Episode:5
「君の妹のことが好きになってしまったんだ」と婚約者から婚約破棄されました。────ところで、妹って誰のことですか?シリーズ 〈5〉
「すまない、俺は君の妹のことが好きになってしまったんだ!君には本当に申し訳ないと思っているが、自分の気持ちに嘘をついたまま君と結婚するなんて不誠実なことはしたくない。頼む、俺との婚約は破棄してくれ!」
話があるからと、呼び出されたその日。顔を合わせるなりその場に土下座して頭を下げた婚約者がそう言った。
彼は絵に描いたような真面目な人で、“紳士たるもの何に対しても誠実であるべきだ”と言われて育った由緒ある侯爵家の嫡男だ。その通りに育った彼は自分の気持ちにすら嘘はつけない。それくらい素直な人だった。
彼の侯爵家と伯爵家である我が家の家同士の政略的なものとはいえ、婚約してからこの約5年間はとても幸せな時間を過ごしていたはずだ。彼はいつも誠実で優しくて「お互いを尊重し合える夫婦になれたら嬉しい」とよく言っていたのだ。
そんな彼が、まさか私の妹と浮気していただなんて……。私は目の前が真っ暗になった気がした。
「……い、妹とは、いつから……?」
なんとか声を絞り出すがどうしても震えてしまう。確かに妹は笑顔の可愛い美少女だ。ふわふわの金色の髪も、雲ひとつない青空のような瞳も、《《私と違って》》全てに愛されるために生まれてきたような妹のことを私だって可愛らしいと思っている。
それに、両親からも溺愛されていて天真爛漫に育っている彼女は貴族令息からは魅力的に見えるのも知っていた。でもこれまでだって彼は何度も妹と交流してきたのに、なぜ今更……?
そんな考えがぐるぐると巡る中、彼は頭を上げることなくこんなことになった原因を語り出す。きっかけは些細なことだったらしいが、いつも笑顔の妹が友人とのトラブルに悩んでいて相談してきたこと、初めて涙を見せたこと、何度か相談に乗るうちにいつの間にか心を奪われていたこと。
自分のことを頼りにしてくる妹が可愛らしいと思った。彼は確かにそう言った。
「君にも君の妹にも不誠実なことはしたくないからまだこの気持ちは伝えていない。それに、母上に相談したらちゃんと“清い身”になってから告白した方が印象がいいって言われて……。
だから、頼む!もちろん俺の有責だし慰謝料は望むまま払おう!君に悪評が立たないように手も回す!新しい縁談を望むなら侯爵家の全てを使って必ず良縁を探してくれるって母上が言ってくれた!なんでもするから、婚約を破棄してくれ!」
最後まで誠実でいようとするその言葉が、どれだけ私の心を抉って傷付けているかなんて彼は気付きもしないのだろう。まるで私との婚約が“穢れている”かのようなその言葉に涙がこぼれそうになったが、それをぐっと堪えた。
悲しい。悲しいが、確認しなければならないことがある。
だから私は「婚約破棄するとして……新たに私の妹と婚約するのならば、その前に妹の素行調査はしないのですか?」と聞いた。なにせ、私と婚約するときはそれはそれは厳しく調べられたからだ。
相手が“由緒正しい侯爵家”だから仕方がないと思ったが、実家の伯爵家の経営履歴や借金が無いかまで、さらには私の交友関係から初恋まで調べ上げられた。侯爵家の嫁の友人には相応しくないと忠告されたせいで数人の友人とは疎遠になってしまった。私がそれを訴えても「侯爵家に嫁ぐのならばこれは仕方がないことだ。俺の母上だって同じ道を通っている。こういうことは平等でないといけないと母上も言っていた」と、だから我慢しろと彼は言った。
それに幼い頃のことまで、近所の男の子に淡い恋心を持ったものの簡単に振られたことまで知られてどれだけ恥ずかしかったか。わざわざ小さな思い出すらも土足で踏み躙られたのだ。私だけがなぜ?と、理不尽だと感じることは何度もあった。
それでも確かに彼は私に優しくしてくれていたし、私も彼を慕っていた。────優しくて誠実で、何に対しても平等な彼を慕っていたはずだった。
でも彼は、妹については何も調べないと言った。
「伯爵家については問題は無かったし、姉である君も大丈夫だったんだ。まぁ、初恋の相手はレベルが低すぎて汚点ではあったが、まだ子供だったからね。俺の母上も《《きちんと始末をしたから》》許してくれただろう?
だから君の妹まで調べる必要はないよ。それにあの子の初恋は俺だと言っていた。それならなんの問題もないと母上だって賛成してくれたんだ」
妹だけ、何も調べられない。何も疑われない。私は行商の男の人とほんの少し言葉を交わしただけで不貞を疑われて散々調べられたのに。
「それに、君が“姉”として妹をちゃんと教育してくれているんだろう?だから安心しているんだ。その辺は、母上だって君に期待していると言っていたよ!だってあの子の姉なんだから君にはその責任があるって!」
「────そうですか」
満面の笑みでそう言った彼を見て────私の心は完全に死んでしまった気がした。
「────お父様に、相談させてください」
自分でも驚くくらいに冷たい声でそう言うと、頭を下げたままの彼をその場に残して私は帰路に就いた。
私を引き止めることもせず「君を信じているよ……!」とだけ言い続ける彼が、それだけ妹に本気なのだと思い知らされながら。
こんなにショックを受けながらもどこか冷静な自分もいて、淡々と父親に報告をする私はやはり可愛げがないのかもしれない。
彼に言われた言葉をそのまま伝えると、お父様は怒るでもなく私を慰めるでもなく、ただ「そうか」とだけ言って私を部屋から追い出した。もう答えは決まっているのだろう。
私が扉を背にしてため息をつくと、いつの間にかその場に妹が立っていた。笑い出しそうになるのを堪えているのか口元をニヤニヤと歪めている。
「お姉様ってばぁ~、お父様になんのお話だったのぉぉ?」
「……あとでわかるわ」
いつもの甘ったるい口調が今日はやたらとうっとうしく感じる。普段は可愛い妹だが、たまに纏わりつく感じが苦手でもあった。
それにすぐにわかることだとはいえ、どうしてもこの件を自分の口からは言いたくなかった。しかし妹は我慢出来なかったのか「ぷっ!なによぉ、その顔ぉ!」と唾を飛ばしながらこう言ったのである。
「お姉様ぁ、あたしに侯爵夫人の座を奪われるのが悔しいんでしょぉ~?くふっ!婚約者を奪っちゃってぇ、ごめんねぇ~!……でもぉ、お姉様は優しいからぁ、妹の幸せを邪魔したりしないわよねぇ~?」と。
いつもの棘のある甘ったるい口調と天真爛漫な笑顔を見せた妹に、私は同じく笑顔で答えた────とある決心をして。
こうして婚約していた5年間など何の意味もなかったかのように、私と彼の婚約はいとも簡単に破棄されることになったのだった。
しかし、婚約破棄すること自体はすぐに決まったものの正式に破棄するまでに1ヶ月かかった。なぜ1ヶ月もかかったのかといえばその他のことが大変だったからだ。
この1ヶ月間、由緒正しき侯爵家の婚約者が交代するという醜聞に対応するための根回しと……《《ちょっとした私事》》に寝る間も惜しんで動き回っていたのだ。
もちろん侯爵夫妻にも謝りに行った。……私が。
侯爵家の玄関先で土下座させられ、侯爵夫人からは散々嫌味を言われた。彼を繋ぎ止められなかった私が悪いと……妹に負けるような出来損ないだと。前に彼が言っていた婚約破棄の条件など無かったかのように「お前のせいで息子の経歴に傷がついた」、「こちらが慰謝料をもらいたいくらいだ」、「仕方がないから妹を娶るが、侯爵家に恥をかかせたお前に良縁などあると思うな」と、とにかく私に対して不満が募っていたようだ。以前から息子への愛が強すぎるとは思っていたけれど、婚約者だった私への嫉妬が溢れ出たようだ。ついでに、息子の心を奪った妹への嫉妬も追加された気がした。
途中からはよく覚えていないけれど、お説教が終わった頃にはすっかり日も落ちていて床に座っていた足は痺れてすぐには動けなかった。それすらも怒られて侯爵家使用人たちに腕を掴まれて放り出されたのに……その間、彼は部屋から一歩も出てこなかった。きっと婚約破棄の日を指折り数えて待っているのだろう。
そうして迎えた1ヶ月後、婚約破棄の手続きのために改めて彼と対面していた。
本当ならこんなことで彼と会いたくなんてなかったが、この国での貴族の婚約や結婚は全て教会が管理している。教会の法律では当人たちが成人している場合は教会に祀られている神の像と教会から派遣された見届人の前でその当人たちがサインしなくてはいけないのだ。なぜならそれは、婚約や結婚は未来を繋ぐという意味で神との契約にもなるからだ。
どちらかが未成年ならば親が代理人として認められる場合もあるが……彼は2年前に、私は去年、すでに成人していた。
そして、とうとう迎えたこの日。
「お久しぶりです。……お元気でしたか?」
私が淑女の挨拶をすると、彼はこれまで見たことのないようなニヤけた笑みを見せていた。挨拶なんて忘れているのか返事すらせず、ソワソワと落ち着きのない姿を私と見届人にずっと晒している。いくら素直なことが美徳とはいえ、その時の彼は私の知っている彼とは程遠く見えた。
その姿はまるでお菓子を目の前にした子供のようで、“早く婚約破棄がしたい”と、顔にそう書いてある。私への配慮など微塵も感じられなかった。
そして、見届人から「一度破棄された相手とは二度と婚約が結ばれることはない」という説明を受ける。既婚者が離縁する時も同じようなことが言われて本人の意思を確認されるらしい。それくらいの覚悟を持って婚約破棄、又は離縁しろというのがこの国の神の教えなのだ。
無事に婚約は破棄された。最後に笑顔で別れを告げたのに、彼は私を振り返ることもなく花束を持って走り出していた。
そのままの足で、私は旅に出ることにした。元々今回の件で全てが終わったら、しばらく傷心旅行に出たいと両親にも願い出ていたのだ。
やるべきことは全てした。彼や、侯爵夫人の願い通り妹の教育も。中身はどうであれ、見た目だけなら完璧なはずである。
それに妹は、私の旅立ちを大賛成してくれていた。
まるで天使のような笑顔と言葉で私を擁護する。ありがたいことに私には傷付いた心を癒すための時間が必要だと、それはもう必死に両親を説得してくれた。このときだけは妹に感謝したくらいだ。
それに元婚約者が結婚式に出席するのはいかがなものかと、侯爵家も不快に思うのではと言えば、両親も承知するしかない。
そうよね、溺愛している妹の結婚式にケチがついたら嫌でしょうから。妹が望むなら、私なんていない方がいいって思っているんでしょう?だって、いつもそうだったもの。
こうして私は無事に婚約破棄したその足で、傷心旅行という名の家出を決行したのだった。
✱✱✱
(視点が変わります)
1ヶ月後。
俺は傷心旅行へと出かけてそのまま行方不明になっていた“元婚約者”を奇跡的に見つけて、足元の悪い森の中を走っていた。
森の奥にある小さな治療院のベッドに横たわる彼女を見て思わず涙が滲み出た。1ヶ月前、自分との婚約破棄が成立したその足で傷心旅行に出かけた彼女が事故に巻き込まれたという情報を受けたあと……そのまま行方不明になってしまったのだ。
そして1ヶ月経った今、俺は彼女を探し出すことができたのである。
「無事でよかった!」
俺の声に反応したのか、ぼんやりとした瞳でにこりと微笑む彼女の姿にホッとした。
「すまない!俺が婚約破棄なんてしたせいで君は事故に……!」
「……」
俺は彼女に向かって頭を下げる。すると彼女は俺ゆっくりと顔を左右に振った。
あんなに酷いことをした俺を許してくれたんだ。そう思ったら愛おしさが込み上げてきたを
彼女は何も言わないままだったが、俺には彼女に伝えなければいけないことがあった。だからこそ、ここまでやってきたのだ。
「じ、実は!結婚式の後から君の妹が夜中にこっそり出歩くようになって……不審者に襲われてしまったんだ!松明を押し付けられたとかで、顔が化け物のようになってしまった!それに友達もいなければ街に出ても舌打ちをされるような子だっただけでもショックなのに、さらにあんな顔になるなんて侯爵家の嫁に相応しくないだろう?!それなのに離縁に応じてくれないんだ!君の父親は代理人になるのを拒むし……だから、姉の君が説得すれば離縁してくれるんじゃないかと思って!」
そう、俺は騙されていたんだ。あんなに純真無垢で可愛らしいと思っていたのに、まさか姉が傷心旅行先で行方不明になった途端に遊び歩くようになるなんて予想もしていなかった。こんなことになるとわかっていたら、婚約破棄なんてしなかったのに。
俺は後悔した。だから彼女に助けを求めるしかなかった。
「まさかあんな子だったなんて……俺は騙されたんだ!しかもあんな醜い顔になっては後継ぎだって作れない!そうしたら母上が、君を探し出してもいいと……なんなら君と妹をまた交換してもらえばいいんじゃないかって言ってくれて……!」
母上も「こんなことなら姉の方がまだマシだった」と許してくれたんだ。つまり、君こそが俺の本当の運命の相手だったんだ!教会からは一度破棄した婚約は戻せないとは言われたけれど、ちゃんと真実の愛だとわかればきっと奇跡だって起こせる気がする!
すると彼女はあの日、最後に見せてくれた笑顔と同じ顔をしてこう言ったのだ。
「……元気を出してください。ええっと、傷は可哀想ですが、せめて命が助かってよかったと思います。…………あの────ところで、妹って誰のことですか?」
「え?」
彼女からは全ての記憶が消えていたのだ。それはもちろん、俺のことも。
「あなたもどちら様なのでしょうか?先ほどから何を言っているのかよくわからないし……とても気持ち悪いし怖いから、もう二度と私の前に現れないでくださいね」
そう言った彼女の微笑みは、これまでで1番美しかった。
そのころ、伯爵家では────。
「あの子が残した手紙通りになりましたね」
「もう関係のないことだ。あの子はもう、戻っては来ないのだから」
妹の結婚式が終わった後、伯爵家ではとある告白文が発見された。
そこには婚約破棄のこと、妹のこと、婚約者のこと、そして姉の最後の訴えが書いてあった。
『私は、妹の夜遊びの実情を全て知っています。未成年なのにお酒は当たり前、怪しい仮面舞踏会にも。あなたたちが溺愛していた妹はそんな娘でした。
だから私はその遊び相手を……妹の周りからすべてを排除しようと思いました。家格の低い相手は侯爵家の嫁の友達に相応しくないんですものね?
友達だと名乗る人たちの家は没落に追い込みました。行きつけのお店も全部廃業させました。お気に入りのホストにも行方不明になってもらいました。他にもたくさん。
全ては────かつて私が、婚約者の家からされたように。だって、彼の家に嫁ぐのなら友達も娯楽もいらないのです。少なくとも私はそう言われました。だから、私の人生の汚点であると言われた初恋の人が……不運な事故で死んだのも仕方がないのでしょう?だから妹のお気に入りのホストにも同じ目に遭ってもらっただけです。“平等”に。
妹の名前とお金を出せば動いてくれる便利な方々がいてくれたおかげで、私にもとても上手に出来ました。
それから妹を説得して、彼の“理想”になってもらいました。言うことを聞かない悪い子にはお仕置きをするのは当たり前ですから。あんなに反抗的だった妹も、私が本気だとわかったら素直になってくれました。“大好きだった人の一部”を見せただけなんですが……妹はまだまだ子供ですものね。
きっと彼は私と婚約破棄したらすぐに妹にプロポーズしにいくはずです。私はふたりを祝福しています。見栄っ張りな侯爵家のことだから、きっと大々的に豪華な結婚式になるでしょうね。
ただ、私がいなくなったら妹はまた“悪い子”に戻るかもしれません。そのせいで不運な事故に遭うかもしれません。妹のせいで没落した人たちや妹のせいで廃業した人たちが街にはたくさんいるのですもの。その人たちが豪華な妹の結婚式を見てどう思ったのかは……わかりませんので。
私のことは探さないでください。
“魔女の秘薬”という毒を飲んで全てを忘れて生きていくつもりです。例え野垂れ死にしたとしても本望ですから。
そして、最後のお願いです。妹を決して離縁させないでくださいね。全てを捨ててでも私から奪い取りたかった彼を、妹から奪わないであげてください。─────どんなことがあろうとも。
この告白文が見つかればそれこそ大変なことになる。伯爵夫妻はくしゃりとそれを握りつぶし、暖炉の火の中へ焚べたのだった。
その後、公爵家は放火されて中にいた人間は全て焼け死んだ。焼け焦げた死体は誰のものか判別がつかなかったそうだが、ひとつだけ頭部の潰れた物があったとか。
火の回る邸の中で、何があったのかは誰も知らない。




