出ない。
どんな顔をして会ったらいいのか分からない。なんて声を掛けられたいいのか・・・。
全ては私の不覚悟からはじまったのだ。
自分は強いと思い込み、容易に打ち砕かれ、そして屈した。
そう覚悟なんてなかった。
ただ必死だっただけ、ただ目の前の恐怖に屈し尻尾を丸め、縋っただけ。
嘆願なんて後付けだ。
ただ単に生き延びる為の理由を、思い付くままに言っただけ。
兄の助命を願ったのもそうだ。
そうすれば自分が悲劇のヒロインの様に正当化されると思っただけだ。
異世界から召喚された英雄。
その並べられた言葉とはかけ離れた様に見えるどこにでもいそうな、でも底の見えない老人。
元の世界に飼い犬を残してきた事に未練を残した、ただの老人かと思えば、人の頭より大きい石を小石の様に放り、爆発させる。
奇怪を通り越した理解不能な人物。
理解を超えた存在と分かっていたはずなのに、侮っていたとしか言いようがない。
それほどまでに、この英雄と呼ばれた老人は隙だらけだった。
自分の術が破られるなど微塵も考えていなかった。
術を行使し、拘束し、その老人から投げ飛んできた爪の先程の小石が爆発するまでは。
指で弾かれただけのはずのただの小石。それに瞬時に刻まれた魔法刻印。吸収、圧縮、放出、引火、加速、倍加、それと見とれなかった後二つの術式。
確認が出来なかった残り二つが何であったか、それは直ぐに分かった。
確認出来たその六つの術と込められた魔力だけでも、私を粉々に吹き飛ばすには十分な威力があったはずなのに、私は死ななかったのだから。
私は死ぬどころか、衝撃すら感じなかった。
残り二つの術式は私を保護する為のものに違いなかった。
私はこの時、歯牙にも掛けられない、取るに足らない存在であると身を持って知らされた。
研鑽を積んできた筈の術も技も、その全てを一瞬で凌駕された。
恐怖などと生易しいものではなかった。
そして受けた心臓を直に握りつぶされるかのような、怒りの波動。
私は、ただただ死にたくない一心だった。
そして私は贄になった。
自分から望み、死から逃れる為に、贄になったのだ。
覚悟もなく。
贄のなった者がどういう扱いを受け、そしてどのような道を辿るのか。一族の歴史を持って知っている。
死すら自分では選べない、如何なる辱めを受けようとも、惨たらしく扱われようとも甘んじて受け入れなければならない。
今思えば恥ずかしい。
私は自ら進んで贄になったというのに悲嘆していたのだ。
公爵宅の地下で話があると言われた時は、私は怨みさえしていたのだ。
身を清め、覚悟を決め、部屋に入った私を待っていたのは、苦悩する一人の老人だった。
贄の契約にいかなる不満があったのか、その時は分からなかった。
ただ、この部屋に入る為にどれ程の勇気と覚悟が必要だったか、それを知らない癖に、無意味と切って捨てられた事に無性に腹が立った。
今思えば恥ずかしい。私は自分の事しか考えていなかった。
覚悟のない奴は必要ない、と見透かされた気分だった。
身命を賭し忠誠とせよ。その身を盾とし主人を守り、事を成しては喜びを分かち、死して尚、共をせよ。
贄の契約とは本来、自身の忠誠の証として立てる儀であったはずだった。
それがいつしか、自身を対価に要求を立てる契約に捻じ曲がったのだと聞いた事がある。
私はそれを知っていたからこそ、何度も聞かされていたからこそ朗々と、さもはじめからそうであったように嘯く事が出来た。
私が本当に覚悟を決めたのは、この時、この瞬間だったのに。
目の前の老人は悲しげに微笑みながらも、私の覚悟を受け取ってくれた。
私は自分の矮小さをひしひしと感じさせられながらも、認めてもらえた事と、契約を本来の形として行える事に喜びを感じていた。
私は私の全てを持って、この人の役になろうと。
この時初めて、心から誓ったのだ。
アーティファクトから生み出された火球を跳ね返す英雄の姿に心沸き立ち、大事な局面に間に合わなかった事に悲嘆し、頭を撫でられ許された事に歓喜した。
怖いものはなかった。
人の姿をしたおぞましい化け物を前にしても、この人と一緒になら怖くなかった。
真の英雄の力になれる。
その結果、私が死んだとしても悔いはない。死など怖くなかった。
鎧の中を、見るまでは。
私は、私を背置いて走り、切り込む英雄様の姿に見惚れていた。その姿に恥ない様、私は全力を振り絞り、魔法を使った。
球体となった鎧が刺し貫かれた時は、心臓が止まるかと思ったが、その後に起きた眩い光に、我が主人の勝利を疑わなかった。
光が見え晴れた後に見えたのは金色に輝く杯を持って倒れ伏している血みどろの青年だった。
絶句した。
ピキリピキリと何か砕ける様な、裂けるような音を立て、血を吐く青年。
自分の内にある契約が、この青年が主人であると告げている。
けど、私には理解出来なかった。
呆然と立ち尽くす私の耳にティルフスの声が聞こえた。
契約という言葉と、女狐という言葉だけはなんとか聞き取れた。
私が契約が切れかかっている。と言うと、驚くティルフスの顔と、優しく微笑む青年の顔が見えた。
裏切られた。
私はその瞬間、そう思った。
あの時、この人は私の覚悟を受け取ったのではない。私を道連れにしない覚悟を自分にしたのだと。気付いた。
そして、その事実に気付いた時、私は安堵していた。
はっとした。
安堵した自分に驚いた。
私は何に安心したのか。
死ななかった事か、それとも贄ではなくなった事か、その両方か。
仕方ない、と心の声が聞こえる。
それと同時に、許せないとも聞こえた。
仕方ない?そんな筈はない。私はこの人の鉾となり盾となり、死まで共をすると決めたのではなかったのか。
私の覚悟とはそんなに簡単に揺らいでしまうようなものだったのか。
私は生き絶えようとしている主人である青年を、ただ見ているしか出来なかった。
自分の中にある契約という縛りが、時間と共に解けていくのを感じる。
そして不意に、唐突に、ふつりと切れた。
終わってしまった。
立っていられなくなる程の虚無感に襲われた。
もはや安堵など、もうどこにもない。
私は裏切られたのだろうか。
いや、多分違う。
この人は最初からここで死ぬ気だったのではないだろうか。
死ぬ気だったからこそ、私を贄から解放しようとしていたのではないのか。
もしかしたら、火球の爆発を跳ね返したのも、私を後ろに置いて走ったのも、私が死なない為の配慮だったのではないか。
聞きたい。
けど、もう遅い。
目の前の世界がぐにゃりと捻れた。
何もかもが遠くに感じる。
「大丈夫だ生きてる」
不意に聞こえた声にハッとした。
よく見れば子供のように泣きじゃくり、青年に抱き着くティルフスと、困ったような表情で抱き着かれ、ティルフスの頭を撫でる青年が居た。
何が起こったのか分からない。
でも、何かが起こったのは確かだ。
そして、呆然とその光景を眺め、少し、ほんの少し、素直に泣いて抱き着いているティルフスが羨ましい。
そう思ったのは覚えている。
その後のことは余り覚えていない。
ただ、兵を引き連れた公爵様が場を取りまとめ、私達はばらばらになった。
ジン、と呼ばれていた英雄様にある一室が与えられ保護されている。
と聞いたのは明け方近くになっての事だった。
私は居ても立ってもいられず、部屋を飛び出し英雄様の部屋へと向かったのだ。
ノックしようと手を振り上げたまま、どれほど時間が経ってしまったか。
疲れて寝ているかも知れないし、もう契約は切れている。迷惑かもしれないと思うとノック出来なかった。
日を改めるべきではないか。面会の約束を取ってからにすべきではないか。けれども、どうやって約束を取ればいいのか分からない。今、会わなければ二度と会えない気がする。
せめて時間が
「何してんだ?」
「ひゃ⁉︎」
英雄様と目が合った。
気配は消している筈なのにバレてしまった。どうしよう。
「ま、そんなとこじゃなんだ。中に入りな」
気を遣わせてしまった様だ。
「失礼します」
促されるままに中に入った。
「ま、座れ」
「は、はい」
背を向けたまま、手を振られた。
とりあえず、振られた先の椅子に腰掛ける。
英雄様が水差しとコップを二つ手に持ち、戻ってきた。
コップを二つテーブルに置き、それぞれのコップに水を注ぐ。コップの一つをわたしの前に置き、もう一つのコップを手に持ち、一口含み喉を鳴らしてから英雄様が口を開いた。
「それで?どうした?」
「はい」
そう答えてから私もコップを手に取り、水を飲んだ。どうにも喉が渇いて仕方がなかった。
空になったコップを置き、口を開いた。
「英雄様・・・、英雄様に聞きたい事がありまして、お伺いしました」
英雄様は苦笑いをしていた。
「英雄様はもうやめてくれ。もう英雄じゃない」
「では、なんとお呼びしたら・・・」
「ジン、そう呼んでくれ」
「ジン様ですね、承知しました」
より困った顔をされたが、ここを譲る気はない。
「それで、聞きたい事とは?」
「はい」
深く深呼吸して心を落ち着かせる。
「はい、えい・・・ジン様は最初から、私を道連れにしないよう、死ぬつもりだったのでしょうか?」
「そうだ」
真っ直ぐな目で言われた。自分の決断に迷いなんてなかったのだろう。そして今もその決断に疑いを持っていない。
そう見えた。
「私には共をする資格はない、という事でしょうか」
違う、言いたいのはそんな事じゃない。
「死出の旅にそもそも共なんていらないからな。資格以前だよ」
「私は・・・私は必要とされていなかったのですか?」
違う、違う・・・そうじゃない。そんな事が言いたいんじゃない。困らせたい訳じゃない。
涙が溢れる。嗚咽が止められない。
卑怯だ。私は卑怯者だ。
言ってほしい言葉を求めて、ただごねているだけ。これじゃただの子供じゃないか。
「フーカ、お前の見た英雄なんてのは、最初からどこにもいなかったんだよ」
そんな・・・、そんな事はない。
「お前が契約した英雄は最初から死んでたんだよ。身体も力も借り物の何か。それが目的を成し遂げ、そして存在を保てずに消えた。ただそれだけ、お前が気に病む事なんて何もないんだよ」
そんな・・・。
でも、それなら確かに契約が途切れてしまった理由になる。
「では、ジン様は・・・」
「今の俺はただの抜け殻だよ」
抜け殻?
・・・そんな訳がない。危うく騙される所だった。
こんな若く凛々しく力溢れている青年が抜け殻な訳がない。おそらく、これが本来のお姿なのだろう。
契約が途切れたあの瞬間に、何かあったのかは分からない。
けど、あの瞬間に英雄様からジン様に変わったのだ。完全な姿として。
ダメだ。いけない。
目の前に本当の英雄様がおられるというのに、馬鹿な感傷で自分を見失っている場合じゃない。
今度こそ全力でこの人について行くのだ。そして・・・。
そして?
そして、なんだろう?
私はジン様に何かをして欲しい?
いや、そんな考えは不敬だ。
「どうした?」
しまった。つい考え込んでしまった。
顔を上げ表情を伺ったなら、心配そうに覗き込むジン様の顔があった。
いけない。しっかりしろ!フーカ!
これ以上に情けない顔を見せてはいけない。自分のしたい事があるならば、それに真っ直ぐと向かうべきだ。
背を正し、真っ直ぐにジン様の目を見つめ返す。
黒い瞳が綺麗だ、吸い込まれそうになる。珍しい色だけど、異世界には多いのだろうか・・・。
いやいや、いけないいけない。
「ジン様。折り入ってお願いがございます」
「なんだ?」
少し目を丸くしたジン様が、表情を引き締め、そして優しく微笑んだ。
本当にお爺さんのような優しい笑顔だ。
「もう一度、ジン様の従者としてお仕えする事をお許し下さい」
私はジン様の目を見たまま、言った。
ジン様の表情が、やや曇った。
「俺はもう英雄じゃないし、英雄になる気もない。事が落ち着けば静かな所で畑でも作って過ごすつもりだ。従者なんていらんよ」
「構いません。きっと、いえ、必ずお役に立ちます。従者として仕える事をお許し下さい」
ジン様は本気で言っておられるのだろうけども、そうなる筈がない。
今回の件でジン様の名前が世間に知れる事はないだろうが、周辺国家には知れ渡ってしまった。
この国から一歩でも出たならば周辺国が秘密裏に、一斉に動き出す事だろう。
そうなれば必ず私が必要になる。
私はジン様の目をジッと見つめ続けた。
ジン様はやや困った表情のまま、少し考えている様だった。
「わかった。そこまで言うなら好きにするといい。実際、今の俺は困った状況にあるしな」
許された。よかった。
私は椅子から立ち上がり、ジン様の横へ移動し、片膝を突いて頭を下げた。
「なんなりとお申し付けください。いかなる難行であろうともこなしてみせます」
「わかったよ。それじゃあ情報収集を頼みたい。特に知りたいのは、今後の俺の扱い、なんとかって王女の容態、魔ダニの憑いてた黒甲冑の中身の正体・・・、このくらいかな?」
最初の二つは分かる。最後のマダニとはなんだろうか?
聞くべきか、黙って遂行するべきか・・・。
聞くべきだろう。ジン様は言われた事のみを従順にただ行う者を好まない。と、思う。
「申し訳ありませんジン様、マダニとはなんでしょうか?」
「魔ダニはな・・・」
?
なんだろう、急に何かを考え出した?
「そうだな、公爵に会ったら伝えて欲しいんだが、王女がおかしくなったなのはこの魔ダニのせいなんだよ」
ぇえ⁉︎
「この魔ダニってヤツは濃く強い魔力を餌にして寄生する小さい魔物なんだが、勇者の力を強く受け継いでしまった王女が、その力を持て余したが故に魔ダニに憑かれ操られてしまった。
魔ダニは自分の眷属を他の生物に取り憑かせ使役する事が出来る。黒甲冑にその魔ダニが付いてる筈だ」
「では、王女にもその魔ダニが?」
「いや、王女に憑いてた魔ダニは勇者の力と一緒に封印した。俺が持ってた杯に入ってる筈だ」
なるほど、手に持っていた杯はそういうものだったのですね。
「承知しました。公爵様に伝えておきます」
ジン様に頭を下げて立った。
これが初仕事だ。がんばろう。
「あ、フーカ。ちょっと待て」
背を向けて、ドアノブに手を掛けようという所で声を掛けられた。
何かを不手際でもあっただろうか?
少し緊張しながら振り返った。
「一つ言い忘れていた」
「はい、なんでしょうか」
「フーカ、王女と相対した時のお前の魔法は見事だった。あの光の槍のお陰で俺は王女に憑いていた魔ダニを封印出来た。ありがとう」
なんで今、そんな事を言うのさ⁉︎
不意打ちにも程がある‼︎
唯一の救いは頭を下げているジン様に、慌てふためいている今の姿が見られていない、という事だろうか。
「いえ、従者として当然の事をしたまでです」
よし、普通に返せたと思う。
今赤い。絶対に顔が赤い。
見られる前に逃げよう。
「失礼します」
急いで戸を開けて部屋の外に出た。
少しバタバタとしたが失礼はなかった、と思う。
はぁ、なんかやばい。
まだドキドキしてる。
褒められるのは随分と久しぶりな気がするが、惚れられてこんなに嬉しいと思った事もない気がする。
気持ちのいいものだなぁ。
よし、がんばろう。




