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「ンじゃ、現状確認ね」
リタルが地図を片手にリビングに戻ってきた。
ソファに座っていたリチウム、トラン、クレープが一斉に少女を見る。
「リチウム。グレープの暴発が影響を及ぼしている範囲――つまり停石してる範囲って大体どれ位か、わかる?」
言いつつリタルは、成長途中で伸びきっていない細腕を懸命に伸ばして、中央のテーブルに大きな地図を広げた。蝋燭に照らされたソレは、この街――グノーシスのものだった。地図の中心はこの十一階建ての古マンション――ホームだ。
リタルは蛍光ピンクのマーカーを取り出してホームを塗り潰す。と、その作業中、少女の視界上部からリチウムの手が伸びる。
「屋上から、見渡す限り全部だ。ここと、この建物は、日も落ちてるっつうのに真っ暗だった」
言いつつ、該当する建物を指すリチウム。
「オーケー。リチウム、あんた視力はいい方よね。あたしとさして変わらない位……」
「馬鹿言え。俺様はおまえ以上に視力いいぜ? なんつったって俺様は昔……!」
「……なら、リチウムの目線の高さも入れて……大体この辺まで、確実に停石している訳か……。思ってたよりも広範囲ね」
遮られ憮然とした表情のリチウムに介する事なく、蛍光マーカーでぐるりと、ホームを中点とした円を地図上に描き込むリタル。
「……街の西側だな」
トランの呟きにリタルは小さく頷いてみせる。
「ココが中心だし。これは一応の最低ライン。あたしが造ったグローブの魔力が暴走していると仮定した場合、この円の内側はホーム(ここ)と同様の状況――つまり、石化製品は愚か魔石も使えない状態にあると思ってもらっていい」
「……リタル。手袋の説明頼む。原理がわからんから現状の把握もままならん」
呼ばれて顔を上げたリタルは、向かいに腕組みして座ったリチウムの短い言葉にコクリと頷く。
その場に直立すると、一同の顔をぐるりと見回した。
「あのグローブは特殊なの。魔力を通しにくい素材で編まれた布に、バリアの石と……それから、こないだグレープが暴走させて変質した『ロックの石』を使ったのよ」
凛と響く声が室内に鎮座する。
「グレープちゃんが暴走させた?」
『トランちゃんが仕事の時にね』
間髪入れず、トランの横に腰掛けているクレープが口を開いた。半透明な身体を持つ彼女は腰掛ける事は出来ない――というか、別に腰掛ける必要なんて無いのだが、最近では周囲の人間に姿勢を合わせるのが彼女のマイブームになっているらしい。
『グレープがロックの石を壊して三号室に閉じ込められた事があったのよ』
「三号室って確か……リタルの作業場だよな?」
クレープに、次いでリチウムに視線を向けたトラン。
トランの視線に気づき、チラリとそちらを見遣ったリチウムは瞼を閉じると、
「ああ、そうだ。しかし、結局俺様が死球でドアを破壊してメデタシメデタシ……で終わったはずだったんだけどな……リタル?」
再び開眼すると、青瞳は真っ直ぐにリタルを見る。
「その後の事については俺様、何の報告も受けてないぜ? 手袋造るのに『元ロックの石』を使ったってなら、暴走して性質変化した石が一体何に化けたのか。おまえ既に把握してんだろ」
『っつーか。あの石って「死球」で破壊したんデショ? なら「元ロックの石」なんて代物はもう存在しないはずデショ。「死球」ってのは、発動すれば触れたモノ総てを無にするデタラメな石なんだから』
「デタラメってな、おまえ」
ジト目でリチウムが睨むが、当の幽霊は「なによ」って顔。
深々とため息を吐いたリチウムは釈然としない表情のまま後頭部を掻く。
「っつうか。あの時は石そのものを破壊した訳じゃねぇ」
『うっそ。だってこの小娘が……』
言ってたじゃないの、とリタルを見るも、リタルは真顔のまま無言で見返すだけだ。
「あぁ。寸前でこいつに頼まれてな。調べるから絶対にロックの石には傷をつけてくれるなと。そりゃあもう、鬼のような形相で……」
リチウムやクレープ。両の視線を受け、
「……造ってから説明しようと思ってたのよ。…………新たに生じた疑問もあるし」
それまで正面を向いていた顔が一瞬、軽く俯く。
リタルは、どこか深刻な面持ちで。ハッキリしない事柄が大嫌いな彼女にしては珍しく、歯切れの悪い答えを返した。
不審に思った一同が口を開いた時、
「――まぁ、それは置いておいて」
顔を上げ、腰に手を当てたリタルの表情はすでにいつもの強気なそれだった。
「グレープの手によって暴走しちゃったロックの石はね、完全に別のモノに変わっていたの。ううん、言うなれば、進化したっていうか……」
「進化?」
聞きなれぬ単語に眉を顰めるトラン。
リタルは深く頷いてみせる。
「そう。まさしく進化。ロックの力が強くなったって訳じゃなくてね、魔力そのもののレベルが上がったというか。ランクアップしたというか。より強力な、別の性質の魔石になってたの」
トランだけではない。リタルの言葉に一同、目を丸くする。
「そんな事って……」
トランが信じられないといった表情でリタルを見返した。
魔石が、進化した。
そんな話は、魔石関連に疎いトランは愚か、精通するリチウムでさえ聞いたことがない。
魔石というものは、魔力の結晶――魔力が固形化したものである。
何故、固形化したのかというと、本来の魔力の持ち主――魔力を生成、保管していた肉体が、滅びてしまったからだ。
魔力を体内で生成する種族は、天使と、魔族である。
魔力とは、彼ら天使や悪魔にとって人間で言う血液のようなものらしい。一つとして全く同じ魔力は無いとも言われている。
人間と違って天使や魔族は、絶命するとその瞬間、肉体もこの世界から消滅する。だがその際、魔力だけは消滅を間逃れる。
魔力は「魔力」という形のままこの世に存在する事が出来ない。循環――流動する事によって、魔力は「魔力」として存在する事が可能となるのだ。
生成・循環器である肉体を失くした魔力は固形化し、「魔石」という形に変化してしまう。
魔石が出来るのはこういった仕組みなのだが――
リタルの話によると、「魔石」がランクアップしたらしい。
「魔石」というものは、天使や魔族の血液のようなものが固形化した代物だ。
つまり、彼女が今口にした事は、「天使や魔族の「血液」がレベルがアップした」。「天使や魔族そのものがランクアップした」と言っているのと同じ事なのである。
そんな事が、果たして起こり得るのか。
「にわかに信じがたいけど、本当よ。受け流して」
全員の思考を、凛とした声が遮断する。
「受け流せっつったって……」
困惑した表情のまま、トランが呟いた。
そんな事が起こりえる、可能なのだ、とすれば。人間にとって、それこそ一大事ではないのか。
いや、他の二種族にとっても一大事だ。魔族や天使がレベルアップする。そんな事が出来るのならば彼らはどんな手段を使ってもその方法を手にしたいと願うだろう。
学生時代、歴史の時間で習った、三大種族間で取り交わされた条約。同盟を結ぶことで、なんとか人間は他二種族との共存を果たした。その均衡だって崩れてしまうのではないか――
「……んで? 結局ロックの石は、何に変わったんだ?」
息詰まるような沈黙をリチウムの声が取り払う。
「……どう説明すればいいかしら。つまりね」
小さな人差し指を、胸の前で立てたリタル。
「元ロックの石は今や、石を中心として一定範囲内に存在するあらゆる魔力の流れを一時的に止める事が出来る代物になってしまったの」
『魔力の流れを止める?』
その場に居た、リタル以外の全員の困惑の声が見事に重なる。
「それって一体……具体的にはどういう事なんだ?」
先程よりもさらに困惑の色を強めたトランの表情に、「つまりね」と、リタルは体ごとトランに向き直った。
「魔石っていうのは、魔力の結晶――つまり、魔力の塊でしょ? 『人が魔石を使う』なんて簡単に言うけど、本来人間は魔力を持たない。塊である魔力を少しずつ人体に取り入れて……それこそ血液みたいに体中に流すからこそ、初めて塊の魔力を人が行使する事が出来るの。勘違いしたまま魔石を使っている人が多いけど、魔石によって発動する力は石自体が放ってるんじゃない。実際に力を放つのは人間の方よ。石だけあっても魔力は発動しないもの。その原理は……微妙にニュアンス違うけど料理を想像してもらうとわかりやすいと思う。魔石は単なる『材料』なだけ。材料を拵える料理人が居なければ料理は完成しないでしょう?
もちろん禁術封石もそう。区別されて総称は違うけど、あれだって『ちょっと危ない「魔石」』ってだけだし」
言いつつ、自身の左手に装着していた緑色の禁術封石『転位』を胸元に掲げ、もう片方の手で石をツンツンと突いてみせるリタル。
「魔力は本来、存在する為に流動し続けようとするもの。結晶化というのは石化と同じで何も活動できない状態だもの。生体さえあれば勝手に己を流動させようとする。だからあたしたちが魔力を発動させていない時でも、所持している限り常に、所持者の体内に魔力を送り込み、流動させ続けている。今みたいに喋ってる最中にも、魔石の所持者であるあたし達の体の中では常に一定量の魔力が循環を繰り返してるの。リチウムには『死球』の魔力が。トランには『炎帝』の魔力が。そしてあたしには『魔眼』と『転位』の魔力がね。だから、その場で念じれば一瞬で石の力は発動する。反対に、日頃から石を身に付けていないと、石の力を即座に行使する事は出来ない。魔力が体内に行き渡るのに時間がかかるからね。……その辺は、大まかながらも理解してる?」
トランは勿論、一同リタルの視線を受け、コクリと頷く。
「よろしい。ンじゃ本題に入るけど」
満足気に見渡すと、リタルはさらに説明を加える。
「魔力は魔石から流出し、人間の体内を流れている。体内で循環……流動させているからこそ、私たちは魔石を使える。それって逆に言えばね。魔力の流動を止めてしまえば、それだけで私たちは魔石を使えなくなるの。だって、力を発動させたい場所……体外に、材料たる魔力が流れない――届かないんだから」
「あ」
誰とも無く漏らした短い叫びに、リタルは視線をそれぞれの顔へ巡らせる。
「『元ロックの石』は、一時的に魔力の流れを止める事が出来る。つまり、使えば一時的に、範囲内に存在する魔石は使えなくなるの。どんなものでも」
「それは石化製品においても言えるのか?」
「ええ。石化製品の仕組みはそれぞれ作動させる方法が違うから説明しにくいんだけど。内部で魔力を流動させる事によって力を発動させる、その原理は同じよ。大体の石化製品は、人体がスイッチに触れると、機体内部にある魔力が機体の中を流動するように設定されている。魔力は流動するからこそ、その力を作動させる事が出来る。つまり、止まってしまったままだと、作動しない。石化製品なんてただの粗大ゴミだし。魔石だってただの石ころになる」
「……成、程、な。さんきゅーリタル。ようやく事態が飲み込めてきたぜ」
声に視線を投げれば。
自分の説明で事態をキチンと理解してくれた様子の……つまり、心底げんなりしてるクレープと、トランの表情と。
そして、何故か愉し気な笑みを浮かべているリチウムが視界に入る。
「ったくもぉぉ……。あんたはどうしてそう喜ぶのよ。こんなとんでもない事態の、一体全体どこいら辺がどう愉しいって言うんだか……」
「とんでもねーから楽しいんじゃねぇか」
ジト目に対し、ひょうひょうとした口調が返ってくると、「理解不能」とため息混じりの一言を吐くリタル。小さな頭も同時に、下へ下へと下がる……と。
テーブルに突っ伏すまで頭を下げた後、突如、彼女はぐいっと顔を上げた。
その表情は……ちょっと得意気だ。
新たな発明品を初披露する時なんかに、少女はよくこういう表情を見せる。
向けられた視線に、怪訝そうな顔をする一同。
「ねぇ。こうして現状を把握してもらった訳だけど、あんたたち。何か疑問が生じない?」
と、再び周囲に視線を巡らせる。
部屋に響く静かな問いに、目を丸くしたのはたったの一人。
予想していたのか。リタルは大して驚きも、不愉快さも見せず、ただ、『目を丸くしていたたったの一人』の前に足を進める。
「さて、トラン。魔石が使えないって事は勿論。どういう事だか、把握してるわよね?」
リタルのその目は明らかに「わかってないでしょうあんた」と物申している。
そんな視線を目前、それも僅か上の位置から、年端もいかぬ少女に寄こされ憮然とした表情になるトラン。
「当然だ。要するに石化製品――テレビや照明は愚か、コンロやトイレ……そういう、生活必需品総てが使えないって事だろ。今が現にそうじゃないか」
「…………つまり?」
リタルが冷ややかな視線で追い討ちをかける。
次いでの突っ込みが予想外だったのか、目を丸くするトランの表情に、やがて焦りの色が滲む。
「あ? つまり? …………つまり、……えと」
『ちょっとリタル。トランちゃんがあんまり可愛いからって虐めないでよ』
すかさず隣から放たれた援護射撃に、情けなさ爆発の表情で、隣の整った横顔を見下ろすトラン。
「…………あのな、クレープ。庇ってくれるその気持ちは非常にありがたいんだけどさ」
その様子をどこか楽しげに見ていたリタルは、大袈裟に溜息をついてみせると、視線を自分に戻したトランを直視した。
「……まぁ、いいわ。やっぱり判っていないようだから試しに訊いてみるけど。トラン。
そこの非常識幽霊の半透明な身体がはっきりくっきり見えちゃうのは、一体全体誰のおかげだと思ってる?」
「…………? え、そりゃあ……」
問われて答えようと開いたトランの口の動きが、ピタっと止まる。
「ちなみにもう一つ訊くけど。
この蝋燭はどうやってつけたの」
「…………」
各蝋燭は、総てトラン自身が付けたものである。
停石し照明が点かない為、トランが『炎帝』を発動させたのだ。
「…………あれ?」
「ついでに言えば、冷蔵庫も点いてるわよ。だって。
腐っちゃうと困るもの」
「それじゃあ……!」
答えを待たずして、リタルは視線を再び一同に巡らせていた。
口元には、不敵な笑み。
「――ようやく全員が同じ土台に立ったところで。状況確認終了。
……作戦会議といくわよ」




