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華龍Story  作者: ryo
3/142

第3章

3.

「やぁ、目が覚めたみたいだね」

人は眠りから覚める時、それは誕生を再現しているのだと言う。毎朝、新しく生まれる、中々に夢のある言い方ではある。だが、人に非ざる者にとって、それは如何いう意味を持つのだろう?

目の前のベッドに身を横たえた少女が、それまでの安らかな息の調子を変え、閉じた目元を更にギュッと瞑り、大きく息を吸い込んだ。つんとそらした顔を藍色の長い髪が縁取っている。

それを見つめる皮肉にゆがんだフィレンツェの口角が、無意識のうちに少し下げられた。

彼女の髪は藍色だった。ドラゴンの鱗より深い藍色、多分ドラゴンの、あの双眸に宿した色合いに近しい気がした。


「え、あ、おはよう・・・」

眠りから覚めた少女は、まだ眠り足りないという様に僅かに身を捩った。少女に掛けた毛布がずれて、首から肩、左腕に掛けて巻かれたた包帯と、透き通るような白い素肌が見えた。先ほどの治療の時は、そんなことは気にならなかったのだが。如何やら気にする余裕がなかったから、だけなのだろう。俺も我ながら年甲斐もなく、うぶなことだ。

フィレンツェが目を逸らしながら、どうしたものかと考えていると、僅かな間を置いて、突然少女が両手をついて身を起こした。

「ま、待って! 何故、わたしは生きている?」

そこまで言ってから、少女は自分の姿に気が付いて小さく悲鳴を上げると、慌ててずり落ちた毛布を胸元に掻き上げる気配がした。


「えーと、キミは最後の魔力を振り絞って、人間に姿を変えた」

この世界に来てこれまで、多くの魔物と戦ってきた。自ら望んだことではなかったが、かつては人さえも、その手で殺めたこともあった。多くの命を奪ってきて、その断末魔を見届けてきた、そのつもりだった。嫌悪感を覚えこそすれ、魔物の死に何等かの感情を懐くことなどあろうはずがなかった。だが、ドラゴンを倒した後、目の前で起きたそれは、俺のこれまでの長いとも短いとも言える一生の中で、もっとも驚くべき光景だった。


「そうよ・・・」

その時、自らの血に汚れていてさえ蒼く輝く様な鱗が霧散し、まるで輝く霧の様に溶けだした。霧は輝きながら凝縮して、横たわる人型へと形を変えていった。突き立てられた剣が支えを失って、カランと音を立てて転がった。


「幸い、刺さった長剣の剣先は、お前の変身の途中で抜け落ちた。でも俺が作ったその傷は、人間の大きさに合わせて小さくなったけれど、やっぱり致命傷だった」

輝く霧が薄れ消えた後、そこには全身に傷を負った少女が身を横たえていた。その身の無数の切り傷から血を流し、特に左の腕には大きな切り傷が、喉には抉る様な刺し傷があった。そして、辛そうに息をする度に上下する胸に、長剣を砕かれた俺に唯一残された予備の短剣を突き立てること、それで、全ては終わるはずだった。


「確かにそうよ、人間の体に合せて傷の大きさは変わっても、わたしが一刻と待たず死ぬ事に変わりはなかったはずだわ」

フィレンツェが視線を戻すと、掛けていた毛布を片手で胸元までたくし上げ、片手をついてこちらを睨んでいる少女と目が合った。その瞳はドラゴンの双眸と同じ、今は流れる様な髪の色とも同じ、深い藍色だった。良かった、ふとそんな気がした。何が? 多分、無意識に想像していた彼女の瞳の色が、思った通り深い藍色だったことが。俺は、そんなことを取り留めもなく考えていた。


「ああ。でもね、流石にドラゴン相手に何とかなるとは思えなかったけれど、人間ならば俺の持って来た治療薬が使えるはず、そう思ったんだ」

部屋の隅で、暖炉の熾火が弾け、パンっと小さな火花が散った。彼女が大きく目を見開くと、瞳の中の輝きが増した様な気がした。


「何それ!? あなたね! 約束したはずでしょ、止めをさすって!」

少女の剣幕に、フィレンツェはベッドの横に寄せた椅子の上で、小さく身じろぎした。そういえば、ドラゴンは盟約を重んずる生き物だと、何処かで聞いた気がする。彼女は理解出来ないという様に、顔を伏せて頭を振った。長い髪がサラサラと音を立てた気がした。助けられて怒るとは理不尽な気もするが、ここで、『気が変わりました』と言うのは更に地雷を踏みそうな気がする。ここはひとつ、何か言い訳が必要だろう。


「いや、俺が約束したのは、宝玉を奪った責任を取るってこと、だけど」

余り言い訳になっていない気もするが、この際は仕方ない。如何やら、彼女は怒っているらしい。それに、元々彼女にとって大切な宝玉を奪われて殺されかけたのは、別に彼女が悪い訳ではないはずだ。寧ろ悪いのは、彼女を殺してでもその宝を奪おうとした俺の方だろう。


「あれは、・・・これ以上、死の苦しみを長引かせないでって、そういう意味でしょ!」

再び顔をあげ、俺を見る彼女の眼には、明らかに強い怒りが宿ってる。ドラゴンの時より小さな体なのに、同様な、否、それ以上の強い感情を溢れ出させていた。


「・・・痛みはまだ残っているだろうけど、死からは遠ざけた」

まるで、戦いの最中の様に、あるいはその続きであるかの様に、暫し二人で睨みあった。彼女の双眸は、色合いこそドラゴンのそれと同じ藍色だったが、虹彩の形は人間のそれに合わせて丸みを帯びて変化している様だった。勝気な印象の、少し吊り上ったアーモンドの形をした大きな瞳。その奥に、僅かに輝く金色の輝きが見えた様な気がした。


「じゃあ、責任を取ってよ」

暫し続いた睨み合いの末に、彼女は顔を伏せた。彼女の声が疲労というよりは戸惑いに満ちている、そんな気がした。今は前屈みに片手で上半身を支え、如何にか体を起こしている、そんな弱々しさがあった。


「だから、ちゃんと、治療したじゃないか」

悪いのは俺だ。だから、彼女が望む、出来るだけのことをしてあげたい、そう思った。


「わたしは、あなたに宝玉を奪われた、それは仕方ないことかもしれない。わたしも、あの宝玉は、かつてとある国の王から、王を殺して奪ったものだった。それは持ち主には多大な幸運を与え、その代わり一度それを失えば死が訪れる、そういう謂れがある代物だわ。事実、あなたに宝玉を奪われたわたしは死にはしなかったけれど、魔力を失ってしまった。・・・もう、ドラゴンに戻れない」

何十年か前、それは、この世界ではない別の場所で俺が生まれるよりも更に昔、ドラゴンが宝玉を奪って王を殺したのだという話は、この迷宮の情報を集める中で聞いていた。だが彼女は、今は彼女の声と同じ様に、その細い肩を震わせている。彼女の姿は、先程までフィレンツェと宝玉を争って死闘を繰り広げていたドラゴンとは違っていた。


「魔力が不足しているだけだろう? 回復すれば、また、元の姿に戻れる」

魔力は、魔法の源泉だ。魔法を使う度に、その魔法に見合った魔力が削り取られる。その魔法にどれだけ魔力を消費するのか、あるいは自分や他の者にどれだけ魔力が残されているのか正確に知る術はなかったが、人も魔物も経験的にその消費の度合いを知っていた。もっとも、魔法の使えない俺にはその度合いは今一つ分からない。


「分かっていないわね。わたしが十分に魔力を貯めるには、100年は掛かるわ」

魔力の回復は、体力と同じく時間が掛かるもの、と考えられている。大気に満ちたマナと呼ばれる魔力の元となる何かを、再び体の中に取り込む事によってのみ、回復がなされるらしい。ただ、人とドラゴンでは使う魔法も消費される魔力も異なっていて当然だろう。人に比べれば無限に近しい寿命を持つというドラゴンにとって、人と同じ消費や回復であろうはずもないのかもしれない。


「そうなのか?」

今一つ半信半疑だが、本人がそう言うなら、そうなのかもしれない。こればかりは、フィレンツェには解り得ないことだった。


「そうなのよ。わたしも、死なないと分かっていれば、無力な人の姿に変わることなどしなかったのだけど」

再び顔を上げた彼女は、その質問に力強く首肯した。その割には言葉の後半は、再び戸惑いと後悔に満ちた弱々しいものになっていた。彼女の表情は、ころころとよく変わる。


「ドラゴンのままだったら、助けようもなかった訳だが」

フィレンツェとしては思わず正直に答えただけ、だったが、何故か彼女の瞳が冷たく睨んできた様な気がして、フィレンツェは思わず椅子の上で身を正していた。


「・・・そこで、よ。あなたは無力なわたしを、この魔宮の奥底に置いていくつもりなの?」

何が、そこで、なのかは微妙な気がしたが。ついでに言うと、魔力を失っても、やはりドラゴンはドラゴンに違いない。たとえ目の前の少女が、どんなにか弱く見えるとしても、だ。


「・・・いや、ここはお前の家だろう」

迷宮の最深部に居を構えたのは、彼女がこの迷宮の大ボスだからだ。そもそも、置いていくも何もないのでは?


「宝玉も魔力も失っては、その日の食事どころか、水を取り出すことさえ出来ないわ」

むぅ、それはそうかもしれない。こんな辺鄙な場所での生活が成り立つのは、俺の様に食料を携えて迷宮に分け入ったか、魔法の力で食料を造り出しているかなのだろう。あるいは考えたくもなかったが、その大きな咢で魔宮を徘徊する魔物や、やってきた冒険者たちを一飲みにしているのか。


「じゃあ、どうしろと?」

フィレンツェは、余り外れているとは否定しがたい想像に、思わずこわばった表情を取り繕いながら聞いた。


「・・・わたしも、連れて行って」

目の前のドラゴン改め今は儚げな少女は、先程の激闘でフィレンツェの腿を抉り、危うく敗北の淵まで追いやったその鍵爪の鋭い一撃をも超える、最大限の攻撃を仕掛けてきた。伏し目がちに、その勝気な印象の瞳を今は潤ませ、フィレンツェをじっと見つめている。

『私も連れていって、泥棒はまだ出来ないけどきっと…』否、違うから。俺は自分で自分に突っ込みを入れながらも、動揺を如何にか顔に出さずに答える。


「・・・迷宮の入口まで、だ、それでいいね?」

多分、ここで彼女の望みに答えたら、俺は自分の負けだと分かってはいた。否、人の姿に身を変えた彼女の姿を見た時から、負けは決まっていた気もする。あるいは、もう少し前、ドラゴンの双眸に輝く楽しそうに踊る金の輝きに見入った時かもしれない。今も彼女の深い藍色の瞳の奥で、金色の光が無邪気に踊っている様な気がした。


「それでいいわ。この最奥の地から迷宮の入口までは、人の足で2、3日は掛かるでしょう? 迷宮を出るその時までに、きっと、あなたの考えも変わるでしょう」

少女が再び顔を伏せた。彼女は絶えず表情を変えるが、今はそれを見られたくない、そんな感じではある。フィレンツェは、あからさまだ、そう思った。思う以上のことは出来なかったけれども。


「何の考えだよ」

フィレンツェが務めて出した冷たい口調にも関わらず、少女は胸元から毛布を垂らしてサッとベッドから降りると、足元の絨毯にその小さな両の素足を埋めて立ち上がった。僅かばかりにその素肌を覆う毛布の向こうに見えた、巻きつけられた包帯とほっそりとした腰つきに、思わずフィレンツェは目を逸らした。


「さぁ? 取りあえず、出発の準備をするわ。あなたのその、折れた剣の代わりを探さなくちゃいけないわね」

何か妙にいそいそとしている、そんな気がした。

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