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二面の秘密  作者:
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《24》-《27》

《24》



「セツを身請けしたいと言うんですの。それも両想いだなどと言うの。契りを交わしたと。金ならいくらでも積むと。ご存じの通り彼女は私の大切なかわいい愛し子なものだから、余りのことに身も世もなくショックを受けてしまって……」


 ものすごい空気が流れた。


「契りィイ……ッ!?」

「お、お金……ッ!?」


 莫大な殺気と、それに見合う魔力が一瞬で膨れあがった。言わずもがな、テオドリクとマリーである。そして、すさまじい炸裂音と、ルーシャンの「スノ……!?」という途切れた叫びと、スノウの「嘘よ」という淡々とした小さな呟きが同時に起こって、当然一番小さな呟きは真っ先に掻き消された。


「勇者など食したことがなかったから、一度味見してみたいと思って。泣き落としで攻めている最中に空気の読めないサディアスが乱入してきたんでしてよ」


 声音が幾分低く、唇もやや尖りがちに見えるのは、サディアスに散々叱責された後だからだ。テオドリクとマリーが起こした破壊の修復は、スノウの嘘が原因ということで全て彼女持ちにされた。


 勇者と魔王軍の一軍団長との密会は当然問題視され、残る三将と勇者の一行を含めた緊急会議という名の査問会が開かれた。そこにおけるスノウの第一声が冒頭の科白で、元いた会議のための広間は一瞬で半壊したので、全員で別の部屋に移る羽目になった。

 ハァァアンと、語尾上げで鼻を鳴らしたのはテオドリクだ。棘のある雰囲気は、自分もまたサディアスに叱られたからだろう。


「ンなこッたろうと思ったぜ。サカんならヨォ、相手見てヤれや」

「でも、テオドリク。勇者を喰べたわたくしと戦ってみたいとは思わない?」


 はっとした顔で黙り込んで、すぐにチラチラとサディアスをうかがいながら「ィや、ソレは」などともごもごし出すのだからチョロいものだ。

 視界の端ではラモーナが「さかん……?」と首を傾げて傍らを見上げ、隣の席のシオドアが首を横に振っている。

 ばん、と掌で机を叩いたのはマリーだ。こちらは棘を含むどころか明確に激怒している。


「これはとんでもない問題です! 勇者を餌にしようとするなど許されません! しかも反省の色もなく、嘘まで吐くなんて! 一体どういう処罰を下すつもりですか」


 サディアスがルーシャンとそれからスノウを見た。元より鋭い視線を冷たくした後、短くも重みある溜息をつきながら、眉間を指先で揉み込む。


「流石にここで判断を下せるような事案ではありません」


 その時、閉めきった部屋に、ぞ、と重たい空気の流れが生じた。魔族、人間の別なく全員が何らかの動きを見せる。しかしその重たさは瞬きの間に霧散して、その代わり、何の前触れもなく羽ばたきの音が室内に響いた。

 四羽の鴉が天井近くを旋回していた。いや、実際には鴉に似ているだけで、くちばしやかぎ爪の鋭さも、爛々と燃える赤酸漿(あかかがち)の目も鴉とは異なるものだ。

 その、何処からか現れた四羽の猛禽は、す、と滑空して会議机の上に降り立った。それぞれ、スノウ、ルーシャン、サディアス、ラモーナの正面である。サディアスを除く全員が少なからず驚きの気配を纏ったが、中でも中型の猛禽に目の前に居座られたラモーナは「ひっ」と喉を鳴らして仰け反った。


「いいな」


 羨みの声をあげたのはエイベルである。その言葉の意味を理解できないのは、人間だけだ。

 勇者達の誰かから問いかけの言葉が出る前に、サディアスが言った。


「魔王様のご判断に(ゆだ)ねます。ついては魔族側の同席者は私、そして人間側の同席者を神官であるラモーナ・ラングリッジ殿にお願いしたいのですが、いかがですか?」


 ふぇっ、とラモーナが声を上擦らせた。



《25》



 黒鳥が先導する暗路を行く。

 ラモーナは恐怖よりも驚きを強く感じていた。いつ、暗くなったか、まるでわからないのだ。

 ついさっきまで、昼の光差し込む廊下を歩いていた。行き交ったメイドさんに会釈をした。なんとなく見えないところにもひとがいるのだろうなと感じられるざわめきが空気には満ちていた。

 それが、気づけばどこにもなくなっていた。自分達の足音すら呑み込まれる静寂と暗黒だけが水のように満ちている回廊を、ラモーナ達は歩いていた。慌てて振り返っても同じ漆黒が続いているだけだ。ラモーナと同じ驚きを隣を歩くルーシャンも得ているようで、きょろきょろと辺りを見回しているのを見て、ラモーナは少し安心し、一瞬後には先以上の驚愕に打たれた。

 一点の灯りもない暗黒の中を歩いているにもかかわらず、ラモーナはルーシャンの姿が見えていた。前を並んで歩くスノウとサディアスも見える。何も認識できるはずがないのに、今、自分が、赤絨毯を敷いた長い回廊を歩いているのだとわかる。真っ黒い鳥が、自分の前斜め上辺りを飛んでいるのが、漆黒の中で見える。

 くすくすと横目で後ろを振り返ったスノウが笑った。


「どういうことですか?」

「そういうものなのよ」


 ルーシャンが尋ねたが、スノウの笑い声は二人をからかっているようだった。


「導きがある者だけが、ここを行けるのです」


 サディアスが黒い猛禽を指差した。


「だからはぐれたら、上も下もわからない闇に取り残されてしまいましてよ」


 びくとラモーナが怯えの仕草を見せたが、スノウの涼やかな声はすぐに続いた。


「でも、大丈夫。もう、ついてしまいましたわ」


 涼やかだが、硬い声でもあった。  



《26》



 大きな扉を開き四人が中に入ると、四羽の黒鳥は部屋の四方へと飛び、銀の平台の上に留まった。かと思うや、一瞬で赤々と燃え上がり、そのまま部屋を照らす大きな灯火へと転じる。

 そして煌々と照る光があってなお底知れずわだかまる闇が、四人の目の前で動いた。

 ぞる、と特徴的な音を引き摺って闇を従えるのは、真っ白いかんばせだ。ガラスから削り出して水彩絵の具で薄く色を付けたのだと言われて信じてしまいそうなほど、硬質で人外れた美貌である。その面長の顔と、両手以外の一切が重たい闇に沈んでいる。光を映さない長く真っ直ぐな髪糸と床に襞を重ねる黒衣には、真実境目がない。

 ぞ、ぞる、と、衣擦れとも、髪擦れとも、あるいは重たい泥を掻き分けるそれとも聞こえる音を連れて、やがて魔の王は段上の椅子に腰を下ろし、膝をつく四人を鷹揚に見下ろした。


「――初めまして、人の子等よ。きみ達の名前は知っているし、わたしの名前は聞かない方がいいから、自己紹介はお互いにやめておこうね。きみ達のことをずっと感じてはいたけれど、直接会うのは初めてだ。どうぞ立ってくれて構わないよ。とって食べたりはしないから」


 ルーシャンとラモーナは互いに目を見交わしながら立ち上がった。そのどちらにも意外を含んだ戸惑いがある。

 それを盗み見たスノウには、彼らの驚きが理解できた。同じ驚きをかつて自分も得たからだ。精巧な陶器人形のような魔王の声音は、その見た目からは予想もできないほど柔らかく温もりを持っている。


「サディアスもいつも苦労をかけるね。みんな自由だから大変だろう。ねえ、スノウ」


 だが、それは必ずしも優しいことを同等ではない。

 視線と声を向けられたスノウは目礼するふりで目線を魔王から逃がした。そのいささか硬く強張った所作に、魔王の唇が微かに笑うような形になる。それをスノウは見なかったが、不興を買わない程度におっかなびっくり魔王を観察していたラモーナは、おやとばかりに両目をぱちつかせた。魔王が少し困っているように見えたからだ。

 「考えたんだけどねえ」と魔王は言う。


「みんなが来るまでにね、ちょっと色々。どうするのがいいかって。どういう話をしようって」

「話、ですか……?」


 声を返したのはルーシャンだ。声にはいぶかしむ色がある。


「そう、話。でも、これが難しくて。単純なところもあるし、複雑なところもあるし、じゃあ根っこはどっちだって言ったらそれこそ複雑だし、あけすけにするには誰にも不都合があるし、かと言って当事者だけなんて言ってもそれじゃあ今更収拾つかないし、と言うかどこまでを当事者にするかも悩みどころだし、端的に言葉で説明しようと思っても、何をどうしても端的にはできそうにないし――」


 確かに端的さの欠片もなく滔々(とうとう)と言葉を連ねた魔王は、最後にこめかみに軽く左手の指先を当て目を伏せて、やれやれとばかりに首を横に振る。

 言葉はわかるのに中身がわからないという意味では間違いなく難しい話をされて、スノウは一瞬緊張も忘れて(ほう)けた。そっとうかがったサディアスの眉間にある皺を見て、彼もまたわかっていないという確信を得たが、だからなんだという話だ。ムルも考え込んでいるのだろう、助言を求めても返事がかえってこない。

 段下の四人の間に等しく流れる困惑に、しかし魔王は気づかないのか、意図して無視しているのか、ふうっと息を吐き、「だから、考えたんだけどねえ」とこめかみを揉んでいた指先を離して、


「スノウ、私とちゅーしよう」


 さあ来いとばかりに、両手を左右に大きく広げた。



《27》



「ちゅ、ちゅー?」


 やっだ、この冷血漢(サディアス)から「ちゅー」なんて言葉が出たよ! などという感想は現実逃避であることを、むろん自覚済みのスノウである。


「そうだよ。これ以上の明確な解決法はないと結論した」


 両手を広げたまま断言する。強く、美しく、聡明なはずの魔王様が乱心している。


「ちゅーが!?」


 カッと目を見開いて叫ぶサディアスも乱心しているかもしれない。そしてそれを見るとどうしても噴き出しそうになるスノウは、自分も現実を受け入れがたいあまり乱心しかけているような気がしてくる。

 しかし部下の心も知らず魔王様の乱心はとどまるところをしらない。


「んん? 言葉がわからないだろうか。接吻、口吸い、口づけ、キス、……今の時代、近いのはどれだ?」

「どれもちゅーで大丈夫ですが、そこではありません!」

「貴方の返答も、大概『そこではありません』状態だけど大丈夫?」


 猛烈に睨まれた。しまった矛先が代わる、とスノウは内心で覚悟したが、怒声は別の方向から先にあがった。


『断じて認められん!!』

「断じて認められません!!」


 スノウは反射的に顔を顰めた。鼓膜だか頭蓋だかを挟み撃ちに叩かれたような感覚が、間違っていなかったことを一拍遅れて理解する。


『ならんならん! ならんぞ!』

「なんという破廉恥な!」

『よいか、ならんぞ!』


 無意識に(そんなことをしても意味はないのだが)片手で耳を覆いながら、スノウはルーシャンに目をやる。

 サディアスやラモーナからも驚きの視線を浴びるルーシャンは、スノウが初めて見るほど眉間に皺を寄せていた。何かを噛み締めているような険しい顔をして、魔王を睨んでいる。


『聞いておるのか!』

「一体これはどういうことでしょうか。魔王と淫魔の痴情を見せつけるなど、我等を馬鹿にしておられるのか!」

『ならんぞ、ユキコ!』

(後で聞くから、ちょっと黙って)


 内と外とで怒鳴られていては、何も考えられない。しかし黙らせられるのは一方だけとなれば、感情が高ぶるほど単純化してうるさくなる聖獣にちょっと黙って頂く他ない。


「破廉恥だなどと! 我等が陛下への侮辱は許しませんよ!」

「わたくしは?」

「貴方の破廉恥に陛下を巻き込むなど! 恥を知りなさい!」

「わたくしが!?」


 喜劇じみたやりとりを、しかしそうと知れるほど冷静な役者がいない。状況の速度についていけないラモーナはただおろおろと誰かが発言するたびに視線を飛ばしている。

 そこまでしてようやく、その間もずっと待ち体勢で両腕を広げていた魔王が、おや、と首を傾げた。


「難しいね。どうもわたしは、ひとの機微に疎く、ことばを扱うのも上手じゃなくていけない。そういうものがどうも足りない。――まずは、怖い顔をした人間の勇者に謝罪しよう。決してきみ達を馬鹿にしようというのではないよ」


 魔王は腕を下ろし、小首を傾げるようにして淡い苦笑を唇に刻む。


「本当に、これが一番いいと思ったんだ。わたし達の、いくつかの課題にまとめて答えを出すのにね」


 サディアスが片眼鏡の位置を指先で整え、肩の上下が傍目にもわかるほどの呼吸をひとつだけした。それだけで、もう男が完璧に整ったことが雰囲気でスノウにも伝わる。


「陛下。課題、とは?」


 ううん、と魔王が唸りながら首を捻った。


「上手くまとめて説明できないから、わかりやすい簡潔な方法を考えたつもりだったんだけど。みんな反対みたいだね」

「困惑、とご理解ください。――御心の意図を問うなど、無礼を承知でお聞きいたします。陛下は御身によって、一体何を我等にお示しなさろうとしておられるのですか?」


 魔王は段下の四人の顔をゆっくりと眺め渡した後、やはりやんわりと苦笑して眉を下げる。


「ああ今すごく、違う、そうじゃないんだ、って言いたい」


 四つの怪訝な視線を無視して、魔王は違う問いに答えた。真っ直ぐに、ただ一人を見下ろして。


「課題はいくつかあって、その数だけ答えもある。だけど、答えを出すための答えは、その実ひとつしかない。――スノウ、きみの話だよ」

『ユキコ!』


 遮断を無理矢理押し破ったムルの声が、警鐘のようにスノウの中で響き渡る。


『ならん、逃げよ!』

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[一言] ご覧になられるか分かりませんが、感想を残しておきます。 すごく! 面白かった! です!! そして気になるところで止まっている!! いっぱいいっぱいなユキコはこれからどうなるのか、聖獣と魔…
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