5・1 此処ではない何処かへ
5・1 此処ではない何処かへ
逃避行の果てに、熱海までやって来た。明日はもっと南の離島へ行こうか。
今日はこれを旅館で書いている。まるで書生気分で気取っているから、きっと下手くそな文になるだろう。奇しくも、また六階で夜を見ている。いつも新宿の遠くの明かりは、今日は近くの温泉街の灯になった。
どうか、此処ではない何処かへ。それが僕を動かしている。それは僕の万年病で、何処にいても、僕は此処が自分の居場所ではないと感じてしまう。それで常に次の何処かを求めている。昨日まで実家に二日いた僕は、今日はもうあそこには居られなかった。それで、始発で大嫌いな東京へ発った。
ゴールデンウィークの混雑を避けて、東京からグリーン券を買った。新幹線には、乗りたくなかった。便利さと引き換えに、旅情は死ぬ。速さの代わりに失うものが、余りにも多い。
東京から熱海へ向かう鈍行は、いまの僕が知る中で最も、「此処ではない何処かへ」を見せてくれる。水のない息詰まる東京駅から、海の気配を求めて南へ。だが海は、最後まで見えはしない。列車はビル群から住宅街へ。次第に緑が増え始める。田畑が現れるようになると、段丘地帯の家々が広がる。五月の日差しは異国を感じさせ、その風をまとって、トンネルに入る。トンネルをひとつ抜けるごとに、日常は少しずつ薄められていく。いつか、知らないはずの過去のにおいが、トンネルの向こうには漂っている。そうして茅ヶ崎、真鶴、湯河原。本の中で出会った地名に身を浸していく。短いトンネルがいくつもつづく。山は少しずつ険しくなって、人間の生活のにおいが消えていく。人の力が及ばなくなると、その向こうに、海が現れる。それは人間のにおいのない海だ。その海に抱かれて、熱海がある。そこは海に気圧された街。人間は斜面に追いやられ、街は、知らないのに懐かしい姿を保つ。自然は、人間の時間を進めなくする。
この鈍行の線路こそは、「此処ではない何処か」への旅路だ。時間に取り残された懐かしい熱海は、誰もが懐かしむ「此処ではない何処か」に近い。そこは、時間の進めない街。そこには、進めない人々が流れ着いている。(了)




