第34章
34.
森の朝は、そこに住まう鳥たちの歌声に満ちている。
元いた世界と鳥の種類が同じ訳ではないだろうが、森の中の生態系は似通っているのかもしれない。囀りは異なっていても、人の心を癒し安らぎを与えてくれる。
そして、元いた世界で言うところの産業革命の兆しも見えぬこの世界、未だ都市であっても周囲は新鮮な空気に満ちてはいる。だが、それ以上の清々しさを持って、森は森に住む者たちを包み込んでいた。
僅かに森には朝霧が漂い、木々の隙間からは朝の陽差しが斜めに差し込んでいる。
こんな日に、死にたい奴なんて、いる訳がない。
あるいは早起きの鳥たちが、人の為す愚かな試みを噂しているのかもしれない。
「遅かったな。キミはもう来ないかと思ったよ」
『決闘』に遅れてくるのは何時の世も勝利を得る為の常套手段、小賢しい真似も必要ならばいくらでも。何せ俺には後ろの二人の命も掛かっているそうで、本当は決闘を始めるにあたり俺の勝ち負けが後ろの二人には及ばない事を確約させたいところではある。だが、俺がそれを口にすればソフィアに背中から刺されそうな雰囲気で、寧ろ俺が動揺しかねない。本当は二人が朝起きれないくらいにすればと考えはしたのだが、それでは俺も足腰立たず敗北は必須、已む無く廃案に至る。
良いアイデアと思ったのだが。
生活の場である森に手を加える事をを良しとしないエルフたちにとって、森の中で唯一開けた草原というのは、もしそこが農地に適していたならば既に何らかの栽培地として新芽が芽吹く事となっていただろう。これから決闘を行う二人にとって幸いなことに、かつての造山運動の痕跡なのか地中の岩塩が露出したその地は植物の育たない小さな荒地となっていて、お互いが不毛な命のやり取りをするには最適な場所が供されていた。
「悪かったな。では、始めようか」
俺が遅れてきてもエルシャナは手もかじかんでいなさそうだし、まして苛立ちもしていない。俺も特に櫂が手元にある訳でもない。ならばさっさと始めるのが良いだろう。いつも通り『同田貫』を構える俺に、奴も纏ったマントをかなぐり捨てる。
俺が人を切るのは、何度目の事だろう?
少なくとも『同田貫』を人に振るうのは、これが初めてのはずだ。
風に舞ったマントがファサリと地に落ち、それを合図に俺は一瞬両の踵を浮かせ、全力で奴に向かって駆け出す。
「リ・エル・ソラート!」
駆け寄る俺に奴はその場で踏み止まったまま、俺に向けて両の腕を突き出す。
俺を睨む奴の視線に迷いはない。そして同時に為される呪文の詠唱は、シャーリーと同じ風の鎌を放つ魔法。シャーリーより倍は遠くから放つ魔法の、奴の射程距離は如何ほどだろう?
轟音を上げて迫りくる鎌鼬を俺は一瞬体を沈み込ませながら、大きく左にステップして躱す。
多少余裕を持って奴の射線から身を逸らしたつもりだが、俺が纏う革の上着の右の二の腕が僅かに割かれている。如何やら射程だけでなく厄介な事に射角というか鎌の刃の幅も、シャーリーの放つ魔法よりも数倍は幅広い。
「リ・エル・ソラート!!」
再び奴が風の魔法を繰り出す。
二射目も一射目と同様だが射程が縮まっている分、横に跳ぶなら俺の避けるべき距離は大きい。俺は更に体を前に倒して、地を這う様に腰を沈める。地を蹴る足の両の膝が、まるで自分の胸を突く様だ。頭上を鎌鼬が飛び過ぎる感触、後一センチ奴の狙いが低ければ、俺の血塗れの円形禿が決定していただろう。幸いにして数本の毛が刈り取られただけの様だが、その間にも間近に迫る俺の姿に、初めて奴の顔に僅かな動揺が走る。
「リ・カル・ドルーサ!」
今や上半身を起こして迫るフィレンツェの振り上げる白刃を受けるべく、フィレンツェの目前に巨大な土の壁が出現する。
だがっ!
遅い!
左手を懐に、『同田貫』を持つ右の肘を全身の勢いのままに壁に打ち込みながら叫ぶ。
「リ・デル・リザーク!」
間合いと視界を絶つ壁をフィレンツェは雷撃と共に吹き飛ばし、ついにエルシャナ目前に迫る。防壁を破られた事か、それともフィレンツェが融合魔法に属する雷撃を使った事へか。顔を驚愕に歪ませたエルシャナが、それでも最後の詠唱を紡ぐ。
「リ・メル・フィーラ!」
次の瞬間、目前で受ける炎は、俺の身を焼き尽くすだろう。
勝機があるとすれば、それは・・・。
時が止まる。
壁への激突そのままに、たわめられた右足を蹴る。
左足も伸び切り、まるで棒高跳びを飛ぶ様に体を捻りつつ、素早く柄を返す。
「はぁああっ!」
伸び上がる様に、『同田貫』が下段から薙ぎあげる。
再び動き出した時の中で同時に体を寝かせるフィレンツェの目前を、エルシャナが放った巨大な深紅の炎が駆け抜けた。
白刃の峰がエルシャナの胴を捉え、エルシャナはその長身をくの字に折りながら後ろへと跳ね飛ばされた。峰打ちとはいえ、内臓かあるいは肋骨の何本かが巻き添えになっただろう。
フィレンツェの使った雷撃で、周囲にはオゾン化した臭気が漂っている。
余りに不自然な体勢から切り上げたフィレンツェも、耐えきれずに膝をつく。
「フィル!」
「ご主人さま!」
ソフィアとシャーリーが駆け寄ってくる。
木々の間から差し込む朝日が、横たわるエルシャナの顔を照らしている。
意識を失い蒼白ではあったが、痛みも苦しみも感じてはいない様だった。
如何やら、俺は紙一重のところで生き残った。
生き残ったからには、生きてゆかねばならない。
この、異世界で。




