第11章
11.
街をゆく住人たちの中には、何らかの形で自由を拘束された者たちがいる。手首を縛られ、または枷を嵌められて拘束された者。あるいは他の者と見た目は変わらずとも、身分として自由を拘束されている者。奴隷たちの存在だ。
この世界に於いては常に魔物という存在があり、人間にとっての戦いの相手が隣国の人間とは限らない訳で、戦争捕虜を奴隷とする機会は寧ろ少なかった。人間同士での戦争に割く余力がなかったからだ。集団的な奴隷狩りの様な誘拐や連行もそれ程起こる訳ではないが、それでも奴隷の供給が成り立つのは近年、地方都市でも急速に進んだ貨幣経済と貧富の差、都市部への貧民階級の流入といった背景がある。
魔物が防御力の低い農村部を襲う為、都市から大きく離れた独立した農村というのが成立しにくいことも影響していた。魔物の存在と、街の安定が人口流入による税収入の増加を促す事を意識し、特に地方都市では地方貴族が多くの奴隷を買って、当てにならない正規軍の代わりに私兵とし、街の防御の任に当てる事が多く行われている。
また、魔物の存在故に街の防壁の外で農業に従事することが、奴隷制という拘束力によって維持されている場合もある。膨れ上がった都市人口に食料を供給する為には、プランテーション農業同様に奴隷の存在を必要としていた。
一方、街中に於いては奴隷商人たちの市場があり、様々な用途で公然と奴隷の売買が行われている。優秀な奴隷を官吏とし行政の一角を担わせることさえ地方では頻繁に行われ、幸運に恵まれ奴隷の身分から解放奴隷となる者、逆に返済不能となり責務者が自らを奴隷として売却する事になった者、あるいは拾われた捨て子が奴隷となることもあった。
「助けて下さい!」
店の両開きの扉を開けた俺の胸に、小柄な少女が飛び込んできた。避ける訳にもいかず思わず蹈鞴を踏むが、体重差のお蔭で難なく抱き留める。見下ろすと、ツインテールにした紅い髪が見える。ぼろぼろのケープを纏った女の子が荒い息を押さえつけて顔を上げ、祈る様に両手を組んで俺を見上げていた。
「どうか、私を助けて!」
状況についていけていない俺に、殴られたのだろう、切れて血が滲んだ唇を震わせた少女が再び懇願する。紅い色をした両の瞳は涙ぐみ、服と同じく薄汚れた顔に涙の筋を刻んだ。
「おいっ!そこのお前、余計な事をするんじゃねぇぞ。そいつはな、今朝俺たちが買ったばかりの女奴隷だ」
なるほど、首にはめているのは奴隷の首輪なのだろう、少女は黒い厚みのある革の首輪を巻いている。
店の奥の3人連れのテーブルで、右に座っていた男がよたよたと立ち上がると、腰のショートソードを抜き放ち切っ先を俺に向けた。酔いが回っているのか、切っ先は僅かに揺れている。
「金が掛かってるんだよ、そいつにはなぁ。まぁ、たっぷり稼いだから女奴隷の一人や二人、訳ないんだがなぁ」
店の中で剣が抜かれた事で生じた一瞬の静寂の後、途端にテーブルに座った残りの2人も、口々に騒ぎ出した。否、俺たちが店に来る前から騒いでいたのだろう、男たちのテーブルには残飯と酒瓶が積まれ、店の中を見回すと数人残っていた他の客たちは壁際に縮こまり、確かこの店の主人だった男が、やはりカウンターの奥から女の子を抱き留めた俺に祈る様な視線を送っている。
「虐待を受けた奴隷は、奴隷としての務めを解かれ、解放される権利を持つわ!」
いつの間にか俺の横に並んだソフィアが両手を腰に当てて胸を張り、男たちを睨み付ける。凄いなソフィア、何時の間にこの世界の法律なんか学んだんだ?しかもいつの間にか、その細い肩に愛用の弓を掛けている。構えてこそいないが腰に沿えた右の手に握る矢は、きっちり3本。ソフィアなら違わず一射で、同時に3人の男たちの胸を射抜くだろう。
「・・・知ったことか!さぁ、その女を返して、さっさと帰りやがれ!」
一度ソフィアに頷いて少女を預けると、一歩前に出る。元ドラゴンで、そうでなくとも気高いソフィアは、こういう時には押さえが効かなそうだ。何より、こんな奴らの視線にソフィアを晒したくない。
「あぁん?お前、お前も冒険者か?その剣が飾りじゃないってんなら、俺らと勝負してみろよ。お前が勝ったら、その女はくれてやっても良いぜ」
俺が左手に持つのは漆黒の鞘に納めた『同田貫』、この世界の標準的な剣に比べると大分、身幅の狭い頼りのない剣にも見える。もちろん、コイツらが真っ当な決闘をしてくる訳がない。冒険者にも色々な奴がいる。大体が金の為に自分の命を掛け金にする事を厭わない、荒事を好む連中だ。ストイックな奴もいるし、もちろん女性の冒険者も多い。だが、中には日頃の命のやり取りで溜まった憂さを、暴力という形で発散する奴らもいる。この街では奴隷の存在自体は合法で、様々な理由で奴隷に身をやつした者たちが毎日の様に売買されている。だが、だからと言って日本で生まれ育ち奴隷制度に嫌悪感を懐かずにはおられない俺が、目の前でその奴隷の身の少女に助けを求められたなら、捨て置くことなど出来はしない。
「今日は日が悪い・・・」
俺がそう呟くと、聞きつけた男たちが一斉に下卑た笑い声をあげた。手を打ち合わせて囃し立てる。背後で少女を守る様に抱きしめたソフィアが、殺気を隠そうともせずに膨れ上がらせた。それでも男たちは何も気づかず、腹を抱えて笑い続ける。左手に座った背の高い男が手挟んだショートソードを引き抜くと、笑いと共に酒場のテーブルに叩きつけ始めた。テーブルの上の皿が砕け、残っていたソーセージらしい切れ端が飛び跳ね、底の辺りを叩かれた何かの酒瓶がテーブルの上を滑って床で砕けた。
「なんだぁ、そりゃあ、やっぱり明日お願いしますってか?」
フィレンツェから見て机の向こう側、真ん中に座っていた髭面の男が、にやにやと笑いながら立ち上がって短刀を抜き逆手に持つと、ドンッと机に向かって振り下ろした。短刀は木のテーブルを抉り突き刺さって、男は体重を乗せる様に柄の上に身を乗り出してくる。
「いいぜぇ、後ろの姉ちゃんも置いていきな!明日になったら、返してやるよ!」
再び男たちの哄笑が店に満ち、他の客たちはより目立たぬ様に縮こまった。自分に厭らしい目を向けられたソフィアが、いよいよ押さえが効かなくなって少女を抱きしめたまま一歩前に踏み出した。よりにもよって、こいつら三人とも得物は剣だ、この街では珍しい組み合わせなのかもしれない。短刀を持った真ん中の奴は、他に弓でも持っているのかもしれないが。どちらにせよ、もはや抑えが効かないのは、俺の方だ。
「よりによって、俺がコイツを手にしたその日に。まだ一度も試し切りもしていないってのに・・・」
ゆるりと、フィレンツェがまるで氷の上を滑る様に前に出る。僅かに腰を落とすと、少女をソフィアに預けてから、ずっと握りしめられていた右の拳が開かれる。手の平に食い込んでいた自らの爪痕から、幾筋か血が滴った。
「・・・我慢が出来ないだろうが!」
全てが我慢出来ない程に熱く、それでいて心が氷の様に冷めてゆく。
フィレンツェが前触れもなく振り上げた『同田貫』が振り下ろされ鮮血が散った次の瞬間、手にしたショートソードを酒場の丸いテーブルの上にガシガシと叩きつけて哄笑していた男の、右の腕と剣が床に落ちた。
最初の悲鳴が上がるよりも早く身を翻したフィレンツェは、下段から返した刀で、テーブルに短刀の抜き身の切っ先を立てて、両手で寄りかかっていた男の両腕ごと跳ね上げた。男の髭面を掠めて右手の指が何本かと、左手の手首がばらばらに宙に舞う。
一瞬の凶行に後ずさった三人目を、フィレンツェは振り向くままに『同田貫』で左横に薙ぐ。再び血飛沫が舞い、フィレンツェの斬撃を受けようと辛うじて垂直に立てられた剣を持つ両手ごと、テーブルの向こう側へ吹っ飛んだ。力を失った両手が柄から離れ男の剣が床に転がると、三人目の男も両目を見開いて突如として失う事となった自分の両手首を見つめながら、そのまま後ろにひっくり返った。
今更ながら心臓がバクバクと高鳴り、柄を握る左手に右手を被せ震えを止める。だが、それでも今こそ言っておかねばならない事がある・・・。
『また、つまらぬモノを斬ってしまった』
・・・心の中で、だけどな。




