4・14 何も書かれていない六〇〇字
4・14 何も書かれていない六〇〇字
日常は終わらない。今日は書くことがない。もう十分も立ち尽くしている。
書くことがない日は、文学の話でもする。
文体とは、何なのだろう。この文を書きだしてもうすぐひと月になる。どうも、文体は変わってきている。書くことを気負わないで書くために、作為はなく、湧くままに文章を綴っている。自然、文体は後からやってくる。文体は果たして作れるものか。
純文学を気取った文体。大衆小説を書くための文体。ラノベの文体。童話の文体。文体は、滲み出てくるものであるのか。文体はたしかに存在する。ある文章がある物語を書く。その時それを最もよく届けるための、ぴたりと一致した文体が現れたとき。その文章は、名文と呼ばれる。
小説に出来ることとはなにか。小説は、一文で何処まででも行ける。宇宙が誕生しそして終わった。お釈迦様だって、宇宙には勝てまい。千年間朝日が昇らなかった。ある日空中に巨大な球体が出現した。
彼が思わずすれ違った少年を振り返ると、少年は次の一歩を踏み出すところで、その一歩は穏やかに緩やかに、それでいて力強くも彼には見えて、いままさに地面に着けられようとしている少年の右脚は、まるで人間味がなくて恐ろしいほど美しく、柾木はその一歩が踏み出されるまでの間、少年の姿から目を離すことが出来ず、微かなはずの足音を想像しては、きっと訪れるだろう鼓膜の振動に切なさを感じて、少年の右足のスニーカーのつま先に、小さな土埃の汚れがついているのが、なんだかひどく憎いように思えた。一文は限りない微動を無限の長さに引き延ばすこともできる。
すなわち、何も書かなくても六〇〇字は埋まる。(了)




