9. 中学生になりました
ギゼラさまに会ったのは次の週のことだった。
「あら、ゼラ。ひさしぶりね。入学おめでとう」
「ありがとうございます」
ギゼラさまは高等部の三年生だ。
学校での接点はほとんどないのだが、わたしはピアノを習っていて、ギゼラさまとはおなじ先生に師事していた縁で会うと立ち話をする間柄である。
「首席合格だったって聞いたわよ」
「そうですね」
ここで謙遜するとかえって嫌みになるらしい。教えてくれたのは当のギゼラさまである。
わたしがいつもの調子でさらりと流すと、ギゼラさまはころころと上品な声を上げて笑った。
「あいかわらずね。ジークさまはお元気?」
「……どちらさまでしょうか」
「ジークフリート殿下よ。おなじ学年でしょう」
「ああ……クラスがちがうのでよく存じあげませんが、たぶんお元気だと思います」
授業で詩を朗読したり剣をふりまわしたりするだけでうわさになるような人なのだ。元気じゃなかったらいまごろ学校中の女子が大騒ぎしているはずだ。
顔がよくて頭がよくて運動までできて……天はただでさえ恵まれた生まれのお方に二物も三物も与えるものらしい。
クラスの女子の話題の半分以上がそれなので正直うんざりしている。
なにしろあの子たちときたらほかの話題なら入れてくれることがあっても、こと殿下の話題となるとなにがなんでもわたしを閉め出そうとするのだ。
慣れたけど。
新学期がはじまって一か月。すでに三人が殿下に告白して玉砕したらしい。合掌。
「マルガが気にしてたの。あの子は集団生活に向くタイプじゃないからって」
「なるほど」
そういえばギゼラさまは殿下のお姉さまのご学友なのだった。
うっかり同意してしまったけど、これって不敬罪にあたるんだろうか。
「マルガとおなじように、あの子にもお友達が何人かつけられてはいるんだけど……みんなあの子にはどうにも強く出られないみたいで。年齢の近い子と対等な関係を築くということがうまくできないのね。よかったら気にかけてあげてくれるとうれしいわ」
「…………善処します」
なにその嫌すぎる性格……。
ギゼラさまと別れたところでうわさの殿下にエンカウントした。
今日はめずらしくお友達を連れていない。
あの子たちは護衛もかねてるんだろうから、一人歩きはよくないと思うんだけど。
「おい、ゼラフィーネ・シュヴァルツヘルツ」
お辞儀をして通り過ぎようとすると、まさかの向こうから声をかけられた。
「はい」
非礼にあたらない最低限の簡潔さで答えてふりかえると、殿下は去っていったギゼラさまのほうを示してたずねた。
「おまえ、ギゼラと仲がいいのか?」
「ピアノをやっておりますので。おなじ先生に師事しているのです」
「そんなことは知っている」
なんで知ってるんだ。そんなこと話した覚えないんだけど。
「ギゼラから聞いた」
なるほど。
「あいつが言ったんだ。おれのピアノは同年代では二番目だって」
「……そうですか」
ようやく例のお誕生日会でのやりとりの謎が解けた。
どうやら俺様殿下は自分が二番目だと言われたことが腹にすえかねてあんな暴挙に出たらしい。
どうしてくれるんだ。わたしがいまはぶられてるのはあのときの殿下のせいなんだけど。……ごめんなさい、はぶられてる原因の半分くらいですね。
それでもかなりの部分が殿下のせいなはず。ロキのせいだけじゃないだろう。
「わたくしはギゼラさまにかわいがっていただいておりますので、点数をあまくつけてくださったのでしょう。ほら、女の子のほうが手が小さいのでハンデも必要ですし。殿下がお気になさるようなことではございません」
「……いい度胸だな。おれに喧嘩を売ろうとは」
ちょっと待って。いまのせりふのどこにそんな要素が?
「覚えてろよ、ゼラフィーネ・シュヴァルツヘルツ! おれは必ずおまえに勝ってやる!」
うわぁ……。
コテコテの捨てせりふを残して去って行く殿下を呆然と見送りながら、わたしはあんまりな理不尽さにドン引きした。
二か月後、中間試験の結果が貼り出された。
この学校では試験のたびに上位四十名の氏名が掲示されることになっている。成績表はべつで返却されるためわたしはあまり気にしていなかったのだが、休憩時間にみにいったクラスメイトが教室に戻ってくるなり大声でしゃべったため結果はすぐにわかった。
1位 ゼラフィーネ・シュヴァルツヘルツ
ちなみに殿下は惜しくも二位だったらしい。
クラスの女子がきゃあきゃあと歓声をあげて「王子さまで勉強までできるってさすがよね!」と騒ぐのを聞きながら、わたしは正直めんどうなことになったと思った。前世では成績表といえば個人に返却されるものだったので、クラスメイトに知られる可能性をまったく考慮していなかったのだ。
……二位の殿下がここまで手放しに賞賛されて、一位のわたしが腫れ物ってどうなの……?
悪役はなにをしても周囲の恨みを買う宿命にあるらしい。こんなことならもうちょっと手を抜いたのに……って、いまさらか。よくよく考えてみれば入学試験の時点ですでにやらかしている。道理で殿下がわたしのことを目の敵にするわけだ。完っ全な逆恨みだけど。
午後の授業が終わった瞬間、わたしはなにも聞かなかったふりで鞄に教科書を放りこみ教室を出ようとした。
クラスメイトに敵視されるのも追従の相手をするのもまっぴらごめん。幸いなことに今日は学級委員の仕事で高等部に顔を出すことになっている。言い訳はばっちりだ。
教室を出たところで人だかりに足を止めた。女の子たちが黄色い声をあげている。
……殿下だ。
人垣の後ろを黙って通り抜けようとしたが、人垣のほうがザワザワと波が引くように割れてしまった。
……わたしはモーセかなにかですか。そうですか。
忘れていたけれど王太子殿下の婚約者候補筆頭にしてペットの黒猫に話しかける危ない女子生徒ゼラフィーネ・シュヴァルツヘルツはクラスメイトから避けられているのだった。
「……おい」
低い声にふりかえる。
良家の令嬢たるものふるまいにはつねに気を配るべし。首だけで「ふりむく」なんてもってのほか。あくまでも優雅に、上品に、「ふりかえる」こと。母の教えを反芻しながら謝罪する。
ごめんなさいお母さま。わたくしいますぐ走って逃げ出してもいいでしょうか……?
「おひさしぶりです、殿下」
周囲の耳目を意識して「ひさしぶり」を強調したのだが殿下がこちらの意図を汲んでくれるはずがない。
「昼に食堂で会ったばかりだろう」
こんにちはも言わずに目礼だけですれちがった相手をいちいち憶えてなくていいんですよ。あなた王子さまだしどうせ他の子たちのことは憶えてないでしょうに。
ここまであからさまに敵視されていると、王太子ルートの終盤で殿下がゼラフィーネを徹底的に破滅させたのって、エルフリーデの件だけじゃなく私情も入ってたんじゃないかと思えてくる。ふつうに考えて学生同士のいじめ、それも恋愛関係のいざこざが原因で退学はともかく追放だの幽閉だのはやりすぎだ。
……うーん。でもそれは逆恨みなんじゃないかと思うんですけど。
全力でいじめ(ようとし)ている弟に刺し殺されるのはまだ理解できるんだけど、逆恨み殿下に断罪されるのは勘弁ねがいたい。
「ご用件をおうかがいしてもよろしいでしょうか」
「いや、たいしたことではないんだが……」
ないなら話しかけないでください。
「社交ってのは用件がなくても無駄話をして顔を売っておくことなんだぞ」
ドヤ顔で主張されましても。ご自分のお誕生日会でずっとだんまり決めこんでふんぞりかえってた人にだけは言われたくありません。
「たいへんもうしわけありませんが、わたくしは急いでおりますので」
「なにかあるのか?」
「学級委員の仕事で高等部のほうに行かなくてはならないのです」
殿下はなにか考えこむ顔になった。
……絶対ろくなこと考えてないと思うから早く解放してほしい。
「おまえが学級委員なのか……?」
「立候補者がいらっしゃらなかったので先生に指名されました」
「ああ。……成績順か」
その怨念のこもったまなざしをどうにかしてほしい。ドス黒いオーラがダダ漏れてますけど。
しかもその冷ややかな瞳にギャラリーからきゃーっと悲鳴があがるの理解できないんですけど。……あなたたち、そうやってたのしんでいられるのはひとごとだからですよ。この視線が自分に向けられたらとてもじゃないけどそんなうれしそうにしてられないから。
「呼び止めて悪かったな」
「いえ。こちらこそ失礼いたしました。ごきげんよう」
お願いだからもう二度と話しかけないでください。