第56話:勇者のバトンと「全額投資(フルインベスト)」
管理局の演算室は、かつてない濃度の魔力圧に支配されていた。計器類は過負荷で火花を散らし、ミラの絶叫に近い報告が響く。
「……計算不能! ヴォルガ・アームズ、敵は五万の兵士すべての『寿命』を強制執行マージンコールし、エネルギーに変換しています! 帝国の暗紫光、充填完了まであと二十秒!」
モニターには、数万の帝国兵たちが紋章から光の帯を吸い出され、干からびていく凄惨な光景が映し出されていた。八十万人の生贄を想起させるその光景に、アルスの瞳には凍りつくような怒りが宿る。
「奴は……自分の軍勢すべてを『使い捨ての燃料』として計上したのか。……どこまで不採算な男だ」
アルスは即座に通信機を叩いた。
「セリア! 住民の誘導はどうなっている!」
『――アルス様! 二万人の市民、地下防空壕への退避を完了しました。今、皆で祈りを捧げています。……街から灯火は消えても、人々の心に絶望はありません。私たちの『明日』を、レオンさんに託します!』
「よし。……エレーナ、ガリウス、ミラ! 都市機能を完全停止。全出力を中央塔へ直結しろ。予備バッテリーも含め、ここにある全ての魔力をレオン一点へ叩き込め。……あの五万人の『資産価値』を、皇帝の勝手な償却でゼロにさせてたまるか!」
「「「了解!!!」」」
エレーナが全レバーを叩き落すと同時に、地響きと共に街の全域から灯が消えた。二万人の市民が日常で使うはずだった膨大なエネルギーが、一筋の巨大な銀色の激流となって中央塔へと逆流していく。
中央塔の頂上。勇者レオンの視界は、もはやプラチナ色の光に埋め尽くされていた。
塔に直結された導管を通じて、街の全エネルギーが肉体へと流れ込んでくる。それは二万人の明日の願いであり、同時にコアから逆流する八十万人の過去の重みだ。
「……ガ、アアアアアアアアアッ!!!」
レオンの肉体は、限界を超えたエネルギー流入により肌がひび割れ、そこから純白色の光が噴き出していた。
脳裏には、かつて王都で見捨てられた人々の絶望、そして今、地下で自分を信じて祈る二万人の笑顔が交差する。八十万人の怨嗟という巨大な負債――だが、今のレオンには、それを耐え抜く「理由」があった。
『立て、レオン。……お前を「無能」と査定した世界の方が間違っていたと、今ここで証明してみせろ。お前は、この場にいる全生命の価値を担保できる、唯一の「勇者」だ』
骨に響くようなアルスの声が、レオンの魂を強引に繋ぎ止める。
「……へへ、アルス。……最後に最高値をつけやがって」
レオンは震える手で、聖剣の柄を文字通り肉に食い込むほど強く握り直した。
八十万人の怨嗟。そんなもの、今の自分には「重り」ですらない。
「……この街の全魔力に、俺自身の全存在を上乗せしてやる。……『勇者レオン』という資産の全額、ここで全ツッパ(フルインベスト)させてもらうぜ!」
レオンの心臓が、都市の鼓動と完全に共鳴した。
供給された銀色の激流に、レオンの黄金の魂が溶け込み、世界を塗り替えるほどの白光が地平線を照らし出す。
「お前が吸い取ったのは『死ぬための命』だろ、皇帝! ……俺が放つのは、みんなが『生きるための命』だ! 受け取れ、これが勇者の全力だッ!!」
地平線の向こうから放たれた、帝国の暗紫光。だが、都市の全エネルギーを乗せたレオンの『エクス・カリバーン』は、その絶望を真っ向から押し返した。
光と光が激突し、空間そのものが軋みを上げ、衝撃波で荒野が抉れる。
「……馬鹿な! 五万の命を注ぎ込んだ余の『絶対権力インペリアル・アセット』が、なぜ押し負ける……! 勇者など、一人の人間に過ぎぬはずだ!」
「権利じゃない。お前がやったのは、ただの『強盗』だ、皇帝」
アルスは冷徹に、最後の一線を引いた。
「全電力、一〇〇パーセント解放。……五万の命を取り戻し、皇帝の『負債』を清算クローズしろ!」
『――うぉおおおおおおおぉぉぉぉッ!!!』
レオンの絶叫と共に、プラチナの光が爆発。
暗紫色の破壊光を完膚なきまでに飲み込み、魔導巨像『ヴォルガ・アームズ』の心臓部を貫いた。
同時に、奪われていた「寿命」が、逆流するように五万人の体へと戻っていく。
爆発の光が収まった後。
二万人の住人が暮らすこの街は守り抜かれ、五万の帝国兵は荒野で己の命が繋ぎ止められたことに涙した。
中央塔の頂上。煤け、ボロボロになったレオンの手元で、ガリウスが鍛え上げた最高硬度の聖剣が、パラパラと音を立てて崩れていく。要塞の全魔力を一点に凝縮し、八十万の怨嗟をねじ伏せた代償だった。
そこへ、アルスが静かに歩み寄る。レオンはひび割れた剣の残骸を見つめ、口角を不敵に上げた。
「……へへ。お前の言う通りになっちまったぜ、アルス。……聖剣が、ダメになっちまった」
かつて王都でアルスが告げた「その剣、もうすぐ折れるぞ」という予言。あの時は「ガラクタ」として折れた剣が、今は「世界を救う代償」としてその役目を終えたのだ。
「……新しい聖剣の見積もりを……取らなきゃな。……次は……もっと丈夫なやつを頼むぜ、見積士様よ」
自嘲気味に、しかし誇らしげに笑うレオンに、アルスは淡々と応じた。
「……ああ。次のは高くつくぞ。……今は休め」
そこへ駆けつけたセリアが、必死の面持ちで癒しの魔術をレオンに注ぎ込む。その温かな光に触れた瞬間、張り詰めていた糸が切れたように、レオンはパタっと意識を失い、セリアの腕の中に倒れ込んだ。
アルスは手帳を取り出し、今日の戦果を書き込む。
「……勇者レオン。その現在価値、測定不能につき『上方修正』」
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