第伍話 『刻神』クロノス
「もちろんじゃないですか。美麗さんの行くところならどこだってついて行きますよ!」
美麗の暗い表情を吹き飛ばすような気持ちで叫ぶ。直巳の突然の行動に目を丸くする二人だった。
だが、リヒトは直巳の真意に気がついたのか、快活そうな声を上げて笑った。
ちなみに、美麗は気がついていないようで、リヒトが突然笑いだしたのを白い目で見ていた。
「ふっ。いい従者をもったな符術の巫女よ。羨ましい限りだ」
「従者じゃありません。ただの居候ですよ」
「居候...それはどういう...」
「ま、まあいいじゃないその話は後で!ね?ね?それよりもクロノスを待たせてたら悪いから行きましょう!」
慌てたように話を中断する美麗。何か知られて不味いことでもあるのだろうか。
そう思いリヒトの顔を伺うと、特段これと言った表情の変化は無かった。
つまり、今の話が不味いのではなく、この話が展開されることが美麗にとって不味いのだろう。
(しかし、何が不味いんだ...?後で聞いておかないとな。じゃないと、知らないうちに他人に話してしまうかもしれない)
心のノートにメモをしつつ、私もそれがいいと思いますーと美麗の案に賛成する素振りをしておく。
「...まあ、いい。詮索は趣味じゃないからな。それよりも二人共、俺の腕に掴まれ。行くぞ。」
そう言われてリヒトの腕に掴まる二人。
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腕を掴んで何が始まるのだろう。そう思った時、瞬間移動でもしたかのように場面が変わった。
「着いたぞ。ここだ」
「な...ここは一体?」
先程まで直巳達は確かに森にいた。しかし、今いるのは森とは似ても似つかない町中である。
ここが、神社から見た町かは不明だが、仮にそうだったとしても、森からは2km以上は離れていた。それを、どうやって移動したというのだろうか。
だが、そんなことよりも今の問題は目の前にある建物だ。
リヒトは着いた、と言った。つまりここが目的地なのだろう。
周りの木造建築の家や店を圧倒する大きさと高さを持つ建物。神の住居としては申し分ない建物だ。立地はさておき。
そして、その建物には看板が掲げられていた。『刻神亭』。それがこの建物の名前らしい。
「ここは『刻神亭』。クロノス様が経営している料亭だ」
直巳の質問に真面目に答えるリヒト。
(えぇー...神様が料亭を経営しているってどうなのよ)
別に神が料亭を経営するのは悪いことではない。悪いことではないのだが、何か違う気がする。
「リヒトありがとね。あなたはこれからどうするの?」
「どうもせんよ。俺の行きたいところに行くだけさ」
そう言ってリヒトは消えた
比喩表現ではなく実際に消えたのだ。
「リヒトさんは何をしているのですか?」
本当は、リヒトはどうやって消えているのか?と聞きたかった。
ただ、消えるという言葉が正しい表現か分からなかったために、少し曖昧な聞き方になってしまった。
「リヒトはね、時間を操作する能力を持ってるの。さすがにクロノス程ではないけどね。出来ることは時間の加速と時間の停止...だったかな」
直巳の言いたいことが分かったのか、知りたかったことを説明してくれる美麗。
時間操作能力。確かにそれがあれば、目にも止まらぬ速さで悪霊を一掃したり、一瞬で二人をここに運ぶことも出来るのだろう。
「へぇ、凄いんですね」
「そうね。彼も私と同じ信仰の対象となる人間の一人だけど、その中でもかなり強い部類に入るから」
そんなことを話しながら『刻神亭』に入る二人。中は薄暗く、先程まで外にいたためによく目が見えない。
「ようこそいらっしゃいました美麗様。いつもの部屋にお上がりください。クロノス様がお待ちです」
下から声が聞こえるのでそちらに目を向けると、そこには小さな子供がいた。
年齢は八歳くらいだろうか。おかっぱ頭に赤い着物を着ている。
座敷わらし。そんな感じの見た目をした子供だった。
「毎度ご苦労さまね。あ、こちらは直巳。私の家族...かな。彼女も連れていきたいんだけど、問題ある?」
「美麗様が連れていきたいと仰るならば、私に拒む理由はございません。それに、クロノス様も歓迎なさるでしょう」
「言われてみればそうよね。...じゃあ、直巳、行きましょう」
そうして、靴を脱いで『刻神亭』に上がる二人。
『刻神亭』は料亭にしては異常に広い。
さらに異常なことに、料亭と謳いながら客が一人もいない。
ただ、隅々まで掃除が行き届いていることなどから察するに、従業員がいると思われる。
つまり、今はたまたま客がいないだけなのだろう。何故かは知らないが。
そんなことを考えながら5分程歩くと、急に美麗が立ち止まった。
どうやら目的の部屋に着いたらしい。
5分歩く程度、どうということは無い。だが、それが料亭の部屋に辿り着くために使われた時間だと言うと、どれほどこの料亭が広いかが分かるだろう。
部屋に着くやいなや、何の予備動作もなく襖を開ける美麗。
せめてノックくらいしろよとは思うが、この世界にはそういった風習はないのかもしれない。
美麗は部屋にずかずかと入っていき、置かれていた座布団に腰を下ろす。
しかし、直巳にはそんなことが出来ないのでそろーっと部屋の中を覗く。すると、
「美麗、ようやく来てくれたんだね。全く、待ちかねたよ。...おや、そちらのお嬢さんは誰かな」
美麗の対面に座る人物が凛とした声で尋ねた。
おそらく、この人物がクロノスなのであろう。
一目見て神のような神々しさのようなものは無いが、それでも他の存在とは別であることが何となくわかる気品が漂っている。
クロノスは長髪の銀髪で、座っているために正確なところはわからないが中肉中背。
目は閉じているように細く、端正な顔立ちだ。
服装は西洋の神官か教皇の着ていそうな、神聖でありながらも派手なもの。ただし、帽子のようなものは着用していない。人と会うから付けていないのか、それともそういうファッションなのかは不明だ。
「あ、私の名前は直巳といいます。あの...よろしくお願いします」
「ははは。部屋の前で挨拶なんて緊張でもしているのかい?私の名前は言わなくても分かるだろうがクロノスだ。よろしくね」
そう言って部屋の中に直巳を招き入れるクロノス。
恐る恐る美麗の隣まで歩き、そこに置かれていた座布団に腰を下ろした。
そこまでして気がついたのだが、この部屋には座布団がクロノス、美麗、直巳の分の三枚しか置かれていない。
さらに言うならば、クロノスと美麗の分の座布団があるのは当然として、直巳の座った座布団はまるで、最初から美麗の隣に座る人物が来ることであろうことが、予期されていたかのような場所に置かれていた。
何故か、などと考えているとクロノスが再び口を開いた。
「さてさて美麗。お前が規定の時間に来ないのはいつもの事だから聞かないでおこう。それに直巳君のことも。だいたい何をやらかしたかは知っているからね」
だが、とクロノスは続ける。
「私はともかく、ほかの神に連絡をしないのは少し思うところがある。電話の一つや二つ入れれば良いだろうに」
へぇ、この世界には電話もあるのか。などと場違いな感想を抱く直巳。
「昨日は忙しかったんのよ。それにクロノス、わざわざ説教でもするために呼んだの?」
美麗は不満そうにクロノスに愚痴を言う。それに対し、クロノスはいつもの事なのか涼しい顔だ。
「私がいつもお前を呼んでいるのは顔が見たいからだよ。それ以上の理由はないし、既にその目的は果たしている」
「全く、私の保護者のつもりなの?」
「そうだ。私はお前の両親からお前のことを頼まれたからね」
「それが、500年以上前の話でも?果たす義務もないのに?」
「たとえ千年経とうとも義務がなかろうとも、それは変わらない」
そして、と続けるクロノス。
「話を逸らすつもりかは知らないが、直巳のことは必ず他の神にも連絡しておきなさい。わかったね?」
「私が同じ話を何回もするのは嫌いって知ってるくせに...」
そう言ってそっぽを向くなおみ。
「わかったわかった。なら連絡するのはミームだけでいいよ。むしろ同じ話を繰り返すのを避けたいならば、ミームに連絡を入れれば事足りるだろうに...」
「はいはいわかりました。他には何かある?」
「いや、それ以外特にはないね。でも、そうだな...。ちょうど今は昼だからここで食事をとっていけばいい。どうせ昼食はまだなんだろう?」
「でも、今日は定休日でしょ?わざわざ作って貰うのも悪いし...」
(あぁ、定休日だから人が居なかったのか。てっきりクロノスが美麗に会うために客を入れてないのかと思っていたが...。)
実際のところ、美麗が来る日を定休日にしているのかもしれない。
話を聞いていてなんとなくだが、クロノスが美麗のことを可愛がっているのがわかる。そんな男なら美麗に会う日を定休日にしていてもおかしくないだろう。
「ここの従業員は私のために働くことが趣味みたいなものだからね。定休日でも仕事を言いつけられた方が喜ぶよ」
「そう?じゃあ折角だし頂いて帰ろうかな」
「それがいいよ。もちろん代金は必要ない。好きなだけ食べてくれればいいし、他に何かあれば言ってくれ」
そう言って立ち上がるクロノス。
「ん、クロノスは一緒に食べないの?」
「美麗の頼みなら一緒に食べないこともないが」
「頼みません」
「だろうね。私は昨日買った電子ゲームをするつもりだ。オーベロンのやつ、自分だけ一ヶ月前に買っておきながら一週間後に四人で大会を開くとかぬかしているからね」
そうしてクロノスは部屋を出ていった。
その後、残された二人はとりあえず食事をしてから適当に神社に帰った。
どうやら神社から見えていた町だったようで、大した時間がかかることなく家に帰りつくことが出来た。
何だか今日は、異世界転生した昨日よりも疲れた気がする。明日は楽でありますように、と願いながら就寝する直巳であった。