第46話:価値の連鎖と「時間」の正体
グラナード・アカデミーの円形講堂。そこは、諸国の王族からスラムの孤児までが同じ机に並ぶ、この大陸で最も不条理で、最も「平等」な場所だった。
アルス・ロベントは無造作に、教壇の上に一掴みの「小麦」と、香ばしく焼き上がった一個の「パン」を置いた。
「いいか。この世界は『無駄』という名のコストで満ちている」
アルスは黒板に、太い一本の線を引いた。
「小麦の生産地で、この一掴みの小麦の価値を『10』とする。だが、お前たちが市場でパンを買う時、その価格は『100』に跳ね上がっている。なぜだ?」
最前列。ヴォルガ帝国の第二王子フレデリックが、退屈そうに、だが淀みなく手を挙げた。
「製粉屋が粉にし、パン屋が火を使って焼き上げるからです。そこには手間と、設備を維持する費用、そして彼らの取り分が含まれます。当然の対価でしょう」
「その通りだ。製粉で『20』になり、パン屋の技術を経て『50』になる。だが、まだ半分だ。残りの『50』はどこへ消えた?」
アルスの冷徹な問いに、講堂が静まり返る。
そんな中、フレデリックの隣に座るスラム出身の少年カイルが、消え入るような声で呟いた。
「……運ぶ、お金……じゃないかな」
「正解だ。運搬だ。腐らないように加工し、護衛を雇い、馬車を走らせる。お前たちが口にするパンの半分は、小麦を食べているのではない。『移動』という名のコストを食べているに過ぎない」
アルスは黒板の「100」を大きくバツで消し、「50」と書き直した。
「だが、我がグラナードの魔導列車はどうだ? 護衛も最小限に、腐る暇もない速度で運ぶ。運搬コストが劇的に下がれば、パンは『50』で買えるようになる。……さて、フレデリック。安くなった分、誰かの儲けが減ったのではないか? お前の国の方式なら、そう考えるだろう」
フレデリックは鼻で笑った。
「当然です。運搬をしていた馬車引きや、護衛の兵士たちの仕事と利益を奪ったことになる。国を支える民の『上がり』を減らすのは、統治者として愚策ではありませんか?」
「表面上の数字しか見えないなら、そうだろうな」
アルスは「時間」という文字を黒板の中央に刻みつけた。
「一袋のパンを運ぶのに、かつては十人の男が十日間かけていた。だが今は、列車が一日で運ぶ。浮いた九日間と九人の労働力……これをどう見積もる? 彼らがその時間を使って、新しい道を作り、より多くの小麦を育てれば、国全体の富はどうなる?」
フレデリックの顔から余裕が消えた。隣のカイルは、その言葉を飲み込むように目を輝かせている。
「安くなった『50』の余剰金で、民はもう一個パンを買うかもしれない。あるいは、子供をこのアカデミーに通わせる月謝にするかもしれない。……無駄なコストを削るとは、誰かの利益を奪うことではない。死んでいた『時間』という資産を解凍し、新しい価値を生むための『余力』を世界に与えることだ」
アルスはパンを手に取り、それを半分に割った。
「俺が作りたいのは、王が贅沢をするための国ではない。……昨日まで『100』払わなければ餓死していた者が、『50』で腹を満たし、残りの『50』で明日を変えるための知恵を買える世界だ。……それが、俺の見積もるグラナード経済圏の正体だ」
講堂内には、重苦しい沈黙ではなく、何かが動き出すような清々しい興奮が満ちていた。
「……今日の講義はここまでだ。各自、自国の主要な産品が、どれだけの『移動という名の無駄』を食べているか計算してこい。それが、お前たちが最初に削るべき負債だ」
アルスが去った後、フレデリックは自分のノートに書かれた『100』という数字をじっと見つめていた。
「……時間、だと? 親父はそんなもの、一度も教えてくれなかったぞ」
「フレド。……アルス先生の言った通りなら、俺の村が貧乏だったのも、怠けてたんじゃなくて『時間の使い道』を知らなかっただけなのかもしれないな」
カイルの言葉に、フレデリックは複雑な表情で舌打ちをした。
「……カイル。計算を手伝え。僕の国で浪費されている『時間』を、全て洗い出す。……あの男に、僕たちの国がどれほどの『負債』を抱えているか、正確に突きつけてやるんだ」
「へへ、受けて立つよ、王子様」
二人は、身分も出身も忘れ、目の前の「数字」という共通の敵に挑むべく、ペンを走らせ始めた。
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