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 「――状況は!?」

 闇の中、シャツのボタンが今にも弾け飛びそうな程に太ったスーツ姿の男が、鋼鉄の盾を構えた数十人の武装集団の横列に、背後から大股で近づく。

 歳は三十代後半。白髪交じりのダークグレーの短髪を後ろに流したダルマ――もとい、マルトリック・ゲイザーが鋭い眼光を周囲に投げた。

「変わりません! 対峙したまま、微動だにしません!」

「周辺住人の避難、完了しました!」

 二人の若い男が声を張り上げる。それに頷いて、マルトリックは前方を睨んだ。

「あれが、魔族……か。また、奇妙なナリをしている」

 ふくよかな頬に流れる、一筋の冷たい汗。

「何が目的でこんな往来のド真ん中に浮いているのかはわからんが、奴が街西部の異変の一因だという仮説はほぼ間違っちゃいないようだな」

 神妙な顔で独り言のように呟く。鋭い視線はなおも闇の中、背後の外灯の薄明かりで浮かび上がった目標のシルエットに向けられたままだ。

「では、ゲイザー警部。アイツを追い払ってしまえば事態は……」

「いや」

 難しい顔のまま言葉を遮るマルトリック。

 僅かに躊躇した後、

「ここ以外でも報告されているだけで三箇所、魔族の姿が確認されている。停石しているのは目の前のアレも含めた魔族四体に囲われた区域だ。一匹どうにかした所で事態が好転するとは思えん」

「三箇所に、ですか……!?」

「四体も……!?」

 マルトリックの言葉に数十名の横列が一斉にどよめいた。不安と焦り。恐怖と諦め。負の感情の入り混じった空気が爆発的に広がりマルトリックの元へ押し寄せる。マルトリックはざわめきの中から一つ一つの声を拾い、自身の部下の顔を一人一人思い浮かべた。こうなる事は予想出来ていた。無理もない。相手は初めて目にする奇妙で未知な存在――魔族だ。しかも一匹だけではない。他にもこんな不気味な……出来れば一生お目にかかりたくない類の生き物が数体いるというのだから。

 職業警察官。有事に備え日頃から鍛えている、と言っても自分達の訓練はあくまで対人間用だ。この状況下で自分達は一般市民とほとんど変わらない。怖気づくなという方が無理なのだろう。

 しかし、それでも警察官の使命は一般市民を守る事にある。市民の盾となり暗雲たちこめるこの状況を打開する為に動かなくてはならない。今猶予がある内に現実を受け入れておかなければ、いざという時に狼狽え、怯え、絶望し、彼らは使い物にならなくなるだろう。果たせる命も果たせなくなる。たとえ僅かであっても、覚悟を決める時間が必要だった。マルトリックは深く息を吸った。

「――余計な事を考えるな!! 己の使命に没頭しろ!!」

 その一喝に、一帯の空気がビリビリと震えた。

 数十名の思考を総て吹き飛ばす程の怒声。

 瞬間、横列は再び静寂を取り戻す。

「…………」

 表面上は静かな彼らの葛藤の様子に視線を走らせた後、一度深く目を閉じる。一寸後、開眼したマルトリック。その瞳は既に部下を憂う色を消し去っていた。再び前方を睨む。

「……しかし。魔族が人界――我々の前に姿を見せる日が来ようとは」

 苦々しい顔のまま改めて、初めて目にする異種族を観察した。


 魔族。

 天使と同様に、人間が生きる場とは別の次元に生息している種族。

 かつては魔族も天使も人間も、同じ次元で共存していたという。二種族が異なる次元に移り住んだのは、古に種族間で交わされた条約に基づいた行動によるものだ。

 天使は天石の管理と、魔石収集を義務付けられた。

 人間は天使の魔石収集に協力する事を義務付けられ、「禁術」と定められた魔石の使用を禁じられた。

 魔族は、収集された魔石を総て返還する事を条件に、天使や人間の世界への出入りを禁じられた。

 これが世界の創造主である巨石を巡り太古より続いていた争いの果てに、それぞれの長達が取り交わした同盟。

 永続的に共存する為結ばれた、平和条約。

 学生の頃、歴史の時間に何度も聞かされた……大凡五千年前の話だ。人界に散らばっている魔石を集める為に人間と協定を結んだ天使は、その後も己の次元――天界と、人間の住む次元――人界を行き来してきたが、魔族は条約の定める通り己の次元――魔界に引っ込んでしまい以後他界に姿を見せなくなった。

 魔族の存在と恐ろしさについては現在もなお、人界の至る所で語り継がれている。しかし、その姿は昔話や歴史、物語の中でしか見る事が出来なくなってしまった為、人間にとって魔族という存在は空想の産物のような、いまや実在しているのかどうかすら怪しいと言われてしまう程、遠いものとなった。

 時折人界のどこかで魔族が姿を見せただの、魔族が隠れ住んでいる秘境があるだの、人間と結婚した魔族の話だの、魔族の血を受け継いだ人間の話だのがテレビで面白おかしく流れている位だ。

 そんなこんなで今や「空想の住人」と化している魔族がこんなに近く――自分のすぐ目の前に、嘘のように実在していた。

 困った事に、いざ目の辺りにしても魔族と対峙しているという実感がさっぱり湧いてこない。

 しかし、こうして日常の象徴たる街並みが、たった数体の非常な存在によって雰囲気を一変させられているのは事実だ。

 鮮やかな不自然に、理性がついていかずとも。

 臭覚を刺激する血生臭い体臭と、淀んだ空気。莫大な威圧感。

 りせいよりも五感の方が素直に異変を感じ取っていて、これが現実である事を頭に必死に理解させようと、あらゆる感覚を総動員させて事実を肯定付けようとしている。

「……おまけに、魔石――石化製品が一切、使えなくなる、か」

 停石。

 このような事態は、世界広しと言えど未だかつて聞いたことがない。

 天使達は慌てふためき、現状を把握しようと現場一帯を管轄している上級天使ファーレンの持つ空部隊百人程が、先程まで上空を右往左往飛び回っていた。

 ちなみにその頃、地元警察は全員ファーレンの命で署内待機を強いられていた。

 確かに、高速で動ける移動手段を失くし、電話も使えぬこの状況。あちらこちらへ闇雲に走り回っていては連絡の取りようも無い。自分達がやれる事といったら空部隊が戻ってくるまでの間、なんとか外回りや休暇をとっている仲間達を署へ呼び戻し体制を整えておく事だけで。実を言うとマルトリック自身、こんな日に久々の骨休み休暇をとってしまっていた、間の悪い人間の内の一人であった。


 マルトリックの自宅へ自転車を転がしていた部下はその道中、ショートカットする為に選んだ細い路地で見事お目当ての汗だくダルマと鉢合わせする。停石状態となったその直後にマルトリックは自宅を飛び出し、走って署に急行していたのだ。

 車通勤であったマルトリックは「停石」の不便さを早速痛感していた。決して歩けなくもない距離なのだが、日頃車内で何気なく目にしていた景色の流れの遅さが短気な彼を苛付かせていた。

 加えて、混乱している人々の隙間を掻い潜る困難さ。部下の自転車をかっぱらって署に着いた時、彼はヘトヘトだった。汗は滝のように流れ、乾ききった喉は潤いを求め、上手く息が出来ない。

 それでも呼吸を整えながら、廊下を急いだ。

 道中幾度も美味い茶を淹れる部下の顔を思い浮かべたのだが、目当ての姿どころか、人の気配が異様に少ない。

 署内は既に蛻の殻だった。

 残っていた上司から事の次第を告げられ、マルトリックは目を見開いた。

 魔族が出たという。

 しかも、一体だけではない。

 彼が署に顔を出したその直後に偵察から戻ってきた天使の報告によると、同じ形をしたモノが四体、停石という異常事態の起こっている街の西部を、取り囲むような位置で静止しているという。

 署に残っていた僅かな人員はただちに報告にあったポイントへ移動を開始した。

 マルトリックが唯一頭の上がらない上司、ニタバーニ・ゼネラック警視は第一ポイントへ。

 同期入社の警部補二名は、既に第三・四ポイントへの移動を終え、周辺住民の避難を急がせているという。

 マルトリックは再び部下の自転車に跨ると、自分の部下達が待機しているという第ニポイントへと急行した――そこで、冒頭のシーンに繋がる。


 状況から、この「停石」という非常事態は魔族が起こしたとみてほぼ間違いないだろう。恐らく、報告にあった四体の魔族を追っ払うなり倒すなりすればこの非常事態は解ける。

 それは解っている。

 しかし、自分達には攻撃手段がなかった。

 所持している拳銃は歴とした石化製品だ。発砲できない拳銃なんてオモチャでしかない。

 いや。その凶悪な魔力、凶暴な身体能力故に、古の大戦の時代から今日まで廃れる事なく語り継がれてきた魔族を相手に、拳銃――借り物の魔力である石化製品を唯一の武器とする人間の力が、果たしてどこまで通用するのだろうか。

 今拳銃を使える環境にあったとしても、てんしの命によりその場でただ棒立ち――壁にされるだけだろう。警察機関は完全なる縦社会。自分達のみで行動を取る事は決して許されない。

「我々に出来る事は、結局、ただ見ているだけか……」

 高い検挙率を誇るベテラン刑事の、悔し気な呟き。

 見上げたその、遥か上空では――


 羽ばたきの音が幾重にも連なり、白い羽と共に降る。

 百人は居ようか。白い衣を着た、二対の大きな翼を持つ人型種族が闇の空に集まっていた。

 その姿は一見「翼の生えた人間」だが、よくよく見てみると人間とは少し毛色が違う。色素が薄く彫りの深い顔が多い。一人一人が醸し出している存在感はどれも強大で、人間を軽く凌駕する力――威圧感があった。

 天使である。

 天使達が厳しい表情で見据えているのは、広い無人の道路に在る一つの黒い影だ。

 影は微動だにせず、道路の真ん中に留まり続けている。その前方は闇に包まれていたが、後方では外灯が煌々と光を灯していた。影は、後方から差す弱い光を背に受けてそのシルエットを路に浮かび上がらせている。

 それは――巨大な犬の頭だった。

 成人の男が両手で輪を作った位の大きさがある。首から下は千切れていてそこに胴体は無い。毛は無く、むき出しのドス黒い皮膚中に暗い赤の筋が血管のように張り巡らされている。血のように赤い眼球は飛び出ていて、その瞳孔の色は濁った黄色だ。


「先程戻ってきた偵察部隊の報告によると……魔族の総数は五体。内四体は、停石した範囲を取り囲むように位置しています。

 魔族の魔力はそれぞれ違います。

 目の前のソレからは雷系の微弱な魔力を感知しました。

 同様に、火、風、土系の弱い魔力を感知。

 ただ……一体のみ、魔力の種類を判別できない魔族がいるのですが、この魔族は他の四体と外見が異なっています。しかも、他四体が持つ微弱なソレと比べると、能力不明の魔族の持つ魔力は桁違いです」


 集団の間を掻い潜って飛んできた小麦色の短髪の細っこい男が、先頭に居た金の長髪の男――ファーレンに進言する。


「魔力が……流れているな」


 立派な二対の純白を、悠然と動かす。

 スッと通った鼻筋にかけられたメガネの奥から覗く切れ長の瞳の色は吸い込まれそうな程深い金。

 透き通るような肌。長身のすらっとした体型。優美さを漂わせるその姿は、百人相当居る天使の中でも際立って美しい。

 顔の造りが同じであるリチウムとの最大の違いは、髪や目などの色の違いではなく、上品さの有無だといえるだろう。

 ちなみに、クレープやリタルからクレンザー臭がすると顔を思いっきり顰められてしまう程の清掃オタクでもある。

 ファーレンはこの地を管轄している上級天使であると同時に、警視長という肩書きを持つ。

 上級天使は、割り当てられた管轄内の禁術封石を集める事を主な仕事とし、その力に応じて、相応の数の下級天使と管轄範囲を任され、地元警察を動かす権限を所持している。

 つまり彼は、警察機関に所属している総ての人間を従える存在。トランの上司でもあるのだ。

 腕を組んで宙に直立していたファーレンが僅かに浮かべた怪訝な表情に、


「はい。それぞれの魔族が発している微弱な魔力の流れはある一点に集中しています」


 即座に反応した細い男が答えた。


「一点とは?」

「四体の魔族を囲んで出来る四角形の中心――この建物です」


 細い男がファーレンに、ある写真を見せた。

 写っているのは古い十一階建てのマンションだ。


「この建物の最上階――中央の部屋の一室に、魔力の流れが集中しています」


 ファーレンの金の瞳が僅かに見開かれる。


「そうじゃないかとは思っていたんだが――」

「は?」


 細い男の漏らした声に、しかしファーレンは答えず、再び眼下の魔族に視線を下ろす。


「……まぁ、我々の力はどうやってもあの魔族には届かん。魔族の作った結界外から仕掛けようと、放った魔力が結界内に入れば瞬く間に消失してしまう。

 何よりお上から、魔族との戦闘は極力避けるよう言われているからな」

「では?」

「ここは黙って奴等を待とうじゃないか」

「奴等……とは?」


 ファーレンは、そこで初めて細い男に一瞥くれると、ニヤっと笑んだ。

 何かを企んでいるかのような、愉しんでいるような、そんな表情だった。

 ファーレンのこういう顔を見るのは初めてで、細い男はより困惑した色を浮かべる。

 時折吹き抜ける夜風に、後ろで一つに縛った艶やかな長髪を靡かせて。

 腕を組んだ男は、気持ち良さそうに両の瞳を閉じた。


「もうすぐわかるよ」


 風の音に吹き消されてしまうような小さな一言。


 その遥か下方は、今まさに、ファーレンの言う「奴等」の存在に、人間達がざわめきだっている最中であった。

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