表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
52/54

5・17 日常性に薄められた牛乳のように

5・17 日常性に薄められた牛乳のように


 何のために、書いているのか。柾木は、雨の上がった夜に思う。月が西の空に出ている。今日は純文学的な夜だった。

「寂しいからさ。」

 屹度、文豪ならこう言うだろう。

「あれは、私の苦しみのあとです。あれは書き捨てに過ぎないのですから、全部、燃してしまつてください。」

 生前は無名だった詩人なら、こうだ。

「それはおれの生命だからだ。書くしかないからだ。これを書かなければ、おれの生きている証がないからだ。」

 先月の柾木なら、そう書いただろう。

 だが今の彼には、それは違った。それは少しだけ深い悩みだった。はじめてチェロが鳴ってから一週間。昼間は再びチェロを習った。ボウイングの飲み込みがはやいと褒められた。それは教室流のセールスで、初心者を逃さないための世辞にすぎない。偏屈な柾木にはそう思われたが、それでもどこか嬉しかった。彼は単純にできていた。

 書くこととは、結局、代償行為なのだろう。

 彼は、そう思いながら書いていた。畢竟、彼にとっての文学など、そんなものだった。三月からはじめた三枚のベランダも、なんとなく続いて、それなりに増えていた。書くことは日常のひとつの動作として、柾木に内面化されつつあった。だからこそ、その新鮮さも少しずつ薄れていっていた。雨の日の抒情詩でさえもそれは同じで、彼は文章を書き始めたころの、不安とよろこびとを失いつつあった。小慣れた三枚を書きながら、書くことを疑いはじめていた。

 日常性に薄められた夜の底で、タバコの煙だけがまだ、新しかった。(了)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ