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誰が悪女を愛したか  作者: 十返香
選択と婚姻

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返書断片と結語  ~完

 ここまで読んでくださったのなら、もうお分かりでしょう。


 エレノアが最後に誰と並んだのか、を――


 その答えを、ここでわざわざ大げさに言い立てるつもりはありません。


 婚姻の記録は残っていますし、返書の断片も、ある家に伝わった写本もあります。


 紙を何枚か重ねれば、見えるものは見えてきます。


 ですから、この話の終わりに必要なのは、名を当てることではなく、どうしてそこへ辿り着いたのかを、きちんと記すことだと思うのです。



 その家に残っていたものは、どれも案外そっけないものでした。


 恋に落ちたとか、運命だったとか、そういう言葉はほとんどありません。


 代わりに残っていたのは、話が早かった、とか、無理がなかった、とか、拍子抜けするほど実際的な言い方ばかりです。


 最初は、ずいぶん色気のない言い伝えだと思いました。


 けれど読み返すうちに、たぶんそれでよかったのだろうとも思うようになりました。


 あの人の人生を変えたのは、胸を打つ言葉より、重いものを重いまま渡せる相手だったのでしょうから。



 返書の断片にも、それはよく出ています。


 ——机が二つあること、鍵が増えていること、茶器が軽いことまで見て、私は少し黙りました。


 そう書いてあります。


 たったそれだけです。


 うれしかった、とも、ありがたかった、とも書かない。


 なのに、その一文だけで十分でした。



 エレノアが黙る。


 言い返さない。


 それがどれほど珍しいことか、ここまで読んでくださった方ならもうご存じでしょう。



 別の断片には、こんなふうにもあります。


 ——あなたはたぶん、やさしいことをしたつもりはないのでしょう。



 これも、ずいぶんあの人らしい書き方です。


 気を遣われた、と言わない。


 救われた、とも言わない。


 けれど、分かっていたことだけは隠しきれていない。


 その不器用さが、かえって彼女の心情に溢れているように感じるのです。



 もうひとつだけ、短い断片があります。


 ——あの濃すぎた茶を、私はまだ覚えています。


 これだけです。前後の文脈はありません。


 けれど、この一行を読んだとき、私の手は少し止まりました。


 あの人が「覚えている」と書くのは、よほどのことです。


 忘れない、ではなく、覚えている。


 その違いが分かる方には、分かっていただけるでしょう。



 熱を向けてくれた人はいました。


 やさしくいたわってくれた人もいました。


 そのどちらも嘘ではなかったのでしょう。



 ただ、エレノアが最後に求めたものは、たぶん別のところにありました。


 高く掲げられることでもなく、守られることでもなく、自分の持つものを軽くしないで受け取られること。


 嫌われる役目も、冷たく見える判断も、重いまま卓に載せられること。


 あの人が欲しかったのは、きっとそれだけだったのだと思います。


 それだけ、と言ってしまうには、あまりにも難しいことですが。



 あの冬を越えた帳面のやり方は、いまもある家の中に残っています。


 数字で考えること。先を読むこと。切るべき時に切ること。


 その家では、それを家訓とは呼びません。


 「当たり前のこと」として行動を求められます。



 あの人がそう言ったのか、それともあの人のそばにいた人がそう呼んだのかは、もう分かりません。


 ただ、その「当たり前」が、あの冬を越えた人たちの想いからきていることだけは確かです。



 私がこの話を書いたのは、誰かを立派に見せたかったからではありません。


 ただ、間違った噂の中へ置き去りにしたくなかった。


 世間に流れている話と、紙束の中にある話が、あまりにも違っていたのです。


 外では、エレノアは悪女でした。


 男を翻弄し、恋を利用し、うまく立ち回った女。


 そういう形で覚えられていました。


 けれど、紙束の中にいたのはそんな女ではなかった。


 数字で冬を越させ、嫌われる側に立ち、必要なら切って、それでも全体を残そうとした人でした。


 愛されたことより、重さを軽く見られなかったことのほうが、あの人にはずっと大事だった。


 その順番が、世間ではまるごとひっくり返って伝わっていたのです。




 私は、それがたまらなく嫌でした。




 悪女という呼び方そのものが嫌だったのではありません。


 冷たかったと言われるのも、怖かったと言われるのも、きっとまるきり嘘ではないのでしょう。


 近くにいれば、息苦しい人でもあったはずです。


 でも、その棘も、その冷たさも、恋の駆け引きのためにあったわけではない。


 人を生かすために、削り、決め、背負った結果だった。


 そこを抜かして、ただ噂だけが残るのが嫌でした。


 誰に愛されたかばかり語られて、何を支えたかが消えていくのが嫌でした。


 最後に誰と並んだかだけが面白半分に語られて、なぜその人の隣だったのかが抜け落ちるのが嫌でした。


 だから、私はこの物語を書くことを思いつきました。


 正直に言えば、これを書かずにはいられませんでした。


 あの人はもっとやさしい人だった、と言いたかったわけではありません。


 もっと可憐で、もっと愛された人だった、と言い直したかったわけでもありません。


 そんなふうに丸めてしまったら、また違う嘘になる。


 私が記したかったのは、真実だけ。



 あの人が立っていた場所。


 あの人が背負っていた重さ。


 そして、最後にその重さを一緒に背負う決心をした伴侶。



 公平な編者ではなかったかもしれません。


 そう見せようとしたのなら、それは少しずるかったのでしょう。


 けれど、この話を書こうと決めた日から、ずっと思っていたことがあります。



 悪女と呼ばれたままでもいい。


 冷たい女だったと言われてもいい。


 けれど、せめて最後に並んだ場所だけは、正しい形で覚えていてほしかったのです。



 さあ、ここで物語の箱の蓋を閉じることとします。


 鍵はもう必要ありません。


 あの人がどこに立っていたかは、もう書きましたのですから。




 貴女は、彼女が本当に悪女だったと思われますか?




——セシリア・ヴァレニウス

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